第弐話 多目的Dの引篭もり
「せ、生徒…だよ、な?」
宗介が入って来た事に気付くこともなく、肩を上下にゆっくり揺らし規則的な寝息を立てる目の前の男子生徒は、とてもじゃないが幽霊に見えなかった。まぁ、自分に比べると肌が病的なくらい白いと言うのが唯一の幽霊要素だろうか。
窓際に位置づけられた机の横に立ち教室を見渡すと壁に掛けられた鏡が目に入った。
「これ、もしかして『願いを叶える猫の姿見』?」
下の部分が首にリボンを結んだ赤い石を目に埋め込んである猫だ。長くしなやかな尻尾が鏡の縁になっていて、自分のような子供でも、この鏡が間違いなく高価であることが解った。
「願いを叶える……『多目的Dの幽霊』に会えますように…ってなんちゃってー!逆だろって話だよなー!」
「…誰?」
「!?」
突然かけられた声に肩が外れるんじゃないかと思うくらい大袈裟に反応した宗介が振り返った先には、先程まで寝ていた男子生徒が目を大きく見開き身体を起こしていた。
どうやら先程の声で起こしてしまったようだ。此方を見る、と言うより殆ど睨んでいる男子生徒に宗介は必死に言い訳をしようとして目を泳がせていると、鏡の近くに掛けられた時計が最終下校近くを指していた。
「あ!最終下校!!」
急に大きな声を出した宗介に、男子生徒はビクリと身体を揺らす。
「あっ、ごめんな起こして。でももう最終下校だし丁度良かったかも!」
「…はぁ」
「俺鍵谷宗介!お前は?」
男子生徒が人間らしい反応をしたので、幽霊ではなく人間と自分の中で解決した宗介は捲くし立てるように男子生徒に質問していく。そんな宗介に男子生徒は目をぱちぱちと瞬かせて小さく「真中」と呟いた。
「真中?真中何君?」
「違う、名前が真中。夜真中」
物が散乱している黒板前を掻き分けて、こう書く、と短いチョークで自分の名前を書く真中に、宗介もこう書くんだとすぐ隣に自分の名前を書いた。
「鍵谷君、は、何で此処にいるの…?」
「不思議検証!」
「不思議、検証…?」
宗介の言葉に首を傾げる真中。
そんな真中に宗介は親指を立て人懐っこそうな笑顔を見せる。
「俺さぁすっごい怖がりでさぁ、学校の七不思議に新しいのが出来たらしいから本物か確認しに来たんだ」
「へぇ…」
「まぁ新しいのも結局はえーと、夜君だったんだけどな!」
「僕が、本当に幽霊だったらどうする?」
「え」
猫目を細め妖しく笑う真中に宗介は身体を硬直させ、先程引いた冷や汗がまた出てきた様で、背筋に一筋の冷たさが伝う。
そんな宗介に真中は少し寂しげな表情を見せたかと思うとすぐに悪戯が成功した子供のようにクククッと笑うと頬杖をつき冗談だよと呟いた。
「本当に怖がりなんだね。検証するくらいだから実は怖いのが好きなんだと思ったんだけど」
「怖いから検証すんだよ~…やめろよなぁ、変に怖がらすの…」
「ごめんね」
真中の後ろに片付けられている椅子を出して、真中と向き合うように座った宗介に途端にそわそわしだした真中を見て、宗介はそう言えばと上体をグイッと前のめらす。それに比例するように真中も上体を仰け反らせた。
「夜君はなんで此処にいんの?」
「知りたい?」
「うん」
若干の不安に揺れている宗介の瞳に真中は何かを考えた後、小さく保健室登校は知っているか?と聞いてきた。
「あぁ、知ってる」
「僕は人と関わったりするのが苦手でね、保健室だと他の生徒が入ってきたりするでしょ?だから特別に保健室じゃなく此処に通わせてもらってるんだ」
「え?でも俺とは話せてるじゃん」
「鍵谷君は、最初から勝手にグイグイ話しかけてきたから…慣れちゃった」
困ったように笑う真中に宗介はあー…と居た堪れない気持ちになる。
確かに真中が起きてから一方的に話しすぎた…。
「ごめんな」
「ははっ、君は優しい子なんだね。久々に人と話せたし別にいいよ」
謝罪をすると真中は上体を元に戻し優しく微笑む。それにつられて宗介もニカッと歯を見せて笑う。
なんだか不思議な気分だ、初めて話すのにまるで昔からの友人だったかのような雰囲気が自分達を包んでいるような気がする。
「なぁ、真中って呼んでいい?」
こう改まって聞くとなんだかむず痒いなと内心思いながら真中の返事を待っていると、真中は是非と笑顔で頷いてくれた。
「よしっ!じゃあ俺の事は宗介って呼んでくれよ!」
「いいの?」
「いいに決まってんじゃん」
自分は真中の事を名前呼びするんだから、真中だって自分を名前呼びするのが普通じゃないかと言えば、真中は友達とはそう言うものなのかと独り言ちていた。
そういえば人と関わるのが嫌で保健室登校、改め多目的登校するくらいなのだから友達はいないっと言っても過言ではないんだろうな…。宗介は未だに「そうなのか」と難しい顔をしている真中に苦笑していると、最終下校を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「やっべ、最終下校だ。真中帰ろうぜ」
「僕何時も迎えが来てくれるんだ、だから待ってないと。先生も来てないし」
「あぁー…そっか、じゃあ俺先に帰るな」
「うん」
椅子から立ち上がり引き戸の前まで行き振り返ると、真中は窓の外から見える校門に走っていく極僅かな生徒達を無表情で見つめていた。
彼も本当は友達とに騒ぎながら帰りたいのかも知れない。でも彼自身の事情がそれを許さないのだ。それは一体どんなに悲しく寂しいんだろうか。
自分には友達がいて、今まで当たり前のように騒ぎ会う毎日だったが今日会った夜真中と言う少年は、そうやって騒いだりしたことがないのかも知れない。
自分が、彼の事情を破るきっかけになれたら…彼も皆と同じように笑いながら、ふざけ合いながら日々を過ごせたりするんだろうか。
もしかしたら迷惑かもしれない、でも真中が笑って皆と遊んでるところが見たい。
だったらもう自分が真中の殻を破ってやろう。
「真中」
「何?」
「明日も学校来いよ」
宗介の突拍子もない言葉に真中は視線を窓の外から引き戸の前に立っている宗介に移し首を傾げる。
「学校には、毎日いるけど…」
「ん、良かった!俺明日も来るから!てか毎日来るから!」
宗介の「毎日来る」と言う言葉を反復する真中に宗介は「毎日!」と親指を立てて歯を見せて笑う。
「じゃあまた明日な!うわっやべっ門閉められる!」
時計はいつの間にか最終下校時刻を5分も越えていて、あと5分以内に教師に閉められてしまう。
宗介は正門ではなく裏門から帰るので正門からだと大きな遠回りになるのだ。
「あ、えっと、来たら合図、頂戴!」
「解った!ノックする!じゃあまた明日な!」
「また明日!」
宗介が慌ただしく出て行った為、しっかり閉められることなく、少し隙間が開いている。その隙間を暫く見つめていた真中はゆっくりと席を立ち、引き戸をきちんと閉めなおし真中は再び机に突っ伏し瞼をゆっくり閉じていく。
「また、明日…か」
真中の小さな呟きは誰にも拾われることなく静かな校舎に溶け込んでいった。