2-6
カーティスside
話がある。ただそれだけを言われて呼び出された。
内心面倒くさいと思いつつ、断るためのもっとも理由もなくしぶしぶ城に来た時のことだった。
少し離れたところの会話であろうか。
ところどころではあるが数人の話声が聞こえた。
「ルーカス様……さすがですよね」
「氷の姫…………死に神なら勝てると思った……」
考え事をしながら歩いていたせいで、一瞬反応が遅れてしまった。
氷の姫――エルの通り名のようなものだ。
エルの話? こんな場所で?
少し不思議に思いつつ俺はその話に耳を傾けることにした。
だが、ここからでは話を聞き取るには遠すぎる。
城という場所だけあって、人の声が反響しにくい作りになっているのだ。
いつもは好都合だと思うが今回ばかりは都合が悪い。
先ほどよりははっきりとだが断片的に俺の耳は彼らの話の内容を拾った。
「死に神なんて気持ちが悪いだけ…………見た者の魂を抜き取る…」
「ああ、おっかない。……妥協することなんかなかっただろうに」
「前当主との約束があったから仕方なく結婚した……」
「…死に神なんか…」
「……離縁してしまえばいいのに」
「……お優しい……」
「ああ」
エルの話かと思っていたがルナの話であるようだ。
死に神。ルナの噂か……。
ルナはお茶会や夜会などの公の場に出ることはほとんどない。
だから、ルナのことがいろいろと噂になっていることは知っていた。
知らない者たちによって、憶測だけで作り出された噂が独り歩きをしていることを。
ルナを見たことのある者たちならばそんなことを言うはずもない。
彼らは一人残らずルナの虜なのだから。勿論この俺も。
噂話なんて貴族たちの間ではごく当たり前のように存在するもので。
騎士たちの間でもそれは例外でないことなんて分かっている。
いちいち気にしてはいられないことだって。
それでもルナのことが悪く言われるのは気に入らない。
ルナの耳に入らなければ、ルナさえ傷つかなければそれでいい。
だが、これからルナと関わるかもしれない。
念のため相手の顔を確認しておくに越したことはないだろう。
そう自分に言い訳をしつつ相手の顔の見える位置に近づこうとしていた時だった。
「ご、ごめんなさい」
どうやら俺とは逆方向に進もうとしていた少女にとぶつかってしまった。
彼らのことばかり気にしていたから前方が不注意になってしまっていたのだろう。
これからは気を付けなければと思いつつ、ぶつかってしまったことを気にしているのか下を向いてしまっている少女のほうに目を向けた。
下を向いてしまっているせいで頭しか見えない。
銀色の髪の頭しか。
「いえいえ。ってルナ?」
「兄様!?」
俺の声に反応したルナの目にはあふれんばかりの涙。
それでも流すまいと耐えながらこちらを見上げてくるルナを今すぐこの場から逃がしてやりたいと思った。
ルナが泣きそうになっている理由は兵士たちの話が原因だろう。
まさかルナも聞いていたなんて思いもしなかった。
ルナの耳に入らなければ顔を覚えておくだけでいいと思っていたが、ルナの耳に入ってしまったのなら話は別だ。
直接的ではなくとも彼らはルナを傷つけたのだから。
今までルナの耳に入らないようにしていたというのに、これで今までの苦労も水の泡になってしまった。
あの兵士たちは始末しておかないとな。そう考えながらも俺はルナを連れてその場を去った。
「ルナ、今帰り? もしよかったら俺の馬車に乗っていかないか?」
あいつらの顔ならしっかりと覚えたから始末なら後でだってできる。今でなくてはいけないという理由もない。
だが、ルナの心におった傷はそうではない。
この場にい続ければ聞きたくないような内容も耳に入ってしまうだろう。
王には会っていないが、そんなこと知るものか。
ルナのほうが大切に決まっている。きっと王もわかってくれるだろうというかわからなかったらどうにかすればいいだけだ。
そうして俺は警備のものに帰ると一言だけ告げて、ルナを馬車に乗せた。
この場所から一刻も早く去りたくて。ルナを泣かせたくなくて。
馬車に乗ったはいいが何を話せばいいものか。
悩んでいるとルナの持っている籠が目に留まった。
「ルナ、その美味しそうな香りのするものは何?」
「えっと……」
ルナはお菓子を作ったときにはそのかごに入れて持ち歩く。
そのかごはエルからの贈り物だからなのか、エルに持っていくときには必ずといってもいいほどに。
そんな籠の中からは甘い匂いが漂ってきた。中身が気になった俺は籠にかけてあった布を取り除いてルナに言った。
「タルトだね。中身は?」
「チェリーです」
「お土産にもらったの?」
「いえ」
「ルナの手作り? もらってもいい?」
「ええ、もちろんですわ」
チェリーのタルトといえばエルの好物だ。
それにこのタルトはルナの手作りだという。
エルが食べないはずがない。
それがなぜ手つかずの状態で籠に入っているのか疑問に思った。
しばらく考えて、きっと渡せなかったのだろうという結論に至った。
ルナが立っていたのはエルの部屋に向かう道。会う前にあの話を聞いてしまったのだろう。
それからは気が抜けたように何を言ってもあいまいな返事しかしないルナをクロード家の屋敷まで連れて行った。
正直心配ではあったが、この状態では話が聞けそうにない。
日を改めて、話をすることにしよう。
ルーカスが簡単にルナを家から出すとは思えないから、どうやって呼び出すべきかは後でゆっくりと考えることにしよう。
俺は再び城に向かう。
ルナを傷つけたやつらの始末をするために。
「カーティス!」
「ちっ」
「ちっ、って言った? 今、わしに向かって舌打ちした!?」
厄介な奴にあってしまった。
彼はクラウン。この国の王様で、俺を城に呼び出した張本人だ。
「今日は行けなくなったって伝えるように兵士に頼んだのですが、伝わってなかったのですか?」
「いや、聞いたけどたまたま外を見たら君の家の馬車が見えたから来ちゃった」
来ちゃったって……。
ルナのような少女が使うなら可愛らしいが、60過ぎの男性が使う言葉ではないだろう。
歳を考えろ、歳を!
「で、何の用ですか? 俺、今忙しいんですけど」
「そんなに雑に扱わないでよ。わし、これでも一応王様だからね! ……で? 忙しいようには見えないけど何かあるのか?」
「兵士を3人ばかし始末しようと思って。3人くらい支障はないでしょう?」
この城には何万という兵士がいるのだ。たかだか3人くらい消えたところですぐに補充できるだろう。
「3人くらいって……。君は兵を何だと思っているんだ」
「兵士たちはよく働いてくれるいい人たちだと思っていますよ? 特に門番の彼は素晴らしい」
特に門番の彼はルナと仲が良いようで、会話している姿をよく見る。
とても親切にしてもらっているのだとルナが言っていた。
他の兵士たちとの仲も良好で、若いのによく働くいい青年だと思う。
彼こそ兵士の鏡だと思っている。
「ってことはその3人が何かしたのか……。はぁ、わしの仕事部屋で話聞くからついて来てくれ」
大きくため息をつきながら、場所の移動を促す王様。
話なんか聞いてくれなくていいからさっさと解放してほしいと思いながらも、この王様は怒ると説教が長いから仕方なく従っておくとする。
「で、兵士の3人は君に何をしたんだい?」
「俺にじゃない。ルナにしたんだ」
「ルナちゃんに……だって?」
ルナという名前を聞いた途端に王様の目の色が変わった。
心なしか顔が引きつっているように見える。
今まではしぶしぶという様子で聞いていたくせにルナが絡むとなると話は違うらしい。
ルナを自分の娘のように可愛がっている王様にとっては重大案件に分類されたのだろう。
まあ、俺にとっても重要案件だから一概に王様を責められないのだが……。
「仕事中に立ち話を大きな声でしている兵士のせいで噂がルナの耳に入った」
「噂? ああ、あれのことか。で、場所は?」
「2階から3階に上がる階段付近だ」
「兵士たちの顔は覚えているか?」
そういって王様は俺に兵士の顔写真付きの名簿を手渡してきた。
個人情報が詰まっているものだから、普通ならば誰かに見せたりなどしないのだろうが今は非常事態だ。ことを迅速に解決する必要がある。
そんなことは気にしていられないのだろう。
俺は名簿をめくりながら、記憶の中にある兵士の顔と照らし合わせてみた。
「こいつらだな」
そういって俺は3人分の資料を抜き取った。
「こいつらのシフト、確認しろ」
「はっ」
そう命じた瞬間に王様の後ろからスッと出てきた青年に王様は資料を渡した。
「本日の午後、彼らは2階の警備にあたっていたようです」
「決まりだな」
「じゃあ、行ってくる」
「待て待て」
「話は終わったはずだが?」
だから、止めるな。
さっさと行って、始末したいのだが……。
俺は腕をつかむクラウンの手を引き離そうとする。
なのに、なぜ離れないんだ。
結構歳をとっているのに俺が引き離せないなんてどれだけ握力が強いんだ?
「わしが動く」
「は?」
いやいや、王様であるクラウンが動くのはさすがに問題があるだろう。
ルナを傷つけたのは許しがたいことではあるが、そんなに大事にしたくはない。
ルナのためにも内密に処理してしまうつもりだった。
「さすがに殺しはせんよ。貴重な人員が減ってしまうのでな」
「は? それじゃ、俺の腹の虫が収まらない。それに妹を、家族を守れないんじゃ俺のいる意味がない」
ふざけるな。ルナをあんなに悲しませた落とし前はしっかりととらせてもらう。
そのために俺は城に戻ってきたのだから。
「いやなに、丁度北の方に人が欲しいって言われていたからそこに送ろうと思って。北に行ったら、帰ってくることはまずないだろう。何より北には彼がいる」
北と言えば、確かサザンがいるところではなかったであろうか。
サザン――昔の俺の良き剣のライバルだ。
彼の戦術は、粘り続けて相手の体力をここぞとばかりに削ってから一気に叩く。まるで獲物を前にした獣のようだ。
弱き者にも一切手を抜かないのだから恐ろしいものだ。俺もあの戦い方には苦労したものだ。
そんなサザンは数年前に領主を任されたのだと言っていた。
領の兵が全く使えないから鍛えているのだが、兵たちが弱すぎて定期的に脱げだす奴がいるのだとか。送られてくる手紙には愚痴が多いように感じるが、たまに混ざる妻の話を見る限り、楽しくやっているのだろう。
先日、城の暗部に来た者がサザンの元部下だと言っていたな。
あんな奴がゴロゴロといる北の兵達のもとに送られたらそれはそれは苦しむのだろう。
きっと、俺が始末するよりも。
一瞬の苦しみよりも継続的な苦しみのほうがつらいのだ。
きっと彼ならあいつらをかわいがってくれるだろう。
「それならお前の腹の虫も収まるだろう」
「……わかった」
俺が始末できないのは正直悔しい。
俺にはその能力があるはずなのに。標的もわかっているのに。
それを執行するのが自分ではないことが。
それでも、この役目はサザンのほうが適任だ。
だから、手を引くしかないのだ。
「そうか。じゃあ、さっそく手続きしておけ」
「はっ」
「じゃあ、俺は帰るから」
「なあ、カーティス。グレンは、お前の父は家族を守る術をお前に叩き込んだが、何もそれだけが守り方ではないんだ」
「……」
「周りを利用することも考えろ。わしはお前の父親ではない。だが、わしはお前の願いくらい聞いてやる。力にだってなってやることはできるんだ。それを忘れるな」
「わかった」
この王はルナだけではなく、俺にも甘いらしい。
いつかそこにつけ入れられなければいいが、そんなことはありえないだろう。
その時は俺がこいつを守るから。
だって、こんなこと言われたらそうするしかないだろう?
この人は俺たちを駒ではなく、一人の人として大事に思ってくれていることを知ってしまったのだから。
きっと父もそうだったのだろう。
仕事だからではなく自分の意思でこの王様に従っていたのだろう。
俺は馬車に乗って屋敷に帰宅し、さっそく書斎に行く。
久しぶりに友への手紙をしたためるために。




