一ヶ月前の事件(推理)
「野球をモチーフにしたストラップかー」
「お姉ちゃん、火ノ川さんの携帯じゃない? あの人、元甲子園球児だったから」
じゃあ、あとで携帯の中身を改める事になるだろうな。
「あの」
「何? 薫君」
まだ警察関係者には言っていない事がある。僕が火ノ川さんの遺体を見つけた直後、この部屋に入ってきた誰かの事だ。
「僕の後にここに入ってきたのって、葵さんだったんですか?」
「ううん、違うわ。私は正面玄関から来たもん。その時、雪絵と土橋オーナーがいたから、扉も開けて貰ったんだけど」
オーナーもあそこにいたのか。
「雪絵、扉を開けた後の土橋オーナーは?」
「それが……仕事があるって言って、どっかに行っちゃったのよ。お姉ちゃんも奥に入って行っちゃったから、その後の事はよくわからないの。一応、部屋の前で待っていたんだけど、火ノ川さんがプールで亡くなったってメールで見た後、すぐにドアをノックして……そしたらすぐに出てきたよ?」
オーナーの仕事部屋は正面玄関から少し奥に行ったところにある。でも、何か引っ掛かるな。
「なあ、警部さん」
遠くからオーナーの声が聴こえてきた。春日井警部と向き合っているが、雰囲気は険悪だ。
「なんですか、土橋さん」
「そろそろ開館の時間なんですが、休館にするのであればいろいろと準備がしたいんだ。そろそろ私を解放してくれませんかね。火ノ川は自殺なんだろう?」
「……仕方ないですな。ですが、また後で事情聴取をしたいので、またこちらにいらしてください。一応、刑事を一人付けてもよろしいですか?」
「構いませんよ。どうせ休館になってしまいますし」
どうやら、一時的に捜査は中断されるらしい。
「おい、柚木君」
と、そのオーナーが遠くから、今度は僕を呼んでいた。
「は、はい。なんでしょう」
「昨日は清掃前に挨拶に来るように、って言っておいたはずだよね? そのおかげで火ノ川の遺体を見つけたようだけど……彼から呼び出しでもあったのかい?」
「い、いえ。いつも火ノ川さんには挨拶だけ済ませていますし、そのお話の間に火ノ川さんが帰ってしまうと、頼まれた伝言を直接言えなくなってしまうので。先に火ノ川さんに会いに行きました。それに、オーナーはまだ来ていないようでしたので」
「四十分も早く来ていたのか?」
「ええ、まあ。いつも火ノ川さんとはその時間帯に会いますので」
「そういえば、君との交代時間にアラームをセットしていたな」
そして、オーナーには小さく溜息をつかれ、そのすぐ後に「わかった」とだけ返された。
無理もないか、自分の経営しているプールでこんな事件があったんだから。それだけ言葉を交わすと、オーナーは刑事さんと並んで、自分の仕事に戻って行ってしまった。
「ねぇ、薫君。あいつとまだ電話繋がってる?」
「い、いえ。ついさっき切られちゃって」
「はあ……。あの子の悪い癖ね」
「はい。あの、左手首に浅い切り傷があったらしいんですけど、本当ですか?」
「一般人にそれを教えるのもどうかと思うんだけど……じゃあ、あいつにもう一回電話をかけたら伝えてくれるかしら?」
「伝言ですか? でも、それだったら直接葵さんが伝えた方がいいんじゃ」
「いいのよ。それに、あなただって火ノ川さんとはまったくの無関係って訳じゃないんだし。警部には内緒にしておいてね」
僕が頷くと、葵さんは小声で「耳貸して」と囁いてきた。
年上なのにイタズラっぽい表情は、昔から変わらないよな、この人。
横を向き、葵さんの言葉に耳を傾ける。こうしていると、葵さんが考案した新しいイタズラを指示されているところを思い出す。
「火ノ川さんの体内から睡眠薬が検出されたわ」
睡眠薬、か。
火ノ川さんの性格から、自ら睡眠薬を飲むとは考えにくい。不眠症や精神病のような類の、睡眠薬を必要とする持病は患っていなかったはずだ。
ましてや、亡くなる直前まで火ノ川さんは仕事中だったのだ。そんなもの飲むはずがない
「それと、火ノ川さんの荷物を調べたら、お弁当の中身が丸々残っていたの。火ノ川さんがいつ食事休憩に入るか、知らない?」
「深夜四時だったはずです」
「じゃあ、その前に眠ってしまったのね。……この事件が自殺でなく殺人だって言うのは、見当がついていたのよ。君がここに来て、遺体を見つけてくれたおかげでね。でも、どうしてもアリバイを崩せなくて」
犯人のアリバイはまだ崩れていない。だが、この方法ならどこにいても火ノ川さんを殺害できる。証拠もないけど……どうにか犯人を追いつめられないものだろうか。
「火ノ川さんって、かなりの機械音痴でしたよね」
「ええ」
「それが、最近ボイスレコーダーの使い方を覚えたって言っていました」
「……うん。なるほどね、あの人らしい」
「葵さん?」
「その音声ファイル、聴いてみる?」
「いいんですか? 僕、一般人ですよ」
「あなたが盗み聴きしたって言うことにしておくわ」
相変わらずいい性格してるよな、葵さん。
そして、葵さんが警部に頼み込み、鑑識から指紋を取り終わった携帯を回収してきた。
そこまではよかったが、ボイスレコーダー機能にはロックがかけられており、すぐにデータを確認する事はできないでいた。
「何か証拠になりそうなものが入っていると思ったんだけど……暗証番号わかりませんよね?」
「親戚って言っても、他人のだしね。最近はよく会っていたけど……」
「最近、どんな話をしました?」
「んっと……ダメ、機密事項よ。ここでは言えないわ。本人が近くにいるもの」
「本人?」
葵さんが視線を逸らした先には、土橋オーナーがいた。
一旦仕事を終えて、この現場に戻ってきたようだけど、イライラが募っているのか、先ほどから左足を細かく動かし、貧乏揺すりをし始めた。
「脱税していたのよ」
「だつ――」
「シィッ! 雪絵、声がでかい!」
そういう葵さんも、随分と声が大きいですよ。
「……アッ。えっと、警備員の火ノ川さんがそれを私に言って来ててね。相談に乗ったのよ。でも、証拠もないからって、私の独断では動けなかったの」
「もしかして、火ノ川さんはその証拠を掴む為に土橋オーナーと揉み合ったんじゃ?」
「私もそう考えた。でも、他の刑事や警部だって、「自殺にしては不自然だ」くらいにしか思ってないのよね」
「証拠が残っているとすれば、このボイスレコーダーなんですけど……」
九割方、この事件のピースは揃っている。
その一つのピースであるこの携帯が厄介すぎる。メール、通話機能、アドレス帳の呼び出しなどは滞りなく行えるのに、なぜボイスレコーダーにだけ暗証番号が必要なのか。
よっぽど聴かれたくないのか、特定の人にだけ聴かせたかったのか。
火ノ川さん本人の誕生日を入力してみたが無駄に終わり、火ノ川さんがギャンブル好きと言う事で葵さんが刑事の勘だと言って四ケタすべてに『七』と入力みたが、これもダメだった。
画面によれば、あと一回ミスで二十四時間は入力の受け付けができなくなる仕組みらしい。
「おい水原!」
「は、はい!」
「いつまでガキに付き合っているんだ。ここはまた後日にするぞ」
「ま、待ってください! 警部もこの自殺は怪しいと」
春日井警部は頭を掻きながら、視線を横にズラして見せた。後方には土橋オーナーがおり、開館できない苛立ちを募らせているようだ。
火ノ川さんの遺体は既に警察病院に運ばれているが、さすがに人が亡くなった直後には開館する事はできない。間違いなく赤字だろう、オーナーは それでイラついているんだろうか。
それとも、警察にはとにかく早い段階で帰ってもらいたいだけか。
「はっきりした証拠がない以上、こんな事は言いたくないさ。だがな、後日また事情聴取で話を聞こうじゃないか」
「しかし……」
「お前な、高校生の時からだが悪い癖だぞ。もう高校生探偵なんて肩書きじゃなく、お前は刑事なんだ。いつまでも自由に動けると思うなよ」
「警部が解決できなかった事件も解決した事もありましたよ? こんな風に引き上げる直前になって私とあの子が――」
「あの子って、月島涙子の事か?」
え?
月島涙子。僕は、この名前を知っていた。
「あいつがガキの頃は度肝を抜かれたさ。まだ新米だった俺も、当時の俺の上司も……だが、高校生時代のあいつはてめぇの取り巻きだったじゃねぇか。自分がどうなっているか知っている癖によ」
「あの子は、あの子なりに自分にできる事をしていました! 取り巻きだなんて!」
「てめぇも刑事なら、探偵ごっこしてた頃なんて忘れろ! あの役立たずの名前なんて口にするんじゃねぇ!」
「……ッ!」
葵さんと警部の問答が続くが、さすがに葵さんも直属の上司と会社の経営者を相手にするのは辛いはずだ。
あの警部さんも、葵さんの事を買っているのは理解できる。何せ、目撃者であるとはいえ、一般人の僕がこんなに長く現場に留まっていられるのだから。
下唇を噛む葵さんの顔に、悔しさと怒りが滲んでいる、かのように見えた。
でも、それは僕の感情だったのか知れない。
「なんだ、そこのガキ」
気付けば、僕は春日井警部を睨みつけていた。
「月島涙子さんの事、なぜ役立たずなんて言うんですか」
「おーおー、有名人だよなー、あいつ。そっか、世間には知られてないよな。あいつが――」
「警部!」
葵さんの制止とほぼ同時に、僕は春日井警部の胸倉を掴んでいた。
……探偵。
こう書いて浮かぶイメージは、警察に「なんだね君は」と溜息交じりに言われながらも、迷宮入りもしくは誤認逮捕に思えた事件を、これ見よがしに 自らの推理力を披露して解決へと導いていく人物像ではないだろうか。
僕――柚木薫が最初に探偵と言うものを知った時は、まったくその通りの印象だった。
その人物像に憧れ、小学校低学年ながらミステリー小説の主人公に自分自身を置きかえて空想の世界にのめり込んだ。僕は当時、何も知らなかったのだ。
しばらくして、どうやったら探偵になれるのかと興味が湧き、自分なりに調べ上げた。この好奇心に任せた行動自体は心を躍らせたが、その先に待っていた事実は子供だった僕を落胆させるには充分すぎた。
その時の僕の心境は、サンタを信じていた子供が実はお前の信じるサンタなんて存在しないものだと聞かされた時のものと合致する。
実際の探偵は事件などに遭遇する場面もほとんどない。
お偉いさんから特 別な依頼を受ける訳もない。もし殺人事件に出くわしたとしても、警察が来た後は厄介払いされるのが落ちだ。
その場に留まれたとしても、金にはならない。せめて事件解決に貢献したとして表彰されるか、運が良ければ警察官の制服を着ないかとスカウトを受けるかもしれないが、それでは何も変わりはしない。
その人物が周りから脚光を浴びたいが為だけにそうしたのなら話は別だが。
では、実際の探偵は何をするのか。
そう言われれば、夢を壊すようで申し訳ないが、一番メジャーなのは浮気調査。
不倫や素行調査、純粋な人探しから、特定の人物……ストーカーやご近所から受ける嫌がらせの対策と言ったところか。
とにかくやる事が地味。
蓋を開ければ、憧れの職業なんてこんなものなのかもしれないが、それを知るには少し早すぎたかもしれない。
自分の好奇心を恨めしく思ったほどだ。
そして、新しい夢を見つけることなく季節が過ぎていくかと思われた、とある冬の事。
事件を解決に導いた一人の小学六年生の女の子が新聞の一面を飾った。
偶然居合わせた事件現場に、探偵である父親と一緒に事情聴取を受けていたところ、殺人事件を解決してしまったらしい。
記事を書いたのは被害者の友人だったらしいことまではわかったが、詳しい内容は新聞にも載っていなかった。規制されたかどうかまでは一般の子供である当時の僕にはわからない。
これにより、小学生に過ぎなかった彼女――月島涙子の活躍は初めて世に出る事になったのだ。
この報道をきっかけに、二度と行くまいと考えた『探偵』の道に光が見えた。
彼女が、僕の理想の探偵像になっていった。
その後の僕は、ミステリー小説から各方面の専門書まで時間の許す限り本を読み漁った。
入手困難な本も知り合いの親から借りて読ませてもらったりもした。
あの頃の好奇心にブレーキは存在しなかったのかもしれない。
そんな中、知識を詰め込む事に集中した小学校高学年から中学一年生の終わり頃、密かに楽しみにしていた出来事が一つなくなってしまう。
新聞で事あるごとに報道されていた月島涙子の話を聞かなくなっていったのだ。
毎度毎度事件が起こる訳でもない。解決する事件がなければ、探偵も動くことはない。報道もそれないのは道理だろう。連続ミステリードラマの主人公じゃあるまいし。
と、そう考えるだけなら簡単だった。
僕が中学に入った時には、彼女は高校二年生。
実質四つも歳の差があると言う事は、中学高校では彼女が留年するか僕が飛び級でもしない限りは同じ学校に通う事もないのだ。
幼い探偵として報道もされた彼女が留年するような事は万が一にもないだろうし、飛び級制度は日本の義務教育には存在しない。
文字通り、月島涙子は雲の上の人間だった。
ただでさえ遠いあの人が、さらに遠のいた事で僕は少し焦り始めていたのかもしれない。あの人に会ってみたい、実際に話を聞いてみたい。初恋にも似た好奇心が、僕の中で膨らんでいった。
中学二年になった頃の事だ。報道されている中で彼女が最後に事件を解決したのは、中学一年生の時。その年齢を追い抜いた所で、彼女は今どうしているのだろうと考えてしまった。
僕と彼女は何の接点もない他人同士。彼女は僕の名前、いや存在さえも認識していないだろう。
こんな疑問を抱き、調べようと思い立った自分はどうかしていると思った。ストーカーにでもなるつもりか。
自分を諭すように呟いたが、頭の中に残ったモヤモヤは消えなかった。
夏休みを利用して、彼女の記事を最初に書いた新聞記者を訪ねた。
一年前から新聞に顏どころか名前も出さなくなった月島涙子。マスコミ関係者も、彼女の今を知る人はほとんどいなかった。
碧桐高等学校。ここまで来たらと、僕は月島涙子が通っている高校を突き止めてしまった。自己嫌悪と罪悪感を抱きながら、その高校に向かった際の道のりは近いわりにとてつもなく長く感じたのは記憶に新しい。
季節は冬。寒さは張り込みを行う場合には最低の条件だったが、ほんの少しの辛抱に思えた。
三年生は部活で引退している為、すぐに校門を出て帰路につく。多く目にした男女共有のネクタイの色は赤。すると、三年のネクタイの色は赤だと言うのは簡単に想像できる。
問題は月島涙子、高校二年の色だ。
顔は新聞でわかっているから、それを頼りにしてもよかった。高校生と言っても、まだ成長期の真っ最中、髪の長さも当てにできるものじゃない。
とすると、まずはネクタイの色で探す範囲を絞った方がいい。
そして、この判断が功を奏した。
三年の色である赤以外で、部活をせずにすぐ下校する生徒の女子生徒の顔を、一人一瞬で判別していく。
黄色と緑色、そして赤。各学年の色と思われるネクタイに目を向けていく。
下校していく高校生の中に、一際異彩を放つ存在感。
月島涙子、その人だ。ネクタイは赤色でも黄色なく、緑色だ。あれが二年生の色らしい。
長い黒髪に華奢な体付き。身長は僕よりも低いくらいだが、少しばかり高く見えたのは彼女が手にしていた白い杖と見比べたからかもしれない。
右目には白い眼帯。もう片方の目は、道路の端であるにも関わらず閉じられていた。これが意味するものは何か。あまりに簡単な回答だった。
目を開けても、意味がないから。
失明していたのだ。幼い探偵であり、僕の憧れだった探偵像である月島涙子は。
何が原因かはわからなかったが、なぜ彼女が探偵として世の中に出てこなくなったかは明白だ。視力と言う光を失った事で探偵人生を絶たれたのだろう。
それでも、彼女は友人の隣で笑っていた。その友人は彼女に腕を取らせ、歩幅を合わせて下校する。そんな光景を見た後では、僕はそこから動けなくなった。
月島涙子が探偵として何を思っていたのかわからないが、その道を失った彼女がこうして笑っているのだ。
ここで僕がズカズカと前に出て、彼女に問いただすことなんて何もない。
帰ろう。
踵を返して、下校する高校生達に背を向ける。
僕の気配に気づいたのか、月島涙子がこちらを見たような……いや、顔だけを向けてきたような気がした。気付かれてはいまい。どうせ見えてはいないだろうから。
彼女は僕の顔さえ知らないのだ、見られた所で何の問題ないだろう。
罪悪感だけが膨らんでいった。実害を与えたわけではないのに、踏み入ってはいけない領域に、足を踏み入れたような感覚。
忘れよう。
僕の生活は元に戻りつつあった。読書量は少しずつ減っていき、受験勉強は彼女のいた高校が目標になっていた。
僕の光だった彼女が光を失った今でも、僕はその背中を追いかけているのかもしれない。
許されるなら、問いを投げたい。探偵とは、あなたにとって何なのかと。
「おい」
春日井警部の低い声で、僕はハッと我に返った。
「す、すいません」
力なく手を緩め、三歩後ろに下がっていく。
「ちっ……。もういいから、とっとと出てけ。おーい、引き上げるぞー」
警部が周りで作業している一課の刑事と、鑑識達に呼びかける。葵さにもその声は聞こえていただろうけど、俯いたまま浮かない顔をしているだけだった。
「ありがとね、薫君」
「……いえ、頭に血が昇ったというか」
「ファンだったもんね。私の大事な後輩でもあるし、今度涙子と会ってみる?」
葵さんは高校時代、高校生探偵として名を上げていた。
それが警察の目に止まり、大学を卒業してすぐ警察官、そして刑事にまで上り詰めたのだ。
とんでもない新人だと警察では話題になったらしい。月島涙子とよく名前を共に出され、話題になったりもしていたのを聴いた時は、悔しいと思うと同時に誇らしいとも思った。
まるで月島涙子と入れ替わるように現れた高校生探偵――水原葵、と。
火ノ川さんはその頃の葵さんともよく話していた。痴漢の冤罪から助けてもらった事もあったと話していて、恩人だとも言っていた。
「……待てよ、もしかして」
改めて、火ノ川さんの携帯を眺める。
暗証番号は自分の誕生日でもない。火ノ川さんが葵さんを可愛がっていたんなら、おかしい話じゃないけど。
「ちょっと、薫。また失敗したら怒られちゃうって!」
雪絵の制止を無視して、葵さんの誕生日を入れてみる。これで失敗したら二十四時間はこの携帯に関わるデータを取り出せないが、失敗したら素直に謝ればいい。
忘れていれば雪絵には呆れられ、葵さんには拳骨を貰った日。
「七月二十五日……暗証番号なら『0725』……」
マナーモードに設定されていなかった火ノ川さんの携帯は、ロックが解除された事でこの場には似つかわしくない間の抜けたメロディが流れた。
「な、なんだ! 今の音!」
警部がこちらを振り返り、注目したのは火ノ川さんの携帯を持った僕。
ボイスレコーダーの事は言っていなかったようなので、僕が証拠品である携帯をいじっていた、という光景が目に入ったのだろう。今の音が暗証番号を解除した音だと理解したのは今のところ、近くで見ていた雪絵以外にはいなさそうだ。
「薫君?」
「葵さん、解除できましたよ。携帯のロック」
「嘘!?」
驚いた様子でいたのは葵さんだ。警部には何も話していなかったのか、何の話だ、と言う様子で少しこちらを睨んでいる。そして、なぜ……。
「オーナー、どうしたんですか?」
「え、あ……いや、それは他人の、火ノ川の携帯だろう? なぜ暗証番号がわかったんだ?」
「ほとんど勘ですよ。火ノ川さん、親戚やその友達である僕らの中でも、特に葵さんを可愛がっていましたから。もしかしたらって思って」
「で、死んだ奴の携帯のロックなんて開けて……どうするんだ?」
「え、知っていたんですよね? この中に都合の悪いデータが入っているって。いや、確信はなかったのかな。僕も今開けた訳ですから、中身を確認してないし」
「柚木君……何が言いたいんだ?」
「おいクソガキ。いくら葵の知り合いだからって、調子に乗ってると追い出すぞ」
警部も外部の人間から、それも僕のような高校生が捜査現場の真ん中に立って喋っているのだ。腹も立つだろう。でも今は、あの人の言葉を信じてこのまま喋り続ける。
「土橋オーナー。あなたが火ノ川さんを殺したんです」
「お、おいおい。聴いたぞ? 君が遺体を見つけた時、遺体は揺れていたんだろ? 刑事さん達も言っていたじゃないか、それは君が見つける直前に首を吊ったんだと。奴は、俺に借金もあった。到底返せないと踏んで自殺したんだよ。当てつけに、俺の経営しているこのプールでな!」
「その揺れていた遺体が問題なんです。まず……」
「なぁ、クソガキ。ちょっといいかい? 悪いな、探偵ごっこの邪魔をしちまってさ」
「なんですか? どうせ時間が経てば証拠を隠滅される可能性があるんです。そのクソガキの推理くらい聴いてくれてもいいじゃないですか」
「そんな訳にいくか! いいか、俺達大人は長期休みの学生と違って暇じゃねぇんだよ。お前の推理だか探偵ごっこに付き合っている暇なんて――」
と、ここで鳴りだしたのは簡素な着信メロディ。
「チッ……」
舌打ちしたのは、今僕に文句を言ってきた春日井警部だ。コール音は二回、三回と繰り返される。どうやら、メールではなく電話のようだ。
春日井警部は胸ポケットから電話を繰り出し、名前も確認しないで電話を構えた。