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「今日も後で店に寄らせてもらおうかな」
「おう、売上に貢献しに来い。――つっても、久しぶりに扱う食材もあるだろうからな。今晩中に鎧貝の肉が食えるたぁ限らねぇぜ?」
「何やら他意を感じるが……、まぁ、いいだろう」
「それでは、また後でね」
ホースブールの迷宮の入り口で、ケイマはリーンとミーアと別れた。二人は一度自分たちの取った宿に戻り、荷物整理をしてから切り株の虚の食材袋に来るつもりのようだ。ケイマとしては店にしろ宿にしろ、どちらでも繁盛するなら文句はない。
軽く手を振って二人と別れたケイマは、家族の商う店――ではなく、ホースブール随一の鍛冶屋を目指した。目的は手に入れた鎧貝の殻で、ケイマの鎧を作れないか訊きに行くことだ。
既に店の方では食事の仕込みが始まっている時間だが、ケイマは今更多少遅れたところで問題ないだろうと判断した。念のためにゲイルに食材集めを依頼しておいたので、行ってみたら品切れ状態、ということにはならないだろうと考えたのである。
あるいは、アイテムとしての機能を持つ鎧が手に入るかもしれないと、自分では判断が付かないほど興奮しているのか。その可能性に思い至ったケイマは、心を落ち着かせるために大きく息を吸い、深く吐き出した。その時になって初めて、酷く身体が強ばっていることに気が付いた。
考えられる原因は、慣れない深さまで迷宮に潜っていたこと。幸いにもトラップの構造自体は、ケイマにとって容易い物ばかりだった。それでも慣れない環境でのマップの作成とトラップの発見、解除には、相当神経を削られていたようだ。
そんな自分の様子に、ケイマは軽く苦笑した。身体に蓄積した疲れに気付けない様な状態になっていたことに対する呆れと、この二日で随分と心が乱れていることに気付かされた驚き。二つの感情は混ざり合い、苦い笑みとしてケイマの表情に出力されたのだ。
「あぁ、何か不安定なんだよなぁ……。何だろうな、こりゃ?」
リーンとミーアの強さに影響された訳ではない。単に戦闘に強いだけなら、ケイマより上の探求者など幾らでもいる。それこそ今朝迷宮の入り口で会ったグエンなどは、全身をアイテムで固めて大量のスキルを保有している。迷宮内における強さは、ケイマの数段上だ。
だからと言って、グエンを見かける度に嫌な気分にさせられることはあっても、それでケイマの軸がブレることはなかった。むしろ意志はより強固に根を張り、反発はより深くケイマに探求心を与えた。他の探求者が相手でも、ケイマの反応は変わらない。それでも深層に入ろうとは、これまで一度も思わなかったが。
ふと思う。あの二人はどの位高いところに居るのだろうか、と。
「想像も付かねぇな。――やめだやめ、面倒臭せぇ」
ケイマは思考を打ち切り、温泉の有名なホースブールにあって、取り分け凄まじい熱を放つ施設を見た。ケイマが無駄な考えを繰り返す内に辿り着いたのは、ホースブール随一の鍛冶屋一門の店兼住居だ。
奥の作業場から流れてくる鋼を打つ甲高い音は、明らかに湯を超える熱を強烈にイメージさせる。ふとホースブールの迷宮の深層のイメージが鋼の音に被り、ケイマはなるほどと納得した。あの時生きている炎と感じたのは、ここの鍛冶師たちが原因かと。
彼らは彼らにしか分からない感覚を持ち、鉄と炎と水の声を聞くという。はたしてそれが音による物なのか、一介の探求者にしか過ぎないケイマには分からない。しかし彼らの言う、まるで炎が生きているかのような表現が、ケイマの中に力強く根を張っていたのだろう。
少しスッキリした気分になったケイマは、店舗の中に入っていった。店内の接客スペースは薄暗く、奥のカウンターには既製品の剣が並べられている。と言っても、その全てはアイテムではないただの剣だ。鍛冶屋の友人曰く、盗難防止とサンプル、そして迷宮初心者用の格安装備としての役割をはたしているとのことだ。その格安装備には、ケイマも随分と世話になっている。
ケイマは、カウンターに座って何か計算をしている受付の邪魔をしない様に軽く会釈し、その横にある扉に進んだ。ギィ、と軋みながら開いた扉の先は、オーダーメイド専用のエリアだ。既に完成し、後は持ち主を待つだけの鎧や武器のアイテムに混じって、ただの鉄のナイフが壁に掛けられ飾られている。
「ん? おぉ、ケイマじゃん! いやぁ、久し振りだな。どうした? また剣をぶっ壊したのか?」
ケイマが少しの間ナイフを見ていると、背後から気安い感じの声をかけられた。ケイマが振り返ると、一段上がった木の床のスペースに寝転がって手を振る、ヒョロリとした男がいた。
「おい、クラム。上客が来てやったんだから、ちゃんとしやがれ」
「威張るなよ。それと兄貴の打った剣をボカスカ折る癖を直せ」
「練習用だろうが。耐久力テストだ。――悪りぃ、今日湯に浸けた」
「ギャー、何しやがる! 錆び付かせる気か!? 寄越せ、今すぐ腰の物を寄越せ! ピッカピカにしてやる!」
「おう、存分に磨きやがれ」
ケイマが剣を鞘ごと渡すと、クラムは道具を取り出して必死に手入れを始めた。さすが装飾と組み立て専門の鍛冶師見習いと言うべきか、実に器用に作業をこなしていく。
練習の際に作られた剣と言っても、この鍛冶屋一門が半端な物を売りつけてくることはない。古鉄をかき集めて溶かし、そうやって打ち上げられる迷宮産とは程遠い剣だが、その造りは極めてガッシリとしており堅実という言葉が相応しい。そうやって出来たただの剣の中から、上等な物は既製品として店頭に並ぶのだ。
合格が言い渡されなかった剣は砕かれて古鉄に混ぜられ、再び練習のために鍛え上げられる。鎧などの他の武具でも似たようなことをしており、一人前の鍛冶師であっても納得のいかない作品は溶かしてしまう。面白いのは、例え作った本人が納得のいかない作品であっても、きっちりと査定を行うことか。どんな身分にあっても、どんなことがあっても、決して研鑽を忘れない一派なのだ。
ケイマの使う傷だらけの剣も、そうやって見習いの一人が全力で打ち上げた剣の一振りだ。もっともクラムの言葉から窺える通り、へし折る回数はケイマが一番だったりする。
クラムが剣の整備に専念したので、ケイマは手持ち無沙汰になって辺りを見回した。金属と魔物の革を合わせた防具から、彫刻の彫られた盾、鞘に収まって立て掛けられた剣。ここにある多くがアイテムだ。これからスキルを覚える物も、砕き屋が取り出した魂を受け継ぎ既にスキルを覚えた物も、等しく勝者の武具である。
ケイマがぼんやりとそれらを眺めていると、クラムが話しかけてきた。
「なぁ、ケイマ。お前が最深部を目指してるって、本当か?」
手元を忙しなく動かしながら、クラムはケイマにそう問うた。既に噂になっていたかと、ケイマは苦笑した。
「まぁ、な。バカ強ぇ二人組に雇われてな。信じられるか? そいつ等、深層の入り口の魔物をオーバーキルしやがったんだぜ」
深層と言っても、その中でも浅い階層での話だが。
ケイマは最初、リーンとミーアは実入りの良い迷宮を拠点としているのだと思った。思っていたのだが、その迷宮の難易度はホースブールのそれの比ではないだろう。そうでなければ、あれだけの攻撃的なスキルが使えるようにはなかったはずだ。
「そいつは結構。けどな、ケイマ。ホースブールの住人全てが、お前に善意持ってる訳じゃない。大熊屋はお前の家族の店自体を嫌ってるし、キザなグエンはスキルを――攻撃スキルを一つも持ってないお前を毛嫌いしてる。その取り巻き連中もな」
何を今更、とケイマは思った。それに周囲への影響力を持っているのは、ケイマではなく、ケイマの家族が商う切り株の虚の食材袋だ。ケイマと宿の影響力を切り離して考えられない連中もいるが、それはどちらかと言えば少数だ。
だからケイマは、思ったことをそのまま口にした。
「今更すぎんだろ、それ」
ケイマは呆れ、道具袋の中を探りだした。朱玉鎧貝を取り出すためだ。
「……出所は分からないけど――いや、想像はつくけど――お前が高ランクの探求者の弱みを握って、強引に最深部を目指してるって噂が流れてるんだ」
「はぁ?」
ケイマは驚き、すぐに事態を理解し、そして呆れた。普通に考えて、ここまで早く噂が流れる訳がない。しかもケイマにとって不利な情報が捏造され、その情報だけが先行してる。
「一応、事態は沈静化してる。つぅか、させた。お前の店の常連が証言者になって、誘ったのは向こうからだった、って話をして回ってたんだ。お前は深層に誘われた時、初めはかなりビビってたって話もな」
「……うるせぇ、ビビってねぇよ」
「はいはい。それに出所の分からない噂よりも、お前を信じてる奴ってのは多いからな」
あまり知られてはいないが、魔王の呪いにでも引っかからない限り、トラップに絶対に出会わないルートを開拓したのはケイマである。過去にケイマは、そのルートを含む中層までの詳細なマップを、どちらかと言えば仲の悪い大熊屋を含む全ての宿に多少安めに売った。迷宮で犠牲者が少しでも減るように、と考えての行動だ。それを知る一部の宿や探求者からは、地味に信頼を得ている。
その行動の結果として恨みを買ったこともあるが、誰が作成した物よりも精密なマップのお陰で、直接攻撃を受けるようなことはこれまで一度もなかった。マップの精度の高さが、そのままケイマへの信頼に変わったのだ。
「脅しの噂が消えたと考えると、次に来んのは……、深層の情報を隠していやがった、って辺りか?」
「だろうな。元々独占するもしないも、その探求者の自由だったけど、お前のマップで一度楽してるからなぁ。――で、どうする? 常連の証言ばっかりだと、宿の信頼に傷が付くかもしれない」
二人は流行る噂が、これまでケイマが深層の情報を隠して独占していた、という内容であると予測した。昔はそれも当たり前のことだったが、それを崩したのは他ならぬケイマ自身だ。
情報とは様々な対価を支払い、その上で運が良ければ正しい物が手に入るという物だった。対価とは時に自身の命であり、それが確実に自分の元に返ってくるとは限らない時代があったのだ。それが金銭により安く、何よりも信頼のおける物が手に入るようになってしまった。
そんな中、一人だけ未探査のはずの深層に入っていた奴がいる、という噂が立つ。しかもそいつは、中層までのマップを作った奴だ。あいつは深層のアイテムを独占していた。あいつだけが、良い思いをしていた。――さすがにそこまで極端なことになるとは思っていないが、次はそういった噂を立てられるとケイマは予想した。
ケイマは、自分が描いたマップを少し安めに売りさばいたことを悪いと思っていないし、一切後悔もしていない。しかしありもしない情報や、未確認の半端な情報を求めるのは勘弁してほしいところだ。
だが、これには既に対抗策がある。ぬるま湯の中にいる連中に、金銭によって旨味を得る機会を与えてやればいい。文字通り旨味を得られなかったのを、ケイマではなく、自らのせいにしてやるのだ。そうすれば、自ら情報を稼ごうとする癖も付くだろう、と若干の皮算用を考えに盛り込んでおく。
ケイマはニヤリと笑い、道具袋から“それ”を取り出した。
「なぁ、クラム。これ、何だと思う?」
「うん? 石材か? いや、でもこんなにボロボロに風化した、薄っぺらな石、なん、……て? おい、まさかこいつは」
「今日の内に店に出すのは無理だと思ってたんだけどな。まぁ、場合が場合だ。こいつの殻で防具も作って欲しいし、是非食いに来いよ。剣の整備には……、まだかかりそうだな。じゃあ、食いに来た時にでも持ってきてくれ。代金もそん時に払う。殻も大量に出るだろうし、鎧の商談もその時にしようぜ」
もちろん、奢ってやる気は欠片もない。ケイマは迷宮での活動や食材集めを一任されている代わりに、店と宿の営業には極めて影響力が薄いのだ。
ケイマはヒョイと“それ”を――朱玉鎧貝を道具袋にしまい、店の外へと向かっていった。後ろではクラムがドタバタと騒いでいる。作業場の方へと走っていったのだろう、とケイマは適当に思った。
店の奥の騒ぎとは異なり悠々と外に向かうケイマを、表の受付は不思議そうに見ていた。