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 ケイマはまず視界に入った魔物の中から、一番近くにいたモノを観察した。前方に蠢く硬質な角を四本突き出し、背には鋭く逆立った棘を背負い、粘着質な一本足で飛び跳ねて移動する魔物だ。見た目からは想像できないほど素早いそれは、“逆立ち”と呼ばれている。

 ホースブールの迷宮では深層にしかいないその魔物をケイマが知ったのは、静止した紙の上の絵による物だった。それでも知識として知っていたので、目の前の魔物がどういったモノなのか、理解はしているつもりだった。しかしケイマが実際にそれを目にした時の感情は、実に不愉快なものだった。

「……キモいし、エグい」

 “逆立ち”を見た時に、生理的な嫌悪を感じない者はいない。そう断言できるほど、不気味な魔物なのだ。移動に一切の音を立てないのも、その感情を強めている。跳躍に合わせて流動する鉛色の皮膚に刻まれた、痛々しい赤い熱傷が嫌悪感を助長する。

「あら? その魔物の外皮からは、良いインナーが作れるわよ」

「そいつは是非ともお断りしてぇな……」

 後ろから飛んできたミーアの言葉に、ケイマは顔をしかめて答えた。

 ケイマは盾を前面に出し、接触のタイミングを目で計る。対する“逆立ち”の四本の角は、それぞれが独立して蠢いて、その先端を急接近したケイマに突き付ける。常に角がブルブルと震えているのは、ミーアの魔法によって受けたダメージによるものなのか、素早く飛び跳ねる魔物自体の移動法によるものなのか。四つの角の先は時折触れて、不規則な動きを見せていた。

 懐に飛び込むべきではない、と判断したケイマは、魔物の左側に身体を滑り込ませた。左腕を自身の右側に伸ばし、盾の表面で二本の角を角を滑らせる。“逆立ち”の右側の角はケイマを無視して部屋の中央へと向けられ、盾に触れた左の角はケイマを押しやろうと広がろうとする。

 この時になって、ケイマは魔物の動きに明らかな違和感を覚えた。近くにいるケイマではなく、部屋の中央――ミーアを狙うことを強いられたような動き。そこまでは予想できたが、魔物のケイマへの意識は散漫で、横に半歩ズレただけでも意識の外、というのは想定外だ。この様子では、適当にちょっかいをかけてのらりくらりと足止めをすることは不可能だろう。よく見れば狭い路地で人とすれ違う時のように、ケイマと接触しない壁際ギリギリを好んで駆ける魔物や、互いに道を譲り合わずに魔物同士で戦い始めるモノもいる。

 明らかに貧弱なケイマを無視するという、不自然過ぎる動き。それを引きつけるには、明確で、痛烈な一撃がいる。でなければケイマは、“逆立ち”にされているように、押しのけられて挽き潰されるだけの石ころ止まりだ。

 だからこそケイマは、“逆立ち”の動きを――許した。受け流し、見逃した。

 そもそもケイマは、魔物の力にまともに対抗できる筋力を持っていない。それにそこまで強烈な一撃を放てるなら、足止めなど考えずに直に戦えば良い。しかしそれはできない。ケイマの持ち味は、一発のパワーよりも持久力。故に戦い方は泥臭い。ケイマの内側に、深層の魔物を圧倒できる要素は何もないのだ。何よりも、ケイマの使える攻撃力は、外側に過剰に存在する。

 パンッ、と軽い音がケイマのすぐ右下側で鳴った。同時にケイマを押しのける力が弱まり、上へと逸れた。盾を滑った角が明後日の方向に抜け、“逆立ち”の背の棘が頬を掠める。そしてケイマの右手にあったはずの剣は、何故か表面に少し煤を付けて、斜めに地面に刺さっている。その少し先では、一本足の裏を焼かれた“逆立ち”がもがいている。あれだけ重心が高く、バランスの悪い体をしていたら転ぶのも当たり前か、とケイマは思った。

 地面に剣が刺さっているのは、ケイマの仕業だ。その表面に煤が付いているのも、“逆立ち”の一本足の裏が焼けたのも、ケイマがしたことだ。しかし“逆立ち”が転ける原因を作ったのは、ケイマではない。それどころかその人物は今迷宮に居らず、そもそも探求者ですらない。確かな出来を提供する街の道具屋、友人とのお茶会が趣味のゲイルの嫁である。

「おぉ、さすが堅さに主眼をおいただけのことはあるな。曲がってない」

 剣を引き抜いた後には、真っ二つになり焼け焦げた革袋が残っている。癇癪袋と名付けられた使い捨ての道具の内容物は、湿ると爆発する灰色の粉だ。何故湿ると爆発するかケイマには理解できないが、製造工程でも水は大敵らしい。ホースブールでは欠かせない、暑く乾いた洗濯部屋の端で作られるそれの威力は、たった今示された。

 あるいは、得られて当然の成果か。その昔は深層に潜る探求者も居たのだから、必要となる材料が簡単に手に入り、何よりも技術がきちんと継承されているのであれば、威力も継承されていて然るべきだ。そう思うと、ケイマは自然と頬が緩むのを感じた。技術が受け継がれていることが、――迷宮を持つ街としてのホースブールが、“生きて”いたという確かな証拠が、とても嬉しかったのだ。後ろからは何やら呆れた視線を向けられるのを感じたが、今のケイマの精神は頑強だ。折れることはない。

 ケイマは無数の傷を負いながらもなお折れない剣を、速やかに倒れた“逆立ち”の棘のない部分に突き立てた。予めかなりのダメージが蓄積していたのだろう。“逆立ち”はボロボロと形を崩して、ドロップアイテムを落として消えた。これなら戦える、とケイマは呟き、次の準備をしてから素早くその場から離れた。

 間髪を入れずに、ケイマが先程まで立っていた地点を中心に衝撃が走った。ゴスッ、と砂袋を殴ったような音がし、その場所は茶色の鎚によって陥没した。否、それは鎚ではなく、きつく握られた拳だ。その拳の一撃に巻き込まれたドロップアイテムが砕け、一部は使いようがないほど散ってしまう。後続の魔物が、ケイマのいる場所までやってきたのだ。

 その魔物は、通路の端を移動せず、走りやすい通路の真ん中を真っ直ぐに進んで来た。常に拳を作る五指を持つ前足に、力強く加速するための後ろ足は蹄になっている。しかし上半身は筋肉により肥大化し、走るよりも殴る方が得意なのが容易に想像できる。これで頭部が馬そのものなのだから、アンバランスさでは“逆立ち”にも負けていない。名前も“馬の頭”と、その特徴を良く捉えている。

 “馬の頭”は“逆立ち”と同様に、ケイマには目もくれず、障害物程度にしか認識していない様子だ。外傷から見て取れるダメージからは想像できない、力強い走り方をしているのも同じ。内在する暴力性はより濃く恐怖を誘うが、しかし一歩引いてみると、明らかな無理を滲ませる。

 カビ付いた鎖。そのイメージが、ケイマの脳裏を過ぎった。おそらく、魔物のおかしな挙動を産む原因。しかし外側に攻撃力を期待するケイマにとって、おかしな動きをしてくれる魔物はありがたかった。

 明らかに正常ではない挙動をする魔物が相手だからこそできる、ケイマの使える外側の攻撃力、と言うより嫌がらせ。その成果は、すぐに現れた。嫌がらせに“馬の頭”が引っかかってから、一歩目はまだ何も起きない。二歩目には歩幅が狭まり、三歩目になると“馬の頭”は勢いよくずっこけた。

 何か特別なスキルが働いた訳ではなく、単に両後ろ足にロープで編まれた網が絡まっているのだ。そうなるように仕向けたのはケイマで、絡まりやすい様に事前にロープを網状に結んでおいたのもケイマだ。“馬の頭”が暴れでも千切れない、頑丈なロープの出所は例の道具屋なのだが。

 普段であれば、中層の魔物相手に、逃走用として一瞬の隙を作るための道具だ。実際にその程度の効果しかなく、不定形の魔物であったり、鋭い棘や刃の様な構造を持つ魔物には無意味な代物だ。それ以外の有効な魔物にしても、絡まり方が甘い段階で器用に脱出されてしまうのが常だ。

 しかし今回は、条件が違う。道を譲ることを知らず、道を探すことをしない“馬の頭”は、まさしくカビ付いた鎖に行動を強制されていると言えた。“馬の頭”は、もはや操られているとしか思えない、理性の欠片もない攻撃的な活動を繰り返す。興奮した牛の鳴き声に似た、しかしトゲトゲしい叫びからは、僅かな知性も感じられない。足の網を解こうとせず、引きちぎろうともせず、少しでも前に進もうと、前足を伸ばしてもがいている。

 とどめを刺すまでの隙が作れれば、それで十分だった。ケイマの身体では、全力で走る“馬の頭”にカウンターを取るのは物理的に不可能だ。いくら迷宮で強くなった身体と言えど、スキルなしでは絶対に押し負ける。下手をすれば、剣を持った腕が折れてしまう。

 だからケイマは、“馬の頭”が網に掛かってから二歩目の時には、後ろから切りかかる体勢になっていた。網を解こうと、悪戦苦闘しているところを攻撃するつもりだったのだ。しかし“馬の頭”は立ち止まらず、もがき続けて三歩目を踏んだ。既にロープは、自力ではどうしようもないほど絡まっている。

 ケイマも、まさかここまで網が有効だと思わなかった。このまま放っておいても、良い具合にバリケードとして機能するだろう。それでも少しずつミーアに向けて進んでいるので、完全に無視するという訳にもいかないが。

「姿勢を下げて!」

 無視して新たな魔物を相手するべきか、確実に倒しておくべきか。ミーアの声が届いたのは、ケイマがそんなことで悩んだタイミングだった。

 ひとまず何か取り出そうと、ケイマは道具袋に指だけ突っ込んでいた。そんな状態でいきなり声をかけられたので、ケイマは無理な体勢で持っていた剣を横に放り投げ、地面に張り付くように伏せた。悲痛なクラムの泣き声が聞こえてきそうだが、間違っても伏せた瞬間に自分の武器に貫かれる訳にはいかないのだ。そんな風に言い訳するケイマの背中を、いつぞや感じた威圧がすり抜ける。

 ケイマの背中を通り過ぎたのは、衝撃を伴った空気の層だ。目で捉えることが困難なそれは、ケイマに掠った訳でも、直撃した訳でもない。しかし魔法による空気の層は、そこに“在る”と分かる強烈な圧迫感を持っている。

「……援護はする、か。完全にミーア主体だな、こりゃ」

 ケイマは、派手に吹き飛ぶ魔物を見て呟いた。ケイマが巻き込まれないように、という配慮からだろう。魔法は高めを飛んでいったため、即席のバリケードは今も健在だ。相変わらず網からは脱しておらず、進む速さもゆっくりのままだ。進むなら進むで前足だけを動かせばいいものを、強引に後ろ足を使おうとしているのが上手く動けない原因だろう。何も考えずに近付いたら、蹴り飛ばされそうだ。

 ケイマは投げ捨てた剣を拾い上げた、随分と魔物の数が減った通路を見た。通路の奥で、固まって暴れていた集団の大部分が吹き飛ばされた――吹き消されたことで、まばらになった魔物が列を成して向かってくる。

 視界に入る魔物の多くは、炎によるダメージが見られない。小部屋から離れていたため、最初の炎の壁と続く熱風が届かなかったのだ。代わりにそういった魔物は、肉弾戦による傷痕が目立つ。どれだけ離れていても、カビ付いた鎖の効果は有効ということなのだろう。そうなれば距離のある地点ほど魔物同士が接触しやすく、そして接触の度に道を奪い合って戦っていれば当然の結果か。

「けど、スキルなしでも十分戦える」

 もう通路が詰まるほど魔物が溢れている訳ではないので、これ以上魔物同士で殴り合うことはない。だがそれができてしまう程に、魔物は傷付いている。本の一撃か二撃打ち込むだけで、バタバタと倒れるだろう。ここまで来れば、変に足止めすることを考えずに戦った方が良いとケイマは判断した。

 真っ先に突っ込んでくるのは、足の速い“逆立ち”だ。少々面倒なことに、二匹連なっている。ただ蓄積したダメージ自体は最初に戦ったモノよりも多い様子で、読み違えない限り問題なく対処できる。

 ケイマは接触までの僅かな間に、戦いの構成を組み立てていった。全力で走る“逆立ち”は、癇癪袋を使えば転ばすことが可能だ。しかし二体の“逆立ち”の間隔は、広くも狭くもない。隙を作るために、癇癪袋を二つも開けている暇はないのだ。接触までに一つ仕掛けるのが精一杯だろう。――ケイマは思考を進めながら、癇癪袋を二つを取り出し、網は道具袋の口に引っ掛けておく。

 なので僅かに動きの速い“逆立ち”を癇癪袋で転がし、転倒しきる前に角に網の一端を掛ける。すぐに後続が来るので、もう一端を後続の“逆立ち”の角に引っ掛ける。本来であれば、すぐに背中の棘で網を切られてしまうだろうが、今のおかしな状態では上手く引っかかる、はず。更に網に掛けた後、後続の“逆立ち”とすれ違う際に、追撃で背中の棘目掛けて癇癪袋をぶつける。気を付けるべきは、誤って網を棘の近くに掛けてしまわないこと。仮に失敗しても少しの間であれば、倒れたまま通路のど真ん中でもがいている“馬の頭”が時間を稼いでくれる。――ケイマはこれからの動きを決め、防水仕様の鎧貝回収用ナイフを抜きやすい位置に調整した。

 おそらく最初の癇癪袋を裂いて中身を露出させた後、剣を回収する時間はない。回収すれば、その間に後続の“逆立ち”と接触してしまう。剣は“逆立ち”を二体とも転倒させた後、取れるようならば回収、そして“逆立ち”にとどめを刺す。回収が不可能なら、ナイフを使用して実行。ナイフでとどめが間に合わないならば、倒れた“逆立ち”の後ろまで後退。“馬の頭”と“逆立ち”をバリケードに、目的を完全に足止めに変更する。外側の攻撃力は、ミーアの魔法に期待。剣の整備は、クラムの腕に期待。――情けないな、などと思いながらも、ケイマは組み上げた思考通りに行動を開始した。

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