或る男の末路
時代:聖王歴1152年
場所:エリクシール聖王都郊外
男が仰向けに倒れている。
男はハーフプレートをその身に纏い、右手には血に濡れた剣を。
左手には黒くくすんだ珠を、それぞれに掴んでいる。
男の顔は青ざめ、体には既に鼓動は無く、その顔には最早生気は感じられないように見える。
辺りには啜り泣く声だけが響いており、白いローブを着た人間の娘がその体に縋っていた。
その周りには二人の男女が居た。
鋼鉄製フルプレート、重装を着込んだ人間の男性が呆然と立ち尽くし。
もう一方、ブレストプレートのみを付けた、軽装のエルフの女性が苦悶の表情で歯を食いしばり、床に拳を叩きつけながら苦々しげに吐き捨てた。
「ちくしょう…、ちくしょう!畜生!なんで…、なんでこんな結末になっちまったんだ!」
エルフの女性は何度も叩きつける内、自らの拳が血で滲んでいることに気が付いているのだろうか?
見かねた重装の男がその腕を掴む。
「レナ…、もう止めろ。」
床を叩く女、エルフのレナは、斜め下から重装の男を睨み付ける。その顔を見た男は掴んでいた腕を放し、顔を背ける。
「…その、すまん。」
「わぁってるよザック。ちっくしょう、痛ぇ。痛ぇなぁ…」
レナは苦悶の表情で歯を食いしばる。
その目は赤く、零れ落ちる涙が床を濡らしていた。
重装の男、ザックは次に、縋り泣く娘の肩に手を掛けようとした。
「ミリア…」
ピシィィ!!
突然、辺りに硬質なものに亀裂の入るような音が響く。
パキン!!
次いで割れる音が。ザックは視線を動かしその音の出所に気が付く。
倒れていた男がその左手に掴んでいた黒くくすんだ珠、それが二つに割れていた。
そしてその珠は、断面からサラサラと黒い砂に変化してゆく。
「い、嫌…、嫌ぁぁぁぁああ!!」
縋り泣く娘、ミリアは気付き、顔を上げ狂ったように叫ぶ。
「あ、あ、あ」
ミリアは数瞬、ふらふらとその両手を中空でさ迷わせた後、倒れている男の肩口をぎゅっと掴む。必死に、繋ぎ止めるように。
だが無情にもその進行は止まらない。
まず両手両足の先が。
次いで掌、腕、足、下肢が。
少しずつ、だが確実に。黒く変色し砂となっていった。
ミリアの手から、徐々に力の支点が失われてゆく。まるで、引く潮が足元から砂を奪うかのように。
そして肩までもが黒き砂と化し、残すは首と頭部だけとなった…。
「おねっ…、お願い。お願い、だか…ら。アルを…アルを連れて行かないで!何でもするから!私、何でも…。だか…ら…」
鳴咽が混じり、最後の部分が最早言葉になっていない。
ミリアはがらんどうとなったハーフプレートに覆いかぶさると、残る首と頭部をその胸の内に抱き込む。その体が小刻みに震えている。
「やだぁ…こんなの、こんなの嫌ぁぁ…」
首が黒き砂と化した。
「やめて!やめてよ…止まってよ…止まってよぉぉぉ…」
その砂がずしゃりと崩れる。
「…ひっ!…あ、ぁ、ぁ…、…嫌…、いや、いや、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌…」
ミリアの口からは、呻くような呟きが漏れ続けていた。目の焦点は合わず、その光彩は失われつつある。錯乱と言っていい状態だった。
こんな状態が長く続けば、この娘の心は持たないであろう。それだけこの娘にとって、首だけとなった男が大事な存在なのだろうか。
(正直、嬉しく思わないでもない。だけど、それ以上に申し訳なく・・・、…。)
・・・おもう?
思う・・・とは?
誰が?どうして?
男の頭部が顎まで変色した。
「…そうよ。こんなの、あるはず、ない。アルが私だけ置いて、行くはずない。こんなの嘘。嘘に決まってる…。」
ミリアが呻くように呟く。その姿にザック、レナの二人は声さえ掛けられずにいた。というよりも、掛ける言葉が見当たらなかった。その尋常ならざる表情を眺め、立ち尽くす。
それは、音も無く現れた…。
「アルが居ない世界なんて…意味が無いよ?」
(そもそも、この情景はなんなんだ?なぜ見ている?)
白いローブの背後。その中空に小さな黒点が1つ…。
「こんなのなんか、いらない。」
(ぼんやりと、だが…確実に?いや何となく、か。ここにある、感覚。)
黒点を中心に黒い霧が生まれる…。
「こんなことなら、いっそ」
(・・・。…そうだ、何とかしたいと思った。のだと思う。)
黒い霧は凝縮され、次々に黒点へと収束する…。
「こんな世界なんか」
(誰のために?誰が・・・、俺が。彼女のために?そう、ミリアのために。ただそれだけのため。)
黒点は収束を終えると小さく収縮し…。
「・・・ゃえばよかったのに」
(だめだ。ミリア、だめだ!その感情に取り込まれるな!)
爆ぜるように一気に膨張した…!
「滅んじゃえばよかったのに!!」
(…おい、ザック、レナ!…くそっ、だめだ。二人とも今の衝撃で気を失ったのか!)
辺り一面、真っ黒な世界に包まれていた。その中で、とても嫌な感じ、冷たくて重いものが徐々に彼女を侵食していくのが解る。
このままじゃいけない!直感がそう告げる。
俺はミリアに手を伸ばす。だが、届かない。その手は空を切るばかり。
何故、何故届かない!苛立ちながら、俺は自分の手を見て愕然とした。
その手は薄白く半透明だった。もう片方の手も、体も、足も。そしてそれら全てから、白い靄のようなものが少しずつ流れ出ている。そしてここに至り、初めて悟った。
俺は死んだのだ、と。
薄々…、わかっては、いた。だが、認めたくなかった。
夢も希望もあった。憎まれ口を叩きあいながらも、信頼できる、長い付き合いの仲間も居た。
そして…。
何よりも大事にしたいと思った、先日ようやく、長く胸中にあった思いを勇気を出して告げ、両思いになったばかりの、愛する人もいた。
その俺が、俺のこれからの人生が終わってしまった。自らの意思があったとはいえ、今日、唐突に、終わりを迎えてしまった。
はっきり言えば、無念だ。無念じゃないわけがない。まだ俺は、何も為してない。
でも、これは事実だ。
この薄白くなった体は、最愛の人が危機に瀕しても、必死に足掻いても。
触れることすら出来ない。ただの傍観しか出来ない、無力な存在に成り果ててしまった事実。事実・・・。
だが、それが何だというんだ?
この世界には、ゴーストもいれば死霊だっている。彼らは時に物理的な干渉だってするじゃないか!彼らに出来て、俺が出来ない道理はない。
今、ほんのちょっとでいいんだ。彼女に、ミリアに届かせなければいけない。
手でなくても、触れられなくてもいい。形なんかどうだっていい。何かを届かせなければ…。
ミリアが、無くなってしまう!あんな得体の知れない黒いものに奪われてたまるか!
ふざけるな、俺が、命張ってまで守ったんだ。それを、それをこんなあてつけみたいな形で…。
認めない、認められない。こんな、こんな理不尽、許してたまるか!
( 許 し て た ま る か ぁ ぁ !!)
”なら、その目をよく凝らすんだ。”
叫んだ(?)直後、どこかから声がした。落ち着いた、諭すような男の声だ。
(な、ん…、誰かいるのか?!)
”今はそんなことどうだっていい。見えないか?君の、いや、君の体だった額から。”
俺は目を凝らす。何も見えな…、いや、見えた。
俺のだった額から、青白く光る、細い糸のようなものが空中に伸び、漂っていた。
(これか!これを、どうすればいい!)
”掴め。掴んで、ただ思うんだ。君にはあるはずだよ?届けるべき思いが。”
俺は迷わず、糸に手を伸ばす。二、三度空を切ったが…、掴めた!
”っ!!急ぐんだ、もう時間が無い。持たないぞ、彼女も。そして君も!”
掴めたことに安堵していた俺は、言葉の見幕にはっとしてミリアを見る。
俺のだった頭部は既に目の位置まで黒く変色し、一方ミリアは…。
無数の、染みのような黒点に全身を蝕まれ、白かったローブが、肌が、漆黒に染まりつつあった。
”急げ!ただ純粋に、思え!!”
「…ああ、寒い。けど、もういいや。このまま。アルと一緒に、消えちゃえるならそれで、いいy…」
「…」「…」「…」「…。」「………、」「………。」
ミリアははっとして顔を上げた。黒く斑に染まったその顔を。
今、何か。息吹のようなものを確かに感じた。
そして、感じたまま、視線を下に向ける。
自らの胸のうちにあった最愛の人の、僅かに残るそのかけら、アルの頭部を見た。
焦点の合っていない、光彩の消えかけたその目で見て…。
そして目を見張った。
睫毛の高さまで黒く染まったその顔が。
黒き砂と化す寸前のその顔が、笑った。
申し訳なさそうに、苦く、笑ったのだ。
そしてその口が声なく、だがはっきりと、解るように動く。
「だ」「め」「だ」「よ。」「それと、」「ごめん。」
ミリアは目を細め、優しく、いつもそうするように笑顔で返した。
「もう…、いつもそうやって誤魔化すんだから…」
最愛の人を、再び胸の内へと抱える。愛おしく、包み込むように。
そして、包まれた頭部は。
まるで役目を終えたかのように砂と化し、さらさらと流れ続けていた…。
それを契機に、黒い世界が収縮する。
最初の黒点へと、急速に収縮していく。
白は白へ。鈍色は鈍色へ。
黒く塗り潰していたもの全てを、まるで、何事も無かったかのように解放していく。
そして、その黒点は。
今まで物音一つ立てなかったその黒点は。
収縮を終えると、初めて音を一つだけ立てた。
カチリ。
と。
黒点は…。
一点のくすみも無い、漆黒の宝珠と成り。
掻き消えるようにその姿を消した…。




