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1-2

「で? お兄ちゃんは、その美人さんとその場で分かれちゃったの?」

「おう」

「……観光目的の、それもお金持ちの探求者が、こんなボロボロの食堂に来るとでも?」

「お、おう」

「はぁ。せめてお兄ちゃんに、女の人を店まで案内する気概があれば……」

「……おぅ」

 青年の家族が営む切り株の虚の食材袋にて、青年は妹に説教を食らっていた。元々酒が苦手で、すぐに迷宮に潜れるように普段は飲まない青年だが、こんな時ばかりは酒の一杯でも飲みたくなる。酒一杯程度で青年が勝てるほど、妹は気弱ではないのだが。

「ガハハッ。ケイマにそんな甲斐性はねぇよ。諦めな、ミリィちゃん」

 うなだれる青年――ケイマとその妹――ミリィを見て、店の常連が酒で顔を赤くして陽気に笑った。がっしりとした体格の禿頭の大男は、ケイマの先輩探求者である。迷宮産の鉱物の採取を専門とするが、バトルハンマーを振り回すのが様になる男だ。

「ゲイルまで……」

 宿の食堂を利用したこの店は、夕暮れ時ということもあって、多くの客が集っている。そこには、探求者も一般人も関係ない。ケイマの落ち込み具合が壺に入ったのか、他の客たちもドッと笑った。

 もっとも切り株の虚の食材袋に来る客は陽気な連中ばかりなので、陰気な空気はやってこない。

『湿っぽいのは酒でも飲んで、みんなで笑い飛ばしちまえ』

 それがこの宿に集う連中の流儀だ。その内ケイマも室内の空気に影響されて、表情は苦笑に変わっていた。

「もうっ、情けない声出さないでよ。ほら、お腹空いてるでしょ? ご飯用意するね」

「おおっ」

 ケイマは落ち込んだ様子から一転、歓声を上げて明るくなった。今度はそれを見た、常連が苦笑する番だ。

「ガハハッ。ケイマはやっぱり、酒より料理か。コイツの良さが分からないとは……、人生損してるぜ」

「良いんだよ。酒は苦い、飯は美味い。それが真理だ」

 ケイマが喜ぶのも当然のこと。ミリィは、ここ最近メキメキと料理の腕を上げている。ケイマの舌では、十分に満足できる料理を作ってくれる。

 もっともミリィの料理は、母親が許可を出さないために一般の客には提供されていない。家族や、店の裏メニューまで知り尽くした一部の常連に対して、細々と振る舞われる程度だ。妹の料理の腕のどの辺りが、母親のそれにどう劣っているのか。全てを知るのは、母親と常連の舌のみである。

「ほぉう、ミリィちゃんの料理か。最近腕を上げている様だし、この店も安泰だな! ガハハッ」

 陽気に笑うゲイルは、この店の古参の常連である。若い頃はここの宿を利用し、若い頃に道具屋の娘と結婚して、今では稀に食事に立ち寄る程度だ。

「まぁな」

 家族が褒められて悪い気はしない。ケイマは鼻高々だ。

「ふんっ、情けねーの」

 と、自慢げな様子のケイマに、軽蔑にも似た感情をぶつける者が居た。ケイマの弟だ。両手で空の酒瓶が入った小さめの木箱を持ち、ケイマを睨みつけている。

 末っ子の彼は、よく木の棒を剣に見立てて近所の子供とチャンバラをしている。同年代の中では力も強く、戦歴に傷は少ない。

「いっつもこそ泥みたいに宝箱漁って、モンスターから逃げ回って。その剣だって、スキルの一つも覚えてねーだろ。俺だったら、絶対英雄になるのに!」

 更に痛烈な言葉を並べ、弟は宿の外へと出ていった。木箱の中身からして、空になった酒瓶をガラス工房にでも売りに行ったのだろう。

「……効くなぁ」

 ケイマは対して堪えた風もなく苦笑した。ゲイルは相変わらずガハハッと笑い、酒の入ったコップをケイマに傾けて言った。

「仕方ねぇさ。あの位の歳じゃあ、強けりゃ何でもできると思ってんのさ。その内に痛い目を見て、それで砕けなきゃあ本当の“強さ”ってのを手に入れる。――ケイマ、お前みたいにな」

「よしてくれよ、ゲイル。さすがに俺も、あそこまでツッパってはなかったって。……まぁ、マークに関しちゃあ、何というか――間が悪かったんだろうな」

 弟のマークは、兄弟で唯一父親と同じ金髪を受け継いでいる。そしてケイマたちの父親は、ゲイルなどの先輩探求者からして、優秀と言わしめた探求者である。強く、優れた探求者であると。それらの要因が重なってか、マークは元々強さに対する欲求が強かった。

 更に間の悪いことに、三年ほど前にある探求者がホースブールに流れてきたのだ。

 その探求者は、まさに天才。強くなる才に掛けては、右に出る者がいないほど強いのだ。その探求者は竜鱗亭に宿を取り、迷宮にて荒稼ぎをしていた。力が強く、金があり、常にキラキラとした場所にいる。まだ幼いマークには、その刺激は強すぎた。

「まぁ、根は真っ直ぐな子だ。迷うことはあっても、道を違えることはないさ」

 ケイマはそう締めくくり、ケイマがのコップに冷たい水で喉を潤した。

「ガハハッ。ケイマが言うなら、そうなん、だ……ろう……。おい、ケイマ」

「あ? 何だよ」

 何故か引きつった笑顔のまま固まったゲイルを、ケイマは怪訝な目を向けた。そして気付いた。賑やかです笑い声の絶えないはずの店が、水を打ったように静かになっていることに。彼らの視線は、入り口に集中していた。

 ケイマも釣られるようにして、入り口へと視線を動かした。

 そこには、剣士風の女探求者がいた。細身の身体に鎧を纏い、銀の髪を尾の様に一つに束ねている。左手には巨大な盾を持ち、左腰には無骨な片手剣を佩いている。

「……何やら、お邪魔だったかな?」

 ケイマが迷宮で会った剣士は、ケイマに対して少し困った様に苦笑した。

「おう、さっきぶり。遠慮はいらねぇよ。この時間は店の時間だ」

「そうか。いきなり静かになったから、入ってはダメなのかと思ったよ。……連れもいるが、大丈夫かな?」

「客が増えるのは、店としちゃ大歓迎だ」

「そうか、良かった。……ほら、お前も来い」

 そう言って、剣士は入り口の影から魔法使い風の探求者を引っ張り出した。マントの奥で自己主張する膨らみが、その魔法使いが女性であることを知らしている。ただフードを目深に被っているため、容姿までは分からない。身の丈を軽く超える銀色の長杖が、その探求者の武器のようだ。何にせよ外見からは、女性であることと小柄であるということしか分からない。

 剣士は店に入って少し周囲を見渡してから、ほぼ満席であることを確認してケイマに近寄ってきた。魔法使いも、大人しく剣士に続いた。

「相席、良いかな? ――他の席は、少し驚かせてしまったみたいだからね」

 もっともな話だ。これほどの沈黙の中、恥じることなく凛としている剣士は見事だが、周りの雰囲気は頂けない。

 ケイマは何故ここまで微妙な空気になったのかは分からないが、沈黙はこの店、引いては宿らしくないと、少し不満だった。だからといって、来る者を拒むのは話が違う。だったらやることは一つ。

「おう、座れ座れ。――おら、お前らっ。美人に酒の一杯でも奢る位の器量がなきゃ、一生迷宮が恋人になっちまうぜ!」

 ケイマは粋に笑って、ノリの良さそうな同年代の集団に向かって言い放った。

「んだと、ケイマ! だったらオレらに酒を寄越しやがれ!」

「バーカ。俺に店の物を勝手に使う権利があると思ってんのか? ねぇよ、んなもん! 第一、お前に酒を奢っても、俺に得はねぇ!」

「ガハハッ。そりゃ威張って言えることじゃねぇな!」

 意図を組んだ恐れ知らずの若人たちは、笑って言い返してきた。ケイマも構わず叫び返す。古参の中では一番若者に受けの良いゲイルも、何時もの調子を取り戻して笑いだす。

 一人、また一人と笑い出し、さっきまでの不景気な沈黙を一気に吹き飛ばす。この宿の、本当の姿。

 陽気な姿に満足したケイマは、剣士に顔を向けた。

「わりぃな、騒がしい店で。いっつもはこんな感じで、バカばっかが集まってくるんだ」

 んだとこのヤロー、うるせぇよバカ、酒寄越せー、だったら金払え、ミリィちゃんをください、よっしゃぶっ飛ばす。外野の喧騒に叫び返しながら、笑ってやる。陰気など決して寄せ付けない。陽気で湿っぽいのを吹き飛ばす。

 剣士は優雅に、しかし酒場に妙に似合う笑みを浮かべた。

「いや、良い雰囲気だ。やはり、探求者はこうでなくてはな。――迷宮への気の入り方が違う」

 その笑みは奥の方に威嚇するような獰猛さを持ち、何処か遠くへと向けられていた。ゾクリとするような笑みだが、ケイマは何よりもこの店を気に入って貰えたのが嬉しかった。

 剣士は巨大な盾を近くの壁に立て掛けてから、椅子に腰掛けた。ケイマの聞き違いでなければ、盾と地面の間から、石が転げ落ちたようなズンッ、という音がした。

「はぁ……、そうね。観光に来たならゆっくりできる宿が良いけど、迷宮に行くならこういう宿が最適ね。――迷宮に行くなら」

 ため息を吐き、魔術師は席に着いてからフードを取って剣士に同意した。フードの下は、短い赤髪の童顔だ。達観したかのような三白眼が、幼い顔立ちに大人びた印象を与える。

 魔法使いは少しトゲがある物の、概ね剣士に同意見のようだ。

「おまたせー、お兄ちゃん。あっ、お客さん。いらっしゃい! 初めての人ですね。何が食べたいですか?」

 休暇のつもりだったのに、と魔法使いがため息を吐いていると、ミリィが料理を持って店の方へと戻ってきた。身形の綺麗な剣士と魔法使いを見て少し驚いたような表情になったが、すぐに笑みを浮かべて注文を取りに来た。

「あぁ、何かおすすめの物と、あと酒を頼む。ミーアはどうする?」

「ふーん。この店、メニューなんてあるのね……。それだけ食材の供給が安定してるのかしら。――そうね、量の多くない物と、果実酒を適当に見繕って頂戴。あと、あまり肉料理は好きじゃないから、それ以外でよろしくね」

「はいっ、少々お待ちください!」

 ミリィは晴れやかに笑い、店の奥へと向かっていった。ケイマはお先に失礼、と言って、料理と一緒に運ばれてきた湯気を立てるお絞りで手を拭いた。迷宮から戻ってから一度風呂には入ったが、何時も食事前には手を拭くよう癖がついている。ケイマは手を拭いてから、フォークを手にとった。

「あの子が君の妹さん? 明るくて出来の良さそうな子だな」

「だろ」

 即答、かつ断言。ケイマは自慢気に笑って見せた。

 その様子に剣士は苦笑し、溺愛してるな、と言った。それに対してケイマは、大切な家族だからな、と言った。

「メニューがある上に、お手拭きまである。この街は本当に湯と水が豊富なのね。――あぁ、ごめんなさい。お店を悪く言ったつもりはないのよ?」

 ケイマは特に何も思わなかったが、魔法使いは済ました顔で謝罪した。その揺るがない姿は様になっていて、不思議とイヤミな感じはしなかった。

 ケイマは柔らかくなるまで煮込まれた肉をフォークで切り分け、肉汁滴るそれを煮汁ごとパンで掴んで口に放り込んだ。あまり上品な食べ方ではないが、こうして食べるのが一番美味い。

 良い脂の乗った部分をじっくりと煮た肉は、様々な調味料と混ざり合って、甘味と辛味上手く調和している。口に入れた瞬間に広がる、パンの持つ穀物の香りも、存分に食を進めてくれる。

 これの何処が不合格なのか、とケイマは毎回思わされるが、食べる度に進化するミリィの料理に、まだ上にいけるのかと驚かされる。ケイマは店と宿の仕事で忙しい母親の料理は長らく口にしていないこともあり、上限が何処にあるのかは想像すらできない。

 ケイマは一言、美味い、と呟いてから、魔法使いに答えた。

「構わねぇよ。あんまし綺麗な店って訳でもねぇしな。まぁ、隙を見ては家族総出で磨いてっから、きたねぇってこともないだろ」

 その辺りも、湯と水が豊富であるこの街の迷宮の恩恵である。雪の降る時期であっても、湯を張り巡らせれば寒さは和らぎ、作物を育てることも可能だ。様々な湯の成分がうっすらと街全体に漂うためか、病気に罹る者が少ないのも特徴だ。

 ケイマはサッパリとした柑橘系のドレッシングの掛かった温野菜にフォークを突き刺し、釣り上げられたらそれらを一気に頬張った。湯に囲まれて育ち、湯によって調理された温野菜は甘みがあって、鮮やかな色合いは目にも美味い。ドレッシングは爽やかながらも、抑え目なピリッとした香辛料の刺激が舌に楽しい。清涼感は後を濁さずに抜けていき、いくらでも肉を食えそうだ。

「美味そうだな。……私もそれにするべきだったか」

「もう、食い意地を張らないの。人の物よ?」

 剣士は何やら真剣に悩んでみせ、魔法使いは少しだけ眉を動かしてあきれて見せた。何時ものやり取りなのか、剣士に堪えた様子などなかった。

「分かっているよ。――あぁ、そうだ。自己紹介をしていなかったな。私はリーンという」

「リーン……。よし、覚えた。俺はケイマだ。つっても、紹介するまでもなく、周りの連中が呼んでたから分かるか」

「紹介された訳でもないなら、自分で名乗るというのは正しい心掛けでしょう? 私はミーア。見ての通り、魔法使いよ。よろしくね、ケイマさん」

 ケイマはミーアの名前を反芻し、覚えたと呟いた。

「おう、オレはゲイルって言うんだか、ちょっと質問していいか?」

 しばらくの間黙って様子を見ていたゲイルが、自己紹介を切っ掛けに口を開いた。黙って何を考えているのかと思えば、聞きたいことがあったらしい。

「何かな? 私に答えられることなら、答えよう」

 リーンはそう応じ、ゲイルに向き直った。

「いやな、あんたらみたいな高ランクのが、何でこの店に来たのか気になってな。あぁ、別に出てけって訳じゃねぇぞ? 金を払ってこの店の流儀に従うなら、店の常連として文句はねぇからな。――ただ、わざわざ高い金払って宿を取ったんだろ? あんたらに言わせりゃ、ここは休むに向かない探求者向け宿だ。何を考えてんのか、気になっちまってな」

 ゲイルは厳つく笑ってみせながら、そう言った。その言葉を聞いて、ケイマにも疑問が浮かんだ。

 リーンは迷宮で言っていた。観光に来たのだ、と。白馬温泉の迷宮での大きな価値は成長率の上昇だが、美肌や健康にもある程度効果はある。その辺りの一般向けの効果は、僅かな違いはあれど、ホースブールの湯はどれもが持っている。

 だからこそ、休暇のために白馬温泉に宿を取っているのだと、ケイマは思っていた。実際にそうだったのだろう。この宿に――店に来るまでは。迷宮への気の入り方の違う、少しボロいが突き抜けに陽気なこの店に。

「あぁ、それか。ふむ、思ったより、早く話が済むかもしれないな……。よし、あなたの問いに答えるためにも――ケイマ」

「うぇ? ――俺?」

 リーンに突然呼ばれ、肉を頬張っていたケイマは驚いて声を上げた。

「あぁ、そうだ。君は隠し扉を見つけることはできるか? スキルでも、技術でも良い」

「できるぜ」

「では、トラップの探知と解除は?」

「できる」

「素晴らしい。宝箱ができるなら、扉の鍵の解除も?」

「あぁ、できるけどよ……。それがどうかしたのか」

 リーンはミーアにチラリと視線を向けた。ミーアはご自由にどうぞ、と言わんばかりに肩を竦める。

「なら、不躾ですまないが――これを開錠してみてくれないか」

 リーンはそう言って、ゴツい金属の塊を取り出した。拳大のそれは受け取ればずっしりと重く、不思議と金属臭い匂いはない。艶を消した真っ黒な錠は、堅牢さを物語るようだ。

「まぁ、良いけどよ」

 ケイマは受け取った錠を眺め、やがて無造作に鍵穴に取り出した針金を突き刺した。一本、二本……と針金の数を増やしていき、六秒ほどでガチャリと錠に降参の悲鳴を上げさせた。

「どうだ、ミーア?」

「……確かに凄いわね。スキルなしでこの錠を外せる人がいるとは、思いもしなかったわ」

「なぁ、あんたら、いったい何がしたいんだ?」

 リーンはミーアに問いかけ、再び様子を見ていたゲイルは訳が分からないと禿頭を撫でたた。

 リーンは一つ頷くと、ケイマに向き直って口を開いた。

「あぁ。実は私たちは、ホースブールの迷宮の最深層に行きたいんだ」

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