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デュアル・フィールド  作者: 太刀河ユイ(飛竜院在九)
第二章・黒いファイルと涙子の休日
11/17

金田源次郎と涙子の営業モード

 麻雀荘事件の翌日、僕は集中力が散漫なまま授業を受けていた。

 気づけばもう放課後で、その日の授業内容はほとんど頭の中に残っていない。


「薫。あんた、大丈夫?」

「え、あ……うん、大丈夫」


 僕の前に立つ雪絵に、そのまま言葉を繰り返すように呟いた。だが、それは雪絵の望んでいた返答ではなかったらしい。

 短い溜息を付き、空席となった前の席に腰掛ける。


「なんかあった?」

「あったと言えば、あった」


 当たり障りのない言葉を返したつもりだった。


「そか」

「あれ、聞かないの?」

「あんたが話したがらないって事は、話したくないんでしょ。いいのよ、話さなくても。話したいって言うなら聞くけど、あんたが話したくなったらでいいわ」

「……ありがと」


 逆に雪絵は僕に都合のいい返事と言うか、一番助かる返事をくれた。

 察してくれているのだろう。本当に助かる。

 事件は無事に解決した。推理も涙子さんと僕の描いた筋書き通りで、そのまま犯人を春日井警部に任せるつもりでいた。

 あの人の存在が、唯一の誤算だった。

 怪盗ナイトレディ。本名を月島夜空、涙子さんの実の母親だ。

 彼女の存在は周辺では恐ろしいほどの知名度だと再認識した。

 僕が、いや厳密に言えば涙子さんが解決した昨日の殺人事件は、ナイトレディと警察の逃亡劇であっという間に上書きされた。

 近くに僕がいた、と言う話だけが耳に入れたのか、僕に真相を確かめに来た生徒達が休み時間の度に訪れた。

 正確な人数は覚えていないが、十五人はいたと思う。

 その度、僕は知らないと答えた。

 ナイトレディを一度捕まえて、取り逃がしたなんて言えなかったし。深入りもされたくない。あの人の地声と名前が出た時の涙子さんの表情がチラついた所為だ。

 あんなに悔しそうで、怒りに満ちた人の顔を見たことがなかった。


「ねぇ。久々にウチの神社で素振りしない?」


 不意に雪絵がそんな事を言う。


「気が紛れるかもよ」

「あの道場?」


 雪絵の実家は神社で、その脇には剣道場を構えている。

 僕も小さい頃、かじる程度には習っていた。雪絵はたまに続けているようだが、僕はまったく竹刀には触らなくなってしまった。

 ちなみに雪絵の姉である葵さんは剣道大会で好成績を残した事があるらしい。そんな姉の存在をプレッシャーに感じているのか、雪絵は高校に入学してからは剣道部に入らず弓道部に入った。

 本人も「姉と比べられたくない」と愚痴をこぼした事がある。決して仲が悪いと言う訳ではないようだが、兄弟のいない僕にはわからない問題だ。


「素振りか。久しぶりにやろうかな」

「剣胴着も素振りだけならいらないと思うから、もっと気軽に来ていいのよ?」

「とか言って、無理やり試合やらされる流れは無しだからね?」

「はいはい」


 ニヤついている雪絵が気になったが、僕は教室を後にした。

 雪絵と道場に行くのは二年ぶりだろうか。運動不足にはならないように簡単な筋トレや昔使っていた竹刀を振る程度の事はしていたけど、道場には高校に入学してから滅多に行かなくなった。

 と言うのも、あそこにはいい思い出がない。

 小学生の頃に葵さんの練習に付き合わされた事がある。あの人は体育会系だから、練習メニューの三分の一をこなしたところで僕が倒れる。

その後、練習試合で雪絵にボコボコにされるのだ。おかげで防御力だけは上がった気がする。とっさに剣戟を避けるなんて芸当もこなせるようになった。

 練習の成果と言うよりは、恐怖による脊髄反射だ。

 本当に素振りだけならいいんだけど、非番の葵さんが実家にいたら僕は雪絵の実家である神社へ行く為に昇った四十段ある石段を最速で駆け下りる自信がある。

 もっとも、現役の刑事から逃げられるなんて思えないけど。


「あれ、校門に誰かいる」


 雪絵が学校の玄関口に差し掛かったところで外を見てそう言った。

 どうせカップルが待ち合わせしているんだろうと思ったが、ここの学生ならわざわざ雪絵が口に出す事もないだろう。

 学生でない人がいるのだ。遠目から見ても教師には見えない。

 白髪を揺らし、杖と犬のリードを握っている。


「やっぱり、そうだよね」


 あのどっしりとした風貌のラブラドール・レトリバーはルークだ。間違いない。

 横にいる白髪の女性は涙子さんだ。ここは母校だったはずだけど何しているんだろう。

 と、靴を履き替えながら涙子さんを遠目で見ているとあっちも僕の方を向いた。

 見ている事に気付かれたのか。いや、この距離では目が見えている人でも僕と判断するのは難しいだろう。何せ僕は周りと同じ制服を身に纏い、何より判別すべき特徴がない。

 自分で言ってしまうと悲しくなるが、きっと涙子さんは僕の視界を通して自分の姿を見たのだろう。それで僕が近くにいることがわかったのだ。

 もしかして、僕を待っているのだろうか。


「ごめん、ちょっと行って来る」

「ちょっ、薫?」


 雪絵に呼ばれはしたが、僕は涙子さんの元に駆け寄った。


「涙子さん!」


 名前を呼ぶと、本人と下校中の生徒達が僕に振り向いた。

 涙子さんは目立つ。みんなジロジロと見るのは遠慮していたようだが、僕が声をかけたことで振り向く機会を与えてしまったようだ。


「どうしてこんなところに?」

「ルークの散歩ついでに、君を待っていたんだ」

「僕を?」


 何か用なのだろうか。


「ああ、実は」

「ちょっと薫! 急に走り出さないでよ!」

「おや?」


 僕の後ろに人の気配を感じたのか、控えめに身を乗り出すように体を伸ばしていた。


「あー、お邪魔だったかな?」

「含みがありますね」

「えと、薫。誰?」


 ああ、そうか。雪絵が知らないか。涙子さんは葵さんとは親しいけど、雪絵とは会った事ないんだ。


「君は、葵の妹さんか?」

「え!? は、はい。姉を知っているんですか?」

「ああ。学生時代に世話になった。君としゃべり方と声色が少し似ていたから、もしかしたらと思ってな」

「すごいですね。ビックリした」

「この人は月島涙子さん。バイト先の先輩」


 と、いう事にしておこう。実際そうなのだけど。


「姉や薫から話を伺った事があります。えと、お会いできて光栄です。水原雪絵です」


 とっさに挨拶する雪絵がペコッと頭を下げた。見えていないはずだが、涙子さんは雪絵の態度に好感したのか良い笑顔だ。


「葵から妹さんがいると聞いていたよ。一度、会ってみたかったので私も嬉しい。すまないな、一緒に帰るところを邪魔してしまって」

「いえいえ、そんな! もう腐りすぎて糸引いているレベルの腐れ縁ですので! こんなやつ!」


 ひどい言われようだ。


「あの、涙子さん。それで用は何なんですか?」

「そうだったな。えと、祖父の時間が空いたのだ。先日だったか、話をしようと言っていただろう?」

「そういえば、そうでしたね」


 ナイトレディの予告状を確認して、麻雀荘に行った日だ。涙子さんの祖父の源次郎さんにある黒い噂に興味を持って、会いに行くかと言われたのだ。

 やけにアポが早い。身内だからだろうか。もしくはその祖父は孫がかわいくて仕方がない人なのだろうか。


「えと、今日は」

「べ、別にいいわよ。行ってきなさい」


 雪絵と約束がある、と言おうとした途端だった。


「え?」

「仕事でしょ?」

「ま、まあ一応」

「じゃ、そうしなって」


 運動もしたかったけど、このモヤモヤは昨日の失態からくるものだ。

 涙子さんと話して、スッキリさせたい。


「うん、ありがと。今度埋め合わせする」

「私は先にルークの散歩を終わらせるから、カバンを置いたら事務所に来てくれ」

「わかりました」


 という事で、涙子さんとは一度別れて帰路についた。


「今度はお姉ちゃんがいる時に呼んでやるか」


 その途中で不吉な台詞が隣から聞こえたが、気のせいだと信じたい。




 涙子さんと合流したのは、雪絵と解散した四十分後だ。

 さて、金田コンツェルンの本社ビルは隣町にあるらしい。

 いろいろな事業に手を出しているようだが、なんでも一代目にも関わらず大会社に成長したのだとか。

 金田源次郎と言う人物は六十二歳と高齢で定年間近らしいが、そうとは思えないほどに元気らしい。よく聞く話ではあるが「気後れしないようにな」と移動中に忠告された。

 駅で涙子さんの分の切符を含めて買い、ちょうどよく来た電車に乗り込んだ。

 一駅だけの移動ではあったが、電車に乗り込んだ際の涙子さんはどこか落ち着かない様子だった。目が見えなくなってから電車に乗ったのは久しぶりだったのだとか。

 楽しそうだなと微笑ましく見ていたら、気付かれたのか少し怒られてしまった。

 ともあれ、事件の関係で遠出したらしいが、移動は車が基本だったのだとか。葵さんが早々に取得した運転免許が光ったらしい。


「たまに車に乗せてもらったけど、運転荒かったなぁ……」

「警察に入ってからは多少自重しているらしいがな」


 共通の知り合いの話題で花を咲かせながら、涙子さんは電車が揺れる度に僕の腕に寄り添うようにしていた。

 すると、親切な人が涙子さんに席を譲ってくれた。もっとも、狙って優先席の近くに搭乗したのは黙っておくとしよう。

 電車を降りて、徒歩十分。

 見上げると首が痛くなるような高層ビルまでやって来た。

 涙子さんはそんなこと構う事なく、早く入ろうと歩を進めた。


「さて、受付まで行こう。私の名前を出せば通してくれるはずだ」


 と、ビル内へ入っていく。

 入って十五メートルほど先に、受付の女性がいた。


「月島涙子です」

「はい、社長がお待ちです。お父様も来ておりますので、直接社長室へどうぞ。奥のエレベーターに乗って、三十七階まであがってください。エレベーターを降りて、真正面の部屋が社長室になります」

「ありがとう」


 受付の女性に頭を下げ、エレベーターに乗り込んでいく。

 他の社員達は乗り込まず、僕ら二人だけがエレベーターに残った。


「このままノンストップで上までいけそうだな」

「それでも、随分かかりますね」

「三十七階だからな。このまま止まらなくても数十秒はかかるだろう」


 十階を通過したが、特に止まることなくエレベーターは静かに上昇していった。


「……あの、昨日の事なんですけど」

「君が気にする事はない。私もあの人が近くにいるはずもないと油断していたからな」

「でも、変装は見破っていたんですよね」

「変装、だと言うことにはな。だが、あれほどの変装だったんだ。あの人でなければ誰だと言うのだろうな。失念していたよ」

「失念?」

「ああ。まあ、奴に会いたくなかったからと言うのが大きいな。予告状の話をしていたから予測できていたとは思う。あれは私のミスでもある」


 会いたくなかった、か。

 実の母親だと言うのに「あの人」だとか「奴」とか敵のように呼んでいる所から、いろいろあったのだろう。

 昨日の帰り際では詳しく聞けなかった。

 聞けた話は涙子さんが呼ぶあの人、月島夜空が自分の眼球を所持している事と、それの恩恵で涙子さんと同じ力を得ている事くらいだ。

 これ以上の事情は、かなり踏み入った話になってしまうだろう。


「だが、君が奴の胸元に注目したのもミスだ。……な?」


 涙子さん、笑顔が怖いです。

 苦笑いしかできなかった。そんな僕を救ってくれたのはエレベーターの到着を知らせる機械音だ。


「さ、行こう」


 何事もなかったように僕を促す涙子さん。お互いのミスと片付けたくれたものの、彼女が気付いていたらどうなっていただろう。

 僕に本気で組み伏せるように頼んだだろうか。仮に拘束を春日井警部に委託していれば手錠くらいはかけていたかもしれない。

 だが、それで捕まる怪盗ナイトレディではないだろう。あの身のこなしは常人ではできまい。


「どうした?」

「いえ。じゃあ、行きましょうか」


 警察が何年も追っている怪盗だ。僕みたいな学生が腕を掴めたのは奇跡に近い。

 一瞬の奇跡の後、当たり前のようにあの人は腕を振り払った。それだけの話だ。ただ、簡単に色仕掛けにハマったのには反省せねば。

 煩悩退散。煩悩退散。


「お祖父様。涙子です」


 おじい、さま?

 と、いつもとは想像もつかない丁寧な口調の涙子さんがそこにいた。びっくりした。


「僕が開けます」


 今のは京介さんだろうか。二人で話をしていたらしい。


「さ、入って」


 扉を開けられ、京介さんが顔を覗かせた。

 赤い絨毯に黒い高級チェア、その前にはパソコンの置かれたデスクが置かれている。壁には片や本棚、片や絵画などなど、この部屋にある物の値段だけで僕の家の全財産を越えてしまうのではと錯覚してしまう。

 錯覚であればいいんだけど。……だんだん錯覚でもない気がしてきた。


「おお。久しぶりだな、涙子!」


 そんな部屋の中央にいたのは熊、いや大男だ。

 着ているものは赤のスーツとかなり派手だ。絨毯といい赤が好きなんだろうか。もみあげとヒゲも立派なもので、黒い肌に白いヒゲがよく似合う。白 髪ではあるものの、なぜか年老いた印象はまったくない。

京介さんも若く見える。最低でも三十後半なんだろうけど、見た目は二十後半だ。

二人共一世代下の親子だと言われても違和感はない。


「お久しぶりです、御祖父様」

「随分大きくなったな。調子はどうだ?」

「目が見えない以外は、不自由しておりません」


 なんだなんだ、やけに仰々しいと言うか……涙子さんが営業モードだ。


「僕もこの人は苦手なんだよ。この人は僕の義理の父だよ」


 と、京介さんが耳打ちしてきた。

 金田源次郎、京介さんの義理の父か。そうなるよね。涙子さんの祖父なんだから。

 わかってはいるが、何せデカイ。二メートルはあるのではないかという巨体と、その筋肉が威圧感満載だ。本当に大会社の社長なのか。現役プロレス ラーと言われても信じる可能性があるぞ。

 京介さんの義理の父、という事は怪盗ナイトレディ……月島夜空の実父か。

 涙子さんも見えてはいないんだろうが、顔を高めに上げている辺り、威圧感を感じているのかもしれない。声がしている方を向いているというのもあるんだろう。


「ん? 君は?」


 と、大男が僕を見た。死んだフリでもしたくなるような威圧が飛ぶが、本人は強張った表情は見せていない。


「柚木薫と言います」

「京介君が最近雇ったと言う?」

「そうですよ、お義父さん。彼です」

「ああ、公共プールでの殺人事件と、昨日の毒殺事件を解決したと言う高校生探偵か」


 表向きにはそうです。なんて言えるわけもない。


「は、はい」


 涙子さん本人が探偵活動をしているのは公になっておらず、僕の名前が前に出る事になっている。

 涙子さんが僕の助手と言う事で話が進んでいるのだが、真実はその逆だ。

 ちなみに、これは契約書に書かれている探偵活動についての記述に書かれている。

 警察には涙子さんの名前を出させず、僕も涙子さんの名前を出さない。マスコミにも同様の情報を流している。

 一ヶ月前にプールで起きた殺人事件では取材も受けたが、葵さんから付け足される前に電話の相手の事、つまり涙子さんの事は伏せるように言われた。

 涙子さんは葵さんともこういった方法で事件を解決しながら、自分の名前を隠して来たのだろう。


「なるほどな。私の娘を一度捕まえたとか言う話だったが?」


 ナイトレディの事だろう。


「一瞬だけですよ。逃げられてしまいました」

「ああ、わかっているよ。あいつは一度も警察にも捕まらず、ここ十年私に顔も見せていない親不孝者だ」

「空ちゃんは神出鬼没だからね。むしろ、腕を掴んだという事実を春日井警部から聞いて驚いたよ」


 空ちゃんて……。ああ、そうか。京介さんとは元夫婦だもんな。

 感情移入しているのか、この三人がどんな感情をナイトレディに抱いているのか整理できない。

 涙子さんは完全に敵視していることは間違いないだろう。京介さんの空ちゃんという単語に後に溜息が混じるのを聞き逃さなかった。

 もしかしたら、聞こえるようにしたのかもしれないが。


「それで、君に少し興味が沸いてな? 涙子に呼んでもらったんだ」

「そうだったんですか」


 ナイトレディの事は噂で聞いていたけど、十年顔を見せていないって事は、その間は捕まってないないのか。昨日の逃亡劇も頷ける気がしてきた。


「だが、高校生か。警備に加えてもらうのは厳しいな」

「んー、春日井警部が猛反発するでしょうね。葵ちゃんの時も苦労しましたから」

「そういえば、その葵君は? 今は大学を卒業しているのだろう?」

「先輩は捜査一課にいますよ」

「ほう? 若いのにすごいな」

「葵さんとも面識があるんですか?」

「ああ、彼女が高校生探偵を名乗っていた頃にな。その頃にもナイトレディ……夜空が一時期活動していたんだよ」

「え、その頃にも源次郎さんに予告状が?」

「ん? いやいや、娘を捕まえてやろうと警察に協力をしていてな。その関係で数度だけ顔を合わせていた」

「僕が警察に捜査協力しているのも空ちゃ……えっと、ナイトレディ関係の情報を提示してもらう為でね。一般の事件を情報開示の条件として解決したりしてるんだ」

「かなり本格的な捜査協力なんですね」

「うん。刑事の席を空けていると言われたけど、体力には自信がないからさ?」


 わかる気もする。京介さんはそれなりにいい体格をしているけど、どちらかと言うとデスクワーク派といった感じだ。

 白衣を着せて医者だと言えば信じる人がいるかもしれない。


「薫君が警備に入れられないとなると、私も留守番だな」


 涙子さんだ。一高校生の僕が怪盗捕獲の警備網に入れてもらう事ができる訳もない。


「そうだね。頼んではみたけど、今回は葵君もチームから外されるらしいし」

「葵が?」

「うん。情熱はあるけど、私情が挟まっているって。合同で動く二課から外すように言われたらしいよ」

「そうか、さぞ悔しがっていることだろうな……」

「葵さんって、ナイトレディと何か因縁があるんですか?」


 本人がなぜ怪盗を始めたのかはわからないが、三人からはナイトレディである夜空さんを捕まえると言う意思が伺える。


「うむ。葵が高校生探偵を名乗ってから間もない頃だ。私と共に奴を追っていたのだが、葵が想いを寄せ、付き合う所まで行った男が……」


 ゴクリ。


「ナイトレディのファンになってしまってな」


 は?


「へ? ファン?」

「ああ。後輩の母親に彼氏を取られたのだ、葵はすぐさま男と別れて奴を追い始めたよ。見事に逃げられたがな。男にも夜空にも」


 なんだろう。ある時期、葵さんの機嫌がやけに悪かった事がある。

 それの所為だろうか。

 それとこの場にいないからって言いたい放題だな。この人。


「さて、薫君だったかな?」


 ふと、源次郎さんが僕を呼んだ。


「はい」

「あの黒いファイルは見たかね?」

「ええ。そういえば、予告状の内容も書かれていましたけど、よかったんですか? 一応は捜査情報でしょう?」

「大丈夫だよ。予告上の内容は、今日の夕刻にでも一般公開されるからね。ナイトレディの情報も基本的な事しか書かれてないし」


 本当に大丈夫なのか。シュレッダーにかけておいたから、もう残ってはいないけど。


「予告状での文章、どう思うかね?」

「内容についてでしょうか。一応、涙子さんと一緒にあれこれと考えてみましたけど、いまいちパッとしないと言うか」

「それなら、きっとこれだ」


 と、写真を一枚差し出された。


「これは、真珠ですか?」


 写真で見てもわかる。でかい。だが、形が歪だ。いや、形容できなくもない。これはハート型の巨大真珠だ。


「真珠の宝石言葉には『恋愛』が含まれている。我が子の愛を、というのであればこんなところだろう。そして、六月の守護石だ」

「六月……今月、予告されているであろう双子の最期も六月ですよね。あと三日です」

「春日井警部に金庫の中を見せたところ、これが怪しいと言っていてな。この宝石は私が純粋にコレクションしているものだ」

「お義父さん、これを夜空に見せた事はあるんですか?」


 本当にこれを狙っているなら、外からこの宝石の事を知ったか、事前に知っていたかだ。この人はナイトレディの実父。見せていた可能性はある。


「ああ。あるよ」


 即答だった。


「あいつはフェンシングの大会で優勝するほどの腕前だったが、作曲家としても秀でたものを持っていてな」

「作曲家?」

「君の世代が知らないのは無理もない。夜空がナイトレディとして騒動を起こした時には彼女の担当した曲、CD媒体はすべて回収されたからな。ネットでは変わらず出回っているようだが、私が見せたこの真珠がヒット曲のヒントになったらしい」


 作曲家か。天はニ物を与えずなんて言うけど、あれは嘘だな。


「これがナイトレディの獲物なんでしょうか」

「だが、この金庫にはコレクション以外にも会社の機密情報もある。ついでとばかりに何か盗まれては目も当てられんからな」


 それもそうだ。それに、盗むのだとしたら金庫にしまっているような代物だろう。


「京介君、金庫を見ていくかい?」

「ええ。どうします? 薫君にも見せますか?」

「そうだな。ただ少し話をしたかっただけなのだが、手ぶらでは帰せまい」

「え、あ、ありがとうございます」


 金庫、か。僕が警備に加わるのは無理だろうけど、見ておいて損はないだろう。興味もあるし。何より……。


「お祖父様、私もよろしいですか?」

「涙子もか? ああ、構わんよ。好きにするといい」


 僕が見ることで、涙子さんに見せるという事もできる。じっくり見させてもらおう。

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