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デュアル・フィールド  作者: 太刀河ユイ(飛竜院在九)
第三章・怪盗ナイトレディとの因縁
14/17

夜空と月の涙[白夜]

 怪盗ナイトレディ。

 本名は月島夜空。学生時代はフェンシングの全国大会で優勝し、作曲家としても活躍した文武両道を絵に描いたような人物だと話題を呼んだ。

 とある二つの事件をキッカケに行方不明となり、その入れ替わりに現れたのが怪盗ナイトレディである。

 月島夜空の実父である金田源次郎と夫の月島京介によって、この怪盗の正体が暴かれたのは出現から二ヶ月後の事だった。

 その後は海外に逃亡したかに思えたが、その五年後再び日本に現れた。

 この時期に話題となった高校生探偵の水原葵は、怪盗ナイトレディの名前と共に度々ニュースで取り上げられた。


 と、これは先ほど暇を持て余していた時にネットで調べていたものだ。

 結構有名な話だったようだ。葵さんの事は前から知っていたけど、この裏では涙子さんも活動していたはずだ。

 でも、どこのサイトを見ても涙子さんの名前はなかった。

 葵さんも涙子さんの名前は今まで出さなかった。発表されていないと言うことはマスコミにも言っていないんだろう。

 当然、僕もそうだ。事件関連で涙子さんの名前を出していない。最初に会った時から、そういった契約にもなっているからね。

 僕の視界を通して事件を解決してきた涙子さんは、僕に喋らせる事で表舞台には立たないようにしていたんではないか。

 何のために?

 その答えがこの騒動に隠されている。そんな気がしてならなかった。


「これを、取り戻しに来たんだろう?」

「わざわざ人払いしてくれたって事は、素直に返してくれるのかしら?」


 社長室から声がする。男と女の声。

 片方は源次郎さんの低い声。もう片方は涙子さんに似ている凛としたナイトレディの声か。

 金庫室の真上に位置し、警備も最小限なはずの場所。涙子さん達とは通信を切っている、今頃はこっちに向かっているんだろうけど、まだ時間はかかりそうだ。涙子さんは盲目で激しい運動には適さない。

 葵さんから抱えてでも階段を上がってくるだろうけど、三十七階まで人一 人担いで上がってくるには時間がかかるはずだ。エレベーターは使わないと思うし。

 扉は完全に閉まっていない。覗いてくれと言わんばかりに。ここは様子を見よう。


「まさか。世間は私の味方をするだろう。お前は私の娘である以前に、ただの盗人だ」

「どうかしら。万が一、あなたの目的が失敗すればさすがの警察も動くと思うけど?」

「ほう。その根拠は?」

「さぁ。ただ、聞かれたくない話をするなら、しておくべき事はしておかないと」


 気になって覗いてしまうのは野次馬根性か、見習い探偵の性か。

 確認できるだけでは部屋の中に二人。僕から見て手前にナイトレディと奥に源次郎さん。


「やれやれ。人払いはしておくべきだったな」


 溜息交じりに源次郎さんは携帯電話を構え、ナイトレディと向かい合いながら誰かに電話をかけ始めた。


「春日井警部! 金庫の中身を確認してくれ、今すぐだ!」


 怒鳴り、春日井警部の名前を呼ぶ。源次郎さんのこの声は、演技だ。

 ちょっ、どういう事これ。ナイトレディと源次郎さんが対面して、人払いの話?

 怪しい取引と言うか、ここは黙っていた方がいいか?

 それとも金庫室に行って、この状況を説明しに行った方がいいか?

 間に合うだろうか。


「渡したカードキーを使ってくれ。パスワードは覚えているな? 巨大真珠の安否の確認だけでいい!」

「…………」


 ナイトレディは成り行きを見守るだけといった感じだ。

 そして、下の階から声が聞こえた。内容は聞き取れない。幾重にも声が重なっているのもあるが、遠くから聞こえる。下の階からだろうか。

 二十人はいる。春日井警部を入れた警備チームの声か。

 と思ったら、重い扉が閉まる大きな音をキッカケにピタリと止んでしまった。


「さて、これで半分ほどは金庫の中だろう。中からは開かない仕組みになっている」

「知っているわよ。誰があんな金庫を狙うのよ」

「フッ。素直な事だ。お前がこれを狙っていると警察にバレてしまうのは面倒だからな。お互いに邪魔が入らない方が都合もいいだろう」

「だからわざわざ金庫の中から出して来たのね? で、それは渡してくれるのかしら?」

「それとこれとは話が別だ。お前が海外で私の傘下にある会社にちょっかいを出しているのは知っている。すべてこれが理由なんだろう?」

「そうよ。それはあなたが持っているべきものじゃないわ」

「それはお前にも言える事だろう。黙って傍観していればいい」

「そんな事できないから、私はここに来たの!」


 と言うか、金庫の中って事は……みんな閉じ込められたのか?


「ん? そこにいるのは誰かね?」


 やばっ、見つかった!

 慌てて身を隠そうとするが、僕は所詮素人って事か。

 ど、どうしようこの状況。とりあえず、涙子さんに連絡をしないと!


「警察ではなさそうだな? 出てこい」

「は、はははは……」


 ここは観念した方が良さそうだ。でも、この二人が睨み合っているこの状況はなんだ。ナイトレディが目当てのモノを手に入れようと源次郎さんと接触中って感じだろうか。

 あれ、目当ては金庫室の巨大真珠じゃなかったのか。

 疑問を抱いて、僕は身を翻すと同時に扉を開けていた。すぐにでも確認したかった。

 源次郎さんの手にはアタッシュケース。先日、巨大真珠を見せてもらう時に金庫室から取り出していたものと同じものだ。

 あれがナイトレディの本命?


「君だったのか。薫君」

「あら……いつかの探偵さん」


 警察と、京介さんがいない。扉の外から見た通り、ナイトレディと源次郎さんが睨み合っているだけだ。


「君には警備を頼んだ覚えがないのだが?」

「す、すみません。でも、ちょっと気になることがあって」

「それでこのビルに潜入を? まったく、警備は何をしていたんだか……」


 そういえば、トイレに確認の警備が来ることはなかったな。トイレの中にはいたけど。

 バレなかったからよかったが、見つかったら誤魔化すのは大変だったはずだ。


「好奇心旺盛なようで探偵としては優秀なようだが、どうするナイトレディ。そこの探偵君が君を捕まえに来たようだぞ」

「……それを返してもらう前に帰る訳にはいかないわ」

「盗人にわざわざ譲るような事はせんよ? さて、薫君。来てしまったのはしょうがない。下の階にいる春日井警部を呼んできてくれないか」


 話が見えない。

 でも、ナイトレディは源次郎さんが金庫から遠ざけたあのアタッシュケースを狙っている事だけはわかる。

 あれは巨大真珠じゃない。

 源次郎さんは僕や京介さん、涙子さんだけでなく警察にも嘘を言っていた事になる。

 なぜだ?


「ん? どうした?」


 嘘を付く必要があったって事は、警察にはあの巨大真珠を狙っていると言う事にしておきたかった。半数以上を金庫に閉じ込めたという事は足止めがしたいはず。僕もそっちに行かせるつもりだろう。

 それだけじゃない。それを悟られる事無く、源次郎さんが今持っているアタッシュケースを守る為に、ナイトレディを捕まえてほしかったんだ。ナイトレディは警察を上手く回避してここに来たようだけど。


「あの、そのケースの中身は何ですか?」

「それは今答えなければいけない質問かね?」

「質問を質問で返さないでください。なぜ嘘を言ってまで、僕や涙子さんだけでなく、警察や京介さんからナイトレディの標的を誤魔化したんですか。それが巨大真珠のように合法的なものなら、言えますよね?」


 この問いに対して源次郎さんは無言だった。

 例えばナイトレディを誘導する為の作戦、だと言うならそれでいい。だが、ここには源次郎さん以外に誰もいない。

 お偉いさんが警備も付けずに怪盗と対峙する必要はない。

 考えられる可能性はナイトレディが源次郎さんにだけわかるような暗号で予告状出したとか、だろうか。

 実の親子だ。意思疎通は容易かれしれないが、確信はない。


「後で話すよ、薫君。さあ、ナイトレディは私が見張っていよう。早く警察を呼んできてくれないか?」


 僕と涙子を追い払ったのは詮索されるのを恐れたか、最低でも面倒に思ったからだ。

 となると問題は京介さんだけど……あの人は今どこにいるんだ?


「いいですよ、お義父さん。警察は僕があとで呼んでおきます」

「……ッ!」


 後ろから声。

 決して大きな声で、威圧というものを感じない落ち着いた声質。振り向きながらその顔を凝視した。京介さんだ。

 黒い杖を前に出し、目を閉じて歩いている。

 あれは、京介さんの杖だ。京介さんは視覚共有中に歩くときは、あの杖を使っている。共有中は目の前が見えなくなる為、動かないでいる事が多いらしいけど、移動が必要ならあれを使うらしい。


「……京介君。春日井警部達と一緒にいてくれと言ったはずだが? いや、それよりも」

「なぜここにいる、でしょうか?」


 この問いに源次郎さんは答えない。対し、京介さんには余裕のようなものが見える。


「いやね? 下にいても、待ち人は来ないもので」

「待ち人?」

「そうです。今夜だけ、デートの約束を。ね、空ちゃん」


 京介さんは静かに目を開き、不敵な笑みを浮かべた。


「え、ちょっ」


 なにこれ。どういう事?


「……君の視界は『眼』を通して監視していたはずだが」

「それ、本当に僕のものでしたか?」

「なに!?」

「あなたにその力は扱いきれませんよ。未だ悪用はしていないようですが、これ以上の使用は容認できません」

「知っていたのは、いつからだ?」

「話したのは私よ、お父さん」


 京介さんと源次郎さんの会話に割り込んだのは、冷たい一声を放つナイトレディだ。


「私達の子供に目を付けて、この力を利用しようと目論んだのを知った時からね」


 私達の子供? それって涙子さんじゃないか。


「祖父としてあなたが涙子の能力に気付いたのは、私達と涙子で家族麻雀をしていた時の事でしたね?」

「…………」

「わずか八歳だった彼女に手牌を十三枚すべて言い当てられ、おかしいと思ったあなたは、僕達の一族の秘密に気付いた。他人と視界を共有する能力だ。その後は子供だった涙子に能力を使用する条件を教えるのに苦労しましたよ。涙子は良い子でしたけど、まだ子供でしたからね。でも、この力を八歳で開花させているのは、明らかに異常でした」


 異常?


「異常って、どういうことですか?」

「涙子の能力は早熟過ぎた。小学二年生の早すぎる開花に嬉しさもあったけど、成長しきる前は失明と能力喪失のリスクがある。最初は頭痛を訴えるだけだったけど、使用する度に視力は下がっていった。数年後には二週間に一度、視力検査をしていたよ」


 じゃあ、涙子さんの失明はあの力のせいなのか?

 視力はその頃から下がり始めていたのか。


「だから、無暗に使わないように言ったのさ。涙子は力を乱用こそしなかったけどね」

「でも、涙子さんは」

「ああ。失明している。でも、それはこの力の影響じゃない。むしろ片目をなくして、涙子の力は弱まったんだけど――」

「私が無理矢理に目を抉った後、能力に関係なく残った目の視力を失ったのよ」

「目を、抉った?」

「聞き違いではないぞ、薫君。月島夜空は娘である涙子の目を抉り、その悪名を広めたのだ」

「お父さんの言う通りよ?」

「……それについては僕も聞いていないけど、その時に起こったのは警告していたあの現象が起きたんだよね?」

「そうよ」

「あの現象って、涙子さんの目を抉ったのと関係があるんですか?」

「君には話してもいいかな。お義父さんにも聞かせたいし」


 あの現象、そう呟いた京介さんの表情には、いつもの飄々とした雰囲気はなかった


「能力の暴走を食い止める道具、なんて都合の良いものがなくてね。目が焼けるような痛み。別の景色が勝手に見える、なんて事がだんだん増えていった。医者に見せても無駄だった。痛み止めを飲ませてあげるのが精一杯だったけど、涙子の目はほぼ光を失いかけていた。空ちゃんにも覚悟するように言った。そして、また涙子が痛みを訴えた時は、僕と君のどちらかが……」


 怪盗ナイトレディ――月島夜空を見据える男の目は、許しを請うように下を向いた。


「迷わずに涙子の目を抉らなければならない、と。僕はそう続けたんだ」


 涙子さんの視力と視界共有の能力、その両方の維持はほぼ不可能だった。だから、せめて視力を失っても、それを補う能力を残す事を選んだんだ。


「目を抉らないといけなかったのは、なぜです?」

「片目になれば、自然に能力が弱まるからさ。子供でも制御が効くようになる。かなり手荒な方法だけど、昔からある手法なんだよ」


 視力はほぼ失われていて、次に能力が暴走するとアウト。そして、それに居合わせたのは母親だった。後に娘の目を抉り取ったと報道され、怪盗を名乗り出したのだ。


「私は涙子の失明を防ぐ為に目を抉った。結局視力は失われたけど、あの時そうしてなければ、涙子は視界共有の能力を失っていた」

「そして君は、何も言わずに僕と涙子の前から姿を暗ました」


 僕は、言葉を失った。

 何て言っていいのか、さっぱりだった。


「でも、手術とかもっといい方法が……」


 言いかけて、やめた。

 原因は視界共有の能力暴走による失明だ。片目になれば制御が効くようになる?

 医者にそう説明しても、手術してくれるのか?

 いや、非合法な手術でもするべきだったんじゃないのか。実の娘の事だから、踏ん切りが付かなかったんだろうか。


「言いたいことはわかるよ。手段を選ばないつもりで裏に手を回しても、結局間に合わなくてね。力不足を痛感したよ」


 涙子さんの失明にそんな経緯があったなんて……。

 京介さんは僕を横切り、ナイトレディの隣へ。そして自分の杖をナイトレディに手渡し、源次郎さんに向き直った。


「とにかく、お義父さん。そのケースをこちらに渡してください」

「それは無理な相談だな。わざわざ夜空が抉ったこの目を、私が見逃せると思うか?」

「……なるほど。空ちゃんが連絡と相談もなしに目を抉って、逃亡したのはあなたが原因だったんですか」

「私はこの目の利用法を教えただけだ。こいつはそれを聞いて、血相を変えたがな」

「あなたがこの力を利用するのを防ぐ為です」

「この力に制約があるのは知っているが、それを踏まえてもこの力は私のもとで有効に使用するべきものだ。それに涙子は優秀と言えど、盲目だ。就職先はそれなりに限定されるだろう。娘の将来を真剣に考えるなら、私は彼女の為に席を空けておこう。どうだ?」

「……大変嬉しいお誘いですが、それを決めるのは私ではなく涙子ですので」

「それは残念だ」

「お義父さん。今ならまだ間に合います。その力を利用すると言うのであれば、月島の血を引く私が対処させていただきます」

「私の考えは変わらんよ。利用できる力があるのであれば、それを使わせてもらわない手はない。それに、もう涙子の失明と言うリスクはないんだ」

「この力の悪用はリスクがあろうとなかろうと、力を使用するには制限があります。力の使用を制限する私達一族が決めた掟。その中には能力を使う事による副作用、頭痛や視力低下を防ぐ為のものもあるんです。それでもと言うのなら……」


 懐に手を入れる京介さんと、身構えるナイトレディ。

 対する源次郎さんは微動だにしない。

 僕はただその場を見守る事しかできなかった。


「力を持っている君がなぜ、その掟にこだわる?」

「ナイトレディを追っていたのは一族としてのケジメでした。僕の妻である彼女が涙子の目を抉り、その目を僕に渡さず海外へ逃亡した時点で一族の敵と認定されたからです。その後は行方不明。ナイトレディが涙子の目を用いて世界中で盗みを働いていたと思ったのですが……そうじゃなかった」

「ほう。そこまでわかっているのか?」

「ええ。そうであったなら、妻とて、許せません。一族の力を利用する者はそれ相応の罰を与えなければなりません。ですが、罰を受けるのはナイトレディではなく、あなたなんですから」

「…………」


 指差された源次郎さんは、フッと鼻でそれを笑った。


「なるほど。探偵と怪盗、裏で繋がっていたと言う事か」

「むしろ、繋がるのが遅すぎました。何も知らずに怪盗になった妻を追っているなんてね」

「えと、つまり……」


 どういう事だ?

 ナイトレディが涙子さんの目を抉った後に海外逃亡。その後、行方不明になった。

 そして、京介さんの視線の先には源次郎さんのアタッシュケースがある。


「涙子の目は、怪盗の手を離れたんだ。今はそこにある」


 あの中に、涙子さんの目が?


「って事は、ナイトレディが涙子さんの目を持っているって言うのは?」

「嘘。真実じゃない。空ちゃんは確かに目を持っているけど、それは僕がさっき渡した祖母の形見だよ」

「…………」

「お義父さん。あなたは『僕の視界』を覗いていたつもりでしょうけど、残念ながらそれは春日井警部のものですよ」

「……なるほど、君の位置がわかりづらかったわけだ」

「あなたが『春日井警部の視界を覗いている時の私の視界』を見てくれていた間に、移動していましたので。しばらく前から視界の共有をしていたせいか、少々頭痛がしますけどね」


 笑みを崩さずに掌で顔を覆ったかと思えば、指の間から鋭い眼光が源次郎さんを見据えていた。そこにいつもの温厚そうな雰囲気はない。


「そうか。ならば」


 アタッシュケースを開け、中のビンを取り出した。部屋が暗いせいで見えにくいけど、あれが涙子さんの眼球だろうか。どうやら、この人が持っていたのは本当らしい。

 でも、なんで今取り出したんだ?

 ふと、源次郎さんがこちらに向き直る。

 カツンと言う高い足音の後に、何かが通り過ぎた。

 京介さん、いや、それに続いて源次郎さんも。

 理解が一瞬遅れたが、二人は既に僕の後方。いつの間にか、源次郎さんの拳が京介さんの腹部にめり込んでいた。


「かはっ……!」

「少し寝ているといい」

「あなた!」


 チャキッと金属音が鳴る。手慣れた動作でナイトレディは杖からそれを引き抜き、源次郎さん目掛けて突きを繰り出した。

 京介さんの手渡した杖はただの杖でなく、仕込み杖だったのだろう。刃は細く、斬ると言うより突く為のものだ。

 状況は京介さんとナイトレディに、源次郎さんが対立する形。だが、源次郎さんは決して怯むような様子を見せない。

 いつの間にか、瓶もなくなっている。懐にでもしまったのか。まったくわからなかった。


「温い」


 京介さんの腹部にめり込ませた右の拳をそのままに、左腕をナイトレディの細剣と交差させるように振り抜いた。

 細いと言っても刃物。剣は剣だ。怪我では済まないかも知れないし、ナイトレディはフェンシングの達人であるとも聞いていた。

 次の瞬間には血を見るのだろうと一瞬で予測したが、あろうことかその左腕は僕の予想と共に金属音を鳴らしてナイトレディの細剣を弾き返したのだ。


「なっ……!」

「きちんと用意はしておかねばな」


 左腕の部分は少しだけ斬られていたが、それは服だけでその下の腕には届いていない。鎧のようなものが見えた。


「甲冑から拝借していたが、役に立ってよかった。なにせ警察が近くにいる分、銃や刃物は携帯できんからな」

「か、おる君……!」


 京介さんの声でハッとなった。

 呆然と眺める事しかできなかったし、状況もよくわかっていない。

 けど、この状況下で僕は何をするべきなのかは、なんとなく察する事ができた。

 京介さんがあのケース、涙子さんの眼球を取り戻そうとしている。

その理由はいろいろあるようだけど、ナイトレディが持っていたのではなく、源次郎さんが持っていたと言う事に疑問がある。

 涙子さんも、僕も、最近までは京介さんも、涙子さんの眼球はナイトレディが所持していたと勘違いしていた。

 そして、あの予告状。


「我がこの愛を取り戻しに参上します、でしたっけ」

「……ナイトレディの予告状が、どうかしたのかね?」

「いえ、あの文章はこういうことかと思って。たぶん、わかったのは京介さんと……涙子さんの目を持っていた源次郎さんだけだったんだなって」

「察しがいいな。それで? それがわかったところで、君はこの場で何ができる?」

「迷いなく、この二人の味方になれます」


 あの予告状には、一見何を盗むのかが書かれていなかったけど、一部の人にだけわかるようにしていたんだ。


『我がこの愛』


 この部分だけでいい。そして、この文章をいじる。


『我が子のアイ』


 子を漢字に、愛を読みにする。このアイを英語に直訳すると『目』になる。


『我が子の目を取り戻しに参上します』


 ナイトレディは文字通り、涙子さんの目を源次郎さんの手から取り戻しに来たんだ。

 京介さんは月島家に代々伝わるあの能力の事をよく知っている。愛の文字が『目』だと判断できれば、ナイトレディが涙子さんの目を持っているはず なのに、と疑問を抱けるだろう。

 一方の源次郎さんはもっと理解が早いはずだ。

 暗号とは言え、相手が何を狙っているのかはすぐ想像できる。

 だが、正直に警察へは話せない。盗難対象は『涙子さんの眼球』だ。

 これがどういった価値があるのかは、この能力にある程度精通していなければわからないはずだ。また、知っていても京介さんはさっきのやり取りを聞いても協力する気はないらしい。源次郎さんは部外者なんだ。あの能力がほしいだけの。

 なら、僕が味方するのはこっちだろう。


『訳はあとで説明する。ただ、あの予告状にまんまと踊らされたとだけ言っておく』

『この答えを私は想像もしていなかった。こんな簡単な答えに気付かないとはな、どういうつもりかはわからないが』


 脳裏に涙子さんの言葉が過ぎった。

 例え怪盗ナイトレディと京介さんが組んでいるんだとしても、涙子さんの目を取り戻そうとしている二人に味方しない手はない。

 ……僕に何ができるのかわからないけど。


「涙子さんと葵さんがこっちに向かっています。僕はこの一連の事情には関係ないようですけど、涙子さんの力を悪用するなら全力であなたの邪魔をします」

「やってみるがいい。ただ容易ではないぞ。頼りの警察も『誤作動』で金庫の中に閉じ込められている。ナイトレディを捕まえた後に彼らを解放する。それで、チェックメイトだ」


 余裕の笑みを見せる源次郎さんを見上げ、僕は軽く絶望していた。京介さんは諦めていなさそうだが、ナイトレディはもっと別の事を考えているようだった。

 先ほど弾かれた細剣を見つめ、下唇を噛んだ後にニヤリと笑って見せた。


「いいえ、王手には早いわよ。お父さん」

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