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 目の前のテーブルの上には、各人がそれぞれ頼んだ料理が置かれている。しかし今はリーンでさえ皿には手を付けず、ジッとベインの手元を見つめている。皆の視線が集まった先にあるのは、赤茶色のゴツゴツした石片の様な物だ。平たく僅かに山形になったそれは、肉を取られた朱玉鎧貝の殻である。

 しばらくそれを眺めていたベインは、やがて溜め息を吐いて目頭を揉みほぐす。相当集中していたのか、自分が視線を集めていたことにも今気付いたようだ。だからと言って、動じた様子を毛ほども見せないのは、さすがに年季が違うと言ったことか。

「何だオメェら。飯が冷めちまうだろ」

「師匠が仕事してる真横で、弟子が飯を食える訳がないでしょうが」

「俺は商談相手ですから」

 即答する男二人に、ベインは呆れた様子だ。

 ベインは仕方がない、と言った様子で箸を持つと、摺り下ろした山葵を少し摘み、生の鎧貝を薄くスライスした物に乗せた。その鎧貝の身を、今度は癖の強い魚醤に触れるか触れない程度に軽く付け、口に放り込んだ。

「おら、俺は食ったぞ。オメェらもさっさと食え。そっちの嬢ちゃん達も」

「興味があるのよ、平たい鎧貝っていうのは、初めて見たから。しばらく仕事ぶりを見学していてはいけないかしら?」

「……この空気の中、私だけ食事をしろと?」

 もはやベインは何も言い返さず、ならばさっさと仕事を済ませるとばかりに少し早口となった。

「こいつは……、そうだな。大体七十二階層、プラスマイナス二階ってとこか。初の深層で、随分と急ぎ足じゃねぇか」

「分かるのか? いやはや、貴方には驚かされてばかりだ」

「ふん。まだ俺の勘は、鈍っちゃいねぇってことだな。ひとまず安心したぜ」

 さすがのベインも、五年近く触れる機会のなかった素材に、多少の不安を感じていたと言うことか。

「で、師匠。それは素材として使えますか?」

「使えねぇってことはねぇさ。迷宮の物は、品質が安定してっからな。――むしろ問題は、俺の腕の方だ。朱玉はとにかく硬てぇからな」

「鎧貝の殻はそこまで硬いのかしら? 良質な素材の割には、扱いやすいと聞いたことがあるのだけれど」

 興味が湧いたのか、ミーアはベインにそう問うた。ベインは朱玉鎧貝の殻をテーブルに置くと、小さな杯の酒を一飲みした。温められた酒を空になった杯に注ぎながら、簡潔に言った。

「クラム、機会をやる。“鎧貝”と色」

「お、おぉ。師匠がデレた! あ、いえ。――ミーアちゃんが言っているのは、多分白露タイプだと思う。スキルと物理に対する耐性のバランスが良くて、湿った感じの乳白色の素材ですね。平たい奴が居なくて、“鎧貝”の中では一番アクティブで凶暴な奴になります。一番特殊なのが平たいのしか居ない、翡翠の殻を持つタイプです。中々手には入らない素材で、高いスキル耐性と加工が楽なのが魅力ですね。ほとんど動かないし、数自体も少なくて見つけ辛い“鎧貝”です。で、この朱玉は今ある平たいのと、巻いているタイプがあります。こいつは硬いだけで、特殊な効果は持っていません。ただしとにかく硬いので、単純な硬度でスキルを弾きます。まぁ、魔法には滅法弱くて……。あぁ、後一つ。色は磨きを入れた後の印象から付いてるんで、生きた奴の実際の見た目は、かなり地味です」

「……事前に調べていやがったな。仕方ねぇ、徹夜だけは勘弁してやる」

 残念だが、といった風なベインの目元には、本の僅かに皺が濃くなっていた。非常に分かりにくいが、笑っているのだ。弟子が自主的に勉強しているのが、それほど嬉しかったのか。

 何はともあれ、クラムは勉強会を回避することはできなかったが、徹夜はしなくて済むようだ。クラムはテーブルの下で握り拳を作って、喜びを噛みしめている。

「色でそんな違いが出るのね……。良い勉強になったわ、ありがとう」

 ミーアは満足のいく答えが得れたのか、礼を言うとフォークを手に食事を再開した。かなり神経は太い方らしい。リーンそんなミーアの様子をチラリと見てから、口を開いた。

「要はすぐに作ることはできないと言うことか」

「久し振りに触る素材だからな。どんな物作るにせよ、いきなりは無理だ。――俺ら一門は、半端な物を客に売る気はねぇぜ」

 ベインはできない物はできないと、はっきりと言い切った。とてもではないが、賢い生き方とは言えないだろう。しかしその言葉には、誰にも譲れない誇りがある。確かな実力の伴う職人だからこそ、その言葉は重みを伴っている。

「そうか、残念だ。朱玉とまで称されるのなら、是非完成品を見てみたかったのだが」

「ふん。完成品はまだ先だが、磨きを入れただけの奴ならすぐに見れる。――おい、ケイマ」

 ベインはいつも以上に真剣な眼差しで、ケイマを見た。客観的には、もはや睨みつけているようにしか見えないほど鋭い眼光だ。それなりに長い付き合いがあるからこそ、ベインなりの真面目な態度なのだと分かるが、知らなければ喧嘩の始まる十秒前だ。

「はい、何ですか?」

 対するケイマは慣れたもので、平然と返してみせる。脇から見ると、澄まして挑発する若者と、不機嫌な老人の図である。

「今日を含めた四日間分の朱玉鎧貝の殻、全部買いだ」

「ちょっ、師匠! 内は道具屋じゃないんですよ!?」

 ベインの爆弾発言に、クラムが悲鳴を上げる様に叫んだ。彼らはそこまで財政が厳しい訳ではないはずだが、クラムの頭の中では、使い道のない貝殻が堆くなっているのかもしれない。

「……良いんですか?」

 ケイマも、まさかベインが朱玉鎧貝の殻全て引き取ると言うとは思わず、少しの間絶句してしまった。とっさに出てきた言葉も、それだけの素材をどう使い切るか理解できなかったのだ。

 しかし言ってから、他のことが気になった。ケイマは今日一日分の朱玉鎧貝の殻で、鎧の作製を依頼するつもりでいたのだ。そのため、明日以降に手には入る朱玉鎧貝の殻に関しては、完全にリーンとミーアの側に所有権を渡すつもりでいた。

 この場合、朱玉鎧貝の所有権をどう扱うべきなのか。ケイマにとっては、クラムが在庫の山の前で苦悩するよりも、そちらの方が気になった。

「……分かりました。師匠が変なことを言い出すのは、何時ものことですからね。ならせめて、それだけの殻で何をするつもりなのかだけ教えてください」

 既に撤回されているが、クラムは徹夜を言い渡された時以上に肩を落としてそう言った。

「おう。先に言っとくぜ。俺は深層の素材ってんなら、何でも買い取る気でここに来たんだ。――身内の恥を晒すようなことを言うけどよ、内の見習い連中に深層の素材を見たことあるって奴は、ほとんどいねぇんだ。ちったぁマシな物作る奴も、深層の素材を触ったことがねぇ。俺らみてぇな古株も、ホースブールの素材っつったら、今じゃ中層までだ。――経験が必要なのさ。最高の物を作んには、俺たちの経験は薄い。……薄っぺらになっちまったんだ」

 これにはケイマも、多少の責任を覚える。そしてそれは、探求者全体の問題でもある。

 単に深層の素材というならば、他の迷宮から取り寄せることもできなくはない。しかしそうやってできたアイテムには、ホースブールの色がない。一度技術の継承が途絶えてしまうと、どんな優れた素材でもアイテムは作れなくなってしまう。求められる素材がホースブールでしか取れないと言うならば、なおのことだ。

 ふとケイマの中に、強い欲求が生まれた。今日を含めた四日間の探求の中で、ケイマは深層の食材をできるだけ多く持ち帰ることが目標だった。ついでに多少であっても、深層の生きた情報が手には入れば良いと思っていた。しかし今は、その先が欲しくなっていた。

 誰もホースブールの深層に挑まなくなってから、早五年以上の月日が流れようとしている。そんな中、深層に挑もうとする探求者が現れた。しかしその探求者は、ホースブールの人間ではなかった。――オマケでしかなのだ、今のケイマは。

 その場限りで雇われた、ただの技術者。トラップを見つけては解除し、扉を見つけては開けるだけの脇役。

 ケイマはその時、探求者でありたいと渇望したのだ。

 それは、余計な欲かもしれない。下手を打てば、身を滅ぼすミスを誘発するかもしれない。しかしケイマの中に一度火の付いた執着は、収まる気配を一向に見せない。

「なるほど、練習用か。なら私たちが回収した素材は、そちらに優先的に売ることにしよう」

 一瞬の目眩がするような昂揚の後、ケイマはリーンの声に現実へと引き戻された。

「そいつはありがてぇが、良いのか? パーティーでどうアイテムを分けてるか知らねぇが、余所者にゃ珍しい物もあるだろう。身内に職人がいるなら、良い土産になるぜ?」

「私はリーンに賛成ね。決して驕らず、研鑽を積む姿勢には好感が持てるわ。――そもそも彼に鎧系のアイテムを作るように薦めたのは私だし、どうせなら徹底的に良い物を作って貰いましょう」

 ミーアはごちそうさま、と呟いて、口元を湯を含ませた綺麗な布で拭った。ケイマはボンヤリと、紅を塗っている訳ではなかったのか、と思った。ケイマはすぐにその思考を打ち消し、ミーアに訊いた。

「良いのかよ? 最初の約束じゃ、俺が受け取んのは食材だけだったろうが。鎧貝の殻を寄越したばかりか、んなことまで面倒を見る必要は……」

「私は鎧を作りなさいと言ったのよ? 鎧貝の殻の提供ではないわ。――それに鎧貝と革で防具を作るとして、革の素材はどうするつもりでいたの? 素材同士を繋ぐ物も必要だわ。まさか、鎧貝だけで装備を整えられると思っていたのかしら?」

「む」

「言っておくけれど、極端に素材のランクがバラバラだとアイテムは作れないわ。鎧貝を使ったただ硬いだけの防具を作るくらいなら、中層でかき集めた素材で作ったアイテムの方が優秀よ」

 実にあり得そうな話だったので、ケイマは隣で固まっているクラムの椅子を軽く蹴った。突然の衝撃に、クラムの身体がビクリと震えた。

「……ハッ。自分は何を?」

「よう、クラム。どこに意識飛ばしてたんだ? ――早速でわりぃが、鎧作んのにどんな素材がいる?」

「あぁ、感動のあまり意識が飛んでたのか。――鎧って言うと、お前が要求したタイプか? それなら朱玉鎧貝は当然として、革に紐。何か金属があれば便利だし、後は柔らかい木材とか、綿みたいな物とか……。まぁ、色々いるな。代用できる素材もあるし、第一そのタイプの鎧にしたって少しずつ目的が違うんだ。目的が違えば、形が変わる。形が違えば、必要な素材も変わってくる。本格的なオーダーメイドを作るなら、とにかく手当たり次第に色んな素材を用意した方が良いな。足りない分はどこからか調達しなきゃいけないし。必要なかった素材は後で引き取ってもらうか、今回の朱玉鎧貝の殻みたいに買い取るか……。他のオーダーメイドの余った素材とトレードするのもありだな。まぁ、無駄にはしないさ」

 帳尻合わせは鍛冶師の仕事さ、とクラムは締めくくった。

「なるほど。参ったな。こんなことなら、もう少し欲を出した条件にすりゃよかった」

「あら? 条件は今のところ、ではなかったかしら? それに私は気にならないわよ」

「締まりがねぇだろ。まぁ、話の流れからしてそれが妥当か。ハァ。――頼む。深層の素材集めを手伝ってくれ」

 ケイマは少し嫌そうな顔をした後、諦めたように溜め息を吐いた。しかし次に顔に現れたのは、覚悟の色だった。そしてケイマは、深く頭を下げてそう言った。

 ダセェな、と自分を評して頭を上げると、リーンが苦笑して返してくる。

「そこまですることでもないと思うが?」

「ふん。こいつはまだガキなんだよ。――嬢ちゃん、面倒だとは思うが、受け取ってやってくれ。照れ隠しと対して差はねぇが、一応のケジメってことさ」

「そこは言わないでください」

「言わなきゃマトモに伝わらねぇことはすんな」

 まったくだな、と思えてしまう辺りに、ケイマの長期的な計画性の無さが露呈する。ミリィによく指摘される、ケイマの欠点である。

「確かに受け取ったよ。それでは、改めて条件を確認しよう。まず探索において、制限時間を設けること。私たちが用意する報酬は、パーティーを組んでいる間に迷宮で取れる全ての食材の提供と、君の深層素材による鎧の作成に付き合うこと。私たちが君に求めるのは、あらゆるトラップの探知と解除、そして隠し扉の発見と開錠だ。これで良いかな?」

「同意するわ」

「それで良い」

 リーンが少し笑いながらも真面目にまとめ、ミーアとケイマはそれに同意した。そこでベインが、話がまとまったと判断したのか口を開いた。

「おう。深層の素材は、全部内に持ってきな。鎧に使う分以外は、まとめて買い取ってやるよ。まぁ、他に売る宛があんなら、そっちに行っても構わねぇがな。鎧の制作費と……、あとクラムが磨いた剣の整備代もだな。そいつはどうする? 買い取り代金からさっ引くか?」

「それはさすがに、俺から支払います」

「足りんのか?」

 ベインの言葉に、ケイマはとっさに答えられなかった。やがてケイマは、振り絞るような声で答える。

「……分割は何回までありで?」

「食材に付随する素材も、ケイマさんの取り分にしましょう。それなら何とかなるでしょう」

 ミーアのフォローがなければ、ケイマは妹からキツい説教を受けることになっていただろう。

「決まりだな。それでは食事を再開しようか。――一人食べ終わっているが」

「リーンより先に食べ終わる何て、随分と貴重な体験をしてしまったわ」

「何か引っかかるな」

「リーンちゃんって、結構食べる方なんだね」

 おそらく今のホースブールで一番強い剣士と魔法使いに、同じくホースブール一の鎧鍛冶の厳つい老人。その老人の空気の読めない弟子と、少し足りない探求者。変わった面子で行われた食事会は、騒がしくも平和に進行していった。

 ケイマが十全な探求者になる、本の三日前の出来事である。

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