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 常に霞が掛かっているようにも思えるホースブールだが、時間帯によって多少の違いがある。昼の時間帯が一番が薄くなり、夕暮れと共に徐々に濃くなっていく。早朝に最も霞が強くなり、昼に向けて徐々に和らいでいくのだ。この霞の濃さでおおよその時間が分かるようになったら、生粋のホースブールの住人である。

 ケイマもまた、昼の半ばから夜に入ってしばらくの間と日の出の前後であれば、霞を見てある程度正確な時刻を知ることができる。だだ真夜中は寝ているので知る機会はないし、日中は迷宮に潜っているので変化の度合いを知ることができない。

 迷宮に潜るようになる前は十分に見る機会があったも、その頃のケイマは、イタズラをするのに忙しかった。例え感覚を掴んでいたとしても、五年間も使う機会のなかった特技を身体が覚えているとは思えないが。

「濃いな」

 窓の外を眺め、今の霞の状態をポツリと呟く。ケイマにとって、見覚えのない濃さだ。それ以前に、空もまだ薄暗い。何時もは迷宮のサイクル並に正確な起床時間に、明らかなズレが発生している。馴染んでいたはずの生活リズムが、何らかの要因で突き崩されているのだ。

「嬉しかった、のか?」

 ケイマはその理由を考え、尤もらしいことを呟いた。まるで玩具を貰った子供の様に、何かに興奮していたということだ。

 チラリと視線を壁際に寄越せば、奥の深い朱色の盾が目に入る。素材自体の色がもろに出た、本来なら飾り気のないはずの無骨な盾。しかし素材が良いからなのか、過剰な化粧を好まない、無垢な艶が見て取れる。

 この盾だけでも十分な防御力を得られるというのに、なおかつ同じ素材で作られた鎧、しかもアイテムがもうじき手に入る。そう思うと、確かに嬉しくはある。だからといって、それが生活リズムにまで影響を出していると認めるのは、中々に恥ずかしい。ケイマはそう思って、誰に見られている訳でもないのに、照れ隠しをするように頭を掻いた。

 ケイマは再び寝る気にもなれず、子供じみた興奮の言い訳をするように思考を進めた。あるいは、リーンと軽く打ち合ったことが原因かもしれない、と。ケイマは夕食後には、あまり運動をしない。普段はしないことをしたので、それでリズムが崩れたのだと、自らに言い聞かせる。

 しかしすぐにくだらない意地を張ることに飽き、思考を放棄する。リーンとの打ち合いが原因だとしても、ケイマは間違いなく興奮していた。想像以上の朱玉の堅牢さに、ケイマは紛れもなく興奮させられていた。そして、リーンと打ち合うこと自体にも。それらの感覚は、ケイマの意地だけでは決して偽れない、鮮烈な物だったのだ。

 始終押されっぱなしだったけどな、とケイマは呟いた。リーンの振るう剣はスキルが減衰する防具がどうこうと言う以前に、元からとんでもないパワーだった。直に受けても盾には傷一つ付かなかったが、代わりにこれまで知る機会のなかった浮遊感を味わうことになった。剣が横の軌道の時は吹き飛ばされただけで済んだが、押し潰す軌道を正面からまともに受けると足の関節が砕けていただろう。

 記憶を辿れば辿るほど、ケイマの意識は覚めていく。あわせるようにして、イメージの中のケイマとリーンは、より鮮明に動き出す。対人戦にも慣れている様子のリーンは、動きに全く無駄がない。少なくともケイマの技量では、隙など見つけられなかった。

 対して人を相手にするのは子供の頃のケンカ以来のケイマは、どこかぎこちない物の何とか切っ先を逸らしていく。横凪は受けようがないので、無理に踏ん張らず吹き飛ばされるに任せる。ある程度ケイマが慣れてきた時に来た振り下ろしは、緩やかな弧を描く盾の表面で滑らせて受け流す。しかし受け流したはずの重圧に、ケイマの身体は横に流れて、跳ね上がったリーンの剣に容赦なく吹き飛ばされる。

 思い返せば吹き飛ばされてばかりだ、とケイマは苦笑した。対するケイマの打ち込みは、リーンに平然と受け止めてしまうのだから笑うに笑えない状況だったはずだ。もっともその時のケイマは、何故か笑っていたのだが。きっと楽しかったのだろう、とケイマは自分なりに分析した。

 打ち合いは、始終アクティブスキルを使うことなく進行した。それでも地力にプラスされたパッシブスキルの分、ケイマは不利だっただろう。それでも、ケイマは練度の差を存分に見せ付けられた。盾を使ったことがあるというだけのケイマと、使い続けてきたリーンの差。明らかな経験の差が、圧倒的な技量の差を生み出している。

「単に力任せじゃ、駄目なんだよなぁ」

 ケイマは天井を睨み付け、口元には笑みを浮かべた。どうすれば勝てるかを模索し、空想の中で自分の動きを最適化する。防御は可能な限り行わず、より効率良く前進する方法を模索する。よりシビアな見切りを要求し、剣を盾で滑らせる。

 しかし鮮明だったはずのイメージは、ある程度ケイマが動きを変えた時点で掻き消えた。空想のリーンの動きに、明らかな隙が出来たのだ。それに伴い、イメージは砂をかぶった様に乱れて消えた。空想のケイマの剣は空を切り、力を失ったように宙に溶けていった。

「……んな簡単な訳がねぇ」

 イメージの中から戻ったケイマは、ふてくされたようにベッドに倒れ込んだ。イメージの中のリーンに隙ができたのは、ケイマが動きを変えたからだ。ケイマの見た物しか投影できない空想の中では、リーンの本来の力は出力されない。できはしない。深層に入ってすぐの魔物をオーバーキルした探求者が、動きを多少修正しただけの相手に遅れをとるはずがないのだ。

 一種の鍛錬を終えたケイマは、額に浮いた汗を拭って、ぼんやりと、今度は他のことを考えた。考えというよりは、ちょっとした疑問だ。ケイマはこれまで味わったことのない嫌な感じを、リーンとミーアに関わる場で受けている。ケイマはリーンに打ち負けたことで、またそうなるかと思っていたのだ。

 結果は、そんなことは一切なかった。むしろ気分は高揚し、貪欲に力を知ろうとするだけの余裕があった。

「なんだろぉな、ありゃ?」

 考えようとするが、思考が纏まらない。イメージだけとはいえ、本来寝ている時間に頭を使ったため、疲れが溜まったのだ。ケイマは重たくなる瞼に抗わず、しかし片目だけを開けて外を見る。そこには、ケイマの知らない夜の帳が広がっている。濃い霞は、星という夜になると普通は見えるらしい光の粒を隠し、月の光を受けて淡く輝く。光の幕は夜空を多い、その奥に何があるかを見せようとはしない。

 ふとケイマは、勇者の結界の外に何を求めるか、という言葉を思い出した。星という物を見てみるというのも、悪くないかもしれない。ケイマはそんな風に思いながら、再び眠りについた。


 ―――


 徐々に霞も消えていく、日の出から少したった頃、ケイマはホースブールの迷宮の前にいた。腰には傷だらけの剣を帯び、左腕には朱の盾を持っている。ケイマの盾は、昨夜の外に迫り出した店で見て知っていたからなのか、あるいは知らずに今気が付いたのか、横を通り過ぎる探求者の目を吸い寄せた。

 物珍しさからなのか、あるいはこの盾の価値を知っているからなのか。いかなる理由にせよ、視線が集まることには違いない。違いないのだが、その中にケイマに向けて嫉妬を剥き出しにしてくる探求者がいるのは、たまったものではない。

 周囲の目から隠すように左手を後ろに回し、ケイマは自分の体調を改めて確認した。何度もした行程だが、やけに周囲からの視線を感じるためか、確認が過剰になっているのだ。

 あれからケイマは二度寝することは出来たが、多少の疲れが身体に残っている気がしている。さすがに隈はできていないが、若干の寝不足である。

 しかしケイマは、それは問題にならないと判断している。睡眠自体はしっかりと取れているので、身体を動かしている内に気にならなくなると考えたのだ。むしろ問題になるのは、装備に盾が追加されたことか。

 盾が使いこなせるかどうか、ではなく、装備に盾が増えたことで、ケイマの身体の左側に重量が集まっているのだ。徐々に慣れてきてはいるが、重心の把握に戸惑いがある。昨日までは、思いもしなかった問題点だ。ケイマは盾を使っていた昔の自分が、どうやって重心を計っていたのか、思い出せないでいる。あるいは、重心を気にしていなかったからか。

 昨日はよく盾を使ったことがあると言えたものだな、などとケイマは自分の言動に呆れていると、リーンとミーアがやって来た。

「よお」

「あぁ、おはよう」

「おはよう」

 それぞれの言葉で挨拶を交わし、そのままの流れで迷宮の中へと入っていく。事前の確認などは、一切なかった。入り口付近に来た時点で、三人とも迷宮に潜る準備ができているからだ。何より打ち合わせは、全て初日の内に済んでいる。

「どうだ? 左腕に常に重りが付いている感じは」

 迷宮に入ってすぐの暗い通路を進む最中に、リーンはケイマにそう訊いてきた。

「何で分かった? ――少し違和感があんな。まぁ、この程度ならすぐ馴染むだろ」

 気にしていたことをズバリ言い当てられ、ケイマは少し驚きながらもそう答えた。

「いや、私も盾を使い始めた頃は、随分悩まされたよ。――左に片寄るだろ?」

「へぇ、昔は盾を使ってなかったのか。――そうそう。ずっと前に盾使ってた時、どうやって重心取ってたんだって、さっきまで考えてたとこさ」

「あぁ、分かる気がする。私の場合は装備してすぐではなく、歩いていると段々気になっていったな……。懐かしい」

「意外と、戦ってるときは気にならねぇんだよな。剣と盾でバランスが取れてんのかね?」

「私の理解できない、少しマイナーな話で盛り上がらないでくれる?」

「マイナーと言うほどでもないと思うがな。私からすれば、ミーアの研究の話に付き合わされる方が苦痛だな」

 妙な所で共感を得たケイマとリーンに、ミーアが少しつまらなさそうに言った。それにリーンは苦笑して答え、最後はイタズラっぽく付け加えた。

「そこまで難しい話でもないと思うのだけど」

「やっぱし何か調べてんのか。どんなことやってんだ?」

「あら、言ってなかったかしら? ――まぁ、良いわ。研究自体は、手広くやってるわよ。でもよくやっているのは、薬の調合かしら? 効果ばかりを求めると、味が酷くなるのよね。それでお酒を使ったり、炭酸水を使ってみたり……。根本的なところで、レシピを一から書き直すこともあるわ」

「……あぁ、あれは酷かった。ミーアの栄養剤は辛いはずだ、と思って覚悟して飲んだら、喉が焼けるほど甘くなっていたことがあってな。覚悟すべき味覚が違ったせいか、ダメージも大きかったよ。――知ってるか? 人は思い込みで味覚を勘違いすることがある。辛いと感じたはずなのに、次の瞬間強烈な甘さが来るんだ」

 よほど強烈な味だったのか、リーンはウッと口元を抑えた。思えば、昨夜にクラムが飲んだ薬も、強烈な渋味があると言っていた。その渋さたるや、無味のはずの水が甘く感じるほどだ。

「甘いのと辛いのと渋いの、か。旨味のある薬とかはねぇのか?」

「あぁ、それなら――」

「あれは駄目だ! 暴走した味覚の中で、“アレ”が一番危険だ!」

 よっぽど酷いのか、リーンは慌ててミーアの言葉を遮った。ケイマはその様子にただならぬ物を感じ、それ以上詳しく訊く勇気はなかった。

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