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デュアル・フィールド  作者: 太刀河ユイ(飛竜院在九)
第二章・黒いファイルと涙子の休日
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夜空と月の涙[黎明]

「くっ、くくくくく……」


 笑ってる……?

 この状況を楽しんでいるのか、涙子さんに正体が見破られて焦り、逆におかしくなったのか。


「娘の友人に化けるのは、やっぱり無茶があったかな」


 娘?


「久しぶりね。涙子」


 声色が変わった。透き通るような美しい声、女性だ。唇から顎の下に手が伸びた。ペリッと、皮を剥ぐように。

 蛇が脱皮でもするかのように怪しげな光景。先ほどまでの太田さんの顔が、それを剥がした途端に変わる。


「月島夜空……」


 ポツリと呟いた涙子さんの声は、怒りに震えているようにも聞こえた。


「ふぅ……やっぱり素顔が落ち着くわね」

「つ、つ、月島夜空って……ッ!」


 珍しく、春日井警部が動揺していた。


「涙子、あなた結構強くなったわね。あの待ちはわからなかったわ。他の二人は見えていたから、楽勝だったけど」

「警部! 早く彼女を!」


 太田さんは変装だと伝えられていただけの僕には、とても付いていけない状況だった。だが、この人から目を逸らしてはいけない。手を離してはいけないと言う事だけは理解できた。


「痛っ……もう、そんな力込めないでよ」

 と、言われるがそんな事どうでもいいと涙子さんはこちらに意識を集中していた。

 もし彼女の目が見えていたら、この人は相当睨みつけているところだろう。


「ね、逃がして?」

「それはできません」


 即答し、自分の顔より少し高い相手の顔を見ようとするが、彼女はシャツの前を左手の人差し指で下げていた。そこで目に入ってくるのは……。

 防弾チョッキ、これで女性でも男性の変装ができたのか。と、そこまでは理性が働いた。が、その間に挟まっていた予想よりも大きな乳房が作り出した谷間が目に入った。


「なっ!」


 この瞬間、緩んだ隙を突かれたのか、腕はあっと言う間に解かれてしまい、気付いた時には警部の胸元に突き飛ばされていた。


「コノヤロ! 邪魔だ!」


 すいません、と謝り彼女の方を見たが、彼女は窓から逃げ去る所だった。


「待て!」


 涙子さんの叫びが彼女を一瞬引き留めるが、ただ一言をだけを残し、窓から飛び出した。


「じゃ、予告の日にまた会いましょうね」


 春日井警部と共に窓まで走り、彼女の行方を捜した。


「警部さん! 下です!」


 真下にはバイクに跨る彼女、月島夜空の姿があった。駆け寄った際には既にバイクのエンジンはかかっていたらしく、僕が指差したその瞬間に走りだし、あっと言う間に走りだした。


「くそっ!」


 警部は身を翻し、この部屋全体に聞こえるような大声で叫び出した。


「非常戦を張れぇ! 周囲十キロ、大至急だ!」


 部屋の大気が揺れる中、涙子さんは一人俯いていた。


「で、海野さん! あんた、あの女とどういう関係だ!」

「し、知らねぇよ!」

「コップの入れ替えはあの女がやったんだ。それ以外の証拠も揃ってるが、どうする。まだ否定する気か!? 早くしろ、あの女をとっとと追わないといけねぇんだ!」


 先ほどの海野さんとは比べ物にならない激昂。胸倉を掴み、体も少し宙に浮いている。見ているこっちが痛くなりそうだ。


「ひ、ひぃ! すいませんすいませんすいません! お互い金に困って脅されて……ッ! 俺の妹が賭けの標的にされて! し、仕方なかったんスよ!」


 海野さんが春日井警部の脅しとも言える尋問に屈服した所だが、その内容はあまりにも耳に入って来なかった。

 月島夜空。明らかに僕が逃がしてしまったんじゃないか。それに、予告の日って……。


「おい高校生」

「は、はい」

「そこの小娘連れて、とっとと出て行け。今度県警に事情聴取来てくれりゃいいから。それと、あの女に関しては気にするな」

「……意外ですね。もう少し責められるかと」

「二課の奴らや葵が何年も追ってるんだがな。でも、俺もあの人が化けてるなんて微塵も思わなかった。今回だけは見逃してやるから、とっとと行け」


 カチャリと海野さんに手錠をかけると、春日井警部は涙子さんに目をやった。


「あの女はそいつの母親だ。あとはそいつの口から聞きな」




 座り込んでいた涙子さんを促し、麻雀荘を出て帰路に就いた。

 二キロほど歩き、しばらく続いた沈黙を破ったのは涙子さんだった。


「彼女は私の母親でな。私が中学一年の終わりに出て行ったのだ」

「中学一年の終わりって……涙子さんのニュースがなくなった頃ですよね」

「よく覚えているな」

「……ファンでしたから」


 忘れもしない小学生時代。僕はただこの人に憧れていたのだ。


「それにしては、奴の胸に気を取られていたようだが?」


 心なしか、掴まれている腕に妙な圧迫を感じ始めた。


「月島夜空は有名な作曲家だったが、その年に盗作疑惑が流れた」

「その頃のニュースは、さすがに覚えてないですね」

「別の名前で音楽活動をしていたから、気付かないと思うよ。

 だが、それが原因で世間からはいろいろと反感を買ってな。

 父……私の祖父だが、警備会社の事務員として働き出す事も考えたらしい。

 だが……」


 左目の眼帯を抑え、言葉を詰まらせた。


「言いたくないなら、無理をしないでください」

「いや、言うよ」


 強い言葉で断言され、宣言通り彼女は話を続けた。


「この能力は私達の家系にのみ受け継がれると言ったな」

「はい。確か京助さんが……あれ」

「そう。私が引き継いだ能力は父、月島京助のモノだ。

 月島夜空、旧姓金田夜空は何の力持たない一般人なんだよ」

『涙子、あなた結構強くなったわね。あの待ちはわからなかったわ。他の二人は見えていたから、楽勝だったけど』


 先ほど聞いた月島夜空の台詞。

 このニュアンスは明らかに『見えていた』から言えるものだ。


「私は目が見えない。だから、奴も私の手牌を覗けなかった。君の視点から覗けそうだったが、遠かったから止したのだろう」

「でも、なぜ能力を受け継いでいないあの人が……?」

涙子さんはふと立ち止まり、僕に眼帯を初めてめくって見せた。

「……ッ」


 義眼。黒い人工の瞳が僕を見つめていた。


「これを、彼女は今持っている」

「これって……まさか」

「私の眼だよ。

 能力を持たない人間は、能力を持つ人間の眼球を所持する事で力を扱えるようになる。

 それを奴は、盗みに利用しているのさ」

「怪盗……」

「月島夜空。別名を怪盗ナイトレディ。フェンシングの達人で、夜の名を持つ女怪盗だ」

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