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「それでは、今後の戦略を改めて確認しよう」

 ホースブールの迷宮の中層の上。その中でも、限りなく深層に近いと言われる領域。ケイマも何度か訪れたことのある領域だが、出現する魔物は既にケイマ一人では手に負えないランクに到達している。

 ここに至るまでに“紅湯牛”を見つけたリーンがその群れに突撃したというハプニングが起こったものの、進軍速度はケイマが思っていた以上だった。

 ケイマは最後の探索済みの階層で昼食を取ればいいと考えていたのだが、予定していた現在地でしていることと言えば、休憩がてら作戦の確認である。見探索エリア直前の階層で休むことはケイマも考えていたが、腹が空くよりも遥かに先にこの場所に達してしまったのだ。

「えぇ、そうしましょう。ケイマさんは、帰りに迷わないようにマップの作成と、進路上にトラップがあった場合に警告と解除をお願いね。リーンは進むのに邪魔な進路上の魔物と、ケイマさんがトラップ解除中に後ろから来る魔物の対処。私は進軍中に横と後ろから来る魔物と、トラップ解除中に進路上に出てきた魔物を遠距離で殲滅するわ。――役割としては、こんな所かしら?」

「平然と回復要員を無視する辺り、さすがと言うべきか無謀と言うべきか……」

「あら? よっぽどのイレギュラーでもない限り、ケイマさんが剣を握る必要はあり得ないわよ?」

「自分が怪我する可能性を考えねぇ、ってのは……。いや、多分“さすが”の方だな」

 呆れて物も言えないとはよく言うが、感心で黙らされるのは中々貴重な体験だ。ケイマは感嘆からくる溜め息を吐き、技術者として雇ったという言葉に、一切の偽りがないことを理解した。

 低層ではケイマにも戦う機会はあったが、中層に至る頃には戦闘では完全にお荷物状態だ。トラップの増加と共に役割は増えたが、これ以上深い階層では剣を握る機会すら、その必要すらないのだと、自分自身に対する呆れが湧き起こる。

「私はその役割で異存はない。ケイマは?」

「ねぇな」

 ケイマは自分にしか出来ないことを理解している。なのでそれを求められるならば、望まれる働きをこなすことに不満はない。

「では、次は方針についてだな。念のために、右壁に沿って進むことを心掛けよう。ケイマの条件もあるので、食材の採取ポイントや宝箱は見つけ次第寄り道して、また元のルートに戻る。一周して入り口に戻ってしまったら、マップと相談して散策すること。――後は、ケイマを孤立させないこと位かな?」

「えぇ、異存はないわ」

「……了解だ」

 ミーアに続き、ケイマも不承不承頷いた。仕方がないと分かっていても、男として割り切れない部分はあるのだ。せめて攻撃用のスキルが一つでも使えたら。そう思わずにはいられない。

「他に何か連絡しておきたいことは……。む、ケイマ」

 ケイマは注目を集めるように軽く手を挙げ、リーンとミーアの意識を引きつけた。指名を受け、ケイマは頷いて口を開いた。

「おう。余裕がある内に、こいつを渡しとこうと思ってな」

 ケイマはそう言って、道具袋から竹材で作られた箱を取り出した。長い短冊状の材を編み込むように組み合わさた、ある程度通気性の確保された箱だ。取り出した瞬間から材の隙間を抜けて香りが溢れ出し、中身が如何なる存在であるかを知らしめた。

「……それは、まさか」

「リーンが何に対して戦いてんのか知らねぇし、知る気もねぇが……。まぁ、内の店が作った弁当だ。パンに色々挟んだだけの、簡単な物だけどな」

「あら、頂けるのかしら? ありがたいわ、携帯食料で済ませる気だったのよ」

「そっちはそっちで食い物を用意してるんじゃねぇかと、出すか出さないか悩んでたんだけどよ。かと言って残しちまうのももったいねぇし、折角食うために作った物をほったらかすのも何か違ぇからな。――ミーアは確か、肉は食わねぇんだよな。具が魚メインになってるが、構わねぇか?」

「別に体質的に食べられない訳でもないのだけどね。肉特有の脂っこいのが苦手なのよ」

「なるほど。鶏肉ならいけるか? ……じゃあ、母親に伝えとくな。明日も食うだろ?――で、リーン。そっちはミーア用だからな? 魚を食いたかったら、ちゃんと相談してからトレードしろよ?」

 ケイマは魚がメインの弁当をスッと取り上げ、ミーアへと手渡した。

「む、失礼な。ケイマも私のことを食い意地が張っていると言いたいのか?」

「……敢えて指摘するまでもねぇな」

 ケイマは、納得がいかない、と愚痴るリーンに弁当を押し付けて黙らせる。いそいそと自分の道具袋に受け取った弁当をしまうリーンから視線を逸らし、壁と一体化している隠し扉へと向きなおる。リーンを見ていると何故か残念な気分になった、というのもあるが、観察するだけで一度も触れてこなかった隠し扉が、気になっているのだ。

 ケイマがこの階層に来る度に彼処にあると意識して、しかし一切手を付けなかった隠し扉。少なくとも四年以上――およそ五年もの間、前回の更新から誰も足を踏み入れていない領域。マップがないからという尤もらしい言い訳を盾に、誰もが立ち寄らなかった空間。誰も行こうとしないのならと、あれこれ理由を付けてケイマ自身手を付けなかった階層。層状の構造を持つ迷宮において、上下の概念が存在しない構造でありながら、進むほどに厳しくなる道程と囲まれて独立した世界観から“深い”と表現される――深層。

 その場所に観光で立ち寄って、趣味で進入しようと――踏破しようとする探求者がいる。少なくとも、二人。

 もしかすると、三人。

 それは多分、この先で決まることだ。ケイマはそう思い、頭を振って雑念を追い払う。そして意識を隠し扉に集中させた。

 意識を尖らせたケイマには、おそらく三人の中で唯一気付いているであろう、周囲の外壁との違いを認識する。違いは輪郭を浮かび上がらせ、ケイマの視界にぼんやりと隠し扉の姿が晒される。次いでそれに付属し一体となった、トラップの形も露わになる。

 基本は円。等間隔で五等分され、隣り合う二点と最も離れた点を結ぶ、下向きに尖った整った三角形。中央には杯が描かれ、火が注がれ天を目指して立ち昇る。余った二点間には線分が引かれ、土台となって杯を支えている。零れた炎は鋭角に受け止められ、小さな火種となって溜まっている。眠る灰色の奥にある真の色は、明るい橙色だ。

「……魔法錠か。失敗すると、この部屋がこんがり焼けるぜ」

「そうなのか?」

「興味があるから、後で陣の模写を頼めるかしら?」

 危機感がないのではなく、死を遠ざけ吹き飛ばす、強者の言葉。

 ケイマは不敵に笑い、トラップを発動させない場所にゆっくりと手を掛けた。その不敵さは、きっと後ろの二人から流れてきて、ケイマに移ったのだろう。

「開けちまって良いか? それとも、まだ何か用事はあるか?」

 だからといって、心の中に油断を生んではいけない。油断が生じるとすれば、その起源はケイマの中にある。リーンやミーアは不敵だが、その行動に油断はない。不敵さを受け取っても、それをケイマの中で油断に変えてしまっては意味はない。

 だから自分の心を落ち着かせるためにも、ケイマは一度間を置くために確認した。逸る気持ちで手を伸ばし、焦るままに指先にあるトラップを誤爆させる訳にはいかないのだ。

「私は構わない。――大雑把に見て、五年振りの進入者になる訳か……。あぁ、楽しみだ。血が騒ぐ」

「何時でも良いわよ。――リーン、あまり熱くならないようにね?」

 油断はないが、余裕はある。ケイマは一度肩の力を抜き、手を動かし始めた。魔法錠の解除には、特別な器具はいらない。存在を正しく認識できるのであれば、パズルにも満たない、構造を崩すだけの簡単な作業だ。

 零れた火種を拾い、立ち昇る炎を掬い、空間を区切って杯をしまう。発動の起点になる様なことをしなければ、魔法錠は物理的な干渉に頼るトラップより容易い。陣は灰色のまま、光を放つことなく沈黙した。

「最深部まで行きゃ数百年振り、ってとこか? まぁ、先の話だな。――開けるぞ」

 戦闘に使えるアイテムの少ないホースブールの迷宮では、誰も最深部を目指さなかった。迷宮の再深部まで行けば特別な宝が手に入ると言うが、日用品や素材が中心のホースブールの迷宮に、いったい何を期待するのか。得られるであろう物は、腹も膨れない名誉だけだろう。それならば、低層で稼いだ方が身に付きやすい。

 ケイマは扉に手を掛け、ふと思う。薄氷の剣の探求者は、何故実入りの少ないホースブールの踏破に挑んだのだろうか、と。あるいはリーンが想像したように、薄氷の剣の探求者は勇者の結界の向こう側の住人で、ホースブールの迷宮を通って向こう側へ解放されたのか。

 気になった。そう考えると、目の前の隠し扉の向こう、その最奥に何があるのか、ただ気になった。それは飢えにも似た渇望で、自分でも理解できるほど心拍数が増大した。

 ケイマは自分でも訳の分からない感情に押し流されないように、深く深呼吸をして再び心を落ち着かせた。既にトラップは解除済みなので、後は隠し扉を押すだけなのだ。ただ扉を押しだけのことに、何を緊張しているのだ、と。

「……っ、重っ」

 ケイマは掌が触れる僅かに熱を放つ岩石を、腕に力を込めて押し出した。砂を噛んだ岩の隠し扉の奥、迷宮の深層が、ジャリジャリと産声を上げながら開いていく。一拍の後、隠し扉はガクンと下に沈み込み、見た目の重量感からは考えられないほど静かに、左右へと開いていった。

 その先には、ヌルリと歪んだ空間が見て取れる。歪む風景に映るのは、次の階層の入り口の捻れた姿だ。

「赤いな」

「えぇ、とっても熱そう」

「一度近くの湯が湧く泉まで戻って、飲み水を汲んでおくか? この先の泉の水が、飲めるかどうか分からないからな」

「名案ね。確か……三つ前の小部屋にあったかしら?」

 その先を覗いたケイマが絶句する中、リーンとミーアは大した反応を見せることなく、冷静に話し合っている。落ち着いたその声に引き戻されたケイマは、興奮を抑えるように目を閉じて深呼吸した。二度息を吸い込んだところで、ケイマは目を開いた。

 再び開いた視線の先には、真っ赤な世界が広がっている。渦巻く空間の膜は中心から遠い程歪みが強くなり、隠し扉の縁に接する部分は輪郭の区別が付かない単色になっている。中央付近の比較的見やすい部分を伺えば、ゴツゴツとした赤い岩肌に、炎を溶かし込んだ様な色の流体が脈を張って明暗する。天井からは火の粉の様な物が降り注ぎ、地面に落ちると弾けて脈に吸い込まれていく。

 生きた炎の体内。そんな言葉が、ケイマの頭の隅を過ぎった。

「……左隣の小部屋にも、泉はある。トラップはねぇはずだし、そっちの方が近いと思うぜ」

 ケイマは自身の理解を越えた未知の世界から視線を剥がし、リーンとミーアに向き直ってそう言った。

「む、そうか。ではすぐに行ってこよう。――そう言えばこの扉は、放っておくと閉まるのだろうか?」

「これまでの階層と同じってんなら、一日位で閉じるな」

「この迷宮は随分と呑気なのね。私たちが拠点にしている迷宮は、物の数分で壁に戻るのに。――ケイマさんの言い方を借りるなら、周期が極端に短いと言うことかしら?」

「他の迷宮にも周期性があるんなら、そうなんじゃねぇのか。俺はホースブールしか知らねぇから、結論までは出せねぇよ」

「それもそうね。ごめんなさい。答えにくい上に、中途半端に理解した風な質問をしてしまって」

 ミーアの謝罪に、ケイマは苦笑した。もしかすると、ミーア自身何かを研究しているのではないか。そう思わせるような頑なさを感じたからだ。ケイマはもしそうならば、その知識の練度は自分のそれの比ではないだろうと思った。おそらくミーアも、天才と呼ばれるタイプの人間なのだろう、と。そう思わせるにたる洗練された空気を、ミーアは常に纏っている。

「構わねぇよ。――もしかすると、俺の把握してねぇパターンがあるかもしれねぇから、あんまし先に進むなよ。この辺の階層になると、データ自体が少ねぇんだ」

「あぁ、すまない。どうも気が急いているようだ。恥ずかしいな」

 ケイマは少し早足で隣の小部屋を目指そう手していたリーンを止め、リーンは自己申告するほど恥じた様子もなく言った。それからリーンは、ケイマとミーアがすぐに追いつくよう、少し歩調を落とした。

「……あれでも結構恥ずかしがっているのよ? 後で弄られそうな時は、必死に隠そうとする癖があるのよ。――その分なのか、普段は無防備なのだけどね」

 後に続くケイマに、ミーアはイタズラっぽく微笑みながら耳打ちした。

「……自分で言っちまったら、意味ねぇんじゃねぇのか?」

 ケイマの呟きに、ミーアはクスクスと笑った。そこがかわいいのよ、と口元を隠して囁いた。

「……女って、分かんねぇの」

 ケイマは首を傾げて、ミーアと共に少し不安そうな表情のリーンの元へと向かった。

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