とある後日談~中段
――おまえ、しきメールって知ってる?
俺の問いかけに、智成は明らかな動揺を見せた。
「……な、何のことですか?」
顔色が変わって、声が震えている。
絶対、黒だろう。
不意打ちは、これ以上はないほどに効果的だったみたいだ。
「んー」
さて、と。
俺は迷った。
この先の言葉は、考えていない。ほとんど咄嗟に、訊いてしまった。
しきメールという単語への、この反応。ただ知っているだけではない。強く興味を持っているか、すでに何度か行っているか。まだ、迎えに来られていないだろうことから――多くても、三回目まで。
どちらにしても、よくない状況であることには間違いない。
少なくとも、自殺願望があるってことは確実だ。昔の自分と、同じだ。
「あー、とりあえずな」
俺は、頭を掻きながら、
「……それは、やめておいたほうがいい。ろくなことには、ならないからな」
言葉をどうにか絞り出す。
智成は視線を逸らすと、そのまま休憩室を出ていこうとする。
「あ……おい」
「仕事、入るんで」
ぼそっとつぶやきながら、速足で行ってしまう。
俺は、呼び止められなかった。
◇
「――余計なこと、したかもな」
その日の夜、俺は先輩にこぼしていた。
先輩は、くたびれたジャージ姿――中学時代のものらしい――で、真剣に話を聞いてくれていた。
「なあ、どう思う?」
「……難しいね」
先輩は腕を組む。
「彼の状況がわからないし、どういうふうに感じ取ったかも、あたしらには判断できないからな」
「そうだよなー」
俺はうなだれた。
結局、あのあと会話らしい会話はなかった。
普段もあまり喋らない後輩だったけれども、今日は輪をかけていた。仕事のミスがなかったのが、救いか。むしろ、気になるあまり、自分が会計を間違えかけたくらいだ。
「そんな気に病むなよ」
落ち込む俺に、先輩は元気づけるように笑ってくれた。こういうところは、年上の頼りがいがある。
「多分、あたしだって同じことしたと思うよ」
「……そうか」
おかげで、少しだけ気が楽になった。
次の日は、シフトがなかったけれど、気になった俺は大学帰りにコンビニ寄ってみることにした。
智成は、普通にレジを打っていた。
その様子を遠目に、ちょっと安心して、帰宅した。
それから、三日後。
智成から、俺のスマホにメッセージが入った。
『しきメール、やめました』
『ありがとうございます、気にかけてくれて』
『今度、プライベートで話したいことあるんですけど、いいですか?』
そのメッセージに、俺はもちろん了解の返事を返す。その夜――部屋で機嫌よくなっていた俺に、先輩は苦笑した。
それで、解決した。
そう思っていた。
◇
――それは、予感だったのか。
虫の知らせ、というやつだったのだろうか。
「……寝れないのか?」
「うん、何だかな」
その日の夜、俺はなかなか寝付けなかった。ベッドでもぞもぞしていた俺に、先輩が訊いてくる。
「悪い、起こしちゃった?」
「いや――あたしも、何か目が冴えてな」
先輩は、ベッドから起き上がる。
「何か、呑むか」
「そうっすね」
「哲也、紅茶でも淹れてよ」
「……俺っすか」
肩をすくめて、部屋を出る俺。先輩も、ついてきた。
仕方ない。
要望通り、お茶の準備でもしようか。
そう思った俺に――テーブルの上で振動しているスマートフォンが目に入った。
夜中に通知とかがなると鬱陶しいので、俺はスマホを寝室に持ち込まない。ついでに電源を切っていることも多いんだけど、たまたま切り忘れていたみたいだ。
「電話?」
先輩も、気付いた。
リビングに電気をつけて、部屋が明るくなった。
音はマナーモードにしてある。バイブ設定も小さめにしてあるので、リビングに来なければ、気付かないままだったろう。長く続く振動は、メッセージとかアプリの通知ではなく、通話の呼び出しを知らせていた。
こんな夜遅くに――誰だろう。
テレビ近くに置かれたキャラものの時計は、深夜二時を示している。
何だか不気味なものを感じて、俺はスマホを手に取った。画面に通知される相手の名前は――
「智成?」
後輩からだった。
非常識な時間帯に苛立ちを覚えるよりも、嫌な予感が走った。タッチして、通話を開始する。
「もしもし、どうした?」
『……て、哲也さん』
電話の声には、ひどいノイズが混じっていた。普通じゃない。
『助けて……ください』
「! おい? どういうことだ?」
『助け――』
理由を聞く前に、通話が切れた。
「おい? おい! 智成?」
「どうしたの? 哲也」
俺の慌てた様子に、先輩も尋常ならぬものを感じたようだった。俺は首を振りながら、通話履歴から智成にかける。呼び出しの着メロが鳴るだけで――つながらない。
やばい。
これは、やばい。
俺は、背中が冷えるのを自覚した。
何だよ、これ? しきメールは、もうやめたんだろ? だったら、どうして――こんな!
混乱する俺の耳に、ようやく電話がつながった。
「! おい、もしもし! 智成、どうした? 何があった、今はどこだ!」
夜中なのに、思わず大声になる俺の声に答えたのは――
『大丈夫、心配しないで』
なつかしい、あの声。
その声は、紛れもない。
あの日、俺を救ってくれた少女の声。
紫姫の声に、間違いなかった。