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偽物にも住所はある

「人間って、どうして同じ動画を何回も見るんだろうね」


配達伝票を眺めながら、パケは呟いた。


午前十一時五十八分。


巨大なネットワーク都市、通称『ネットワークシティ』


空には無数の光の線が走り、高層ビルの間を小さな配達員たちが忙しなく行き交っている。


彼らが運ぶのは、手紙でも食べ物でもない。


情報だ。


メール、写真、動画、仕事の書類。


人間たちがインターネットでやり取りする情報は、小さなデータに分けられ、この街を通って目的地へと運ばれていく。


その小さく区切られたデータを、パケットと呼ぶ。


Packet(パケット) インターネットなどで送受信される、小さく分けられたデータの単位。大きな情報も、パケットに分割して運ぶことができる。


この街では、そんなパケットを運ぶ仕事が日々行われていた。


そして、パケもその配達員の一人だった。


「知らん。仕事に集中しろ」


隣で書類を整理していた青年が、素っ気なく答えた。


黒い制服に銀縁の眼鏡。


名前はルート。


彼はルーター部門に所属している。


Router(ルーター) 通信データが目的地へ向かうために、次にどの道へ進めばよいかを判断する機器。ネットワークの交通案内役だ。


「だってさ、見てよこれ」


パケは一枚の伝票を突き出した。


「営業部の佐藤美咲さん。本日十一時四十二分、四十六分、五十一分。全部同じ動画サイトへのアクセス」


「それがどうした」


「三回だよ? 同じところに三回も!」


「同じサイトを繰り返し利用することの何がおかしい」


「きっと猫の動画でも見てるんだよ」


「なぜ猫と決めつける」


「勘!」


「お前な……」


ルートは呆れたようにため息をついた。


「そもそも、お前が見ているのは通信先の記録だろう。暗号化されているなら、動画の中身までは分からんはずだ」


「分かってるって。だから勘って言ったじゃん」


「仕事に勘を持ち込むな」


「雑談くらいいいでしょ!」


パケは頬を膨らませた。


青い制服に、斜め掛けの配送バッグ。


少し大きすぎる制帽が、動くたびに揺れる。


背丈は小柄だが、足の速さには自信がある。


中央配送局に勤めて三年。


彼女は、この街でも指折りの配達員だった。


「まあ、いいんだけどね。何を見るかなんて人間の自由だし」


「なら最初から気にするな」


「でもルート先輩。私たちが必死に荷物を運んでる間、人間は猫を見て笑ってるって思うと、ちょっと複雑じゃない?」


「俺たちが道を繋いでるから、その猫を見られるんだろう」


パケの動きが止まった。


「……」


「なんだ」


「たまにはいいこと言うじゃん」


「たまには余計だ」


パケは笑いながら立ち上がった。


目の前の仕分け台には、次々と新しい荷物が流れてくる。


「さて、次のお仕事は?」


パケが伝票を手に取った。


『送信元:営業部PC』 『宛先:外部Webサーバー』 『通信:TCP 443』


パケは一目で内容を把握した。


「外向きのWeb通信ね。名前の問い合わせは済んでる?」


「ああ。DNS案内所から回答が来ている。宛先のIPアドレスも確認済みだ」


DNS(Domain Name System/ドメイン・ネーム・システム) Webサイトなどの名前を、通信に必要なIPアドレスに結びつける仕組み。いわばインターネットの電話帳だ。


IPアドレス(Internet Protocol Address/インターネット・プロトコル・アドレス) ネットワーク上で通信先を識別するための番号。インターネット世界の住所のようなものだ。


例えば、人間が『example.com』というWebサイトを開こうとしたとする。


しかし、コンピューターが通信するには、名前だけではなく、相手のIPアドレスを知る必要がある。


そこで働くのがDNS案内所だ。


サイトの名前を問い合わせると、対応するIPアドレスを調べて教えてくれる。


パケたちは、その住所を頼りに荷物を運ぶのである。


「了解。じゃあ、フィア隊長のところを通すね」


「待て。今、東ゲートが混雑している。北側の経路へ回せ」


「お、珍しい」


「昼休みに向けて通信量が増えているだけだ」


「ああ、みんなサボり始める時間か」


「仕事で利用している可能性もあるだろう!」


「先輩って本当に真面目だよねえ」


「お前が不真面目すぎるんだ!」


「失礼な! 配達記録は優秀なんですけど!」


パケは胸を張った。


確かに、それは事実だった。


彼女は、どれだけ急いでいても伝票の確認を怠らない。


宛先、送信元、通信の種類。


必要な情報を確認してから次の仕事に取りかかる。


配送局の記録上、彼女の担当業務で確認された誤配送はゼロだった。


「はいはい。じゃ、行ってきまーす!」


パケは箱を抱え、光の道路へと飛び出した。


その背中を見送りながら、ルートはため息をつく。


「……仕事ぶりだけは、文句ないんだがな」


「通行申請お願いしまーす!」


巨大な門の前で、パケが元気よく手を挙げた。


『ファイアウォール検問所』


ネットワークシティの内側と外側を結ぶ、重要な関門の一つだ。


Firewall(ファイアウォール) 直訳すると『防火壁』 あらかじめ決められた規則に従い、通信を通すか遮断するかを判断する仕組み。ネットワークの門番のような存在だ。


この街では、その役割をフィア率いる検問所が担っていた。


「またお前か」


頭上から声が降ってくる。


赤い制服に、腰まで伸びる黒髪。


鋭い眼差しをした女性が、検問台からこちらを見下ろしていた。


ファイアウォール隊長、フィア。


その厳格さから、配送員たちには恐れられている。


もっとも、パケだけは例外だった。


「フィア隊長、今日も怖い顔してるね!」


「お前を見ると自然にこうなる」


「ひどい!」


「伝票を出せ」


「はいはい」


フィアは差し出された伝票を確認した。


「送信元、営業部PC。宛先、外部Webサーバー。通信方式はTCP、宛先ポートは443番……」


彼女の視線が、伝票の端から端まで動く。


TCP(Transmission Control Protocol/トランスミッション・コントロール・プロトコル) データが正しい順番で届くように管理し、届かなかったデータは再送する通信方式。


ポート(Port) 一台のコンピューターで、通信の種類や接続先のサービスを区別するための番号付きの窓口。443番はHTTPSで一般的に使われる。


「HTTPS通信か」


HTTPS(Hypertext Transfer Protocol Secure/ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル・セキュア) Webサイトとの通信を暗号化し、途中で内容を盗み見られたり、書き換えられたりすることを防ぐ仕組み。


フィアは伝票から顔を上げた。


「通信規則に適合。通行を許可する」


カシャン。


赤い判子が押された。


『ALLOW』


ALLOW(アラウ) 英語で『許可する』という意味。反対に、通信を拒否するときにはDENY(ディナイ)という判定が使われる。


目の前の門が、ゆっくりと開いた。


「ありがと!」


「待て」


「ん?」


「昨日の件だが」


パケの表情が、わずかに引きつった。


「……昨日?」


「お前が検問前まで全速力で走ってきた件だ」


「あー」


「危うく停止線を越えるところだったな」


「いや、ちゃんと止まったじゃん!」


「停止線の数センチ手前でな」


「技術の勝利だよ!」


「安全の敗北だ!」


フィアの怒声が響いた。


パケは耳を塞ぐ。


「もう、声大きいって!」


「お前が危なっかしいからだ!」


「でも隊長。私の荷物、今まで一回も規則違反してないでしょ?」


「だからといって、お前自身が無茶をしていい理由にはならん」


「ごもっとも!」


パケは笑った。


フィアは眉間を押さえる。


この少女と話していると、どうにも調子が狂う。


だが。


「……行ってこい。気をつけてな」


最後には、いつもそう声をかけてしまうのだった。


パケは軽く敬礼すると、門の向こうへ走り出した。


フィアは、その後ろ姿を見送りながら小さく呟いた。


「……まったく。世話の焼ける奴だ」




午後五時五十六分。


人間の世界。


星汐商事、営業部。


「よし、終わった……」


佐藤美咲は、パソコンの前で大きく伸びをした。


今日は朝から会議続きだった。


資料の修正、顧客への電話、上司からの急な依頼。


ようやくすべてが片付き、あとは退勤するだけ。


「帰りにコンビニ寄ろ……」


そう呟いた瞬間。


ポンッ。


画面の右下に、新着メールの通知が表示された。


『【重要】勤怠情報の確認について』


「……え?」


差出人には『星汐商事 総務部』と書かれている。


美咲はメールを開いた。


『勤怠データに未確認の項目がございます。給与計算に影響する可能性があるため、本日18時までに以下のページから確認をお願いいたします』


「ええっ、あと四分しかないじゃん!」


時計を見る。


17:56


「なんでこういうのって帰る直前に来るかなあ……」


小さく文句を言いながら、メールに書かれたリンクをクリックした。


表示されたのは、見慣れた社員用ポータルサイト。


会社のロゴ。


青を基調としたデザイン。


中央には、社員番号とパスワードの入力欄。


画面の左上には、鍵のマークも表示されている。


「ログインし直しか……」


美咲はキーボードに手を伸ばした。


そのとき。


彼女の知らないところで、一枚の伝票が発行された。


「……あれ?」




ネットワークシティ。


午後五時五十六分


DNS総合案内センター。


受付前に立っていたパケが、首を傾げた。


「ディーネさん、ちょっといい?」


「はい、どうしました?」


受付に座る銀髪の女性が顔を上げる。


DNS案内係のディーネ。


インターネットの名前と住所を扱う、この街の案内人だ。


「この問い合わせなんだけど」


パケは伝票を見せた。


そこには、こう書かれていた。


『staff-hoshishio.example』


ディーネは目を通す。


「はい。登録されている名前ですね。対応するIPアドレスも確認できますよ」


「うん、それは分かるんだけど」


パケは手元の記録帳を開いた。


「星汐商事の社員ポータルって、いつもこっちじゃなかった?」


彼女が指差したのは、別の名前だった。


『staff.hoshishio.example』


「……あら」


ディーネが瞬きをした。


「確かに、こちらが普段使われている名前ですね」


「でしょ?」


二つの名前は、よく似ている。


けれど、同じではない。


「本物は『staff』と『hoshishio』の間が点。こっちは横棒で繋がってる」


「そうですね。別々の名前として扱われます」


「これ、会社の人が間違えて登録したとか?」


「可能性はあります。でも、私にはそれが会社の正式なサイトなのかまでは判断できません」


「そっかあ……」


パケは腕を組んだ。


DNSの仕事は、名前に対応する住所を調べること。


そこが安全な場所か、誰が管理しているのかまで保証する仕組みではない。


「ディーネさん」


「はい」


「例えばさ。私が駅前に店を借りて、『星汐商事本社』って看板を出したら?」


「……会社の許可がなければ怒られると思いますよ」


「いや、そうなんだけど!」


「ふふっ、冗談です」


ディーネは微笑んだ。


「その看板を信じて訪ねてくる人がいても、実際にそこが本社とは限りませんよね」


「うん」


「インターネットの名前も同じです。誰かがそれらしい名前を登録していても、本物だという保証にはならないんです」


「……なるほどね」


パケはもう一度、伝票に目を落とした。


星汐商事。


社員ポータル。


よく似た名前。


そして、普段とは違う宛先。


「……嫌な感じ」


「パケちゃん?」


「ううん。まだ何も分かってないから、決めつけるのはよくないよね」


パケは記録帳を閉じた。


「とりあえず、この通信の記録、残しておいてもらえる?」


「もちろんです」


「ありがとう。私も確認してみる」


パケはそう言って、案内所を飛び出した。


ディーネは彼女の後ろ姿を見送り、小さく呟いた。


「……相変わらず、よく見ていますね」


「隊長!」


ファイアウォール検問所に、パケが飛び込んできた。


「なんだ、騒々しい」


フィアが顔を上げる。


「ちょっと確認したい通信があるんだけど!」


「伝票は?」


「これ!」


フィアは受け取った伝票に目を通した。


送信元は、星汐商事の営業部PC


宛先は、外部のサーバー。


通信に使用されるのは、TCP 443番ポート。


「……規則上は許可対象だな」


「やっぱり?」


「ああ。宛先とポート番号を確認する限り、現在の通行規則には違反していない」


「でも、宛先のサイト名が変なの」


パケは、DNS案内所で確認した二つの名前を見せた。


フィアの目が細くなる。


「……社員ポータルを装った名前か」


「まだそうと決まったわけじゃないけどね」


「その通りだ」


「じゃあ、どうする?」


フィアは少し考えた。


「監視室へ報告する。現在の情報だけでは悪意のある通信と断定できない」


「このまま通すの?」


「現行の規則ではそうなる」


「……」


パケは門を見上げた。


巨大な鉄の扉。


その向こうには、数えきれないほどの通信先が存在している。


フィアは、そのすべてを自由に出入りさせるわけではない。


決められた規則に従い、通すべきものを通し、止めるべきものを止める。


それが、彼女の仕事だ。


「疑わしいものを全部止めれば、安全にはなるかもしれない」


フィアが静かに言った。


「だが、それでは正当な仕事まで止まる。外部のサービスを使うこと自体は、何も悪くないからな」


「分かってる」


「だからこそ、通信の記録を残し、必要なら規則を変更する。勝手な判断はできん」


「……うん」


パケは頷いた。


そして、少しだけ笑った。


「隊長ってさ」


「なんだ」


「すごく融通が利かないよね」


「……お前」


「でも、そういうところは信用してる」


フィアが言葉を失った。


パケは伝票を受け取る。


「じゃ、私も監視室に報告してくる」


「待て。お前の仕事は配送だろう」


「だからこそ気になるんだよ」


パケは振り返った。


「私たちって、宛先に届けるのが仕事じゃん?」


「ああ」


「でもさ」


彼女は伝票を指で弾いた。


「届けたせいで誰かが困るなら、せめておかしいと思ったことくらい、伝えておきたい」


フィアは黙って彼女を見つめた。


「……報告内容は、客観的な事実に絞れ」


「もちろん!」


「憶測だけで騒ぐなよ」


「分かってるって!」


パケは駆け出した。


フィアはその背中を見送り、通信端末を手に取った。


「こちら検問所。監視室へ。不審な宛先への通信について、照会を頼みたい」




午後五時五十八分


人間の世界


「……あれ?」


美咲は、パソコンの画面を見つめていた。


ログイン画面が表示されている。


いつもと同じ、会社のロゴ。


いつもと同じ、入力欄。


ただ、何かが違う気がした。


「こんな画面だったっけ……?」


一瞬、手が止まる。


しかし、メールに書かれていた言葉が頭をよぎった。


『給与計算に影響する可能性がございます』


「……まあ、会社からのメールだし」


美咲は社員番号を入力した。


続いて、パスワード。


そして。


カチッ。


ログインボタンを押した。




同時刻


ネットワークシティ


「……また来た」


パケは足を止めた。


手元の端末に、新しい配送要求が表示されている。


送信元は、先ほどと同じ営業部PC。


宛先も、あの見慣れないサーバーだ。


「さっきのところ……」


今度は、何かの情報が送信されようとしていた。


パケは伝票を確認する。


宛先、異常なし。


通信規則、適合。


暗号化、あり。


外見上は、何の問題もない。


「……中身は見えないか」


HTTPSによって暗号化された通信の内容は、途中の配達員が簡単に読むことはできない。


それは大切な仕組みだった。


パスワードや個人情報を、途中で盗み見されないようにするためのものだ。


けれど。


「……鍵がかかってるからって、中身が安全とは限らないんだよね」


パケは小さく呟いた。


ましてや、送り先そのものが偽物だったなら。


どれだけ頑丈な鍵をかけても、最後に箱を受け取るのは、その偽物の持ち主だ。


「…………」


パケは端末を操作した。


監視室への報告に、直近の通信記録を追加する。


送信元。


宛先。


発生時刻。


通信量。


彼女に確認できるものを、すべて。


「……よし」


そして、顔を上げた。


今の彼女には、荷物の中身は分からない。


それが本当に危険な通信なのかも、まだ断定できない。


ただ。


「見なかったことには、しないからね」


パケは静かに言った。


人間の世界から、遠く離れた場所。


薄暗い部屋で、一台のモニターが光っていた。


画面には、先ほど美咲が見ていたものとそっくりのログインページ。


その管理画面に、新しい情報が表示された。


『社員番号:受信』 『パスワード:受信』


椅子に座っていた男が、口元を歪める。


「……一人目」


机の上には、冷めたコーヒー。


そして、いくつもの企業名が書かれたメモ。


男は画面を操作した。


「暗号化された通信ってのは、便利だよなあ」


独り言のように呟く。


「途中で誰にも覗かれず、きっちり届けてくれる」


男は、手元に届いた情報を眺めた。


「送り先が俺だとも知らずに」


小さな笑い声が、暗い部屋に響いた。


そして彼は、次の操作を始めた。


「……何件?」




ネットワークシティ、中央監視室。


パケが思わず聞き返した。


目の前にいる女性職員は、表情を変えずに答える。


「現在確認できているだけで、六件」


「六件って……」


「すべて、星汐商事の端末から同じ宛先への通信が発生している」


画面には、次々と記録が表示されていた。


営業部。


経理部。


総務部。


営業企画部。


それぞれ別の端末から、同じサーバーへのアクセス。


「……」


パケは唇を結んだ。


「最初の一件じゃ、なかったんだ」


「そうね」


監視室の職員が、別の画面を開く。


「それから、もう一つ」


「なに?」


「この宛先への問い合わせが、今日になって急に増えている」


画面に表示された通信の一覧。


パケは黙って目を走らせた。


「……誰かが、同じリンクをばらまいた?」


「その可能性がある。メールとの関連を調査中よ」


パケは窓の外を見た。


夜のネットワークシティ。


無数の光の道路を、今日も配達員たちが走っている。


普段と何も変わらない景色だった。


みんな、自分の仕事をしている。


伝票を確認して。


決められた道を通って。


荷物を届ける。


たったそれだけのこと。


なのに、その中に悪意が混ざっていた。


「……ねえ」


パケが口を開いた。


「相手が偽物だって分かったら、どうなるの?」


「確認できれば、担当者の判断で通信を遮断することになるでしょうね。被害が出ていないかも調べないと」


「そっか」


パケは、もう一度外を見た。


さっきまで、自分もあの道路を走っていた。


いつもと同じように。


いつもと同じ速さで。


「……早く見つけないとね」


「ええ」


監視室の女性が頷いた。


「ただ、問題はそれだけじゃないの」


「どういうこと?」


「もし、すでに社員のパスワードが相手に渡っていたら」


彼女は少しだけ声を落とした。


「偽サイトを閉じても、盗まれた情報までは取り戻せない」


パケの顔から、笑みが消えた。


その意味は、彼女にも分かった。


通信を止めることと、被害を止めることは同じではない。


「……じゃあ」


パケは言った。


「次は、何を守ればいい?」


監視室の女性が、彼女を見つめる。


一瞬の沈黙。


やがて、女性は静かに答えた。


「まずは、誰の情報が渡った可能性があるのか調べましょう」


その瞬間だった。


ピピピピッ!


突然、監視室に電子音が鳴り響いた。


「……何?」


女性職員が画面を確認する。


その表情が変わった。


「外部から、星汐商事の認証サーバーへログインの試行が発生している……!」


認証サーバー。


利用者が本人であるかを確認する、いわば会社の受付係だ。


社員が正しいIDやパスワードを使っているかを確認し、必要に応じて追加の本人確認も行う。


パケは画面を覗き込んだ。


「……これって」


「ええ。さっきの偽サイトとの関連はまだ分からない。でも……」


女性職員は、画面に表示された情報を指差した。


そこには、一人の社員番号が表示されていた。


先ほど、偽のログイン画面へ情報を入力した社員。


佐藤美咲。


「……うそ」


パケは息を呑んだ。


ほんの数分前まで、彼女が運んでいた荷物。


その行き先にいた何者かが。


今度は、会社の中へ入ろうとしている。


「……隊長に連絡して!」


パケが叫んだ。


「分かってる!」


監視室が慌ただしく動き始める。


飛び交う通信。


鳴り響く警告音。


窓の外では、いつもと変わらず光の道路が輝いていた。


誰も知らないところで。


ネットワークシティの、長い夜が始まろうとしていた。

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