表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/33

Side:クマちゃん-3-

 最愛の婚約者である川上サクラに呼びだされた時、クマちゃんはバンビーナとの別れを予感した。

 本来なら――まずは表面的にでも「大丈夫かい?」とか、「体のほうはすっかりいいのかい?」といったようなことを、婚約者であれば先に聞いてしかるべきではあったろう。

「凛太郎さん、話があるの」と電話で言われた時、そこには別れを決意した女性特有の、どこか厳かで凛とした声の響きがあった。

 そして「うん、わかったよ。それじゃあ……」と言って電話を切った時、クマちゃんは彼女が自分と同じ種族の男――バンビーノと一緒になるつもりなのだろうと直感した。

 正直なところを言って、ここのところ連日報道されている、美人脚本家川上サクラと落ち目俳優上月数馬の話というのは、そもそもクマちゃんにとって合点のいかない点が多かった。

 このネタはクマちゃんの運営するインターネットサイトのトップで、現在検索率がナンバーワンとなっている事件だ……もちろん、ほんの二週間も過ぎれば、検索率はトップテン以下になると思われるものの、ニュースで報道されているとおり「川上サクラの恋人」が上月数馬の暴力を止めに入ったというのなら――それは当然、婚約者の自分ではないということになる。

 もちろん、この<婚約>というのは、クマちゃんとバンビーナの間でカルティエの指輪を交わしただけの、今のところ極一部の人しか知らない、公の事実とはなっていないことではある……そういう意味でこれから彼の顔に社会的に泥が塗られるとか、そういった事態はあまり心配しなくていいだろうとは、クマちゃんにもよくわかっている。

 ただ、クマちゃんはテレビの報道で見てしまった。

 マンションの裏口からリポーターに追い迫られ、「何かご存知ありませんか!?」などと言われつつ――何も答えずに黙って出ていく一住人といった男の姿を。もちろん、友達のことを心配してかけつけたのが、いつの間にか恋人として報道されたという可能性もなくはない。そしてバンビーナの話というのも、「クマちゃん、ごめんね。ほんっとーに違うから、誤解しないでっ!!」という話である可能性も、まったくないとは言い切れないだろう。

 けれども、クマちゃんももう四十二歳にもなる、離婚歴が三度もある大人の男であり、バンビーナが電話してきた時の決然とした声から察するに――自分は次に彼女と会う時、「やっぱり種族の違う人とは結婚できない」といったことを切りだされるに違いないとわかっていた。

 つきあいはじめてまだ間もない頃、バンビーナはクマちゃんに対してこう言っていたことがある。

「クマちゃんの最初に結婚した女がネズミ女で、二番目の奥さんがピル女でしょ?それで三番目のワイフがカルト女だとしたら、あたしはクマちゃんにとって何女なのかしらね?」

 クマちゃんが初めてスカッシュコートで出会った時、バンビーナはとても生命力にあふれていて、エネルギッシュかつパワフルな女性だった。

 でもそれをうまく「~女」と名づけることが出来なかったので、クマちゃんはただ彼女に対してこう言った。

「バンビーナはバンビーナだよ。俺だけの可愛いバンビーナ。それでいいじゃないか」と。

 クマちゃんは今あらためて思う……自分はそもそも彼女のどんな点に惹かれ、心から愛するようになっていったのかと。

 正直なところをいって、クマちゃんのまわりにも、エネルギッシュかつパワフルなワーキングウーマンといったタイプの女性はたくさんいる。でも彼女たちはすでに結婚しているか、あるいは結婚していない場合でも、クマちゃんは特に強く惹かれるものを感じたことがない。

 クマちゃんは先日、秘書に頼んでバンビーナ好みのエルメスのバッグを買っておいたもらった……それは社長室の片隅に置いてあり、仕事の合間に時々そちらへ目をやっては、クマちゃんは次にバンビーナと会える瞬間のことを楽しみに心に思い描いていた。

 彼女と出会ってからこの二年、クマちゃんはどんなにバンビーナの存在を支えにしてきたことだろう。クマちゃんが今現在得ているくらいの地位や成功、名声や財力といったものを得てしまうと、実はもうそれ以上に大きな仕事をするという以外、何もなすべきことがない。

 本来なら、三回結婚したうちの一度くらいの間に、子供がひとりくらい出来ていてよさそうなものなのに――その点はまだクマちゃんにとって未知の領域だったため、これから最愛のバンビーナとその新しい世界を開拓出来るとばかり思っていただけに……正直、バンビーナとの別れというのは、クマちゃんにとって換えのきかないつらい痛手となる出来事だった。

 もちろん、お金にものをいわせるなら、バンビーナほどの女性でなくても、ある程度の容姿の女性をクマちゃんは再び手に入れることが出来るだろう。けれど、今のクマちゃんは自分と同じクマ族の女性は目にも入らないといった精神状態であり、バンビーナと会えない週末がこれから永遠に続くのだと想像しただけで――その寂しさをどう紛らわしたらいいのか、まるで見当もつかなかった。

(いや、まだあの水嶋蓮という青年にバンビーナを奪われたとは限らないぞ)

 クマちゃんは社長室の壁にかかっている、画家・水嶋蓮の作品を見上げながら、そう思った。

 結局クマちゃんはこの麦の穂の揺れる夜景を見れば見るほど気に入ってしまい、社長室の壁に飾るということにしたのだ。そしてあらためて、一階のロビーに飾るための絵をミズシマ青年に制作依頼しようと思っていた。それが、一転してこんなことになってしまうだなんて……。

 無論、クマちゃんにとってミズシマ青年にバンビーナを横から突然奪われるなどという事態は、まるで想定していないことだった。ほんのついこの間、彼の働いている画廊を訪ね、お互い敵対的でないあたたかい握手を交わしたばかりだというのに、バンビーノの気が急遽変わってクマからバンビーナを寝とったなどとも思えない。

(なんにしてもとりあえず、会って事情を聞くしかない、か)

 クマちゃんは、バンビーナの命を助けたのがもしミズシマ青年でないなら、今報道で言われている「恋人」というのは一体どこの誰なのだろうと想像する……そもそも、一部の記事が盛んに書き立てているとおり、脚本家の川上サクラは女優の二階堂ほたるから上月数馬を寝とった過去があり、それ以来ふたりの間にあった女の友情は終わりを迎えたとかなんとか、クマちゃんは何が本当で真実なのかを一刻も早く知りたいと思った。

 それで午前十一時からあったミーティング――ニューヨークやロンドン、中国などのソフト開発に関わる社員たちと、パソコンで同時中継しながらの会議を終えると、クマちゃんはバンビーナが来てほしいと言っていた喫茶店まで、出かけてゆくことにしたのだった。

 エルメスのバッグは、とりあえず一旦、持っていかないことにした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ