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自分の中の夢を刺激されたからなのか、隠し部屋の宝箱を確保した後、リーンは饒舌になっていた。ケイマも思わぬ大物に少し興奮気味になっおり、ミーアはあまり変わらないように見えて、実は笑う回数が増えている。
リーンは食材がメインに出てくる迷宮には潜った経験が少ないようで、宝箱の中身にはかなりの衝撃を受けていた。暇さえあれば迷宮産の本を読んでいるらしいミーアも、巨大魚の存在自体は知っていたそうだが、宝箱を覗き込んだ瞬間に既存の知識が破壊される音が聞こえたと言っている。ケイマは大げさだと言ったが、他人にそれを指摘できるほど冷静だった訳ではない。
宝箱の中身は、とても大きな衝撃だった。しかしそのことが、パーティーの活動に働きかけることはなかった。プラスにも、マイナスにも変化がなかったのだ。
リーンは剣のキレも進軍速度も一切変えず、一つの階層におけるペースを乱す様子がない。まるで規律の中にあるような行動は、無茶な冒険をする訳でも、ぬるくだらける訳でもない盤石さがある。背後から追いすがる魔物を対処するミーアも、それまでと変わらぬ様子で、近付かれる前に魔物を処理していく。変に魔法の威力や飛距離に増減が見られないのが、ミーアのスキルの練度の高さを伺わせた。
その二人に影響されたからなのか、ケイマも宝箱の中身は丁度良い息抜きにとどまり、気が抜けきってしまうことはなかった。もしケイマ一人だったら、浮かれて隙を作っていたかもしれない。ケイマが開けた宝箱の中身は、それほどの大物なのだ。
だからと言うべきか、ケイマは羨ましかった。
受けた衝撃の大きさは、ケイマもリーンもミーアも、誰もが比較の必要がないほど大きな物だった。しかしそれで浮ついたのは、浮つきかけたのはケイマだけだった。リーンとミーアはこの様な感動を、例え形は違えど幾度も味わってきたのだろう。二人の決してブレない様子から、ケイマはそう思った。
その安定感は頼もしく安心できる物であり、同時に羨ましくもあるのだ。
探求者として揺るがない姿も、探求者として様々な物を見てきたという経験も。そのどちらも、ケイマには欠けていた。
だから思う、先に進みたいと。
―――
「境界の外に出ることができたら、山に登ってみたいと思っている。私の盾の模様にもなっている雲海を、上から見てみたくてね。ここじゃそこまで高い山はないし、絵や文章でしか見聞きすることができないだろう? しかし、あれほどの魚が泳ぎ回っているという海も、一度は見てみたいな」
「……食欲か? ――俺はあんまり外を意識したことはねぇな。食い物って線で考えるなら、やっぱ山か? どうも塩の湖に生き物が大量にいるとは思えねぇんだよな」
「食べ物ね。――本を読む限りでは、海にはかなり色々な生き物がいるそうだけれど。それに山の物は、その気になれば勇者の結界の中でも手にはいるし、珍しい物が食べたいなら海の方が良いのではないかしら?」
「……二人とも、そんなに私と食欲を結びつけたいのか? それに、雲海を見てみたいという気持ちに変わりはないさ。いずれ実行してみせるよ」
そう言い切ったリーンの表情は、自信に満ちていた。何の根拠も見えないが、強固な意志が見て取れる。まるで子供が夢を語っているかのように物言うリーンに、ミーアはクスクスと柔らかく笑った。それからミーアは、ケイマに問いかける。
「ケイマさんはどうかしら? あなたなら、勇者の結界の外に何を求める?」
スルリとケイマの心に入り込んだその言葉は、話の流れからすれば当然来てもおかしくない話題のはずだった。しかしミーアの言葉はケイマには妙に重く感じられ、遊びを許さぬ狭さを感じさせた。
ケイマは言葉を選ぼうとして、しかし何も思いつかない内に口を開いた。
「……なにも。外に出れるってんなら、それだけで十分じゃねぇのか? 何かするとしたら、それこそ高ぇ山に行っても良いし、本当に“海”ってのに塩が溶けてんのか確かめに行くのも悪かねぇな」
何も思いつかなかった割には、ケイマの口はよく回っていた。ケイマは言ってから自分の言葉を反芻して、自分は勇者の結界の外に行きたいのだろうか、と首を傾げた。
ケイマが自分の考えに悩んでいると、ミーアは静かに、そう、とだけ言った。その時背後から何かが追いかけてくる足音が響き、ミーアは追いすがってきた魔物に大きな火の玉を打ち込んだ。火の玉は追いすがる魔物に見事命中し、派手な音を立てて爆発した。
派手な破裂音を挟んだためか、会話に僅かな間が空いてしまう。静寂と言うには短すぎる間隔の後、ケイマは自然と聞き返していた。
「ミーアはどうなんだ? 結界の外に行けんなら、何をする?」
「何もしないわ。いえ、その時になって気になることができたなら、その時にしたいことをする、と言うべきかしら。――私は壁を取り払うこと自体に意味があると思うの」
ミーアの発言は、聞く人によっては、あるいは全ての人々に対して、かなり危険な内容を含んでいる。まるで、勇者の結界が障害でしかない、とでも言い切るような発言だ。それこそケイマが勇者の熱狂的な信者だった場合、あるいは結界にある程度依存心を持っていた場合、その後どういう対処がなされるか、果たして理解しているのか。あるいは理解した上で、言い切ったのか。
結界の中の住人は、勇者の慈悲により魔王の呪いを緩和することで、ようやくまともな生存を可能としている。それが勇者の結界ができてからの、中の住人の常識だ。その結界を壁と称し、排除を望むとも取れる発言。それは魔王の呪いを、中の住人に直に受けろと言っているのに等しい。
もし魔王の呪いを直に受けなければならいのであれば、勇者を信仰するか否かという以前に、自らの命の心配をしなくてはならない。世界の法則や常識を歪める魔王の呪いは、全ての住人に等しく恐怖を与える物なのだ。
「変わってんな」
その異常な言葉を、ケイマは自分でも驚くほど素直に受け入れていた。明らかな異常を、ただの個性と認識して答えていた。ケイマは魔王の呪いに少なからず因縁があるのだが、不思議と反感は浮かんでこなかった。
後から思えば、深層の素材を用いた鎧に大物の食材と、ケイマにとってプラスになることが起きすぎて、気が大きくなっていたのかもしれない。あるいは、同時期に起こっていた明らかにケイマに敵意を持った者の影が、ケイマの心の状態が普段とは違った物に変えていた可能性もある。何にせよこの頃のケイマは、幸運が続くことに対しても、裏からチクチクと不透明な敵意を向けられることも、明らかに経験が薄かった。
ケイマが自ら導いた結論について、何故そこに至ったのか少し考え込んでいると、再びリーンが口を開いた。
「そういえば、呪いに出くわしたことが二、三度あると言っていたな。私は呪いで目に見えた被害を受けたことがないから、その辺りのことはよく分かっていないが……。よく考えてみれば、多くないか?」
普段であれば、あまり訊かれたくない内容だったはずだ。しかしこの時のケイマは、おそらく普通ではなかった。そこにリーンの気まぐれが合わさり、気付けばケイマはもうじき五年になる“トラウマ”を口にしていた。
「あぁ、それな。ちっとばかし、昔の話をするぜ。――俺が初めて迷宮に潜った日ってのが、前の迷宮の更新当日だったんだ」
当時のケイマが、十五にも満たない子供だった頃の話だ。
「父親の代わりになるんだ、とかほざいて――言い訳して、勝手に迷宮に入ってったんだ」
その頃にはケイマ達の父親は、既に他界していた。
「本当は更新が終わった次の日に、初めて迷宮に潜る予定だったんだけどなぁ」
ミリィは自分のことは何でも自分でやりたがり、マークは当時のケイマが鬱陶しく感じるほどやたら家族と話したがっていた時期だ。
「まぁ、更新が始まったら、自然と迷宮から弾き出されるってのは、知識として知ってたからな」
店も宿も、食事に来たり泊まっている探求者が、食材を優先的に安く売ってくれたので、何とか営業が続けられていた。
「ガキなりに家族の役に立ちたかったのか――自分が一端の大人だって周りに見せつけたかったのか」
あまりにも青臭い自己主張は、最悪の形で報いを受けることになった。
「そこで魔王の呪い――更新が来ても外に弾き出されずに、閉じ込められちまったのさ」
――魔物の詰まった隠し部屋に。
ケイマの肩が、ヒクリと震えた。
何故平然と話せていたのか。“あの”光景を思い出すまで、全く思いもしなかった。足下から恐怖が這い上がり、暖かい迷宮の中にあって寒気を感じる。眼球は乾いて砂になるのではないか、と心配になるほど大きく露出し、視野は狭まって色を失う。ベチャリと泥が体中に張り付く幻聴が耳を襲い、身体の軸は崩れてバランスを失う。
「ケイマ!?」
誰かの声がした。安定感のある、凛とした声だ。誰かの声はケイマの意識を引き上げ、暗転を一瞬の出来事へと変えていた。
ケイマは握り拳を作り、腕全体で壁を殴りかかるようにして傾いた身体を支えた。意識が比較的正常に戻ったケイマは、知らず知らずの内に止まっていた呼吸を再開させる。暖かい空気が身体に取り込まれていき、徐々に活力を取り戻したケイマは壁に背を預けるようにして立ち上がった。
やや霞んだケイマの視界には、心配そうな表情の探求者が二人いた。いて当然か、とケイマは苦笑し、何か言われる前に自ら口を開いた。
「あー、格好悪りぃとこ見せちまったな。まぁ、所詮はホースブールの低層の魔物だ。その後きっちり処理して、自分の足で迷宮を出て行ったさ」
ケイマの言葉に嘘はない。更新を行う迷宮は、進入することができない。迷宮に向けて無理に進んだとしても、知らぬ間に入り口に戻されている。しかし迷宮は、出て行く分には何時でも問題はないらしい。死に物狂いで隠し扉をこじ開けたケイマは、ほうほうの体で真っ暗な迷宮の中を光を求めて彷徨った。
ケイマは喋りながら、自分の状態を確かめた。勘で復帰するまでに十秒程足りないと判断し、無理にでも言葉を繋げて時間を稼ぐ。ここで引き返すような無様だけは晒さないように、誰の為とも分からぬ意地を張る。
「知ってっか? 更新中の迷宮の中は、真っ暗で何も見えねぇんだ。魔物は光に頼って周りを見てる、って訳じゃなさそうだったけどな」
ケイマは大きく息を吸い、勢いを付けて身体を起こした。まだ少しフラついたが、歩けない程ではない。行ける、と判断したケイマは、不敵に笑って見せた。
「手間かけたな。もう大丈夫だ」
ケイマの様子が空元気に見えたのか、リーンは心配そうな表情を浮かべたままだ。
「すまない。君にとって、その、君の――」
「くだらねぇ、ただのトラウマさ」
言いにくそうに謝罪するリーンに、ケイマはどうでもない風に答えた。強がりではなく、実際に“ああ”なった後はしばらく安定するのだ。あるいは、最近では安定している時期が長くなっていたので、元々油断があったのかもしれない、とケイマは思った。
問題ないと言うケイマに対し、リーンは罪悪感を感じているのか表情を歪めたままだ。その様を見て、ケイマは少し安心した。あそこまで超人的な人間でも、悔いる瞬間はあるのだと。けれどその罪悪感は、本来は不要のはずだった。ケイマの不注意が招いた結果なのだから。
「本格的な物は色々と足りてないから無理だけど、簡易的な治療はできるわ。必要なら言って頂戴」
ミーアは既に三白眼に戻っており、何かケイマに対して魔法を使った後、周囲の警戒に移った。ケイマは身体が軽くなったことから考えて、一時的に精神由来の状態異常を緩和する魔法だろうと当たりをつけた。
「おう、そん時ゃ頼むな。――さて、と話が途中だったか」
「いや、良い。無理に話すことは……」
リーンはケイマを止めようとしたが、ケイマはそれを笑って拒否した。
「言わせてもらうぜ。このままってのは、俺も半端で気持ち悪りぃんだ。こいつは俺のワガママさ」
ケイマがそう言うと、リーンは少し悩む様子を見せてから、覚悟を決めたように頷いた。ミーアも気になるのか、チラリとケイマに視線を寄越してきた。
「なら、私からもこれだけは言わせてもらおう。――頼む。何故二度も三度もバグに立ち会ったのか、訊かせてくれ」
その子供っぽいケジメの付け方に、ケイマは自分の在り方を見て苦笑した。そして、尚更答えない訳にはいかないな、と思う。ただケイマは聞き慣れない言葉に、ばぐ? と首を傾げる。しかしすぐに魔王の呪いのことだろう、と判断した。勇者の結界のことを境界と呼んだりと、住む場所によって言い方が違うのだろうと考えたのだ。
「あぁ。――迷宮のトラップとかのパターンってのは、俺にとっては副産物さ。元々俺が知りたかったのは、呪いの出現パターンだ。魔王の呪いってのは、ありゃヤバ過ぎる。防ぎようがねぇからな。……防御の手段がねぇんなら、先に予測するしかねぇって、そう思ったんだよ。そっからは近場で呪いが出たって話しを聞く度に、出向くようになってたんだ」
ケイマは言い切った後に疲れを感じ、ため息を吐いて話を締めた。
「……呪いにパターンがあるという証拠はあるのかしら?」
「ねぇな。はっきり言って、ガキの戯言さ。まぁ、迷宮にはパターンがあったんだ。なら呪いの方にもパターンが、……仮になかったとしても、癖の一つ位はあるんじゃねぇかと睨んでる。――まだ、ただの妄想だけどな」
リーンには、叶えてみたい夢がある。ミーアも冷めてはいるが、やはりやってみたいことの一つはあるようだ。それらと等しく、ケイマも知りたいことがある。小遣いを注ぎ込み、情報をかき集めて、時に発作に襲われながらも、決して手を緩めずに続けてきたことだ。
ただケイマのそれには、リーンの夢の様な暖かさも、ミーアのように洗練された物もない。どこまでも泥臭く、そして稚拙だ。しかし、だからと言って恥じるべき物ではない。そう思ったのか、あるいは思いたかったのかはケイマにも分からない。
それでも、並び立つには相応しい。一分の疑いもなく、ケイマはそう断言できる。言い切ったケイマの表情には疲れがあるが、根拠の見えない自信があった。