これは商談です。
文明の輪郭は、言われてみれば確かにどこか懐かしさを孕んでおります。
煉瓦造りの館、格子窓の隙間から覗く灯、そして異国の衣裳が入り混じるモダンな街並み。このような街並みを照らし動かすものは「魔力」でございます。
かつてこの世界には高度な機械文明があったといいます。しかして世界は「厄災」によってゆるやかに崩壊いたしました。この災害を生き残った人々の手にもたらされたのは「神秘」の技術でございました。
そう歴史の授業で習いました。
「神秘」「魔力」といったものが満ちゆくにつれて、「科学」というものは衰退の一途を辿り、今や古い古い邸宅や歴史館だの博物館だのに残るばかりとなっております。電信装置、飛行機械、演算機械に人工知能。そういったものが祖父の頃にはまだ動いていたそうですが……。
それはさておき。ここ数十年で魔導工場制度が急速に普及し始め、街はにぎやかに過渡期を迎えております。
そんないまの世では、伝統とは誇りであり、同時に重荷でもございました。
その重荷を一身に背負い破綻の寸前で喘いでいるのが、この私が長女として生を受けたニノマエの家。
小さな小さな子爵家でございます。
ニノマエ家は、かつて一針一針に思いを込め、布地にふたつと無い美しい模様を刻み込む「ニノマエ刺繍」にて一世を風靡したと祖父は自慢げに語ります。それはそれはもう、自慢げに。
しかし、時代は流れるものです。
工場ですとか、異国の機械ですとか、効率的な製造方法がこの国にももたらされました。そうなると、安価で均一な魔導機械刺繍や魔力効果の付与された刺繍が流通し始めるというわけでございます。
そんな折に老齢の前当主は無駄なこだわりを見せつけました。あろうことか「手仕事こそ至高」「魔力は邪道」と旧時代的な意地を張り、大量生産への移行や流行りの魔力縫いを徹底的に拒絶したのでございます。
「良くも悪くも職人」と祖父をよく知る方は称しますが、「良く」の要素はしっかりと目を凝らさねば見当たらないように思います。「かつての栄華」「いつぞや一世を風靡」ではなににもなりません。大切なのは「今現在の食い扶持」なのですから。過去の栄光だけで食事はできません。
結果としてニノマエ家は当たり前に時代の潮流に取り残されました。負債こそ微々たる額ではあるものの、貴族としては致命的な財政を強いられているのでございます。主に、祖父のせいで。
「うちのかわいいかわいいイスズに舞い込む縁談が、もはやあの化け狐と変態だけになってしまうとはぁ……!! うちが資金難でごめんねぇー!! 魔導機械時代の技術に迎合できなかったクソおじい様のせいで!! 時代は工場制手工業……否、魔導工場制機械工業なのに……!! こうなったら国外の殿方でも構わな……イスズ、ほんとにあのキツネに嫁ぐの……? やっぱりいやだー!! お父様が今からでも必死にもっとまともなの探すからぁ!!」
そう、今宵はわたくし、イスズ・ニノマエの婚約に際しての顔合わせの前夜。
娘を打算と政略渦巻く婚姻の手駒としてしまうことに苦慮し、ニノマエ子爵は豪華な手織りの絨毯に突っ伏し、情けなく号泣していたのでございました。
対照的に、当の手駒本人であるわたくしは、現在冷めた目でこの父親を見下ろしております。
17歳。成人まであと1年とした娘ではございますが、平均以下の体躯をしております。誰が呼んだか「ニノマエの陶器人形」。見目には愛らしい娘ではあるようです。
なれば何故に父がこう突っ伏して号泣する羽目になっているかと申しますと。かつてはかの貴公子、あの若旦那と縁談も絶えず届いておりました。ええ、過去形でございます。
原因はわたくしの性格にあったのでございます。元より好奇心や合理で動く女でございました。そして家業ある家の娘であるゆえに、わたくしは働きたがりでもございます。女としての奥ゆかしさや、あるいは家内・ご内室としての夫の支柱であること妻に求める男たちは、ことごとく逃げ出してしまいました。
結果、18歳の成人を目前にして、残された選択肢は「金と領地だけはある、噂の悪い四十歳年上伯爵」か、「家を幾つも潰したと噂される、侯爵家の青年」の二択となった次第でございます。
わたくしはこのふたつの釣書が眼前に並べられた時、迷わず後者にずいと力強く指を突き立てました。
地位は大切ではございますが、あまりにも年齢差のある婚姻はお断りでございます。この差であればどうせ旦那の方が先に天に召されるのです。遺産目当てだと思われてしまうのも癪ですし、40ともあろう方が17のわたくしに縁談を迫ってくることも気持ち悪いことこの上ありません。
この2つから選ばねばならないというのであれば、もはや消去法しかございません。
「お父様、さすがに変態は嫌です。となれば、ツクモ侯爵家との提携が我が家にとって最も回収率が高い選択となります」
その時も「嫁ぐ娘の言い分じゃない」と父には泣かれてしまいました。数ヶ月前のことです。
わたくしは「両家顔合わせの場で泣き腫らした顔の父と並ぶのは嫌ですからね」と眼前で蹲る父に告げ、自室に戻り、早々に眠りにつくことといたしました。
翌日、先方よりご指定のありました老舗の料亭の個室。わたくしはツクモ侯爵家の次男、コハク・ツクモ様と向き合っておりました。
コハク様は、銀糸のような毛並みの狐耳と、背後に揺れる二本のしっぽを持つ狐系の亜人の殿方でございます。わたくしの首が痛くなりそうなほどの高身長と、一見華奢に見えながらもしなやかな体躯。そして彼の切れ長の瞳には冷徹さと、警戒心が宿っているように感じられました。
噂程度にわたくしもお聞きしたことがございます。膨大な魔力と類稀なる経営手腕を持つコハク様は、過去に三度の破談を経験している、と。相手の家柄の破滅、金の亡者たちの裏切り、身勝手な振られ方。それらを経た彼の心は酷く荒んでおり、社交界では「関わった家屋をことごとく崩壊させる冷血漢」として恐れられている、とも。
懐石料理がしずしずと座席に到着いたしましたが、誰も手をつける気配はございません。澄んだお出汁のおすましが冷めてしまうではありませんか。
もうわたくしが最初の海鳥になってしまいましょうか、と考えていた折に、動きはありました。コハク様でした。薄い唇を歪め、試すような視線をわたくしに投げかけたのでございます。
「……一応言っときますけどね、ニノマエのお嬢はん。縁談受けるのはかまへんけど、僕は過去の経験上、他人を愛せるかどうかも分からへん。僕に期待されても困りますし、甘いおままごとを始めるつもりもありまへんから」
持ち上げかけていた碗を置きました。美味しいお出汁を堪能しようとしていた矢先の言葉で少し面喰らいはいたしましたが、ここで特段の感情も動かないのがわたくしという女でございます。
「ハナから愛など期待しておりません。これは商業上の取引、いわば商談です」
その言葉にコハク様の狐のお耳がぴんと立ちました。早くお話を終わらせて、お食事にしたかったのです。隣でお父様が焦る気配がいたしました。
「平たく言えば、私はニノマエ家が誇る独自の『刺繍技術』の付属物として、ツクモ商会に売り飛ばされる身に過ぎません。貴方はニノマエの技術と、そのおまけである私に対して資本を注入する。それだけの関係性です。ここ3年間で取り決められた貴族階級の婚姻、その六割は政略と打算で成立しています。この『商売』で得られた資金で我が家の工房に最新型の舶来の魔導縫合機を複数導入できたら、毎日それを使って機械刺繍、大量生産を行い、祖父の悔しがり嫌がる顔を至近距離で拝めるわけですから……実に最高の取引です」
「……みしん」
コハク様の口から、形容するならば……なんとも「間の抜けた声」が漏れました。
コハク様のお隣にいらっしゃるご両親も「え、家にミシン導入して毎日おじいの嫌そうな顔見るてハナから別居婚前提なん? ていうか、ミシンで身内煽るために嫁いでくるんこの子?」とでも言いたげなお顔をなさっております。
わたくしは日頃より取り繕うことも媚びを売ることも一切いたしません。心からの本音で語る事ができずして、良い商品の売り込みは出来ません。ましてや、これから夫婦となるお方にどうして隠し事などができましょうか。コハク様も素直に打ち明けてくださったのですから、わたくしも応じるというのが公平。ハイカラに言うと「フェア」でございます。
「……お嬢はん」
「はい、私の名前はイスズです」
「イスズ、はん。ほんまに言うてはる?」
「ええ、求めるものは実家への支援とミシンだけ」
「……みしん……」
コハク様は初めて、僅かに目を見開いておりました。おそらく、開いておりました。
なにゆえおそらくかと申しますと、わたくしの心はもうお食事の方を向いておりましたためでございます。
再びお椀に手を伸ばしました。お汁の次にお越しになるのは恐らく向付の類。白身魚のお刺身であればいいなと、思考は既に次に向いておりました。
縁談は商談の如く、淡々と進んでおります。
お相手のご両親も「コハクにあそこまで啖呵切れる娘さんやったら安心や」と謎のお墨付きをいただき、無事にお二方と義母、義父の関係になることが確定いたしました。啖呵を切ったつもりはありませんが、ともあれ両家の縁は繋がれることと相成りました。
我が家の工房へのミシンの導入に向けても父と話し合いが行われているようで、祖父の機嫌は毎日よろしくないことこの上ございません。非常に痛快な気分で起床・就寝することができております。
ある日のことでございました。コハク様が仕事の合間に、外国から輸入したという高級な舶来甘味をわたくしのところに持ってきてくださったのです。
学舎での授業を終え、脳はある程度疲労しております。その上で、放課後にはツクモに嫁入りするための学びを重ねねばなりません。ここで糖分のお差し入れをいただけるとは。非常に時宜に適っていると言えるでしょう。
「これ、西の国から仕入れた果実の砂糖液漬けです。差し入れです。嫌なら無理して食べんでええですから」
そういうだけ言って、そそくさと部屋から去ろうとなさるコハク様。わたくしは踵を返そうとなさる彼の袂を咄嗟に掴みました。
「なんやの」
「嫌とはひとことも言っておりません」
「え?」
「むしろ嬉しく思っております。大変美味です。糖補給としても完璧で、果実の酸味と糖液の甘みが理想的です。ありがとうございます、コハク様」
わたくしは元来表情の薄い娘でございます。感情を露わにするという行為がどうにも上手く実行できないのです。だからこその「ニノマエの陶器人形」の呼び名でもあるのでしょう。
しかし、それで他者に誤解を与えてしまったり、勝手な解釈をされるというのは非常に癪でございます。ゆえにわたくしが見出した手法は「良いも悪しきも全て率直に伝えること」。この国の美徳とされる「奥ゆかしさ」からは幾分か離れてしまいますし、これを貫くあまりにご覧の通りに婚期も大逃がしはしてしまいましたが、これがわたくしなのでございます。
さて、コハク様より反応がございません。動きが完全に忘れ止まっておいでです。ちらとお顔を見上げると、コハク様のその瞳はほんの僅かに見開かれ、頬が微かに紅潮しておられました。
「……いや、めちゃくちゃ全部言うやん……」
「嬉しいですもの」
わたくしの言葉を聞き、コハク様は「わかったから袖離しや」と呟きます。ああ、たしかに。ずっとつかみっぱなしではお着物にシワやヨレが出来てしまいます。
ぱっと布を手放すと、コハク様はふらりと1歩踏み出し、壁に肩をぶつけ。ふらふらりと方々に肩をぶつけながら去っていかれました。
その日からだったでしょうか。コハク様がちまちまと、 差し入れをくださったり、近寄ってきてくださるようになったのは。
コハク様がわたくしに「しっぽ触ってもええよ」と言ってくださるようになった頃でございます。わたくしにとっても、ふかふかと柔らかなコハク様のしっぽに顔を埋めるのはこの上ない安らぎの時間となり始めておりました。
また、ツクモ家との提携により我が家の工房には夢にまで見た魔導縫合機2台の導入が完了いたしました。カコカコと動く機械を見やる祖父の嫌そうな顔は深みを増し、ある程度の量産体制が確保されたのです。
また、コハク様の有するツクモ商会の物流網にニノマエ刺繍製品を組み込んで頂くことで、各地の小売店へと商品を卸していただくことが可能となったことも好機でした。これまでは「注文を受けて初めて製作に至る」という方式でニノマエ製品の販売をしておりましたので、これは明確な販路拡大でございます。
そしてなにより「ツクモ商会が卸すものならば良品に違いない」という販売促進効果および宣伝広報が功を奏しに奏しまくったというわけでございます。
ニノマエの財政難も回復の兆しがちらちらと見え隠れし、いずれは巨大なファクトリィ建造も夢物語ではないとわたくしがささやかな野望を抱き始めた頃合でもありました。とある異変が起きたのは。
休日の朝はお昼前まで起きてこられないはずのお父様が、なんと早朝7の刻以前より慌ただしく取引帳簿を捲り、唸り声を上げながら足音激しく歩き回っておられれば、父に対して無頓着な年頃のわたくしもさすがに気にしてしまうというもの。
「お父様、落ち着いてくださいませ。何があったのですか」
「あ、ああ……イスズ、売り上げがね、少しおかしいんだ……」
お父様は帳簿をわたくしにおずおずと見せてくださいました。それはツクモ商会より定期的に寄せられる売り上げや卸先の詳細が綴られた出納帳簿でございました。
「ここを見てご覧。先週末頃から極端に注文が減ってるんだ。以前から取引していた店が、次々と発注を止めてる」
異様な数字が並んでおりました。三十二、三十五と順調に並ぶ売り上げ数を示す数字が、ある日を境に零。どこの卸先も似たりよったりの数字を示しているのです。
「奇っ怪な……」
ともあれ、なにか原因があるはずです。順調だった業績が原因なく下落するなんてことはないはずなのですから。
「おじい様が酒屋かどこかで仲間内に何か勝手なことをしたか言って回ったのでは」
真っ先に疑わしいのは、悲しきかな祖父。現状のニノマエを1番苦々しく思っている人を思い浮かべると真っ先に浮上するのが身内とは、嘆かわしいことではございますが。わたくしの言葉にお父様は首を横に振りました。
「母さんに言い含められて、しばらく晩酌は家でだけとキツく止められているよ」
なんと祖母の好判断たるや。女傑とは彼女のような慧眼持ちのことを言うのでしょう。わたくしもかくありたいものと決意を固めかけ、本題に思考を戻します。
「それは僥倖。身内を疑わなくて済みますね。この急に売り上げが落ちた日なにか大規模な不良品があったり、催しが開催されていたりは……」
「まあ父さんがうちの製品の最終確認をしているのだし、家業に誇りもあるから自ら貶めるなんてことはしないと思うけれどね。そして先週末は……不良品の報告は上がっていないね」
それもそうです。祖父はミシンにこそ文句はつけますが、出来上がりにケチをつけることはありません。
「先週末、先週末の催し……となると、休日の夜にサロンがあったかな……うちは子爵家だから参加権はなくてね。多くの商家は参加していたみたいだけれど……」
とまで口にして、父ははっと顔を上げました。憶測には過ぎませんが、そのサロンの中でうちについてなにか悪評が流されたのでしょう。うちの回復を疎んだ誰かか、愉快犯か。再びの財政難でございます。
「とにかく、不買の理由の調査をツクモさんのところにお願いしなければ……」
翌日のことでした。コハク様が紙束を片手にうちの扉を叩いたのは。
「ええ、えらいあっさり出ました。お察しの通りになんや悶着があったのは件のサロンですわ。不買やなんや言うてはる先も一応うちのお取引先やから、情報保護のために名前は微妙に伏せてお伝えさせてもらいますけども」
コハク様がひょいと机に置かれたのは、伏字で書かれた調書と、サロンの参加者リストでございました。隠す気があるのかないのか分からないような伏字で氏名の記された調書を見て、お父様は次第にわなわなと体を震わせてゆきます。私も横からちらと覗かせていただきました。
そこには「ツクモがニノマエに無理な量産をさせている」「昔のニノマエ刺繍とは似ても似つかない」だの「機械のせいで最近の品は粗悪になった」「ニノマエは伝統を捨てた」など。事実無根の噂話が流布されてしまっていたようでございます。
商品の品質管理は今までと手法変わらず行われております。糸も、布も、手作業だった頃から何ひとつと変わっておりません。ミシンを使ったからと粗悪品に切り替わったわけがないのでございます。
「サロンでこういう話が出とったみたいですわ。誰が最初に言い出したかまではうちの情報網では断定できまへん。誰も口割りよらんかったんで。けどこの規模で流通止められる言うことはだいぶ声のでっかいお人の仕業であるんは確かやな。この話が出たのを皮切りに複数の取引先が一斉にニノマエ製品の発注を止めてるんやから。……うちもなんやとばっちりな言われようやなぁ……」
「ああ……こんな噂を聞けば卸先も『真偽はどうあれうちの店で扱って問題になったら嫌だ』と発注を止めるね……。大きな家に逆らうのは怖いから……」
父は落胆しながらそう呟きました。父とコハク様の言葉を聞き、わたくしはサロン参加者の一覧にもう一度目を通すことにいたしました。商家を扇動できるほど声の大きな貴族となると伯爵家級でしょうか。参加者の中から主犯を発見できるのではないかと思ったのです。
「……イスズはんも行き着いた? その一覧になんぞやりそうなヤツ、一人載っとると思うねんけど……」
一覧を確認していると、コハク様がそのようなことを言い出しました。確かにひとつ伯爵家のご当主の参加が見られます。しかし、覚えのない名前でございました。
「この家とうちに何か関わりはございました? 恨みを買うような道理はないと思うのですが」
そう言うと、コハク様は「えぇ……」と呆れたような呻きを上げました。
「……あの、お嬢はん」
「はい、イスズです」
「ああ、はい、イスズはんやな。前に僕ともう一人の釣書が来とった、変態や言うてましたやろ」
「ええ、たしか」
「そのもう一人、あのおっさんやで」
「…………そうでしたか」
「そうですねん。忘れんといたってあげてな、たぶんおっさんなりに健気にイスズはんの気ぃ引こうとしてはるんや」
「そうだとしたら大迷惑ですね」
怪しいのはたしかに件の伯爵ではあります。私との縁が繋げなかった腹いせか、売り上げ上昇に対する嫌がらせか。理由はどうにも幼稚ながら、確かに思い当たるものがありました。
しかし、何日と調べたとてこの方が明確に噂を流布したという証拠は掴めず終い、ニノマエの収入は減りゆく一方でございました。
困窮して崖のふちに立たされたニノマエに差し伸べられた手は、素直に取ることを躊躇うものでございました。
疑惑の当人たる伯爵が席を設けて今後についてぜひ話したいと申し出てきていたのでございます。
父はしぶしぶと、その伯爵との約束を取り付けました。
会席の当日。父、コハク様、わたくしはツクモ商会の応接室におりました。
「当人同士の話し合いではなんや、白熱してきよったらまとまるもんもまとまらへん場合がありますねん。仲介役を交えた方がええんですわ。せやからその第三者と兼ねて、イスズはんの婚約者っちゅーことで完全な部外者でもあらへん。僕も参加させてもらいますわなぁ」と、コハク様も同席してくださることとなり、迎えた当日でございます。
定刻、現れた御仁は仕立ての良いフロックコート、磨かれた靴、手袋、上等な懐中時計、香水も強すぎない。若作りにも見えますがまさしく紳士の出で立ちでございました。
が、それよりも目を引くのは頭髪について。残存する毛髪を一房たりとも無駄にすまいという強い意志を感じさせる配置であることが、非常に印象的でございました。
比較的にさっぱりと整えられた容姿とは裏腹に、わたくしに向けられる視線はどうにもネトリとしている気がしてならないのでございます。
「お初にお目にかかります、ニノマエ子爵。……そしてイスズ嬢。私はアオヤギ伯爵家当主、タイザン・アオヤギと申します。此度はお時間を頂き、ありがとうございます」
恭しく挨拶を述べる彼を見て、数ヶ月前に父より見せられた釣書のことを思い出します。ははあ、たしかにそのようなお名前でございました。
「……僕もおるんやけど」
と呟くコハク様の声は届かなかったのでしょうか、伯爵はこちらを見てにまっとした笑みを浮かべ、言葉を続けました。
「さて。さっそくにはなりますが、……此度、ニノマエ家が少々難しい局面に立たされていることは、私も把握しております。商売というものは、誠に難しい。どれほど良い品を作っておられても、信用と販路を失えば立ち行かなくなる」
その言葉に、父が「ぐぬ」と呻きました。たしかに、彼の伯爵が述べたものはうちの状況そのものでございましたので。
「ようご存知やなぁ」
「ですから、私から一つご提案がございます。私が資金を融通いたしましょう。独自の販路のご提供もいたします負債の整理も、工房の維持も、今後の販路についても、私の名を使えば容易になります。ニノマエ家の伝統は守られる」
この次の言葉は、ゆっくりと、紳士的に、しかし威圧と尊大さを感じる身振りを伴って紡がれました。
「融資の見返りに、イスズ嬢を私の妻としてお迎えしたい。以前釣書をお送りした際は良いお返事がいただけませんでしたが、イスズ嬢も伯爵夫人という身分を得られる。私も麗しいイスズ嬢を愛でられる。決して悪いお話ではないでしょう? ねえ、イスズ嬢」
「ああ、その話がしとうてイスズはんも同席で言うて指定してきはったんかいな。執着エグぅ」
見向きもされていないことをいいことに、コハク様は隙間隙間にケチをお付けになられます。それが少し小気味よくて、眺め回される不快感が軽減されていくような気がいたしました。
「父ではなく、わたくしに選択権がある、ということでございますか。では率直に。以前もお断りしたときと一言一句同じなのですけれど……父と同世代の方との婚姻は嫌です」
「はい?」
「没落したとてお断りです」
言葉は選んだつもりだったのではございますが、あまりに瞬間的な返答をしてしまったためか、伯爵はわたくしの返答を飲み込めていないご様子でした。
「堪忍なぁ。イスズはん、あんさんのとこ行くんは没落したって嫌なんですって。うちの未来の嫁はん、ご存知や思うけど『ニノマエの陶器人形』。表情も意思も硬うて硬うて、嘘つかれへんお人やねん」
「非常に不毛なやりとりでございました」
そう口にしてふと眼前を見遣ればおもしろ頭髪でございます。伯爵の表情が、初めて崩れました。存外に短気なお方なのでしょうか、少しずつお顔が赤くなっております。
「……貴女は、私を侮辱しているのか!」
伯爵の声が大きくなりました。事実を申し上げただけでございます。ああ、そうも大きく体を揺すられると薄氷のような御髪がふわりと浮いて。そう思った時、お隣のコハク様が目を細めました。
「……イスズはん、今思っとることはさすがに言うたらアカンで」
「いえ、無毛な……」
「はいはい、もうお口縫い縫いしとき。偉い伯爵はんが怒ったら子爵家なんてもうなーんも口出しでけへんくなるやろ。せやからここから先は僕、善意の第三者ことツクモ侯爵家のコハク・ツクモが代わります」
わたくしの言葉を遮るようなその狐の一声に、ようやく伯爵はコハク様の方に視線を向けました。
「融資の見返りに婚姻。そう仰ったことに相違あらへん?」
「なんだ貴様は……そう言っただろう!」
コハク様の口角が、待ってましたとばかりにすっと弧を描いて上がりました。
「そういう話やったら吹っかける相手を間違うてますねん。困りますわあ。何が言いたいかぁ言いますとやね、そう、金銭絡みのお話になってくるんやったらね、おやっさんのお相手はツクモ家もといツクモの商会になるんですわ」
「お、おやっさん……!? 私は」
口を挟もうとした伯爵に、被せるようにコハク様は言葉を続けます。
「イスズはんはね、自分の家の能力とその御身を『ニノマエからの商品や』いうてうちに嫁いでこようとしてくれてる子ぉなんよ。それをツクモは『僕の商人としての能力』を対価として、婚姻いう形で契約させてもろたんですわ。あまりにも公正な取引やろ? ええ、取引いうのはいついかなる時もこう、対等やないとあきまへんのや。上客さまや常連さまや一見さまやいうてコロコロ態度変えるような店もまあありますわ。でもあきまへん。商い言うのは信用の元に成り立つもんで、化け狐やなんや言われるツクモでもこれだけは徹底させてもろてますねん。ハイカラに言うたら『フェアトレード』ってやつですわな。ちゅーことはやで? おやっさんがイスズはんを欲しがる、金は出すて言うのはね、もうニノマエはんとのやり取りやのうて、ツクモとの取引になるんです」
身振りに手振りを交えた軽妙な語り口に、最早わたくしも父も、伯爵もぼんやりとコハク様を見やるほかありませんでした。
正しく商人の舌の大回転の現場でございました。
「つまるところ、ウチと商談せなあかんっちゅーわけですわな。……さあさあ高級品一括払いでお馴染みのツクモ商会の臨時市場や。なんぼ出さはるおつもりなん? こないなええ女、うちの言い値でも構わへんぐらいやけど今回特別、おやっさんの方から金額指定してもろて構いまへん! 足りひんのは……あー……頭髪だけにしとってください! 金も頭ん中身もでしたぁなんて笑われへん!」
コハク様はたん、と机を叩いて伯爵に返答を促します。
ふと、彼は私の父に向き直りました。
「ああ。せや。イスズはんはツクモのもんや。ツクモからイスズはんを奪取するんはそれはそれとして、ニノマエへの融資額交渉はまた別のお話になるんやない? ほらおじさん、なんぼ融資いるんか聞いて……あかんわ、ニノマエのおじさん疲れて魂抜けてもうとる。話できた様子やない。とりあえずこっちの話だけ進めましょか」
父は、もはや心ここに在らずといった状態で虚空を見つめておりました。ここ数日の疲労が極限に達してしまったのでございましょう。わたくしが答えるべきでしょうかとしばし悩んでおりましたところ、繰り広げられる伯爵とツクモ様の商談の方も進展があったようでございます。コハク様の顔から、先程までの人あたりの良さそうな笑みが消えておりました。
「それはなんの額? 手数料です? なはは、えらいご冗談が上手い!」
その言葉に、伯爵は顔を真っ赤にして「貴様!」と椅子を破壊せんばかりの勢いで立ち上がったのでございました。
こんな無礼な女だとは思わなかった! 私の理想じゃない! 覚えておけ! と足音、鼻息、諸々荒く伯爵がお帰りになられた後のことでした。
「今後ともご贔屓に……やなくて、今後一切出禁でお頼み申しますぅ!」
最早干からびたようになっているわたくしの父をソファに横たえ、コハク様は椅子に座り直しました。
「コハク様が散々煽ってくださったのに証拠については口を滑らせませんでしたね。怒らせたばかりで証拠もなく根本解決には至りませんでしたが、あの……あ……アカヒツジ伯爵、でしたか? 彼にはわたくしという女の人となりはご理解頂けたでしょうかね」
元々このような女ですから。コハク様を見上げると、ぽふと軽く頭を撫でられてしまいました。
「アオのヤギやでイスズはん。もう覚えてはらへんとは流石やわ、あんたさんも相当やけど無自覚なんやろね。相手さんも口滑らさんようには徹底しとったなぁ。商談はご破談と。……まあ……うちとて手札なしやないし。相手の証拠が掴めへんならおんなし舞台で戦ったってもええんちゃう? 僕も噂出回らせるんは得意や、無根拠でも出回るからデマ言うてな」
くすくすと笑うコハク様に、わたくしは首を傾げます。その顔はなにか稀代の悪代官のようでも、素敵な悪戯でも思いついた少年のようでさえもございました。
「まずニノマエのお品物のことなんやけどな。別にどこぞの店に卸さんでもうちで直で売ったらええやんか。ニノマエ製品、ツクモの直販に並べましょ。独占販売やら限定商品や言うたらみんな食いついてきはるはずやで」
名案でっしゃろ、と笑みを浮かべるコハク様。わたくしは少し理解が追いつかず、またも彼を見上げるばかりとなってしまいます。
「ほんでな、うちのお客さんは珍しいもん値打ちあるもんの判別できる人ばっかりや。僕が尾ひれはひれ、オマケに背びれと胸びれまでついた噂持ちで、狐言うよりひれひれ付きまくったキンギョみたいな状態やのにツクモが成り立っとるのは出しとるモノがええからや。ツクモで物買う人の多くは人の噂より品質重視のお客さんばっかりやからや。ニノマエの刺繍もそういう人らがお気に召すようなええもんですし。こうなったらツクモで独占させてもらお。その方がニノマエに入るお金も大きなりますわ」
まあ商売の話はニノマエのおじさんが回復してから詰めましょか。と、コハク様は先程の舌戦の時とは売って変わっての優しげなお顔で微笑まれたのでございました。
その後のことでございます。なにかあってアオヤギ伯爵家の評判が落ちるところまで落ちきったと聞きます。
件の伯爵はどこかの貴族の婚約者であるそれはそれは美しい少女の略奪を試み失敗。金にものを言わせて夫となるべき人物から少女を買おうとしたとのことです。
出処は不明ではございますが、とにかく噂好きの令嬢らが集まる高級志向なお茶会より広まり、瞬く間に社交界を席巻する筆頭のゴシップとなったようでございます。
巷では「人身売買に手を染めた薄ら頭髪」「まだ彼を裁く法がないだけの犯罪者」などと呼ばれ、完全に社交界からは爪弾きになってしまったとのことで。この話を聞いてコハク様は「えらい不思議な、うちに似た話があるもんやねぇ。色んなとこに手ぇ出してはったんやない? 僕はご贔屓のご婦人ご令嬢にいつも通り笑い話をして差し上げたぐらいで」となんとも白々しく笑っておられました。絶対に彼の撒いた種でございます。彼の4つめの家潰しだと、わたくしは確信しております。婚姻成立の暁にも、コハク様だけは絶対に敵に回すべからずと、固く心に誓いを立てました。
そして。ニノマエ製品も、ツクモの直営販売に切り替えてからはコハク様が語った通りとなりました。現在、ニノマエ製品を手に取るのは、いずれも噂より品質を信じる皆様ばかりでございます。「オーダーメイドをお願いしたい」とのハイカラなご要望もいくつか頂いており、思いの外早期にニノマエの財政は回復の道を辿っていくこととなるでしょう。
そして迎えた、ツクモ侯爵家での正式な親族お披露目の日。
「噂のニノマエのご令嬢はどないな子やの!?」
のすのすとした足音とそんな声が廊下から聞こえ、襖がすぱぁん! と開け放たれました。
わたくしの控えた部屋に豪快に押しかけてこられたのは、両家顔合わせの日に公務で不在だったコハク様のお姉様。サンゴ・ツクモ様でございました。
サンゴ様はツクモ侯爵家のご長女。政治的にも高い地位にある旦那様を完全に尻に敷いている、豪快な女性であるとお噂をお聞きしております。彼女が部屋になだれ込んでくると、わたくしの姿を見るなりその目を輝かせました。
「どえらい可愛子ちゃんやないの! んもぉ、シュッとしててちいちゃくて、ほんでえらいべっぴんさん! 顔合わせの時に同席できひんくて堪忍ねぇ! うち旦那が甲斐性なしやからうちまでお城に呼び出されてほんま、しばき回したろかって感じやわ! ……にしても釣書で見たのよりも何倍もかわええやないの! こないなんやったらもううちの妹にしたいぐらいやわ!」
大振りな3本のしっぽをぶんぶん振り回し、わたくしに密着してこられるサンゴ様。
「やめぇや姉ちゃん! イスズはんが潰れる!!」
追いかけて来られたと思しきコハク様が必死の形相でサンゴ様をわたくしから引っぺがそうとしております。珍しく必死な弟の姿を見て、サンゴ様はニヤリと微笑まれました。
「イスズちゃん、イスズちゃん……やったらスズちゃんって呼ばせてもらお! 人間不信で卑屈の塊やったコハクが、目ぇ血走らせて嫉妬しとるわ! ふーん、本気なんやねぇ! スズちゃん可愛ええもんねぇ!」
「ち、ちがわい! 可愛ええのは相違あらへんけど! とにかく触らんといて言うてるだけです!!」
キャンキャンと争い合うツクモ姉弟を、わたくしはぼんやり眺めておりました。
初めは「商談」として持ちかけた婚約でした。言葉にしなくても、感情を表に出さなくても、この男は自分を理解しようとし、なにかと不器用な自分をそのまま受け入れてくださっているのです。そればかりか、わたくしを引っ括めてニノマエのことまで考えてくださっている。
「ツクモに嫁ぐ」ということは利害の一致、子爵家存続のための婚姻。そのように捉えておりました。どうやら私は少し誤っていたようでございます。「この人たちの家族になる」という実感が、ようやく少しずつ湧いてきておりました。
数ヶ月後。
我々は無事に祝言を上げ、名実ともに夫婦と相成りました。
ニノマエはツクモ商会との合弁事業として「ニノマエ・ツクモ魔導縫製ファクトリィ」を立ち上げました。
最新型の魔導ミシンが何台も並び、規則正しい機械音を奏でる工場で、職人たちが活気ある声を掛け合っております。その片隅では老齢の祖父が今なお苦々しい顔をして佇んでおります。やはり機械はダメだと仰りつつも、事業自体は軌道に乗っているため何も言えない姿。胸がすく思いでございます。
「……イスズ、聞きなさい。刺繍とは古来より魂を込めた手業で……」
「おじい様、時代はもう完全に工場制機械工業です。旧態依然とした精神論は収益性を低下させるだけです。もう戻ったとて待っているのは……没落、路頭に迷う、時代遅れ」
「くっ……! くそう、言い返しづらい……っ!」
「精神的なものを重視するのも良いのですが、現実としてはやはり機械の時代。供えて持つべきものはそう、フロンティアスピリットです」
わたくしが祖父と談笑していると、上着を抱えたコハク様が柔らかい笑みを浮かべてやってきました。
「イスズはん、視察はどないで? そろそろ時間や。新しく届いた輸入生地の選定に行きましょ。……あ、おじい様、お邪魔してますぅ」
「ぬう……ツクモの若造……!」
「いやあ、おじい様。見てくださいや。えらい壮観ですなぁ。ひとつ足らずのツクモにニノマエのイチが加わって百や、大成功ですわ。せっかく百になったんですから、化け狐の評判通りに夜行でもしましょかねぇ」
「そのまま帰ってこなくていい」
「あら手厳しい」
この2人も、仲良くなってきたようで何よりでございます。
外に出ると、街にはやわらかな夕暮れの光が差し込んでおりました。並んで歩くと、身長差のある影が石畳の上に長く伸びて重なります。
「イスズはん。今日はえらい楽しそうでしたなあ」
「……楽しそうでしたか?」
「さすがに機微にも気付けるようになってきましたわ」
くっくっと喉奥で笑うコハク様。確かにそれはそうでございました。規則正しく稼働するミシンを眺めているのはとても楽しかったです。加えて、祖父も嫌そうにしておりましたので大満足の胸中でございました。
「ご存知の通りわたくしは言葉を飾ることも、愛想を振りまくこともできません。あなたに対して一般的な妻のような可愛らしい態度をとることは、将来にわたって不可能な小娘ではございますが」
「えーえー、知ってますわ。嘘だらけの甘い言葉なんて僕はもうお腹いっぱいやからな」
「ご理解いただけて僥倖です。ならば最近になって理解した事実をお伝えしておきます」
「おお、聞かせてもらいまひょか」
わたくしを見下ろす細められた双眸を見つめ返し、告げます。
「コハク様のことは全く嫌いではないと、最近気が付きました。お顔合わせの日に仰った『愛せるかわからない』の語とは裏腹に、あなたがお優しいのは確かです。たまにくださる砂糖菓子は美味ですし、お土産も素敵なものばかり。色々あった際には有無を言わさず助太刀してくださいましたし、格安で高級なミシンを手に入れてくださったので祖父の嫌そうな顔を拝むことも叶いましたし。お顔もお近くで見ると端正です。なによりコハク様のしっぽの質感は大変に好ましいと思っております」
コハク様は一瞬呆然とした後、顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込まれました。
「アカンて! なんやそれ急に! ずるいわ……!」
もすもすとした二本の尾がびたんびたんと地面に叩きつけられております。
「事実を述べたまでです。わたくし、ご存知の通り取り繕えませんから」
しゃがみ込んで悶絶するコハク様。わたくしはいつもの平坦な顔で見下ろしながら、内心の温かさを静かに感じておりました。




