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むらさきひめ  作者: ハデス
第弐幕
47/49

とある後日談~前段

 目を覚ました俺は、となりのベッドを見る。

  

 誰も寝ていない。

 同居人は、とっくに起きているようだった。

 高校を卒業した俺は大学進学にあたって、家を出た。

 それから、知人のマンションの一室に住まわせてもらうことになった。

 その知人とは、高校の先輩。とあるきっかけで、仲良くなった。


「ふああー」


 俺は伸びをして、ベッドから降りる。

 部屋を出て、手狭なリビングを抜けて、となりの部屋へ。

 同居人は、そこにいた。


「おはよう」


「ん、起きたの」


 素っ気なく返事を返すだけで――彼女は、振り返らないままだった。キャンバスに、夢中になって筆を走らせている。

 そこに描かれているのは、可愛らしい少女。

長い黒髪、紫っぽい袴姿。

 刀を握らせるかどうかは、迷っているようで、軽く下書きだけ描いてある。

 死姫。

 いや、紫姫。

 そう呼ばれていた。三年前に出会った少女。あの世に連れて行かれるはずの俺を助けた、怪異の少女。その姿が、彼女によって描かれていた。

 ちょうど二年前。

俺が高校二年生で、先輩が三年生。放課後の美術室で、その時も、彼女は『紫姫』の絵を描いていた。


 それが、きっかけだった。

 俺が先輩と知り合い、仲良くなったのは。

 不思議な縁。

 それとも、必然だったのか。

 俺も先輩も、出会っていた。

 しきメールという都市伝説に関わり、殺されかかって、救われていた。


       ◇

「なあ、哲也」

 

 彼女――伊藤夏希先輩が、口を開く.


「紫姫は、どんな髪飾りをつけていたっけ?」


「髪飾り?」


 俺は首を傾げた。


「そんなの、つけてたっけ?」


「つけてたよ」


「そうかなー」


 先輩は言い張るけれど、俺はうろ覚えだ。もう三年も前なのだ。そこまで詳しく覚えてはいない。

 まあ、俺とほとんど同じ時期に出会っていて、ここまでの再現度で『紫姫』を描ける彼女は――天才なんだと思う。

 そんな先輩は、今は美大生だ。


「ああ、くそ」


 苛立ち気味に、肩までかかる髪を掻きむしる。

 早起きしたわけでは、ないようだ。

 徹夜していたらしく――もともと鋭い目つきには、くまが出来ていて、ちょっと凶悪だ。

 服装も、色気もへったくれもない、シンプルな黒いスエットの上下。先輩は、あまりおしゃれとかには興味ないのだ。

 割と美人なのに、本当に勿体ない。


「もう一回会えないかなー」


 ぼやく先輩に、


「しきメール、またやってみたらどうですかね」


 俺は言ってみた。


「いや、無理でしょ」


 俺に振り向いて、すげなく言い切る。


「あれって、自殺願望ないと成り立たないじゃん。今のうちらじゃ、無理だよ」


「そうですね」


 同意する。

 俺も先輩も、当時は死にたいと思っていた。それだけ、心が病んでいた。でも、今は違う。

 だから、もう無理だろう。

 もう、紫姫に逢うことはできない。


「それって、残念だよな」


 俺はつぶやいた。


「…………」


 先輩は、言葉の先を待つ。


「今は、それなりに楽しくやってる」


 俺も先輩も、命を救われただけで、その時の現状が全て解決したわけではなかった。


 ただ、なくすはずだった命を拾った。


 紫姫が助けにこなかったら、しきメールによって呼んでしまった怪異に、間違いなく殺されていたはずだ。

 せっかく生き延びた。

 おかげで、気の持ちようも変わった。あれからそれなりに考えて、行動して、どうにかやってきた。

 今は色々と、何とか折り合いをつけられている。

 生きていられて、満更もないなって――ふたりして、そう思えている。


「助けてもらって、感謝してるってお礼を言いたいけどな」


 それができないのは、少し哀しい。


「まあ、もう二度と会わない……いや、会えないってことが、一番の感謝になるのかもね」


 先輩が言う。

 確かに、そうかもしれない。

 また紫姫に会うってことは、死にたくなるってことだ。そうじゃなきゃ、会えない。だからこそ、会えるってことは――そういうことだ。

 きっと哀しむに違いない。

 そうなっては、本末転倒だ。


「そーだよな」


 俺は、先輩の言葉に同意した。そうして、ふと思ったことを口にする。


「そっか。だから、先輩は紫姫の絵を描こうってこだわるんだな?」


「……は?」


 先輩は、意外そうな顔をした。


「いや、この絵……大学の課題とかでしょ? コンクールがどうとか言ってたし。もし受賞とかすれば、目立つじゃん。もしかしたら、紫姫の目に止まるかもしれないし――って」


 きょとんした表情の先輩に、俺は言葉を切った。


「先輩?」


「そうか」


 何だか、納得したように目を見開いていた。


「そういう考えも、あったな」


「……違うの?」


 てっきりそうだと思ったのに、違ったらしい。


「いや……特に、そんな考えもなかったけど。それも、ありだな」


 にやっと歯を見せる先輩に、


「課題は、いいんですか?」


 俺は肩を落とした。


「まあ、まだ余裕あるしな」


 と、先輩。


「何かもやもやしてて、思わず描いてたんだけど――哲也のアイデアはありだ。悪くない。いや、それでいこう」


 楽しそうに言っていたけれど、困惑したような顔になる。


「でも、そうなると弱ったな」


「何がです?」


「いや……紫姫だけじゃなかっただろ?」


「え?」


「あたし達を助けたのは――他にもいたじゃないか。ふたり」


「あー、いましたね」


 思い出す。

 背の高い男と、ちっこい子供。男は、時代劇みたいな格好していて――子供の方は、現代的な服装だった。それくらしいか、覚えていない。言っては悪いが、紫姫ほどの印象はなかった。


「そうなると、あのふたりも描かないとな、やべえ、思い出せない」


 頭を抱える先輩。

 俺も、適当な言葉が見つからなかった。俺は先輩以上に、思い出せないのだから。


      ◇


 とりあえず、朝ごはんにすることにした。

 先輩が腹が減ったと言うのだ。


「哲也、何か作ってくれ」


「今日は、先輩が当番じゃなかったでしたっけ?」


 呆れる俺に、先輩は臆面もなく言ってきた。


「頼む」


 食事当番は、交代制のはずだったのだが、俺が任されることが多い。というか、先輩は本当にずぼらで――家事自体、俺がやることが多かった。まあ、マンションに住まわせてもらっているのだから文句も言えない。

 部屋代は、先輩がもっている。

 正確に言えば、先輩の親だ。俺が出しているのは、食費の足しくらいで――微々たるもの。俺はもっと出しますとは言っているけれども、先輩曰く『家事ほとんどやってもらっているし』で、受け取ってもらえない。

 自覚はあるようだ。


「あー、面倒なんでシリアルでいいですか?」


 それなら牛乳かけて、お手軽だ。


「白い飯と味噌汁がいい」


 俺の彼女は、我がままだ。


「しゃあないですね」


 俺は冷蔵庫をあさる。

 鮭の切り身があった。これを焼けばいい。ご飯は、昨晩の残りがラップしてあるのでレンジでチン。味噌汁は、インスタントで我慢してもらおう。

 悪いけれど、今日は午前から講義があるのだ。今から、本格的に料理をやっている余裕はなかった。


「さっきの続きなんですけど――」


 向かい合ってご飯を食べながら、俺は口を開いた。


「もし、他の誰かが、しきメールをやったとして、そこにいたらまた紫姫と出会えるんですかね?」


「……おとりってこと?」


 先輩は、目を細めた。あまり面白くなさそうだった。


「それ、本気で言ってる?」


「いや、過程の話ですよ」


 あくまで、純然たる可能性の話。

 実際に、そんなことは望んでいない。


 もし。

 しきメールに手を伸ばす誰かがいたとしたら、全力で止めるに決まっている。

 だからこそ、もう――

 きっと、俺も先輩も紫姫と仲間達に出会うことはないのだろう。

それで、いいのだろう。少し寂しいけれども、それが正しいのだ。

 俺と彼女達では、あるべき世界が違う。

 そもそも出会うべきではないのだ。


 ――そう思いながら、俺は程よく焼けた鮭の切り身を、一口放り込んだ。


      ◇


「うー、やっと終わったぜ」

「長いよなー」


 講義を終えた俺は、背伸びをする。並んで座っていた同性の友人が、同意してきた。

 高校までに比べると、ひとつの授業時間が約二倍。本当に、長く感じられる。


「なあ、哲也。今日は、午後は講義あるのか?」


「ん、いや。今日はバイトなんだ」


「そっかー、メシだけでも一緒しようぜ」


「いいぜ」


 ちょうど昼時だ。午後にも講義が入っている友人と、学食に向かう。他愛もない話をしながら、一緒にメシを喰う。

 そんな時間も、あの時に死んでいたら、ありえなかったんだ。

 時々、思い出したように感謝をする。


「じゃあな、哲也」

「おう、講義。頑張れよ」

「ああ、めんどくせーけどな」


 挨拶を交わして、友人と別れた。大学を出たあたりで、バイブ設定のスマホが震えた。

 確認すると、メッセージが来ていた。

相手は、弟だ。


「…………」


 弟は、時折こうやって連絡をくれる。

 家を出た俺だけど、別に弟と仲が悪いわけでもない。ただ、ぎこちないだけだ。両親とも不仲というわけでもないけれど、どこか余所余所しい関係が続いている。

 弟は、それをどうにかしたいのだろう。

 それは、わからくもないけれど――


(面倒、なんだよな)


 別に、両親が嫌いとうわけでもない。

 一時期は、しきメールに手を出すくらいに病んでしまった。そのきっかけだったけれども、今になっては折り合いもついている。

 親だって、人間だ。完璧というわけじゃない。

 少しは大人になった今なら、割り切れる。

 割り切った。


 ――それでも、構ってくれる家族がいるだけいいんじゃない?


 そうぼやいたら、先輩に言われた。

 

 先輩は、高校生の時からほとんど独り暮らしだったらしい。

 お金には不自由せず、けれど、両親からはお金しか与えられなかった。家族で過ごした思い出は、ほとんどない。俺の家庭以上に仕事に忙しい両親は、先輩を自立した子供だと褒めていたらしいけれど――


「……仕方ないな」

 

 俺は先輩の言葉を思い出して、ため息をついた。

 とりあえず、来週くらいには実家に顔を出すつもりだ。そんな旨の返事を返すことにした。

 さて、今日はバイトのシフトが入っている。

 さっさと向かうことした。


      ◇


「よう、お疲れ」


「……どうも」


 夕方過ぎになって、休憩室でバイト仲間と顔を合わせた。

漫画雑誌を読んでいた俺は顔を上げて、声をかける。高校の制服姿で出勤してきたのは――最近、俺が気になっている新人だ。

 半月ほど前から、働いている。


『最近、気になる後輩ができてさー』


 少し前に、先輩にそんなことを話した。向かい合って夕ご飯を食べていた彼女は、明らかに不機嫌そうな顔になったことを思い出す。


「……それ、女の子じゃないよね?」


「え? 違う違う」


 誤解させてしまったので、慌てて訂正した。


「なら、いいけどさ」


 高校二年生の男だ。眼鏡をかけた真面目そうな男子で、仕事ぶりも問題ないんだけど――妙に気にかかる。

 何となく暗いというか、影を背負っている雰囲気。


 ――今も、こうして同じものを感じるのだ。


「……何ですか?」


 まじまじと見つめてしまったのか、新人――智成が怪訝そうな表情になった。まあ、男にじっと見られていい気分もしないだろう。


「あ、いや――」


 別に、と流そうとして、

 思い当った。 

 唐突に。

 ちょうど今朝、先輩と話していた話題がタイミングになったのかもしれない。

 それは、当てずっぽうな憶測だった。

 根拠もへったくれもない。

 ただの勘。それとも、感じ取ったのだろうか。


「なあ、智成」



 ――おまえ、しきメールって知ってる?



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