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3-3

朝はすがすがしいほどに晴れていた空は、いつの間にか今にも雨が降りそうなくらい薄暗い空へと変わってしまっていた。


カーティスは昼頃に帰ってくると言って屋敷を出た。だが、いまだにカーティスは屋敷には帰ってきてはいなかった。

そんな兄をルナは心配していた。



「ただいま」

 玄関の方から聞きなれた低い声がきこえてきたと同時に部屋でカーティスの帰りを今か今かと待ちわびていたルナの体はびくりと動いた。

そしてパタパタと廊下を走ってカーティスの出迎えへ行った。


「おかえりなさい、お兄様」

ルナがカーティスの顔を確認したとたん、外からは雨の音。

初めはぽつぽつと。

ルナがカーティスの目の前にたどり着く頃には空の上からバケツをひっくり返したのではないかと思うほどに大きな音が響いていた。


「雨……すごいな」

「そうですね」


カーティスが治めるこのランドール領は、農作物の栽培が盛んだ。今の時期は収穫期で、そろそろ収穫を迎えるものも多い。


使用人に上着を預けながら、この雨が収穫に影響を与えないかとカーティスは心配しながら外を眺めた。 一方、ルナは小さな体をカタカタと震わせおびえていた。

こんな時はいつもルナの苦手なあれが来るのだ。



薄暗い空は一瞬明るくなり、そしてすぐに暗くなった。

すると数秒もたたないうちに空から何かを落としたかのような地面を叩きつけるような音がした。


「っ」

「ルナ、大丈夫。大丈夫だ」

 カーティスは涙目になって耳をふさぎながらカタカタと震えるルナを抱きしめ、そしてルナの頭をなでた。




昔はよくお父様が私の頭をなでてくれた。

私が大きくなるにつれてその回数は減っていったけど、雷が鳴ったときはいつもなでてくれたのだ。

「エルとカーティスにはいうなよ」

そう言って、いつものように眉間にしわを寄せながらも雷が鳴り終わるまでずっと私の元にいてくれた。

これは私とお父様だけの秘密で、お父様には呆れられてしまいそうで言えなかったけれど私のひそかな楽しみでもあった。

いつもお兄様につきっきりで、お姉様のことをいつも気にかけていたお父様を独占できる時間。

次期当主であるお兄様と次期宰相の婚約者であり常にお父様に期待をされているお姉様。二人に比べれば 私なんか全然お父様の役には立てなくて。

それでもお父様の大きくて温かい手は私にぬくもりを与えた。そのぬくもりを感じるたびに愛されているのだと実感することが出来た。



大きくて暖かいお父様の手。

お兄様の手はお父様の手よりも大きくてごつごつしている。全く違うはずなのにその手はどこかお父様の手に似ていて。

ずっとこのぬくもりを感じていたいと思ってしまう。




◇◇◇

「ルナ、起きて」

「うーん」

「ぐっすり寝ているところを起こしてごめんな」

ルナはかすかに、だが確かに聞こえるカーティスの声で目が覚めた。

だが、ルナの視界にはカーティスはいない。こんなにも近くからする声の主はなぜいないのか。ルナが不思議に思っているとまたカーティスの声がした。


「ルナ、上だ」

 カーティスの言う通りにルナが上を向くと、そこにはカーティスの顔があった。


「……っ」

そう、私はお兄様の膝の上にいたのだ。

お兄様の腕の中にいた私はいつの間にか寝てしまっていたのだと気付いた。

こんな歳にもなってお兄様に甘えた挙句に膝枕までしてもらったことを思い出し顔が熱くなった。


「今どきますから」

「本当は寝かせてあげたかったんだが、用事が入ってな……」

 カーティスは焦るルナのことは気にせずに、ただ起こしてしまったことを申し訳なさそうに頭を下げた。


 謝るのは私のはずなのに……。そう思いながらも、どことなくお兄様の顔が残念だといった顔なのを見て笑ってしまいそうになった。



「予想以上の雨だから、少し小降りになっている間にちょっと見回りに行こうと思って」

「それは大事な用事です。お仕事頑張ってきてください、お兄様」

 少し残念に思いながらも、これも大事な当主としての仕事なのだから仕方ないと自分に言い聞かせる。


「行ってくる。あ、ルナは寝ていていいから」

「もう一杯寝たんですよ? お兄様が帰ってくるまで起きていて、帰ってきたお兄様を出迎えるんです」

 それが私のできるせめてものことだから。


「ルナ……、そうか。じゃあ、待っていてくれ」

「はい。行ってらっしゃい、お兄様」

「行ってくる」


昼間とは違う撥水性の黒い上着を着、使用人を連れてカーティスは夜に消えて行った。




◇◇

深夜に屋敷を出たカーティスがルナの元へ帰ってきたのは、もう日も高く上がってきたころだった。

「カーティス様がお戻りになる」

廊下からせわしなく動き続けている使用人たちの話声が聞こえた。それを聞いたルナはすぐさま玄関に向かって駆けだした。


「ルナ様、ここは冷えます。どうか部屋でお待ちください」

玄関でカーティスの帰りを待っていた使用人たちはなんとかルナを部屋に戻そうとしたが、ルナはそこから去ることはなかった。


「お兄様をお迎えしたいの」

まっすぐな目で見つめるルナに使用人たちはルナを部屋に戻すことは諦めた。


「せめてこれを」

そして、上に羽織るための毛布をルナに手渡した。


 カーティスが帰ってくるのだとルナが聞いてから半刻以上が経過したころ、外から馬の走る音がした。

 カーティスが帰ってきたのだ。


「ただいま」

「お兄様、おかえりなさい!」

声を聞いたルナはすぐさまカーティスの元へ駆け寄った。そして先ほど使用人から受け取ったタオルを差し出した。


「ありがとう。……さすがに疲れた」

 使用人にびしょ濡れになった上着を渡し、ルナからタオルを手渡されたカーティスは頭や手を軽くふいた後、たいそう疲れた様子でルナを抱きしめた。


「お兄様?」

「……」

「お兄様、重いです! って寝てる?」

「ルナ様、ルーカス様は私がお運びいたしますよ」

「お願いできるかしら」

本当は私が運んであげたいけれど、お兄様と私では体格が違いすぎる。


カーティスは見た目こそ細いものの、服の下に隠されたその体は騎士のように鍛え抜かれた身体をしていた。

ただでさえ身長が軽く頭3個分は違う身長。

小柄なルナがカーティスを運ぶことはおろか、一人で支えることすら困難だった。


 ルナはカーティスを抱える執事長を務めるラークの後についていった。そして、手がふさがってしまったラークの代わりに部屋のドアを開くルナの目にはあまり生活感のない部屋が広がった。


「もしかしてお兄様は……」

「この部屋をお使いになることはほとんどありません。カーティス様は普段、書斎をお使いになります。 睡眠もそちらで取ることがほとんどです」

ルナの言いたいことを察したとばかりにルナが言い終わる前にラークはそう告げた。



私がクロード家に行くまではそんなことなかったのに……。


カーティスが当主になってからルナが嫁ぐまで、1年にも満たない期間ではあったが、その間カーティスはどんなに忙しくとも部屋に帰っていた。

それはほぼ毎日カーティスを出迎えるルナが一番よく知っていることだった。

それがこの屋敷を離れていた1年と少しの間に変わってしまっていた。

ルナはそれがとても胸に刺さった。


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