勇敢なる侵入者
時代:聖王歴1123年
場所:ストラウゼ村
(侵入者、ですか…)
ベッドに横たわる男は、床板を踏む微かな物音と近付いて来る気配に、微睡みから薄く目を開けた。
男の名はセルディオ、この屋敷の主である。
窓の外に目をやれば、ようやく明るくなってきたところか、鳥の囀ずりが疎らに聞こえてくる。
「広域探査」
微かに唇を動かす。
水面に波紋が広がってゆくイメージを浮かべ、意識をゆっくりと広げる。
確かに何者かの気配が屋敷内に存在する。対象数は…1。
しかしその外周に施してある【術式:オートロック】が破られた形跡はない。
(まあ…。
もし破られたのであれば、その時点で叩き起こされていますがね。さて…)
「看破」
次に、広域探査で概そ把握した対象の位置に向かい、針のように細く研ぎ澄ませた無色透明な意識の線を一つ伸ばす。
それは瞬く間に寝室を抜け、廊下を走り、中央階段の中途に至ったところで対象に至る。
(では、ちょっと失礼…)
看破で伸ばした意識を対象の足元から身体を這うように、今度は上へ上へと昇らせる。
しかしそれが胸部へ至ったところで、侵入者の気配が途端に希薄になり、それ以上は探れなくなってしまった。
そのため意識を自身へ引き戻し、一考する。
探れたことは以下の3つ。
・身体的特徴から言って女性。
・右手には一部金属製の得物を所持。
・引き締まった肉体は熟練の猛者を思わせるが、発育に関しては非常に残念な結果。
(なかなかの手錬か。いや…、ふむ、なるほど、そういうことですか。でしたら…)
ここに至り、セルディオは侵入者に対して1つの結論を出していた。
しかし、それ故に再び目を閉じた。
寝室の扉がゆっくりと開けられてゆく。
侵入者は、目を瞑り一定のリズムで胸部が上下しているセルディオの姿を確認すると口の端を吊り上げる。
その間からは鋭い犬歯が見えていた。
ゆっくりと枕元にまで迫り、そこで一度静かに呼吸を整える。
両足を肩幅に開いた後、右手に持った得物を音も無くゆっくりと振り上げると呼吸を止め集中する。
すると右腕の筋肉がまるでボコッと擬音がするかの如く隆起し、不自然に一回り大きくなった。
左腕とのアンバランスさがこの上無い。
侵入者が瞳をカッと見開いたその刹那。
「っふ!」
一息に振り下ろす!
その振り下ろしはおよそ凡庸なものではなかった。
その初速からドンっと空気を振るわせる音を立て、通る軌道には残像を残し、ギチギチと金属部が軋んでいた。
とんでもない高速、という名の暴力を纏いしそれが、セルディオの額へと一直線に迫る。
狙い違わず額の位置に吸い込まれたそれは、しかし対象であるセルディオの額をすり抜け、枕を叩くに終わる。
(…残像か!)
痛打に耐え切れず枕が裂ける。
裂け目から羽毛が覗く。
抑え付けられたエネルギーを逃がすため、羽毛が宙に舞おうとその身を浮かし始める。
その間は半瞬。
羽毛が宙に舞うのに先んじて、侵入者はその直感を信じ右足を強く踏みしめ。
メキリ。床板が堪らず悲鳴を上げる。
そして降り下ろした右腕を、右足を軸に身体ごと振り回し、後背を打つべく逆袈裟の形で思い切り振り抜いた!
右腕に遅れて視線が半円を描く。
侵入者はその視線の先に、右腕に握った得物の先端が対象に触れた手応えを受けながら、対象のこめかみを打つ光景を確かに見た。
長年夢に見た待望の瞬間が、今視界の先に広がろうとしている…。
走馬灯のように、過去幾年にもわたる辛酸の日々が脳裏を駆け巡る。
自身の勝利を確信した侵入者は、無意識に頬の筋肉が動き口の端を吊り上げようとするのを感じた。
…だが。
(質感持ちの…残像じゃとっ?!)
頬の筋肉が口の端を吊り上げることは叶わず、代わりに驚愕の表情を造る為に動くこととなった。
確かにあったはずの先端の手応えは、対象の姿を銀色の粒子に変え霧散させたのみであった…。
ぽん。
羽毛がふわりふわりと舞い散る室内で、侵入者の左手側からその頭頂部に、佇むセルディオの手が優しく置かれた。
佇む姿は長身で、平均的な人間男性の身長よりも頭半分ほど高い。
肩甲骨あたりまで伸びた銀髪が、差し込み始めた朝の陽光に照らされてキラキラ光る。
その顔は、細い目にすらっと通る鼻筋、それでいてどこか中性的な雰囲気のある、精巧に造られた人形のような造形である。
しかしその細い目元には、まるで無数の者を赦してきたベテラン司教のような、とても穏やかな温かみが存在し、本来あるであろう鋭い印象を大いに和らげている。
セルディオはよく見知る侵入者に対し、細い目元をさらに細めて告げた。
「また腕を上げましたねメルフィ。
己の力量に満足せず、さらなる研鑽に勤めるとは感心、感心。」
「相変わらず子供扱いしおってからに…。
これでも中身は立派な淑女じゃ、やめんか!」
だが抗議の声はすぐに折れる。
「はぁ…、まあしかし、降参じゃ。
途中までは、今回こそは!…と思っとったんじゃがのぅ。」
メルフィと呼ばれた侵入者は、一見12、3歳の少女であった。
彼女は、一度は頭頂部に置かれたその手を払い除けようとしたものの、しかし自身の不甲斐無い結果をすぐに思い出し、それをする気にもなれず。
溜息を吐きながら両手を挙げ降参のポーズをとり、右腕に握った獲物であるおたまをカランと床に落とした。
一見は、確かに少女である。
その容姿は、髪は金色で首筋にかかるくらいで切り揃えられ、内側にややカールしている。
丸みを帯びたたまご型の顔に、瞳は大きく、それに反して鼻、口の造りは小さい。
その瞳には躍動感溢れる光を宿し、見る者に活動的な美少女といった印象を与える。
だが、彼女は普通の少女とは大きくかけ離れていた。つまり、異常であった。
鈍い光沢を放つ黒色のハーフプレートに同色の篭手、具足を装備し、腰には冒険者御用達の革ベルトを二本巻き、さらに背には身の丈とほぼ同じ長さもある金色の両手斧を背負っており、それぞれから使い込まれた感がありありと伝わる。
まあここまでなら【似つかわしくない姿】というだけだろう。
だが【異常】と言わしめる所以は、その身に纏う気配である。
熟練の域のさらにその先。世間的には達人、マスターと呼ばれるほど強大で、それでいて静けさも同時に併せ持つ。
まるで。
穏やかながらも底が見えず、何かとてつもなく恐ろしいモノが確実に住まう湖のような、そんな気配。
少女の外見にこの気配の組み合わせ。その上先程の打撃と来れば、異常でないはずがなかった。
「いやしかし、今回は危なかった。正直ちょっと焦りましたよ?」
セルディオはニコニコと笑顔を浮かべ、こんなことを口にした。
その顔を見上げ、メルフィはむくれる。
「どの口が言うんじゃどの口が!お主、まるで余裕だったではないか…。
残像に魔力で質感まで持たせた、あんな小細工しおってからにぃ…!」
「ええ、ですから。あなたを糠喜びさせる為の小細工が危うく出来ないところでした。いやぁ、危なかった!」
これを聞いたメルフィは大きく首を項垂れる。
「はぁ…。儂が言うのもなんじゃがの…。」
一息入れ。
「相っっっ………変わらず!化物染みておるの」
「ふふっ。誉めても何も出ませんよ?」
「どちらかと言えば嫌味じゃ。」
二人の間にはある約束事があった。
それは遥か遠い日々に、ある仲間に乗せられたセルディオが
”一本取れたら何でも言うことをきく”
と断言してしまったことに端を発する。
当時、他の者達も面白がってしばらくは挑戦したのだが、あまりの難易度の高さから一人、また一人と早々に諦めていった。
だがそんな中、メルフィだけは
”何年かかっても意地でも諦めない”
と高らかに宣言し、事実決して諦めることはなかった。
…それが約200年前の出来事であり、その宣言は未だに完遂されてはいないのだが…。
今やこの一連の、襲撃とその後のやり取りは、二人の間では挨拶代わりの恒例行事となっている。
遠い日々、今は既に亡き仲間達を懐かしむ、そんな意味があるのかもしれない。
メルフィはいつものようにセルディオに言う。
「しかし一向にお主との差が埋まる気がせんのじゃが…。
というか、寧ろ開いておらぬか?」
セルディオもニコニコと笑い、変わらぬ返事を返す。
「ははは、気のせいですよ。」
…だが今日に限って、セルディオには一つだけ看過出来ない事象が存在した。
「そういえばですね…。
あなたが見事討伐せしめたこの枕なんですが…。
実は、歴代随一と謳われる裁縫職人、第12代目ムートン・カゾエール作の安眠枕なんですよ?」
ギリ。
セルディオは続ける。
「その安眠具合といったらもう、まるで永眠に誘うかの如き、毎晩魔性の快眠を約束する逸品でして。」
ギリ、ギリギリ。
セルディオはさらに続ける。
「入手するのには大変な苦労をしました。
多くの伝手を頼り、1年もの順番待ちをし、採寸をした上、製作期間である半年間を心焦がれながら耐え、けして安くない代金を払って、そして先週ようやく…。
ようや~く、私の手元に届いたものなのです。」
ギリ、ギリギリギリギリ!!
「ちょ…待っ…セルディ……ああ、あっ、頭、頭っ…潰れっ…」
顔面蒼白、怯えた目付きでセルディオの顔色を伺うメルフィ。
涙目だ。
それに対し相変わらずニコニコと笑顔を浮かべたままのセルディオ。
最早それは不気味なことこの上ない。
「…し、少女……虐待……はんた…」
「はっはっは、大人の淑女になるには痛みは付きものですよ。」
軽快に親父ギャグを飛ばすセルディオ。
どうやら絶好調なようだ。
そんなあまりな惨状を、寝室の入口に立ち黙って眺めていた少年が、ここでようやく声を掛けた。
「なぁ先生、もう勘弁してやってくれよ。それ以上やるとマジでスプラッタな未来しか想像できねぇから。
それにメル姐、…もう気ぃ失ってるし。」
「おや、これは少しやりすぎましたかね?」
セルディオが頭を掴んだまま腕を上げる。
そこには…。
白目を剥き、口から何か、決して抜け出てはいけない白いモノが半分出かかっているメルフィが、四肢に力無く、ブランブランと揺れているというシュールな光景が広がっていた。




