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「リーン。せっかく来てもらって悪りぃけどよ、今日は巨大魚の料理は出ないぜ?」
「開口一番が何故食事の話題なのか、理由を聞いて良いか?」
ケイマに気が付いて近寄ってきたリーンに挨拶代わりに小ネタを挟むと、打てば響くように切り返してきた。
切り株の虚の食材袋から迫り出した、増設された椅子とテーブルは、今日も満席近い。店の方でも急遽働き手を確保したらしく、テーブルの間を駆け回るエプロン姿が三人ほど増えている。そんなテーブルの一つを確保したケイマは、深層の素材の一つの横這いの肉を食べていた。そこにリーンとミーアが連れだってやって来たのだ。
「飯屋だからな」
「む……」
ケイマはニヤリと笑い、短く返答した。
「本業は宿屋だよ、お兄ちゃん」
「げ」
しかし後ろを通り過ぎたミリィに、スッと訂正を入れられてしまった。すると笑い声がケイマの耳をくすぐり、声の発生源を見るとミーアが口元を隠して笑っていた。
「詰めが甘かったわね?」
「あぁ、まさか後ろから来るとは思わなかったな。やられたぜ」
ケイマは降参だ、という風に両手を挙げた。
「先ほど巨大魚の料理は出さないと言ったが、何か問題でもあったのか?」
ケイマが降参したことで溜飲が下がったのか、リーンは普段道りの様子で訊いてきた。その間にミーアが陣を描いて地面を盛り上がらせ、リーンはそこに盾を立て掛けてから席に着いた。ミーアも盛り上がった地面を固定した後、空いている椅子に腰掛ける。
誰も特に何か言うこともなく、自然と相席する形に落ち着いていた。リーンに至っては、店の常連もかくやといった雰囲気を纏っている。この短期間でよく馴染んだものだ、とケイマは思った。あるいは、探求者だからか、とも。
「あぁ、後二日で迷宮の更新が始まるだろ? そん時に合わせて捌こう、って話しになったんだ」
更新中の迷宮には、誰も進入できない。またどんなに小さくとも、迷宮を抱える町の人口は意外と多いものだ。常に一定の探求者たちが迷宮に入っているため、迷宮のある町は実際の人口より少なく見えてしまう。
そんな状態だから、迷宮への進入が禁止されるだけで町には人が溢れかえる。普段は多すぎるように感じる宿も目に見える形で埋まり、飲食店はここぞとばかりに張り切り出す。誰が始めたのかは分からないが、ちょっとしたお祭り状態になるのだ。
「なるほどな。ならもう少し、更新の日用の食材にも気を付かった方が良いか?」
「いや、そこまでする必要はねぇよ。当日は混むだろうから、店の方も手軽に食える物ばっかにするだろうしな。変に手間のかかる物以外なら、正直どの階層の食材でも構わねぇんだ」
作るとしたら串焼きとかだ、とケイマは締めた。ケイマの母親に言わせれば、どんな食材も手間を加えれば一流の味が出せるとのこと。例え低層の食材であっても、常連の胃袋を満たしてきた腕の持ち主が言うのだから、説得力がある。その料理の腕は、少なくともケイマには受け継がれなかったが。
過去にケイマは、上質な食材は手間のかからない食材なのか、と訊いたことがある。するとケイマは母親に、お前に料理は向いていないと呆れられてしまった。ケイマには、未だに一流の料理と旨い料理の違いが分からないままだ。
「あぁ、そうか。となると、数の方が重要になるな。――む。それでは、なおのこと食材が必要ではないか?」
「いや、備蓄に関しちゃ問題ねぇ。俺が戻って来れないことも考えて、ゲイルとかに食材集めを頼んでただろ? その蓄えのお陰で、余裕があるみたいだぜ。まぁ、俺も深層に誘われる前から、持ち帰る食材の量は増やしてたしな」
例え食材が余ったとしても、保存食に加工すれば長持ちする。宿と店を預かるケイマの母親は、食材を無駄にするようなそつは犯さないので、食材が多すぎて困ることはない。
ミーアも食材の扱いは気になっていたのか、ケイマの言葉を受けて口を開く。
「そう。なら、今のままでいきましょう。――それはそれとして、ケイマさんの後ろにいる亡霊のような方は、クラムさんかしら? 昨日とは随分と雰囲気が違うけれど」
ミーアが最後に付け足した言葉に、ケイマは勢いよく振り返った。リーンもミーアの言葉に視線を動かし、固まってしまった。三対の視線の先からは、フラフラと覚束ない足取りで、木箱を背負った人型の何かが近付いてきていたのだ。
「……よう、クラム。迷宮はあっちだぜ? 出る場所を間違えてないか?」
ケイマはやっとの思いで声を出し、気付けばそれなりに非道いことを言っていた。言った内容は非道いが、クラムの見た目は酷い。夕方前は普段通りだったはずが、日の落ちた今は目の下に隈ができている。顔付きもどこかやつれて、落とした肩からは疲労感がにじみ出ている。
この短時間に何があったのか、何故そこまで疲れているのか。訊くべきことは幾らでも有りそうなものだが、思ったように口は動かない。真っ先に口を衝いて出てくるのは、何故ここで“出た”のかという言葉だった。
クラムが歩めば、隣接するテーブルから悲鳴が上がる。それほど酷い状態のクラムは、ケイマのいるテーブルまで来ると、断りを入れる気力もない、といった風に椅子の一つに崩れ落ちるように座り込んだ。そしてそのまま地面へと転倒し、もぞもぞと蠢いている。
「なぁ、大丈夫かよ。つぅか、この短時間の間に何があった?」
さすがにかわいそうに思ったケイマは、椅子を起こしてからクラムを引っ張り上げ、崩れないよう気を付けながら席に着かせた。リーンも黙ってクラムが背負ってきた木箱を受け取り、座り込むクラムの脇に置いてやっている。ミーアは自分の道具袋の中から、涼やかな青の液体の入った薬ビンを取り出した。
「常習しない限りは疲れに有効な薬よ。飲むか飲まないかは、あなたが決めなさい」
「……あー。こりゃー、どうもー……」
「本当に何があった」
まるで危険な契約を持ちかけるようなミーアの言葉にも、クラムは気の抜けきった答えを返すばかりだ。まるで枯れた植物の茎の様に、倒れたまま起き上がってこない。
「飯食えんのか? ――適当に消化にいい物頼むぞ?」
「よおしく……」
呂律まで怪しくなっている。ケイマは近くにいた臨時の従業員を呼び、クラムの代わりに注文しておいた。ついでにリーンとミーアも注文を行い、臨時の従業員はあたふたと厨房へ走っていった。
しばらくの間うつ伏せになっていたクラムは、フラフラしながらも身体を起こし、ミーアの差し出した薬ビンを鷲掴みにした。そのまま木の栓を抜き取り、グイッと中身を喉の奥に流し込んだ。
「舌が痺れるくらい渋いはずなのだけれど、よく飲み込めたわね」
「んなもん渡したのか!?」
「気付かない程疲れているのね。――そこまでの即効性はないから、今すぐに効果を自覚することはできないわよ?」
「あぁ、そうだった。こいつをケイマに渡さないと……」
ミーアの破壊的な発言にケイマが驚いていると、クラムは周囲とは異なる独立した空気の流れにいるかのように動き出した。ガタガタと異音を鳴らしながら木箱を開け、その中に手を突っ込む。なかなか起き上がってこないのは、箱の中に複数の物が入っているからなのか、あるいは上手く中身を掴めないほど疲労しているからなのか。
そんな様子でテーブルの下に手を伸ばしていたクラムは、やがて一本のナイフを掴んで起き上がった。それはケイマにとって、随分と見慣れた代物だった。
「そいつは……」
「おー。純迷宮外産の、防水仕様だぁー……」
「おら、寝んな」
「はっ、そんなダイナミックな加工技術がっ! ――……あれ、師匠は?」
「どの師匠かは知らねぇが、たった今帰ってったぜ? で、防水仕様がどうした?」
一時的に意識が作業スペースに飛んでいたクラムを、ケイマは椅子を蹴って呼び戻した。ミーアはダイナミックな加工技術の詳細を知りたそうにしているが、詳しく訊くと話が進まなくなりそうなので気付かない振りをする。
「あ、あぁ。まぁ、名前の通りよく水を弾くから、“朱玉鎧貝”を剥がすのに使ってくれ。塗装が剥げるから、攻撃には使わないこと。後は鞘に納めるときは、こっちの紙で水分を吸うように。――擦って拭かないようにな?」
そこでクラムは大きく欠伸をし、幾分かスッキリした動きで、再び木箱に手を突っ込んだ。一瞬意識が飛んだ後すぐに覚醒したことで、一時的に元気になっているようだ。それともミーアの薬が効いてきたのか。
「で、こっちが――」
そんなことを呑気に考えていたケイマは、次の瞬間クラムが取り出した物を見て息を呑んだ。
「朱玉……。なるほど、確かに見事な物だ」
「えぇ、とっても綺麗……」
口を開いたまま息の吐き方を忘れたかのように固まるケイマとは違い、リーンとミーアはそれぞれ感想を述べた。それを受けたクラムは、更に元気を増した様子で言う。
「朱玉鎧貝の殻で作った盾だ。――まぁ、“ただの”だけどな」
ただの、と言うことは、アイテムではないかと言うことか。しかし使われているのは純粋な強度でスキルを弾くという、“鎧貝”の中でも特に高い剛性を誇る“朱玉鎧貝”の素材だ。その戦いにおける価値は、ケイマにはとても想像しきれない。
しかしケイマにとっての価値は、戦略的な部分だけに止まらない。鮮やかな色は、過去のホースブールの記憶を刺激する。何よりも、ケイマは自身の記憶を美化することなく、ありのままの色で覚えていたことが嬉しかった。ケイマの持つ全ての記憶が真実であると、併せて証明されたかのような気分だ。
「……ははは。こりゃ、すげぇな。記憶のまんまだ」
意識の中へと戻ったケイマは、思うままに脈絡なく呟いた。しかしその混乱は、決して恥ずべきことではない。この盾を目にして、ケイマのように固まっていた者は多い。それだけこの盾は、“重い”のだ。
造形は僅かに下部の尖った卵形。外縁は無骨な金属で覆われ、内側には粘りのある木材が使われている。左腕用らしく、裏側の右には金属の持ち手が、左には腕に巻き付けて固定するベルトがついている。迫り来る敵に向けられた鎧貝の装甲は、覗き込めば何処までも続いていそうな、透き通った記憶に残る朱色だ。
「深層にまともな防具なしじゃあ、やっぱり厳しいだろ? だから、とりあえずこれだけでも渡しとこう、って話しになってね。っと、もちろん半端な出来の物を渡すつもりは欠片もないからな? 確かにこれはアイテムじゃないけど、盾としては十分以上に活躍するはずさ。――鎧の方は最初から“完全”な物を用意してみせる。それが内の鍛冶師全員の意志だ」
背筋が凍るような覚悟を覗かせ、クラムは言葉を締めた。何もそこまでしなくとも、とケイマは思わなくもないが、あの鍛冶屋一門にしか分からない感性なのだろう、と納得することにした。
「すまない。盾が見事なのは分かったが、ケイマは盾を使ったことはあるのか? それに、いざという時に武器との相性はどうなる? いきなり深層に持っていくのは、かえって危ないだろう」
クラムの言葉に区切りが付いたと見ると、リーンは断りを入れて喋った。リーンの考えはもっともだが、それは無用の心配だ。
「いや、問題ねぇ。盾は使ってた時期があるからな。それに今使ってる剣の重さなら、片手で使える」
「……あら。私はてっきり、両手剣専門だと思っていたのだけれど。何故盾を使う時期があったのか、訊いても良いかしら?」
「そんな改まって訊くような、特別な物は何もないぜ? ただ、自分でも将来どんなアイテムを使っているか分からねぇから、手当たり次第に色んな武器を使ってきたのさ。――盾は……四回か?」
「五回」
「あぁ、五回壊れるまで使ったな」
途中でクラムに修正を加えられながらも、ケイマは盾を使っていた経緯を話した。
「そんな無茶苦茶な……」
「そこまで驚くことか? まぁ、探求者が使うような、頑丈そうなのは一通り使ってきたからなぁ。ハンマーをブン回してた時期もあるし、槍も使ったことが有るぜ。最初の頃に盾を使う時は、軽い片手剣だったな」
影で七回、六回、十二回、と謎の数字を呟くクラムに、ミーアはどこか哀れむような目を向けている。
「……そうか。分かった、ひとまず納得するとしよう。しかし盾を使うのは、久し振りなのだろう? 後で少し見せてくれ」
「まぁ、この盾はまだ身体に馴染んでねぇしな。試す機会は必要か。――良いぜ。後で頼むな」
「あぁ、任せてくれ」
後ろではクラムが水がとても甘く感じると首を傾げ、ミーアは素知らぬ顔でそっぽを向いた。