ゆでぼくら
誰かがニュースのリンクを貼った。昼休みのコンビニのイートインで、最近とみに美味しいと感じるプライベートブランドのコーヒーを片手に、プラスチックのフォークでパスタサラダを突いていたときだった。チャットの通知は常にミュートにしてある。開くのは気まぐれで、気まぐれの頻度は自分で思うよりも高い。スマートフォンの画面をスクロールすると、会話はいつもより少し早いスピードで流れていた。
このチャットは、建前としては「知的雑談」を掲げている。社会問題、科学、哲学、ときどき映画や本の話。真面目な議論もあれば、深夜に誰かが「コンビニのおにぎりで一番うまいのは何か」と言い出して三十分間おにぎり論争が続くこともある。名前も顔も経歴も知らない人たちと、名前も顔も経歴もなしに言葉を交わす場所。登録者は三百人を超えているが、日常的に発言するのはせいぜい二十人ほどで、残りは水面下で息をしている魚のようなものだった。僕もたいていはその一匹だった。
リンクの下に感想がぶら下がっている。
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本マグロ:またこれか…
ほにょか:前も同じようなのあったよね
犬:結局なにも変わらんのよなー
半蔵:ほんとそれ
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既視感のあるニュースに対する既視感のある嘆息。読んだ瞬間だけ胸の奥が微かにわだかまり、でもコーヒーを二口飲むともう薄れる。そういう類の話題だった。根っこの問題の深刻さは理解しているつもりだったが、「つもり」の外側にある何かについては考えないようにしている。考えなくても日常は回るから。
そこへ、あの人が入ってきた。
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とうだい:茹でガエルの話を思い出した。これは典型的だね
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「とうだい」。このチャットにおける、ある種の重力。名前の由来は知らない。灯台なのか東大なのか、あるいはまったく別の何かなのか。知的な発言が多いから東大を連想する人もいたし、暗い場所を照らす灯台だろうと言う人もいた。本人は由来を聞かれても「ご想像にお任せします」とはぐらかした。核心を明かさないことで奥行きを演出する技術を、この人は自然に使いこなしていたと思う。
とうだいの発言には独特の引力がある。話題を整理し、論点を切り分け、誰かが感情的になると冷静な言葉で場の温度を下げる。このチャットにおけるとうだいの位置づけは、管理人でこそないが頼れる常連であり、公式の権威ではないが事実上の権威だった。発言すると場が少し締まるというか、そんな感じだ。
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ポルナレフ:茹でガエル?
とうだい:有名な話なんだけど、カエルを熱湯にいきなり入れると驚いて飛び出す。でも、ぬるま湯に入れてゆっくり加熱していくと、温度変化に気づかないまま茹で上がって死ぬ。
とうだい:急激な変化には反応できるけど、じわじわ進む変化には鈍感になる。人間も同じだっていう比喩だね。
とうだい:今回のニュースがまさにこれ。みんな「またか」って言ってるけど、その「またか」の積み重ねが致命的なんだと思う。最初の報道と今回とで、状況は確実に悪化してる。でも慣れてしまっている。
犬:はえー なるほど
ほにょか:たしかに慣れちゃってる感ある
ポルナレフ:俺達はカエルだった。完
本マグロ:(笑
半蔵:わかりやすい
オムライス:茹でガエルってそういう意味だったのか
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場が一つの納得に収束していく。とうだいが語ると説得力がある。それは内容の正しさというよりも、語り口の確かさに由来する説得力で、聞いている側は安心して頷ける。理解した気分になれる。僕もフォークを止めて、「なるほどな」と思っていた。だから、次に自分が打った言葉に深い意味はなかった。
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つまみ:素朴な疑問ですけど、熱湯に入れられたカエルって飛び出せるんでしょうか?
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送信した直後、パスタサラダのブロッコリーが妙に硬いことに気づいた。歯で押し潰しながら画面を見つめる。悪意はなかった。本当になかった。寓話の前提として「熱湯に入れたカエルは飛び出す」とあるが、カエルが即座に反応して飛び出せるものなのか、単純にそこが引っかかっただけだ。ブロッコリーの硬さと同じくらい些末な疑問だった。
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犬:それ俺も思った。そもそも実際にカエルをぬるま湯に入れてゆっくり加熱したら、本当に気づかずに死ぬんかね?
オムライス:たしかに カエルって変温動物だよね
月曜が嫌い:前にどっかでそういう記事見た気がするな…
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僕の一言が、犬の便乗を引き出し、犬の一言がさらに別の声を引き出した。場がまだ固まりきっていなかった一瞬の隙間に、小石が二つ三つ落ちた。
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とうだい:いい質問だね。
とうだい:実はこれ、ちゃんと実験に基づいた話なんだよ。19世紀にエドワード・ウィーラー・スクリプチュアっていう心理学者が著書の中で紹介してる。複数の実験で、ゆっくり加熱するとカエルが逃げなかったことが確認されてる。
とうだい:つまり、単なる比喩じゃなくて、科学的な裏付けがある話。
犬:へえ、ちゃんと根拠あるんだ
ポルナレフ:さすがとうだい先生
半蔵:博覧強記!
ギバちゃん:なんて?w
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エドワード・ウィーラー・スクリプチュア。固有名詞の登場だ。人は知らない名前を確信を持って提示されると、それだけで検証の代わりにしてしまう。場は再び収束しかけた。僕はそこで引き下がることができた。「なるほど、そうなんですね」と打てば、会話は穏やかに次の話題へ移っただろう。だが、ブロッコリーがまだ硬かった。比喩ではなく、本当に硬かった。硬いものを噛んでいると思考が止まらない性質が僕にはあって、つい、もう一言打ってしまった。
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つまみ:スクリプチュア。ちょっと気になるので調べてみます。
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調べてみます、と書いたのは本心だった。だがスマートフォンで検索するより先に、別の人が動いていた。
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靴べら:横から失礼。今ちょっとスクリプチュアで検索してみたんだけど。
靴べら:この人の本が引用してるのって、もっと古い実験で、主要なのが1869年のゴルツっていうドイツの生理学者の実験みたいなんだけど
靴べら:これ、脳を摘出したカエルでやってるんだよね
靴べら:脳のないカエルが逃げなかった、って、そりゃそうだろっていう
犬:は?
犬:脳ないの?
ほにょか:なにそれこわい
ポルナレフ:それは逃げないのでは(脳がないので)
月曜が嫌い:脳なしカエルは反則だろ
カエルちゃん:ガクガクブルブル
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靴べら。普段はほぼ発言のない人だ。名前の由来も知らない。登録時にたまたま目についたものを入れたのかもしれない。玄関先の靴べらは、普段は存在を意識されず、必要なときにだけ手に取られる。その靴べらが、僕の問いを拾った。スプーンのような半楕円の形状が、ネットの海から致命的な何かを掬い上げる様を僕は幻視した。
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とうだい:ゴルツの実験だけが根拠じゃないよ。
とうだい:1872年にハインツマン、1875年にフラッチャーが、正常なカエルで実験してる。緩やかな加熱でカエルが逃げなかったと報告されてる。
本マグロ:お、反論きた
Tなか:(見てる)
節分マン:審議中
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とうだいはあくまで「茹でガエルは実際の現象」という前提で議論を進めるつもりらしい。僕のブロッコリーは完全に粉砕され、喉の奥を通過して現在は胃の中だ。
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靴べら:それも見たんだけど、ハインツマンとフラッチャーの実験って加熱速度が毎分0.2℃以下なんだよね
靴べら:自然界ではまず起きない速度で、ちょっと特殊すぎないかなと
33歳無職博士:横からすまん
33歳無職博士:変温動物って体温調節を行動でやるから、温度変化に鈍感だったら野生で生き残れなくない?
33歳無職博士:それが気になって調べたけど、1995年にハーバードのダグラス・メルトンって人が検証してて
33歳無職博士:結論が「熱湯に入れたカエルは飛び出さずに死ぬ。冷水からゆっくり加熱したカエルは熱くなる前に飛び出す」
33歳無職博士:寓話と完全に逆らしい
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33歳無職博士。この名前を見たのは初めてだった。登録していたが一度も発言したことがなかったのか、あるいは最近入ったのか。「横からすまん」の一言で参入し、整理された情報を投げ込んで、そのまま消えるタイプの人だった。匿名の場にはこういう人がいる。名前も顔も知らないが、一瞬だけ正確に光って消える流れ星のような存在。
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犬:マジか
ポルナレフ:寓話と逆は草
ハモリーダー:えっ じゃあ茹でガエルの話って嘘なの?
ほにょか:気になってきた
きなこ:今北産業
オムライス:茹でガエルの科学的根拠が怪しいという話
オムライス:19世紀の実験が脳なしカエルだった
犬:あとハーバードの人が「寓話と逆」って言ってる
きなこ:サンクス
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モブたちの反応が加速していた。きなこのように途中参加して経緯を聞く者まで現れている。議論の中心がとうだいから離れ、検索結果を持ち寄る複数の参加者に分散していく過程は、水が高いところから低いところへ流れるように自然で、そして不可逆だった。
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とうだい:メルトンは発生生物学者で、両生類の行動学が専門じゃない。専門外の研究者のコメントを絶対視するのは危険じゃないでしょうか。
靴べら:じゃあ専門家の話も出しとくと、2002年にオクラホマ大のビクター・H・ハチソンって人。爬虫両生類の温度生理学が専門。
靴べら:「この伝説は完全に誤りである。毎分1℃の加熱でカエルは活発になり、逃げ出そうとする」
ほにょか:専門家がそう言ってるならもうだめでは
ぜん:ROMってたけど、茹でガエルが嘘って初めて知った
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とうだい:一人の研究者の見解だけで「完全に誤り」と断じるのは、それこそ非科学的でしょう。
本マグロ:いやでも複数出てきてない?メルトンとハチソンで少なくとも二人
靴べら:加えて言うと、もとの19世紀の実験群も、スクリプチュアが孫引き的に紹介してるだけで、独立した実験って実は少ないみたいです
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「場」がとうだいの足元から崩れていく過程を、テキストの行間に読んだ。場の中心にいることは変わらなかった。だが中心の意味が変わっていた。発言するたびに信頼の残高が削られていく人が、それでも発言を止められないのは、沈黙が敗北の承認になるからだ。
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とうだい:みんな実験データの話ばかりしてるけど、この寓話の本質はカエルの生理学じゃないよね。
とうだい:漸進的な変化に人間は鈍感になるっていう認知の問題を指摘してるわけで、カエルの生理学の話に矮小化するのは論点のすり替えでは。
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いや、その通りだが、そうではない。とうだいにそれが分からないはずもないのに。それとも本当に分からないほどぐらついているのか。最初に彼の言説に疑義を呈してしまった自分の心がちくりと痛んだ。この後の流れは、誰しも想像した通りになった。
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ハモリーダー:でも最初に「科学的な裏付けがある」って言ったのはとうだいさんでは…
本マグロ:それはそう
靴べら:比喩として使うのと、科学的根拠があると主張するのは別の話だと思います
月曜が嫌い:横だけど同意
犬:うん
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僕はパスタサラダを食べ終え、コンビニのイートインの硬い椅子に座ったまま画面を見つめていた。自分が投げた小石がここまで波紋を広げるとは思っていなかった。しかし、波紋を広げたのは僕ではなかった。僕は最初の一投を放っただけで、それを拾い、調べ、論拠を組み立てたのは靴べらであり、33歳無職の人であり、名前も知らない何人かだった。僕は発火点であって炎ではない。火の行方を、申し訳なさ半分、興味半分で眺めていた。止める手段も、止める理由も持っていなかった。
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とうだい:なんでそこまで攻撃的になるのか分からないけど。
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「攻撃的」という言葉が出た瞬間、場がもう一段変質した。論理の土俵から降りた人が最後に掴む言葉が、それだった。靴べらの語調は一貫して淡々としていて、攻撃性はどこにもなかった。だがとうだいにとっては、自分の発言が一つずつ検証され根拠を剥がされていく過程そのものが攻撃に感じられたのだろう。それは理解できた。理解できたが、同情とは少し違う感情だった。
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犬:べつに攻撃はしてなくない?
ほにょか:うん、普通に事実出してるだけに見える
半蔵:まあまあ落ち着こうよ
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そう、落ち着くこと。それでこの場は正常に回帰する余地が未だある。僕は自身の感情を定められないまま、さらに状況を見守った。
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パグ:追加で見つけた。2018年にブラジルのサンパウロ大学、カマチョらの研究。
パグ:加熱速度が遅いほど、カエルはより低い温度で飛び出すらしい。
パグ:ゆっくり温めた方がむしろ逃げやすいって、寓話と完全に逆。
犬:逆で草
ポルナレフ:茹でガエル寓話、茹でガエルに失礼だった
きなこ:カエルさんの名誉が回復していく~
カエルちゃん:(パグさんあざっす!!)
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パグ。これも見たことのない名前だった。単にパグが好きなのかもしれないし、何かパグと因縁があるのかもしれない。一瞬だけ正確に光って消える、二つ目の流れ星を夢想した。
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とうだい:19世紀に複数の実験が行われた事実自体は否定できないでしょう。
靴べら:実験が存在することと、その結果が寓話の真実性を支持することは別ですよね。脳摘出カエルと極端な低速加熱の条件を除くと、真実性を支持するデータはほぼ見当たらないです。
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とうだいはしばらく何も言わなかった。チャット上の沈黙が数分続いた。数分は、対面の会話なら長いが、チャットでは曖昧な長さだ。考えているのか、離席したのか、言葉を選んでいるのか、外からは判別がつかない。
その数分の間に、ふと、とうだいがこのチャットでどんな存在だったかを考えていた。博識で、冷静で、場をまとめる力があった。それが事実だ。そしてもう一つの事実は、とうだいがこのチャットに——いつからいたのか正確には知らないが——長い間、頻繁に、熱心に参加し続けていたということだった。三百人が登録し、そのうちの一部しか発言がない匿名の場所に、管理人でもないのに、ほとんど毎日のように。匿名の場所にそこまで居続けるのは、居心地がいいからだ。自分の知識が重んじられ、発言が場を動かし、「さすが」と言われる場所。それはとうだいにとってのぬるま湯ではなかったか。ちょうどいい温度の水に浸かり、浸かっていることが快適すぎて、水温が変わる可能性など考えもしなかった。いま、その水温が変わった。変えたのは僕の一言と、それに触発された名前も知らない人たちだった。
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とうだい:まあ、調べ直してみるよ。
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それきりだった。敗北宣言でも撤回でもない。ただ温度が下がるように、声が遠のくように、文字列が途切れた。
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チャットは数分間静かだった。その静寂を破ったのは、まったく別の話題だった。ハモリーダーが週末に行ったラーメン屋の写真を投稿し、犬が「うまそう」と返し、ほにょかが「どこの店?」と聞いた。きなこが「味噌?豚骨?」と重ね、オムライスが「俺は昨日カレーだった」と何の脈絡もなく報告し、月曜が嫌いが「カレーの話は荒れるからやめろ」と返した。チャットの流速はもとに戻った。もとに戻ったのではなく、もとからこの速度で流れていて、議論の間だけ一時的に速くなっていたのだ。石を投げ込んだ川の水面が波紋を終えて平らに戻るように。石は底に沈んで既に見えない。
僕はコンビニを出て、オフィスに戻る道を歩いていた。三月の風がコートの隙間を抜ける。片手でスマートフォンを持ち、もう片手でコートの前を合わせながら、流れていく会話を読み流していた。ラーメンの話が映画の話に移り、映画の話が推しの話に枝分かれし、推しの話が別の推しの話に接ぎ木されていく。穏やかで、軽くて、どこにも行き着かない会話の群れは、知的雑談を掲げながら、実際にはただ人の温もりを交換し合っているこの場所の表象だ。そのことを悪いとは思わない。僕もその温もりの中にいて、その温もりが好きだった。
画面の端に、毛色の異なる短い書き込みが一つだけ混じっているのに気づいた。
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しおり:あの人、いなくなったね。
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しおり。古くからいる人だった。頻繁に発言するわけではないが、いつもそこにいた。本に挟むしおりのように、ページが進んでも同じ場所に留まり続けるのだろうか。「あの人」が誰を指すのか、その場にいた全員がわかっていたはずだった。しかし、誰も反応しなかった。ラーメンの話が、映画の話が続いていた。しおりの書き込みは、新しい発言に押し上げられ、スクロールしなければ見えない場所に沈んでいった。
オフィスに着き、自席に座り、ノートパソコンを開いた。午後の会議資料を確認しなければならなかった。チャットを閉じようとして、手が止まった。しおりの言葉が指先に残っていた。「あの人、いなくなったね。」
とうだいがいなくなった。そのこと自体は、議論の経緯を考えれば不思議ではなかった。だが、しおりの言い方が引っかかった。「あの人、いなくなったね」。驚きでも悲しみでもなく、ただ確認するような語調。まるで、これが初めてではないかのような。
僕はチャットのメンバーリストを開いた。開いたところで何がわかるわけでもない。三百以上の名前が並んでいて、誰が今も見ているのか、誰がとうに去ったのか、リストを眺めただけでは判別できなかった。僕が認識している名前はごくわずかだ。犬、ほにょか、ポルナレフ、本マグロ、ハモリーダー、半蔵、オムライス、月曜が嫌い、きなこ、しおり。今日初めて見た靴べら、33歳無職博士、パグ、ぜん、Tなか。そしてとうだい。
だが、かつてよく見かけた名前で、いつの間にか見なくなったものがなかったか。
一つ、思い当たる感覚があった。名前そのものではなく、名前があったという感覚。文字列の残像はかすかに記憶にある。しかし、何を話していた人だったか、最後にいつ発言したか、なぜ見なくなったか。何ひとつ思い出せなかった。もう一つ。やはり輪郭のない残像が記憶の端に引っかかっている気がした。気がしただけかもしれない。もともと存在しなかった名前を、記憶が事後的に作り上げている可能性はあるのだろうか。確かめるにはログを遡るしかないが、いつまで遡ればいいのかさえ見当がつかなかった。数日前か。数週間か。数か月か。
どこかの時点で、誰かがいなくなっていた。一人ではなく、たぶん何人かが。僕はそれに気づかなかった。気づかなかったということにすら、今この瞬間まで気づいていなかった。
変温動物は温度変化に敏感だから「茹でガエル」にはならない——それが今日、このチャットで証明された結論だった。カエルは水温が上がれば気づく。気づいて、逃げる。ゆっくり温めれば温めるほど、より低い温度で逃げる。寓話とは逆だ。では、僕たちは。
その思考が形を成そうとしたところで、僕はふとスマートフォンに目を落としてしまう。犬が猫の動画を共有していた。ほにょかが「かわいい」と返していた。ポルナレフが「犬なのに…」と突っ込んでいた。きなこが「猫は正義」と書いていた。チャットは今日も穏やかで、軽くて、あたたかかった。
僕は会議資料に目を移した。午後の会議まであと十五分あった。
了
よくビジネス書などでも語られる茹でガエルの寓話について、このモヤッとした感じを誰かに伝えたいと思って書きました。LINEのオープンチャットとその交流を描いたものを書いたことがあり、チャット上のやり取りの中で展開する小さな波風と、結局は誰が茹でガエルだったのか?という思索の遊びを提供できればと思いました。




