エピローグ その、名前は――
――長い、夢を見ていたような気がする。
それは、哀しくて、辛くて、苦しくて。
どうしようもない世界で、必死にもがくお話。
それでも、どこか優しい――そんな物語だった。
「……ん」
城阪冬美は、自室のベッドで目を覚ました。つやのある黒髪。叔母の若い頃に似たとよく言われる、可愛らしい顔立ちを――寝ぼけまなこに、貼り付かせる。
軽く伸びをして、枕元の時計を見た。猫のカタチの、可愛らしい目覚まし時計。
何だか寝すぎてしまった気がするのだが、時間は七時半。春休みの一日にしては、別に寝坊でもなかった。
「変なの」
つぶやくが、別に悪い気はしなかった。
ただ、不思議な気分だった。
まるで、自分でない誰か。
そんな人生を、追体験したような――
『冬美、そろそろ起きないのー?』
考えに沈みそうになると、部屋の向こうから声がした。
母親だ。
「……あ、今起きるよ」
思い出した。
確か、今日は出かける予定だった。
この四月から、城阪冬美は高校生になる。新しい制服を着込んで、冬美はリビングに姿を見せた。
「えへへ、どうー?」
一足先に朝食を取っていた大学生の兄。
「んあ? あー、いいんじゃね」
彼――城阪 晴翔は、気のない返事を返す。
「……何よ、春にい」
冬実は、その反応に頬を膨らませる。
「不満か? 実の妹の制服姿に、色好い反応期待するんじゃねえよ」
「ぶー」
「それよりも、紫崎が本命だろ?」
「……あう」
からかうような口調に、冬美は口ごもった。
兄が口にしたのは、長年の親友。冬美も小学生の頃から知っており――まあ、そういう思春期特有な対象のお相手である。
(……そう言えば)
ふと、夢の内容を思い出した。
おぼろげに残っている記憶の中に、彼の姿もあった気がする。確か、時代劇のような恰好をしていた。
彼だけではなく――
他にも、何人かいた気がする。
長い黒髪の、勝気そうな少女。
栗色の髪の、大人しそうな女の子。
小生意気な年下の少年と、活発そうな青年。
――確かに、残っていた。
「……どうした?」
「ん? ううん、何でもない」
不意に黙り込む冬美に、心配そうな晴翔。
軽口をたたき合うが、だからこそ、兄妹の関係は良好だった。
「お、よく似合うねー」
母親の城阪沙姫が、顔を見せた。子供ふたりを生んだというのに、まだまだ若々しい。
「えへへ、そうでしょー?」
兄への不満分を上乗せで、冬美は満足そうに微笑んだ。
「……ん、ほんとよく似合うよ」
「お母さん?」
母親の表情の変化――懐かしむような、ほんの少し哀しむような、そんな色。
「あ……いや、何でもない」
沙姫はパタパタ手を振って、
「藤二、起こしてくるわ」
冬実と晴翔の父親――つまりは、自分の旦那を呼びにその場を出ていった。
「お母さん、どうしたんだろ?」
首を傾げる冬美に、晴翔が口を開いた。
「……多分、姉さんの面影を見たんじゃないかな」
「真姫、叔母さん?」
「ああ」
九条真姫。
母親の姉。
ふたりにとっては、叔母。
彼女は、中学生の頃に事故で死んでしまった。だから、高校生にはなれなかった。
冬実は、そんな彼女に生き写しであると言われるほどに、その面影があるらしい。
今日は、これから家族で出かける。
向かい先は、母親の実家。祖母と祖父に、新しい制服姿をお披露目に行くのだ。
――そして、そこには叔母の位牌も祭られている。
「まあ、おまえが本当に真姫さんの生まれ変わりだとしたら――」
晴翔が、続ける。
「これから、幸せに生きていく義務があるんじゃねえかな」
「…………」
叔母は、若くして逝った。
時折、墓前に顔を出す昔馴染みらしき大人達。彼らを見る限り、彼女は生前、慕われていたに違いない。短くても、それはよい人生だったのだろう。
けれども、本当はもっと長く――
「うん、そうだね」
しみじみと頷く冬美の頭に、いつの間にか立ち上がっていた晴翔が手を置いた。
◇
玄関から姿を見せる、城阪冬美。
軒先で、背の高い青年と出くわした。その言葉に、照れたのか挙動不審になるその様子。あとから出てきた、兄がからかう。
右を見る。
駅前で、気の強そうな黒髪の少女が誰かを待っているようだった。辺りを見回し、そわそわしている。やがて、待ち人が来たらしく、笑顔にほころんだ。
そのわきを通り過ぎる、サッカーボールを小脇に抱えた活発そうな少年。小学校高学年くらいだろうか。
あとについてくる垂れ目の、可愛らしい少女。ぶっきらぼうを装いながら、その様子をチラチラ気にかけている。仲睦まじい、幼い恋人同士のようだった。
そんな微笑ましい光景を――
遠く離れた場所から、見る瞳があった。
高い高いビルの上。
ヒトであれば、見通せない距離。だからこそ、彼女はヒトではない。
どこか時代錯誤な紫色の袴姿に、肩にかけた黒塗り鞘の大太刀。その華奢な体躯には不釣り合い――けれども、奇妙にサマになっていた。
「……あれが、わたしのお母さん達?」
少し舌足らずな、少女の声。
年の頃は、十と少しと言ったところか。つややかな、長い黒髪。その面影は、冬美によく似ていた。あるいは、その叔母の九条真姫に。
「そうだね」
そのとなりで、ひとりの少年が頷く。紫がかったパーカーに、うっすらと白い羽が陽炎のように浮かんでいた。
「まあ、姫様の生まれる元になった怪異とその友達の、生まれ変わりだね。魂の一部を、引き継いでいるってところかな」
「そう」
少女は、微笑んだ。
どこか、嬉しそうに。
ほんの少しだけ、寂しそうに。
ふと、何かが震えた。
少女は、懐から取り出す。
それは、古びた携帯。
今となってはまず見かけない、折り畳み式の携帯電話だった。淡い紫色のそれは――
「仕事だな」
「そう」
いつものことだと。
ふたりは、並んで踵を返した。
ヒトは、何時だって死にたがる。
世界は、何時だって殺したがる。
そんな怪異と、都市伝説。
ヒトの恐怖が、想いが。そんな存在を生み出す。
そうやって、世界に生まれ落ち、蔓延る悪意。
されども、それだけにあらず。
ヒトの願いも、時として生み出すのだ。
かつて、戦乱の混沌より生まれた伊津真伝という妖怪があったように。
救ってほしい。
助けてほしい。
そんな祈りが、そのような想いから――
とある怪異譚を母親に、
新たに生まれた妖怪があったのだ。
ヒトを救うアヤカシ。
ヒトを護る怪異の少女。
その、名前は――
『むらさきひめ』
完結です。これ以上は、今は語りません。
活動報告で、ちょっとだけ。