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 ホースブール随一の鍛冶屋一門の、表の受付の奥の更に奥。ある程度関わりのある人しか入れない、一応は公開されている作業スペースに“ソレ”はいた。負の感情の権化たる“ソレ”の近くに立たされたケイマは、下手に動くことができない。

「言い残すことはあるか?」

 凄まじい重圧だ。重量を持った感情は、怒りの一言で片づけてしまうにはあまりにも生ぬるい。鬼と言うには幾分穏やかな表情のままでありながら、慈悲の欠片も見せないところはまさに鬼と称するべきだろう。その様子からは、普段の藁のような柔軟さは欠片も見えない。

 圧に屈しかけているケイマはうなだれ、目は逃げ場を探すように泳いでいる。しかしこのまま黙っておくのはマズいと、ケイマは何とか口を開いた。

「ク、クラム。落ち着いて聞いてくれ」

「あぁ、その通り。人間には言葉がある。互いの意志を伝えあって、共感して繋がりを得て、相互理解の輪を広げていくんだ。――だから、な? 早く納得のいく遺言を……」

「話せば分かり合える! 俺らの間に、溝はないはずだぜ?」

「ははは、溝。溝な。それは埋めなきゃ危ないな。なぁ、ケイマ。どこに埋まりたい?」

 直接目を見て話しかけている訳でもないのに、“ソレ”の声はケイマにのみ向かって突き刺さる。

 ケイマの剣を整備している“ソレ”――クラムは、怒りよりも悲しみに近い、複雑な微笑みを浮かべている。整備が必要になった理由は、ケイマが“朱玉鎧貝”を狩るために剣を湯に浸けたからだ。少なくとも後二日深層に潜るので、今回を含めて三度の整備が必要になる。ケイマの中では、毎回“鎧貝”を狩るのは決定事項なのだ。

 しかし、一度目は慌てふためき、二度目は重く悲しむ。では三度目、四度目はいったいどうなってしまうのか。ケイマには恐ろしすぎて、想像すらできない。

 ケイマがトラウマを自ら抉った後、リーンはトラップと隠し扉の探知と解除を普段通りに行えるか、ケイマに訊いてきた。ケイマはそれに対して、できると答えた。それを踏まえた上で、リーンは引き返すかと問うてきたため、ケイマは続行を望んだ。トラウマを抱えつつも一人で迷宮に通い詰め、五年近く五体満足で生き続けている。それが、全ての答えだ。

 最終的な判断はリーンに委ねられ、結局その後も探索を続行することになった。結果として、ケイマは順調に“鎧貝”を狩っていき、その度に剣は湯に浸けられたのだった。

「俺が悪かった! この通りだ、勘弁してくれ!」

 ケイマは今日鍛冶屋に来て三度目になる謝罪をし、誠意を込めて頼み込む。今のケイマを突き動かすのは、生存本能だ。

「……まぁ、反省してるなら良いか」

 どうやらケイマは許されたらしい。クラムは一度剣を整備する手を止めると、ケイマに向き直った。するとクラム以外の作業をしていた見習い達が、そろって安堵のため息を吐いた。バラバラとまとまりのないため息は、うるさくはない物の聞くだけで疲れが溜まりそうだ。

 作業スペースには見習い以外にも、彼らに技術を伝える側の師匠格の職人もいる。彼らは、感情の権化となったクラムに怯える様子はない。ただ淡々と自分の弟子に技術を伝えたり、自分の作業に没頭したりしている。もっとも公開されたスペースでの出来事なので、この一門の秘伝という訳ではないだろうが。

「ふぅ、助かった。――あぁ、そうだ。裏の受付んとこの壁に掛けといた外産のナイフ。あれ、どうしたんだ? ここに来る前に、目に付かなかったからよ」

 安堵したケイマは、生存本能を優先するあまり忘れていたことを思い出した。ケイマがオーダーメイド専用のエリアを通過した時、壁に掛けてあるはずのただの鉄のナイフが目に付かなかったのだ。それが気になり、剣の整備を頼むついでに訊いてみよう、と思っていた。

「裏って言うなよ。何か、すごく悪いことしてるみたいじゃないか。――そいつは今、強烈な錆止めを塗りたくってるとこさ」

「錆止め? しかも強烈って何だよ。定期的に油塗ってたんだろ? 改まって、そんなもん……」

「何処かの誰かは知らないけど、好んで武器を湯に浸けて遊ぶ変な奴がいてな。誰かは知らないけど?」

「あー、うん、誰だろぉな? で?」

「……はぁ。“朱玉鎧貝”を岩から剥がすのに、専用の道具もないだろ? そこら辺引っ掻き回して探しても、使い物になりそうもないから、急場凌ぎに手頃なナイフを防水しようって話しになったんだ」

 “朱玉鎧貝”は紛れもなく魔物の一種だ。しかし滅多に動かない上に、探求者に攻撃もしてこない。ただひたすら岩に張り付き、守りを固めている。そのためか、実質的には採取ポイント扱いだ。

 “朱玉鎧貝”が守ることしかしないので、探求者は武具を使う必要がなく、職人は効率化のために専用の道具を作製した。正確にはしていたのだろうが、それは深層に挑む探求者のいた昔の話だ。在庫として山を作る位なら、クラムの所属する鍛冶屋一門は溶かして古鉄に混ぜるだろう。あるいは残っていても、錆び付いて脆くなっていたか。新しく用意するにしても、今更彼らが納得する物を一夜で作り上げるのは難しいはずだ。

 経験が薄い。ケイマの脳裏に、昨日のベインの言葉がよぎった。

「あぁ、それでか」

 ケイマは納得はしたが、その声は僅かに沈んだ物だった。探求者全体のレベルの低下を、まざまざと見せ付けられたら気分になったためだ。そしてその探求者の中には、ケイマも含まれる。記憶に張り付いた、自分ならもっと上手くやれる、という弟の言葉が心に痛い。

 ケイマの僅かに痛みを訴える嫌そうな表情に何を思ったのか、クラムは何時もの調子で明るく答えた。

「あぁ、そうそう。心配しなくても、使ってるのは迷宮外産の植物油だ。切れ味は最悪になるだろうけど……。まぁ、元々壊れにくさだけを追及したナイフだしな」

 鍛冶屋の壁に飾られたナイフは、ケイマが開錠に使っている針金と同じ鉄からできた、純迷宮外産の代物だ。ケイマが鉄の粒を水底から浚い、クラムの兄が溶かして纏めて形を作り、クラムが柄と鞘を用意した。昔からよく連んでいた、イタズラ小僧どもの一番新しい合作だ。作られたのは、もう三年以上前のことになる。

「……別に、んなことを気にしてた訳じゃねぇけどな」

「ありゃ、外したか」

 ケイマは苦笑し、追及を避けるための話題探しに周囲を見回した。そこにいる鍛冶師達は、一様にケイマにとって縁のある素材の加工に勤しんでいる。リーンの即席パーティーが持ち帰った、深層の素材である。

 今は剣の整備をするクラムの前にも、赤茶色の石片の様な物が置かれている。僅かに凹凸を削られたそれは、相変わらず朱玉とは程遠い鎧貝の殻である。ケイマは本当に記憶に残る赤色になるのか、いい加減自信をなくしてきたところだ。

「なぁ、この作業場に人が少ねぇってことは、奥の方の作業場はどうなってんだ?」

 奥の作業場は、完全に関係者以外立ち入り禁止だ。いくら鍛冶師に知人の多いケイマでも、その領域に入ることは死に等しい意味を持つ。作業の出来る腕が片方残れば、まだ良い方だろう。彼ら職人の持つ固有の技術は、そうするだけの価値がある。

「あぁ、奥はヤバいよ。兄弟子を詰め込んで、秘伝の継承中。装飾組は、今のところ基礎だからね。楽なもんさ。――もう少しで、僕らも地獄を見ることになるけどな……」

 クラムは少し何処か遠くを見て、言葉を締めた。今は基礎を学んでいる装飾組も、もうすぐで奥の作業場に詰め込まれるということか。剣の整備を頼んだ時に、クラムが変になった要因の一つかもしれない、とケイマは思った。

 とは言え、深層の素材が少量とはいえ流れ込んだことで、色々なところで活気が出てきている。ケイマはそう感じた。その結果として、地獄の様な継承と鍛錬のサイクルに呑まれた哀れな職人の卵がいるようだが、ケイマには被害がないので概ね満足している。

「そいつはご苦労なことで。まぁ、期待してるぜ? きっちり良い防具作ってもらうからな」

 ケイマは多少の同情を滲ませた、しかし遠慮容赦のない要求を突きつけた。元々決まっていたこととはいえ、改めて言われるとキツかったのか、クラムはがっくりとうなだれた。

 しかしそれも少しの間で、持ち直したクラムは剣の整備を続けながら口を開いた。

「……こっちとしては、安心――いや、違うな。個人的な考えだけど、嬉しいんだ。どんな形であれ、ケイマが深層を目指してくれてさ」

「あ? それがどうかしたのか?」

 ケイマは首を傾げた。どう考えても、クラムの仕事量を増やしているとしか思えない。この状態で喜ばれる理由が、ケイマには思いつかなかった。

「ほら、子供の頃、改まって言うと恥ずかしいけど、最強を目指すとか言ってたじゃん?」

「あぁ……、あれか。また懐かしいことを。――クラムは最強の鎧を作る」

「そんで兄貴が最強の武器を作って、ケイマが最強の探求者になる。――今でこそ青臭い夢って思うけど、それでも何かな」

 嬉しいんだ。クラムはそう言って、照れくさそうに笑った。

 ケイマも釣られて笑い、一時懐かしさに浸った。しかしその声は何処か複雑で、感情の入り混じった歪さがあった。ケイマは、らしくない、と思って笑うのを止めた。

 笑うのを止め周囲を見ていると、ケイマはふと迷宮での出来事を思い出した。

「なぁ、クラム。お前さ、勇者の結界の外に行けるとしたら、何をする?」

 ある探求者の、夢の話。ケイマは雲海を見てみたいという彼女の言葉を思い浮かべつつ、自然と聞いていた。

「ん? そうだなぁ……。まぁ、良い素材が手にはいるなら、行ってみても良いけど。今は迷宮の素材で手一杯だな」

「嬉しい悲鳴って奴だな」

 叫んでやろうか、止めろ、遠慮するなよ、さっさと作業しやがれ。馬鹿なやりとりをしながら、ケイマは天井を見上げた。 ケイマにも夢があった。忘れていただけで、ケイマは探求者になりたかった。できれば最強の。それは、勇者の結界の中でもできることだ。別に勇者の結界の外に、何かを求める物ではないはずだ。

 しかしケイマが結界の外で何をしたいかと問われた時、口は自然と回っていた。絶対にそうしたい、という確定した物ではないが、ただ漠然と自分が何かをしたいのだと思えた。しかしそれが何なのか、ケイマは分からない。

 探求者は迷宮の外に何を求めるべきなのか。ケイマはクラムと会話しながら、ボンヤリとそんなことを考えていた。考え続けた。

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