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Side:サクラ-12-

「それで、そっちはどうだったわけ?」

 あたしは、レンの奴がミチルさんの元から戻ってくると――間髪入れず、すぐそう聞いた。

 彼が二度目に彼女の元へいって話し合いの場を持った、そのあとのことだった。

「おまえこそ、どうだったんだよ?」

「ふふーん。聞きたい~?」

 あたしはパスタを茹でている最中だったので、それをざるにあけた。

 そしてそれに水をぶっかけるなり――レンが呆れたように、怒鳴りはじめる。

「おまえ、一体どこまでヴァカなんだよ?普通、パスタは冷水にさらさねーだろ?まったく、何考えてるんだか……いや、これでおまえの家事能力がどの程度のものかってのは、よくわかった。佐々木さんはたぶん、サクラみたいな家事能力ゼロ女と結婚するより――婚約破棄して正解だったんだろうな。まず、間違いない」

「ヴァカって巻き舌使いで言われなきゃなんないほど、あたしはヴァカじゃありませんよーっだ!!」

 あたしはレンの奴に舌を突きだしてそう言った。

「大体クマちゃんはねえ、あたしに掃除も料理もしなくていい、俺のそばにさえいてくれればっていう、懐のおっきい男だったんだから!!クマちゃんならたぶん、パスタに冷水ぶっかけたくらいで、レンみたいに怒ったりしないもんね~。あんたみたいに心狭くすぐ怒鳴ったりもしないんだからっ!!」

「あ~、もう、うっせえな。だったらおまえ二度と料理なんかすんな。俺が作るから」

「マジすか!?やったあ~!!でもそれを理由に浮気とかされたら、なんかヤかも。だからそのうち、ミドリさんにでも料理習いにいこうかな、うん」

「グループホームの職員に、迷惑になるからやめとけよ……それより真面目な話、どうなった?佐々木さんと」

「ムキーッ!!あたしより先に、そっちの話してよ!!今までのあたしの物言いで、大体あたしのほうは見当つくでしょ!?クマちゃんがいい人すぎて、こっちはマスカラがとけるまでナイアガラの滝のように泣いて終わりっていう展開よ!!それで、レンは!?」

 あたしは鼻息あらく、パスタを齧っているレンのことを横からじっと見つめた。

「かって……なんだ、コレ。冷水浴びせたとかいう以前に、何分茹でたんだ、おまえ。最初からやり直すしかないな」

「いいじゃん、べつに!!アルデンテだと思えば!!」

「おまえなあ。アルデンテっていうのは……って、まあもうこっちには口出しすんな。それよりミースソースの缶あけた時、Tシャツにソース飛んだんじゃねえの?まったく、何やってんだか」

「あ、ほんとだ!!まあ、いいや。どうせこれ、四千円くらいだから」

「おまえのその金銭感覚、ほんと最悪だな……まあ、ミチルは、今日いったらわりと落ち着いてたよ。そのうち離婚届に判押してだすっていうことに、同意してくれた」

「ほんとに!?ねえ、レン。こんなに色々うまくいって、あたしなんか怖いよ……もしかしてあたし、ある段階から夢を見てるんじゃないでしょうね!?」

「そんなに心配なら、ペンチでおまえのケツの肉でもつねってやるよ。そうすれば、これが夢じゃないってわかるんじゃないか?」

 そう言ってレンは、鍋に水を満たすと、沸騰するまで待ち、パスタを茹ではじめる前にそこへ塩を入れていた。

「あ、あたし塩すら入れてないや。てへっ!!」

「てへっ!!はいいから、少しは部屋の中でも片付けろって……まあ、どうでもいいけどな。どうせ俺はクマちゃんみたいに、家政婦を雇う余裕もない、甲斐性なしの貧乏画家なんだから」

「ん~、部屋はねー、片付けようとは思ったのよ。レンが帰ってくる前に!!でもレンがミチルさんに出刃包丁で刺されてたらどうしようと思うと、もう落ち着かなくって……」

「ミチルはそんな女じゃないよ」

 レンは時計の針をチラと眺め、一本さいばしでパスタをすくい、それを齧っていた。

「あたしにもちょーらい!!もぐもぐ……まあ、大体いいんじゃない?」

「大体いいんじゃない、か。パスタもまともに茹でられない女に、上から目線で言われてもな。さてと、まあ話の続きは、ミートソースでも食いながらするか」

「はあ~い!!」

 あたしは幼稚園児のように頷くと、フォークを棚から取りだして、テーブルの上に置いた。

 レンはフライパンの上にバターをのせると、その上にパスタを入れて炒め、それを皿の上にのせている。そしてあたためたミートソースをパスタの上にかけた。

「見てると簡単そうなのに、なんでわたしにはレンみたいにチャチャッとできねいのかしらね?」

「できねいのかしらって、おまえ、千鶴語使ってんのか……まあ、どうでもいいけどさ。そのうち、なんとかでございまちゅ、とかいうだけはやめろよ。反射的にイラッときて、流石の俺もDV男になるかもしれないからな」

「あ~、そうね~。で、警察に捕まって、こういうのね。『千鶴語を使う妻に無性に腹が立って』とかなんとか。そういえば、ここのマンションの管理人、実は前まですごくいけ好かない人でさ~。今回のマスコミ騒ぎで、また嫌味を言われるかと思いきや、急にコロッと態度が変わってびっくりんこよ!!前までゴミの分別のこととかで色々うるさかったの。こう見えて、あたしゴミだけはちゃんと分別して捨ててんのに、そういう赤い爪をした女の中に、およそゴミをまともに分別できる奴がいた試しはないって感じで、最初から疑ってかかってんの!!ムカつかない!?」

「どうせ、おまえが朝の決められた時間までにゴミだしてないのが原因なんじゃないのか?」

「ちがうもーんっ!!」

 あたしはそう否定して、グラスにエビアンを注いだ。

「んっ、このゲッティスパ、超おいしいわ!!えっと、それでね……」

「ガキみたいに慌てて食わないで、食べるかしゃべるかのどっちかにしろよ。どのみち、時間はもう逃げてかないんだから」

「そりゃそーだけど、あたしはこの話をしたくてレンが帰ってくるのをずっと待ってたの!!あの管理人の親父、明らかにあたしを敵視してたんだけど、あたしが死にかかったって聞いたら、急にあたしのことが気の毒になったのか、部屋の前までやってくるマスコミのことも全部追っ払ってくれて……なんか急に『ありがとう、おっちゃん!!』って感じよ。そのうち騒ぎが収まったら、なんか菓子折りでも持ってこうかなって思うの。あと、レン。このマンションは所定のゴミ置き場があって、そこになら一日前の夜とかに生ゴミ置いといてもいいのよ。プラゴミとか資源ゴミなら、そこにいつでも捨てとけば、管理人のおっちゃんがゴミ屋さんが来るって時に、全部だしといてくれるの」

「まあ、確かにあの人、俺にも随分親切だったぜ?なんか、おまえの命を救った英雄みたいな感じでさ。裏口の一番目立たないドアを教えてくれたり……なんにしてもほんと、芸能人ってやつは大変なんだなと思ったよ、つくづく」

「そうよね~。ほたるってこういう苦労してるんだって、しみじみ思っちゃった」

 あたしはミートソースをずるずる食べると、ごくごくミネラルウォーターを飲み、一呼吸おいたあとで、彼にこう聞いた。

「そいで、レン。今ミチルさんが住んでるアパートってどうするの?」

「そうだな……まあ、暫くはミチルがひとりで使うことになるかなって思う。そのうち荷物を取りにいこうとは思ってるけど……やっぱり、完全に別れるってなると、切なかったな。ミチルは何も悪くないのに、今日会ったらなんか、「自分がすべて悪い」みたいな顔、彼女がしてたから。本当は、悪いのは全部俺なのに」

「そうよね。悪いの全部、あんたとあたし。そういえばクマちゃん、絵の金を返すとか、そういうことはしなくていいってあんたに言ってたわよ。金のかかるバンビーナのために貯えておけって」

「マジか。いい人すぎるな、佐々木さん……でも、やっぱりそういうわけにはいかないだろ」

「それがそういうわけにいっちゃうんだな~、クマちゃんは。かえってレンからお金返されたりしたら、むしろ嫌味な感じよ、そういうのは。だからあんたも、クマちゃんの大きな胸に甘えたほうがいいと思う」

「そうか……俺は、ミチルにほんと、ひどいことしたっていう、そればっかりだけど。俺のおふくろが占い気違いだって話、サクラにしたことあったっけ?」

「ああ、なんだっけ?あんたが芸大受ける時に、お百度参りしたとかっていう話は聞いた気がするけど」

 レンはミートソースを食べ終わると、皿の上にフォークを置いた。

 そしてティッシュで口元をぬぐってから、続きを話しはじめる。

「そのおふくろがさ、うちに時々電話してきて、ミチルに色々いってたっていうのが今日わかったんだ。で、俺は芸大を受験する時、おふくろがくれたお守りをギッタギタに引き裂いてから受験に望んだってくらい、そういう類のものがキライなんだけど……だからおふくろの言うことは基本的にまるで信じてない。それでミチルも、話半分くらいに聞いてたらしいんだけど――今日いったら、「お母さんの言ってたこと、結構当たってた」って言ってて」

「どういうこと?」

 あたしもスパゲッティを食べ終わり、フォークを皿の上にのせた。

 そしてミネラルウォーターを飲みほす。

「ミチルのみちるって名前は、メーテルリンクの「青い鳥」からとったものなんだって、前に話してくれたことがあるんだけど……主人公の兄妹のチルチルとミチルのミチルのほうな。それで、うちのおふくろってのが、姓名判断にも凝ってて、飛鳥みちるっていうのはそもそも、運を逃す名前だから改名したほうがいいって言ったっていうんだ。たとえば、役所に届けだされてる名前は変えられないにしても、普段どこかに名前を書く時には必ず「飛鳥満」って書くとかすれば、運が留まる名前に変わるってわけだ。まあ、ミチルはああいう性格だからさ、一応社交辞令的に「そうですね。そうします」とかって受け流してたみたいなんだけど……さらにおふくろが言うには、ミチルの名前は、たくさんの鳥が羽を休めにくるっていう、そういう名前なんだって。多くの人生に疲れた人が、ミチルの元に来て羽を休めて、また飛びたっていく……そういう宿命にある名前だっていうんだ。だから、誰か他人じゃなくて、自分自身が満たされるために、「飛鳥満」って改名したほうがいいっていうわけだ。でも、ミチルは別れる時に言ってたよ。「これからも改名はしないって、お母さんにそう言っておいて」って」

「本当に、強い人ね、ミチルさんって。レン、あんたも彼女に会ってからこの四年くらいの間、ずっと――ミチルさんの元で羽を休めていたってことじゃない?あたしがクマちゃんの大きな広い胸に甘えてたみたいに」

「そうだな。ミチルの話を聞いてて……つくづくほんとに俺は、どうしようもない駄目人間だってそう思ったよ」

「ふう~ん。レンでも、自分のこと駄目人間だって思ったりすることあるの?」

 あたしはわざと茶化して、彼にそう聞いた。

「そりゃあるさ。っていうか、誰にでもあるだろ?おまえだって、佐々木さんと別れ話する時、その毛の生えた心臓が、流石に少しは痛んだだろーが」

「毛が生えてるは余計よ!!」

 そう言って、あたしは爪でテーブルを叩いた。

「でも、やっぱりあたし、今でも夢を見てるみたいな気持ちでいっぱいよ。クマちゃんはともかくとしても、あんたとミチルさんは、そう簡単に別れられないと思ってたし……それでねえ、レン。あんた、あたしと今すぐじゃなくていいから、結婚式挙げてくれる気ある?」

「あ~、俺そういうの無理。絶対パス」

 げっぷをひとつして、レンは話を続けた。

「あんなケーキ入刀だのなんだの、恥かしいことは死んでもしたくない。大体、俺たちはふたりの人間を不幸にして、その上にあぐらをかくような形で幸せになろうとしてるんだぞ?普通に考えたら、もっと慎み深く静かに暮らそうっていうのが、一番自然なんじゃねえの?」

「やだ~。そんなの、絶対いや~!!」

 あたしは駄々をこねるように、両手をバタバタさせて言った。

「べつに呼ぶのは、ほんの少しの本当に親しい内々の人だけでいいの。でも絶対ウェディングドレスは着たいし、お色直しもしたいし……結婚は人生の一大イベント!!それにレン、あんたもあんな恥かしい思いまでして式を挙げたのに、もう今さら別れられないとか思ってあたしと一緒にいるためにも――したほうがいいわよ~。前もって離婚率を下げるために!!」

「……どうせおまえ、俺がいくら抵抗しても、自分がしたいようにするんだろ?じゃあ勝手にしろ。俺は結婚式当日に姿を消していなくなるから」

「そんなの、らめぇ~!!絶対結婚式するにょ~!!」

 あたしはぷう、と頬を膨らませて言った。

「あ~、千鶴語は本当にもういい……っていうか俺、暫くしたらおまえの家族に会ったりなんだりしなきゃなんないんだろうな。俺もおまえをおふくろに会わせたり……考えただけでうんざりするけど、サクラ、俺のおふくろがおまえの考えてる以上にぶっ跳んでる人でも、喧嘩だけはするなよ。あの人、気に入らない嫁を祟り殺しかねないからな。夜中に近くの神社で五寸釘ごっことか、マジでやりそうな人だし」

「ふう~ん。もしかしてさ、レンって母性とかに飢えてたりするほう?」

「なんだ、それ?おまえ一体いつから俺の分析医になった?」

「なーんかさ、思うんだ。レンってたぶん母性本能とかをくすぐるってタイプなんじゃない?お母さんからそゆのを与えてもらえなくて、大きくなってから、他の女性にそれを求めて――でもそれって、やっぱりちょっと違うわけでしょ?それで相手の女の人を無意識の内にもひどい形で傷つけちゃうみたいな……無意識って結構怖いわよね。だって、自分じゃコントロールできないんだもの。それとも、刷り込みだったかな……えっと、よくわかんない……」

 あたしが顔をしかめて何かを思いだそうとしていると、不意にレンが笑いだした。

「サクラって、面白いよな、ほんと。確かに、俺のおふくろはそういうのに欠けた人だったかもしれない。あの人が飯作ってるところなんか、一度も見たことないし、掃除も全部家政婦がやってくれるんだ。だから俺はサクラにも、そういうものははっきり言って大して求めないと思う。それより、なんだっけ?おまえが前に言ってた、佐々木さんに言ったとかいう言葉……」

「ああ、料理・掃除はしないけど、その他の点ではパーフェクトな妻ってやつ?三百六十五日、毎日家事でへとへとのすり切れ状態になってる平凡な妻より――あたしなら非日常な夢を毎日見せてあげられるとかって言ったの。まあ、実際は結婚しちゃったら、そんなことわかんないわよね~。第一、非日常な夢とかってなに?って感じ。てへっ!!」

「おまえって、たぶん結婚詐欺の素質とかありそうだよな……もしかしたら、俺も今おまえに騙されてたりすんのかな」

「何をおっしゃいますやら、水嶋蓮画伯!!あなたはわたしがこの世界で唯一本当に愛している男でございまする~!!」

「あ~あ、そろそろ食器でも洗うか。それにしても俺、ここからガロまでどうやって通うかな。これからは絵筆がどんなにのってても、終電がある時間までには帰ってこいってことか」

 レンは立ち上がると、食器を片付けはじめた。

 キッチンには、それまでにあたしが使ってたマグカップとか色々、洗いものがたまっている。

「そういうことはわたくしめがやるでごぜえますよ、大画伯!!」

 あたしはレンのことをお尻で押しのけると、至極上機嫌なまま、スポンジに洗剤をつけて食器類を洗いはじめた。

「大画伯ねえ……おまえ、もしかして俺のことバカにしてる?」

「誰もヴァカにしてなんかおりませんよ。ええ、ヴァカにしてなんか……」

 あたしがそう言ってプレートの上のミートソースの汚れを落としていると――不意にレンが首筋にキスしてきた。

「あの、ちょっと今、そういうのは……」

「ああ、そっか。おまえ単細胞だから、一度にふたつ以上のこと、出来ないんだっけ?」

 レンがそんなことを言ってきたので、あたしは思わず彼に、スポンジを投げつける振りをしてやった。それに対して、あははと笑うレン。

 ――あたしたちは夕食を食べてる間、テレビなんてつけてなかったけど、話題はそのあとも全然途切れなかった。

 もちろん今は結ばれたばかりで幸せいっぱいだっていう、そのせいかもしれない。

 でもあたしはたぶん、これからもレンとはずっと今みたいな調子でやっていけそうな気がしている。

 そして、もしいつか子供ができたとしたら――今のふたりで話してる以上に、ずっと賑やかな感じになるだろう。

 それとも、その頃にはあたしも面やつれして、育児ノイローゼってやつにでもなってるかしらね?




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