序章
一言昭和といっても随分と幅がある。昭和の初期から太平洋戦争、戦後から高度経済成長。そしてバブルに向かって・・・・令和に生きる若者にとっては、すでにその出来事は歴史の中に含まれていると思われる。昭和の人間が明治維新や大正ロマンに物語を求めたように、昭和という時代は既にファンタジーと言ってもよい。
そんな昭和ファンタジーの物語——————
霧篠市鬼城町。都心から電車で40分ぐらい。大きな公園があり、かつて有名な文豪が幾人か住んでいた文化の町。駅前には珍しい店や、若者文化を象徴する建物がいくつか建っている。しかも決して美しさや清潔さを伴っていないのが、昭和の今時の若者に随分と受けるのであろう。幻〇大戦や後に女〇転生の舞台ともなる魅力的な街。この雑多な駅北口の商店街の中、二階部分に看板をかかげた探偵事務所がある。『蓑田探偵事務所』一世を風靡した探〇物語の影響か、創作の中でも現実でもあちこち探偵事務所が乱立した。だが実際の依頼の多くが浮気調査、素行調査、家系調査。
これから後、どんどん情報が集約され、管理されていき、そのような調査は必要なくなると思われる。しかし現時点では自分と関わる相手がどこの誰かがわからないということが多く、そんな曖昧さが社会の寛容性と余裕という名の隙間を産んでいた。
「ねえ、瞬くん?」
女性が一人、事務所のドアを開け、足を柱に乗せて暇そうにたっている。昼間はずいぶん暇を持て余しているのか・・・夜遅くまでお仕事に励んだ後、昼過ぎにお腹が空いて起きた、スナックのホステス、《あけみ》。源氏名はひらがなで書くのが常。しかしどこもかしこも《あけみ》がいる。この探偵事務所の所長(と言っても、メンバーはもう一人いるだけだが)が、喫茶店のモーニングを食べるときに、置いてある雑誌を読んでいるス〇リッツにも、いつもランジェリー姿の《あけみ》の姿があった。肩に髪がつくぐらいのミディアムヘア。トップにボリュームを持たせ、毛先を外側に流したレイヤーカット。赤と青を中心としたカラフルなブルゾン。ゆったりしたサイズ感ティーシャツにカットオフタイプのボトムス。
「今日はまだタケちゃん来てないんだ?」
「まだですよ、あいつはいつ来るか分かりませんから」
机の上で文庫本を読みながら蓑田瞬は答える。本の題名は『篝火』海外のものを翻訳したもので、 一時期大ブームになった。ただあまりに内容が難解で『最後まで読めるのが百人に一人、理解をできるのが千人に一人、実践できるのが万人に一人』と呼ばれるぐらいであった。内容は哲学の本で、筆者主観の対話形式。若い青年が哲学者の弟子になり旅をするという内容である。
「あの・・・・」
あけみの奥に一人の女性が立っている。言葉は優しいが明らかに不満と不信の態度。もちろん目の前の入り口を足でふさいでいる水商売の女に対してはもちろん、そんな輩が昼間からうろついているこの事務所に対しても、その不信は向けられていたらであろう。
「何?お客さん?」
あけみは気だるそうに言う。
「あなた、この探偵事務所の人?」
「違うけど」
「じゃあのけてくださいますか?」
35歳ぐらいのその女性は、ショートボブでネイビーのテーラードジャケット。ジャケットの下には光沢感の素材のブラウス。細い金ネックレスに、細い縁の眼鏡を手に持っていた。
「瞬くん~~~~お客さん」
あけみは入り口の邪魔をしていた足をのけ、体をずらす。それでも少し入るの邪魔している感じてあるが、女性は気にせず奥へと進む。横切るときに一瞥するが、あけみは何事もなかったように後ろのポケットからマ〇ルドセ〇ンを取り出し、ピンクの百円ライターで火をつけた。
「どうも」
瞬は立ち上がり、椅子にお掛け下さいという感じて、安そうな椅子に手を伸ばした。女は何も言わずそれに座る。正面に瞬を見据えてから。
「あら、ずいぶんと若いのね」
「蓑田瞬と申します」
名刺を出す。
「どうも」
女性は受け取る。その表情から若い男は嫌いじゃないらしい。一応格好も悪くない。グレーのシングルのスーツ、白系ワイシャツに落ち着いた柄のネクタイ。ストレートチップの黒い革靴と、清潔感のある前髪を軽く流したナチュラルショートの髪。脇にはダークブラウンで箱形のフ〇ラガモのバック。
「今日はどんなご依頼でしょう」
バインダーを出してメモを取ろうとする。
「あの人ずっといるんですか?」
入り口を開けたまま、タバコをふかしているあけみを横目で見る。こちらの話を聞かれるというよりは、存在自体を煙たがっている。時代が進むと、こんなオープンな状態で依頼の話をするということは考えられなくなるのではないか。
「気にしないでください。それより依頼はどういった内容でしょう」
「実はうちの犬がもう3日も帰ってこないの」
また犬探しの依頼だ。フ〇ンダースの犬が大ブームになってから、各家庭で犬を飼う家から急激に増えた。そのせいか今月に入ってすでに犬探しの依頼が三件目。
「その犬の写真はありますか?」
「これよ、モモちゃんっていうの」
山口〇恵のモモちゃんね・・・・
瞬はこの時点になっても、依頼者の名前は聞かない。まずは依頼の内容を確認し、料金も含め受けることが確定してから、細かい情報を確認する。
「これですか・・・」
瞬が写真見ると、そこには頭にリボンを付けたマルチーズが写っていた。背景の自宅も随分いい家で、お金を持っていることは間違いなさそうであった。だいたい最近は土地の値段が下がることが絶対にないといわれている。ここ10年の地価は高騰するばかり。鬼城町に畑などあった人は、かなり儲けていると聞いている。果たして、そんなに永遠に土地の値段が上がり続けるものなのか・・・・
気が付くとあけみも事務所に入り込んでいて、テーブルにある灰皿でタバコを消しながらその写真を見ている。
「可愛いじゃん、あたしも犬飼いたいな」
依頼人は自分の犬が褒められた気分の良さと、『あんたには無理でしょう』という鼻につく口角の上がり具合が、瞬の目の前で行きかう。瞬は振り向き地図を取り出す。
「モモちゃんがどこらあたりにいる可能性があるのか、あなたがどうこのあたりまで探されたのか教えてもらえますか?」
「それはですね・・・」
彼女が指し示した範囲は比較的広かった。ただそれは捜索したというよりも歩いて見て回ったというレベルであろう。
「随分と交通安全が言われる時代になりましたから、車にひかれたとは考えにくいですね。そうなると、稲白公園の辺りでうろうろしているか、誰かが預かっているか・・・特に値段が高そうな犬なので」
「お願いします、見つけてください!」
女性は急に演技がかったモードに入った。さっきまでの人を見下した態度から悲劇のヒロインに早代わり。
「見つかるかどうかは運次第です。今年に入ってすでに八匹の犬を探し出していますが・・・」
「それは何件依頼がある中でですか?」
「八件です」
女性の顔が明るくなった。
「しかし、必ずということはお約束できません。もちろん見つからなかった時でも探したことに対しての報酬はいただきます。 1日1万円」
「いちま・・・」
お金持ちの女性でも少し戸惑ったみたいだ。
「二人で探します。そう考えると出血大サービスですよ?」
「いつまで探すんですか?」
「見つかるまでか、あなたが金銭面でやめてほしいというまで」
「それは・・・・」
「当然見つかった場合の成功報酬も頂きます。 3万円です」
「・・・・・」
表情からわかる。それなら新しいの買った方が安いと・・・最近は本当に増えてきた。まるでその動物に・・・いや動物だけではなく、モノや人に対しても愛着があるふりをして実は全くない人間が。どんどん物事の価値観がお金という単位に代わって行く。そしてそれを国が、企業が、マスコミが煽っていく。今は芸術やカルチャーがそれを何とか押しとどめようとしている。金になびく、金のために動く人間が軽蔑されている。物語の中でも常に悪人だ。だがそれもいつかは終わるかもしれない。アートも文化もカルチャーも金・金・金・金・金・金・金・金・金・金になっていくかもしれない。企業はもともと金もうけを前提にしているが、文化やアートがそうなるとタチが悪い。表面上では作品中でそうでないフリをしながら、実質的にはお金とお金持ちを崇める。そして自分もそこのグループに入るためにまた作品でウソをつく。
「どうしますか・・・・?」
「・・・・・・」
女性は悩んでいる。あけみはニヤニヤしている。瞬は女性をじっと見つめる。彼女の中で何が動いてるのか見定めようとする。一瞬の動きも見逃さない。
「夫に・・・相談しないといけませんが・・・探してもらっても2日くらいかと・・・」
金と天秤にかけた。そうだ。それでいい。所詮あんたにとってのモモちゃんはそこだ。だがその天秤をあんたは人生にどこまで持ち込む?家族は?夫は?子供は?親は?『割に合う夫』『元が取れる子供』『手間だけかかる親』・・・・あんたを見てるとこの世界の先が見えてくる—————瞬はそう思うと、無性に《篝火》が読みたくなる。そこには書いてある。世界は三つで構成されている。『器』『傾き』『法則』・・・この誰も止めることのできない『法則』があるなら、どこまで『傾き』、どれだけ『器』を壊していくのか・・・・
「これに記入してください」
メモをしていたのとは違うバインダーを渡す。そこには依頼人が記入する紙があった。
住所、氏名、年齢、職業。
名前は高橋 慶子—————
女性がそれを書き込んでいる間、瞬は契約書の内容を書き記す。
「この内容で旦那さんと話をして納得できるようであれば、後日またおいで下さったとき依頼をお受けします。もちろんお電話を下されば、その時点ですぐに依頼を受諾したとして、モモちゃんをお探しいたします」
彼女は小さくうなずく。ここに入ったときの威勢のよい態度が消えた。理由は簡単だ。単純にお金ということではない。その背後に自分の夫がいる。怖いのだ。最近は女性が強くなったとテレビでは言われている。たが現実的には女性が独自の収入を持たない限りはそんなことはありえないだろう。
「すいません、私もそろそろ帰らないといけないので」
「わかりました、ではご連絡お待ちしています」
瞬は立ち上がり入口に向かう。慶子も向かう、その時一人の男性がおもむろに事務所の中に入ってきた。突然右手を上げ、高らかと宣誓する。
「〇ちゃ!」
一同静まり返る。すでに20歳を超えていると思われるいい大人が、Dr.ス〇ンプの主人公決め台詞を叫ぶのである。青い救急車に連れて行かれるべきである。
「〇ちゃ!」
無視されたと思ったのか、もう一度大声で叫ぶ。肩幅が広いベージュのジャケット。黒いTシャツにストレートデニム(ハイウェスト気味)、茶色のローファー。ミディアムレングスの髪とS〇IKOの金属バンドの腕時計。
「タケちゃん来たんだね」
「〇ちゃ!!!」
あけみが普通の会話に持ち込もうとしたが、三度目の叫び。
「・・・・・・〇ちゃ」
あけみが小さく手を上げ、仕方なく答える。男は今度、慶子の方を向く。びくっとなる慶子。その直後——————
「うるさいタケ!!」
瞬が一喝入れる。男はキ゚っ瞬を見るが、瞬は怯まない。
「あの・・・・」
「大丈夫です、噛みませんから」
「え・・・・」
「この突然現れてわけがわからないことを言っている男が、先ほどお話しましたもう一人の、私と一緒に犬を捜索する人間です」
「わん!」
「うるさいたまれ!」
「・・・・・・」
慶子は急激に不安な表情になった。
「不安に思われると思いますが、こいつは役に立ちます。探していた犬を八匹中八匹見つけた男です」
「え・・・・」
「はじめまして」
先ほどまでわけがわからないことを連呼していた男が、急にまじめな顔になった。
「わたくし、佐竹武夫と申します。以後お見知りおきを」




