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あれほど踏みにじったのに、助けてもらえるとお思いで?

作者: ぽんぽこ狸
掲載日:2026/02/01




 オティーリエは重々しい表情をして昼食を取っていた。


 向かいに座っているのは夫であるディートハルトだ。彼は深刻そうな様子などなくいつもと変わらず母であるペトーラに話題を振っていた。

 

 ペトーラはオティーリエにとって義母に当たる女性であり彼女も朗らかな笑みを浮かべて食事を楽しんでいた。


 そんな様子を見て気が重くなりながらもオティーリエは口を開いた。


「あの……ディートハルト、ペトーラお義母さま、お話があります」


 オティーリエがそう切り出すと、ディートハルトは若干面倒くさそうな顔をして、それからちらりとペトーラを見た。


 ペトーラはまったくもってなんの後ろめたさもないらしくキョトンとしてオティーリエの言葉に応えた。


「あら、何かしらオティーリエさん。深刻そうな顔をして……」

「もしかして、また母さんの話?」


 ディートハルトは話の内容を察して、オティーリエに問いかける。


 その言葉に小さく頷いて、オティーリエは少し言葉を選びつつもペトーラに問いかけた。


「先日届いた商会からの請求書。確認しました。あまり細かな出費にまでいちいち文句をつけるつもりはありませんけど……ペトーラお義母さま」

「ええ」

「またあららしいアクセサリーとドレスを……それも伯爵家の家格にあっていない高価な物ばかり購入しましたね」

「……」


 それは昨日の夜のこと、オティーリエは請求の金額を見て目玉が飛び出て、それから明細を見て眩暈がしたのだ。


 どれもこれも贅沢品で、普段使いしないようなものばかりだった。


 それにペトーラはすでに伯爵夫人の地位から退いている。


 というのも、結婚してすぐの頃、オティーリエが嫁入りしたこのヘルゲン伯爵家の当主であるディートハルトの父はなくなった。


 止む終えず爵位を継承することとなり今ではディートハルトがヘルゲン伯爵だ。


 そしてオティーリエは結婚してすぐに伯爵夫人となった。


 同世代の友人たちからはうらやましがられたが、むしろオティーリエのいる状況の方が厄介と言える。


 もとよりヘルゲン伯爵家は領地の稼ぎはいい方ではないし、節約家だった伯爵がいなくなり、悲しみを癒やすためという理由をつけてペトーラが暴走している。


 結婚してしばらくはそれに耐えるために魔法使いとしての仕事を増やし、何とかまかなえるようにやってきた。


 しかしペトーラの散財は留まるところを知らない。


「あんな金額、これまでで一番酷い。あれを払えば今月の資金繰りが厳しくなることぐらい、元伯爵夫人のペトーラお義母さまにはわかるはずだわ」

「……そうは、言ってもね……」

「オティーリエ、あまり母さんを追い詰めないでやってくれよ。父さんを失った傷が癒えていないんだ、少しぐらい多めに見たって良いじゃないか」


 ディートハルトは言い淀んだペトーラに加勢して、優しく慰めるようにその肩を抱いた。


 ペトーラは小じわの多い顔をくしゃりと歪ませて、さらに皺皺になって小さく背中を丸める。


「……」

 

 その老婆のしょぼくれた姿に、ほら、こんなに落ち込んでいると言わんばかりにディートハルトはオティーリエへと視線を向けた。


 しかしどんなに落ち込んでいても支払いの期日という物はやってきて、そんなことをしても商会は支払いを待ってはくれない。


 お金が無くなれば生活が立ち行かなくなる。最終的にもっと悲しい思いをするのは自分たちだ。


「そう言ってももう一年もたつわ。あなたももっと自分の領地や家のことを考えるべきだわ。ディートハルト」

「考えてるさ、これでも早くに爵位を継承することになって、わからないことが多い仲でも必死にやってる……俺も母さんも……それなのに君こそ配慮が足りない」

「配慮……?」

「ああ、そうだ。悲しんでいる人間、頑張っている人間にそうやって文句ばかり言って、自分は外で楽しく働いているだけなんだ、リフレッシュできてるんだからもっと寛容になってくれないと困る」

「……」

「俺は二人の調整役でもなんでもない! もっとオティーリエが年上を敬って母さんを癒やしてあげるぐらいしてくれ、なんでも俺を巻き込むな」


 ディートハルトはうんざりしたという様子で、机に手をついて立ち上がる。


 彼は最近、こうして碌に話も聞かないことが多くなった。


 たしかにオティーリエは魔法使いという仕事に向いているし好きだからやっている。


 けれども、遊んでいるわけではない。


 そんな理論を持ち出されては、文句を言うことが悪みたいだ。


 正しいことを言っているはずでこのままでは未来がないはずなのに、正すことができない。


 ダメになるとわかり切っていて、すでにこの一年で貯蓄を使い果たし火の車であるのにもかかわらず、伝わらない。


 ディートハルトは止めるどころか助長させて、ペトーラは変わらず散財を続ける。


 オティーリエはただただ働いてお金を出して、まるで彼らの馬車馬のように使役されている。


 一人で去っていくディートハルトを見送って、その場にはペトーラとオティーリエの二人だけが残った。


 彼女は、オティーリエの視線に気が付いて、夫に叱られたオティーリエを慰めるように笑みを浮かべていった。


「子供を産むならやっぱり男の子ね。親を守って大切にしてくれますもの。オティーリエも私を見習って子育てをするといいわ。良いのよ、わたくしは気にしていないから」


 ペトーラの表情は勝ち誇った優越感がにじみ出ていて、彼女がオティーリエに敵対意識を抱いているのが読み取れる。


 だからこそ、どんなに正しい言葉を言っても彼女は散財をやめないのかもしれない。


 夫が死んで一度外れた箍が戻ることなく、自分の欲望通りになる現状におぼれているのかもしれない。


 それを戻すのは、つらい行為かもしれないが、暮らしのために相手のために正すこと、それが共に生きるということではないのだろうか。


 それをしないディートハルトも、自制心をかけずに他人を搾取しながらも見下して散財するペトーラも、オティーリエには理解できなかった。


 彼らはまるで緩やかな心中をしているみたいで、オティーリエが言っていることが正しいのに、何度言っても、苛烈にぶつかっても届かない。


「……夫がなんと言おうと、これ以上の散財は己の身を滅ぼします。なにがそれほど満たされなくてたくさんのものを買ったりするんですか、お義母さま」


 なんとか寄り添おうと言葉を絞り出した。


 しかし、再度言われた言葉にペトーラは急激に機嫌を悪くして、眉間に皺を寄せて、ため息をつきながら言った。


「嫌だわ。調子に乗って、こんな老いぼれを責めて楽しいのかしら? 本当に嫌だわ性格が悪い。ディートハルトにもっときちんということを聞かせなさいって言わなきゃ」

「……」

「仕方ないことですのにね。だって突然身につけている物が急に貧相になったら笑われてしまうでしょう? そんなことも理解してくれないなんて本当に薄情」

「……」

「お金なんて、身内からも借りられるんだから。いつか返せばいいのよ、今がつらいのだもの許してくれるわ」


 ペトーラの言葉は的外れで、オティーリエはただ黙り込んだ。


 自分のこと以外はなにも考えていないのだなということだけはとにかく、わかったのだった。






 先日の話し合いがあった後から、ディートハルトは屋敷に戻らないことが多くなった。


 友人の領地へ視察という名の遊びに行ったり、高級宿を使ったり、たまに戻ってきたと思えば屋敷の金庫のお金が減っていた。


 捕まえて問いただしても、母の散財は一時の事、今だけ、オティーリエが優しくしてやれば変わるはずと言って向き合わないのだった。


 そうしてオティーリエは以前にも増して多くの仕事を受け、部署も変えた。


 オティーリエの仕事は魔法使いであり、今は魔獣の討伐業務を主としている。


 要人の護衛業務よりも、狩った魔獣の魔石を販売することによって副収入が得られる分、手元に入るお金が多いのだ。


 以前は比較的余裕を持って務めていたが今では、魔石の売買のために新しい商会と関係を結び、多くの仕事をこなしてバリバリと働いていた。


 そんな中、あれこれと次のことを考えながら王宮魔法団本部の廊下を歩いていると、以前の同僚たちの一団とすれ違った。


 彼らは話をしていて、オティーリエに気がつかなかったのでそのまま気にせず通り過ぎようとすると、しばらく進んだところで呼び止められた。


「オティーリエ! ……悪い先に行っててくれ。オティーリエ、久しぶりだな」


 同僚たちに先に行っているように伝えて、男性が一人、オティーリエの元へとやってきて向き合った。


 彼はギルベルトと言って魔法学園時代からの知り合い――というか友人である。


 婚約してからは、下手な疑いをかけられないように疎遠になっていて、それでもタイミングがあって会話をすると、ついつい学生時代を思い出してしまう、思い入れのある相手だった。


「……ギルベルト、久しぶりね。どうかしたの? なにか用事かしら」


 問いかけるとギルベルトは「いや」と大した用事があった訳でもないというように否定したが、少し挨拶がしたかっただけという訳でもなさそうだ。


 彼は少し居心地が悪そうな様子で、「あー」とか「うーん」と唸った後、チラリとオティーリエのことを見る。


「用事と言えば、用事があったというか」

「そうなのね、でも私生憎忙しいから、話ができる時間は少ししかないのだけれど……」

「いい、少しで全然」

「そう」


 そうして、二人は中庭のベンチへと向かって歩き出したのだった。


 昼時で、多くの人が食堂へと向かっているので、中庭とそこに設置されている小さな噴水が眺められるベンチはがらんとしていて人気もない。


 ここなら何か深刻な話でも大丈夫だろうとオティーリエは考えて、腰を下ろした。


 隣に座ったギルベルトはなんだかそわそわとしていて、ぐっと眉間にしわを寄せてみたり、首の後ろを摩ってみたりと忙しなかった。


 それから「時間ないんだもんな」と確認するように言った。


 気を使わなくていい相手なのでオティーリエは「ないわね」と短く返した。


 そっけなく接するつもりはないが、ギルベルトならそんなことは気にしないでくれるだろうという甘えのような気持ちもあったのだった。


「だな。……あのな、オティーリエ」

「なに」

「急に踏み込んだこと言っていいか」

「……」


 そう言われてオティーリエはギルベルトがなにを話題にだそうとしているのかわかって、少し困った顔をした。


 だってきっと、我が家のことである。


 変わらない散財と、屋敷に戻らない夫、それから親類からもお金が借りられなくなり妙なたくらみをしている義母。


 馬車馬のように働くオティーリエ。


 心配されるとわかって、『いい』とは言わなかった。しかし、ギルベルトは話し出した。


「俺は……俺はな、案外君が、真面目なことを知っている。元々、きっちり真面目一徹というわけではないが、それでもふてくされて適当やってて退学しそうだった俺のことは叱ってくれた」

「……」


 勝手に話し出したギルベルトは、オティーリエの方ではなく中央の噴水を見ながら話し始めた。


 どうやら少し恥ずかしいらしい。


 そんなギルベルトの横顔は、学生時代よりもなんだか少し大人らしい深みが出たようで、適当ばかりだったあのころの悪ガキとは違うらしい。


「意外と、一番放置しちゃいけないところはちゃんと知っていて口出ししてくれる人だってわかってる。ただ……でも、オティーリエは面倒見がいい所があるから」

「……あるかしら」

「ある」

「それで?」

「それで……」


 だから心配で、と言われたらなにを言うべきで言わないべきかオティーリエは考えて少し首を傾げた。


「だから……君が……君がぽっとでの見合いで結婚しただけの男とその母親に食いつぶされて滅茶苦茶にされて、破滅していくのを見ているなんて……したくない」


 ギルベルトの声は少し揺らいでいて、その言葉が冗談ではないことがわかってオティーリエはぎょっとした。


「ヘルゲン伯爵家の話は最近よく聞く。なんだか悪い噂ばかり、王族も目をつけている違法な商会にも取引を始めたとか、妻も母も放置して、遊び惚ける伯爵の話とか」


 突然の深刻な様子に、オティーリエは驚いてしまったが、せかしたのはオティーリエであり、ギルベルトはもっと時間をかけて前振りをしてこの話をしたかったのだろう。


 だからこそ突然に感じただけで、ギルベルトはずっと考えて言おう言おうと思っていたことなのかもしれない。


「こ、後悔してる、学生時代に君になにも言わなかったこと、しなかったこと。慕っていたのに、手を伸ばさなかった。だからずっと手遅れで、身を引く以外ないと思ってた」

「……そんなふうに思ってたのね」

「情けないことにな! 今だってタイミングとしては最悪だ。だって俺はなんとなくこのまま同じ職場になった君がのんびり幸せになっていくのを見ているつもりだった」

「……」

「でも、部署も変えて、必死に働くオティーリエを見ていて、一生このままなにもせず後悔するぐらいならって思い直した」


 急いでいるからと言われたせいでギルベルトは焦って早口で、オティーリエは悪いことをしたなと若干の罪悪感が生まれつつあった。


「だからそのつまり、単刀直入に忙しいオティーリエに合わせて言うと、不倫でもなんでもいいからそんな奴ら捨てて、俺に乗り換えてほしいんだけどッ!」


 最後には勢いあまって怒っているみたいに告白されて、なんてこったとオティーリエは思う。


 一息で喋ったギルベルトは息が持たなかったのか、恥ずかしいのか顔が赤くなって、チラリと横目でオティーリエのことを見た。


 その目と目が合って、オティーリエは照れくさいのと驚いたの、それからギルベルトの猛烈な勘違いに少し笑って、結婚して重たく鈍くなった心が軽くなった。


 軽くなった拍子にギルベルトの肩を叩いて、小さく笑い声を漏らした。


「ははっ、アハハ!」

「……」

「ふふ、アハハハ」

「……」

「はぁー……不倫はダメだと思うのよ」

「あ、ああ」

「でも、ギルベルト。私、破滅なんてしないわ」

「いや、君がそう思っていても――」

「あの人たちの心中になんて付き合うものですか。バカバカしい、もう見切りはとっくにつけてるのよ」


 オティーリエは冷たい表情をして、ギルベルトの肩を肘掛けにして体重を預ける。


 彼はガタイがいいので少し高すぎて困ったが、そんなことはどうでもいい。


「忌々しいわ、まったく。あれでいて自覚がないんだもの。もういいわ。それにね、選択の責任を負うのは本人であるべきよ。あなただって、自分で自分を追い詰めたけど、自分できちんと持ち直した」

「……」

「それと同じで、やったことは自分に返ってくる。最低限そうじゃないと納得なんてできないわ」


 オティーリエは、ペトーラやディートハルトに対する思いを口にした。


 こんなことを吐き出せたのは初めてだった。


 結婚とはとても小さな檻に収まるようなもので、貴族ともなれば気軽に愚痴も言えない。


 その小さな檻の中の社会で、いびつな世界が形成されることもある。


 それは学園なんかよりももっと密度が高くて歪んでいることが多い。


 きっとペトーラやディートハルトは、ああして好き勝手して、それを放棄して甘やかすだけで、何とかなる檻の中にいたのだろう。


 そしてそれが染みついて、同じ習慣をオティーリエにも身に着けさせようとしていて、同じ場所に落とそうとしている。


 オティーリエでは二人を変えることはできない。


 けれども、その小さな檻の中のルールはどうにかできる。


 他人が何とかしてくれる、自分が嫌な思いをしなくても好きにしているだけで何とかなる、そのルールをぶち壊すことはできるのだ。


「私だって真面目ばっかりだったわけじゃない、実力はあるのに、上を目指さないことはよく教師にも怒られたもの。誰かを叱れる立場じゃない」

 

 オティーリエは得意げに笑った。


「だからより良くなるために努力しないことに怒ったりしないし、前に進まなければならないとは思わない。それにそういう生き方が気に入っている、あなたと過ごしたときみたいに」


 オティーリエの言葉にギルベルトは意外そうな顔をしながら赤くなった。


「でも、他人まで巻き込んで引きずり落として搾取して……そんな生き方が許されるとは思えない。誰だって、自分のためだけに最低限をやってのんびり生きる権利がある。それを害する人が私は一番きらいだわ」


 言い終わると、ギルベルトは肘掛けになりながらも、しばらく考えておずおずと聞いてきた。


「……でもどうするんだ?」

「手は打ってあるけど、骨が折れるのよね。そうだ、ギルベルト」

「ああ」

「手を貸してくれない? うまくいけば今より楽しく暮らせるわ」


 オティーリエはそれだけ言って、もうギルベルトに協力してもらう前提で物事を考えた。


 ギルベルトは退学の危機に瀕していたことがあったとはいえ、実力がある。それに最終的に、座らせられそうな丁度いいポジションもあるのだ。


 いい考えだろう。




 



 オティーリエは慌てている二人をしり目に、談話室のソファーでゆったりと紅茶を飲んでいた。


 今日はとても良い日であり、祝福するべき日だ。


 それなのにディートハルトとペトーラそして使用人たちまで総じて騒がしい。


「どうすんだよ! もう時間がない! 時間がないんだ!」

「そんなことを言われたって、ほんのちょっと、少しだけ手を貸しただけだわ。わたくしが悪いっていうの?」

「だから俺はやめとけって言ったんだ、あんな得体のしれない相手と取引なんて!」

「あなたはいいんじゃないって言ってくれたじゃない! 今更、わたくしを悪者にしようっていの? 酷いわ、酷すぎるわぁ……」


 しくしくと泣き出すペトーラに、ディートハルトは目を見開いて拳を握る。


 こんな状況でも悲しむ母親に文句をいうことはためらわれるらしい。


「少し協力すれば、分け前をたくさんくれるっていうから、名前を貸しただけよ。それだけだもの、それだけでまさかこんなことになるなんて思わなかったのぉ!」


 ペトーラは必殺技のようにぽろぽろと涙をこぼして、情に訴えかける。


「でもすぐそばまで、王国騎士団が来てるんだ! 完全に戦闘態勢で! こんなのは話を聞きに来る程度じゃないだろ! 俺たちは借金もしているし、かばてくれる親類も当てがない! 捕まったらどうなるかっ!!」

「だからってなんでわたくしを責めるのよ! 仕方ないじゃない! 悪気はなかったのよ、ただわたくしはいうことを聞いただけなのぉ!」


 二人はまったくもって生産性のない会話を繰り返していた。


 ここまで焦っているのは、領地の境を警備している兵士から急ぎの知らせが届いたからだ。


 丁度王都から領地の屋敷に戻って生活の場を整えるために動き出した頃のことであり、彼らにとっては青天のへきれきだった。


 しかし、心当たりは二人ともにあるはずだ。


 ディートハルトもペトーラもダメなことだとわかっていた。


 けれどもこんな日は、生涯来ないと思って、かわいそうな自分を演じて、なにとも向き合わずに過ごしてきた。


 だから、来てもなんの生産的な行動もとることができずに、お互いを責めるばかりで、パニックだ。


 心の底から二人は自分の都合のいいこと以外が見えていなかった。


「……」


 そんな言い合いの中、オティーリエは静かに紅茶を飲んで、さくりとクッキーを食べる。


「王族に目をつけられるなんて思わなかったのよぉ!」

「そんなこと言ったってどうするんだよ!」

「わからないってば! どうしてそんなに怒るのよぉ!」

「怒りもするだろっ! どうしてくれるんだ! っと、とにかく、逃げるしか」

「逃げ切れるの?!」

「知るわけないだろそんなこと!」


 ちなみに、本来ならば、騎士団が動く時、捕らえられる側にこんなに余裕はないものだ。


 訳も分からず捕らえられて、逃げるかどうかなど考えているうちに罪が確定する。


 そうならずに、今があるのはオティーリエがいるからだった。


「っで、でも。誰かが足止めしてくれれば……逃げられるかも」


 ふと、ディートハルトは真理に気が付いたような顔をしてお淑やかに紅茶を飲んでいたオティーリエへと視線を向けた。


「そうだ、そうだよ。オティーリエは王宮勤めの魔法使いだ! 母さん!」

「!」

「少しは足止めもできるはず、そうだろう! オティーリエ」


 ディートハルトは期待を込めてオティーリエに呼びかけた。


 その言葉にオティーリエは立ち上がり、静かに背筋を正してそっと腰に差しているホルダーから取り出して杖を手にした。


「足止めぐらいならできるわね」

「!! ありがとうっ、ああっ、ありがとう! オティーリエ!」

「オティーリエ! あなたっ……っ~、ずっとわたくしはあなたのことを勘違いっしていた――」


 オティーリエの言葉に二人は目を見開いて、瞳に光りを灯して笑みを浮かべる。


「でも、足止めなどしないわ。むしろどうしてするのか意味がわからない、だって私がペトーラお義母さまが取引している違法魔法具を取り扱っている商会の証拠を集めて、ねぐらを突き止めて、商会の後ろ盾の貴族を上げたのだもの」


 二人は、ペトーラの言葉をさえぎって言われた真実に、少し反応する。


 なにか変なものでも見た気がすると些細な疑問を持って振り返る時みたいな顔をしていた。


「骨が折れました。でも残るのはあなた方だけ。王族はあの商会が違法魔法具の取り扱いをしていてそれが蔓延することをとても脅威に思っていたから、都合もよかったのよ。嬉しいわ」

 

 少し眉間にしわを寄せたペトーラはチラリとディートハルトを見て、ディートハルトもペトーラを見た。


「私、あなたたちを捕らえたら、褒賞をもらう約束をしているの。嬉しいわ。これで、うつうつとした気持ちから解放される」

「……」

「……」

「私ね、もともとのんびりしている方が好きな気質なんです。ある程度は頑張るけれど、必死になったって変わらないものってあるから」

「……」

「……」

「だから、キリキリ怒っているのも、ちくちくなにかを言うのも面倒なのよ。だから開放される今日はとてもいい日だわ」


 オティーリエは彼らを見ないで独り言みたいに言った。


 一人だけ、天気のいい昼下がりの庭園にいるみたいにほのぼのとしていて、とても居心地がよさそうだった。


 そのまま数十秒たって、やっとディートハルトが言った。


「……うら、裏切ったのか。俺たちを、か、家族なのに」

「最初に私の気持ちを裏切ったあなたが、私をとがめる資格はない」

「で、でも酷いじゃないのぉ!」

「人の稼いだ物を、奪い取って身を飾るより酷いことなどしていません」

「……」

「……」


 二人はショックを受けた小動物のように固まって、また数十秒たった。


「俺たちはなんとか共に父の死を乗り越えた、な、仲間だ……」

「乗り越えて、持ちこたえようとしていた仲間を後ろから刺すようなことをしておいて、仲間を語るなんておこがましいわね、ディートハルト」

「わたくしは、ただ、悲しみを癒やすために自由にできるお金が欲しかっただけなの!」

「違法魔法具で被害にあった人の前でそれを言って許されると思うなら、そうしてください、ペトーラお義母さま」

「……」

「……」


 二人はまた黙った。


 その様子に、これでは全部言いたいことが言い終わる前に、騎士団がやってきてしまうとオティーリエは考えた。


 そうして、小さくため息をついてそれから二人に言った。


「どうにかなる、なんとかなる、好き勝手してもいいし、嫌なことから逃げてもいい、それは時に自分を支える大切にすべき考えかもしれません」

「……」

「……」

「傷ついたときに助けてくれる考え方かもしれません。私もそのすべてを否定はしていません。そういう時だってあるでしょうし、人に合わせて許容はしてきました」


 オティーリエは彼ら二人に語りかけた。


「しかしそれは、常日頃であってはいけません。人間はそれぞれ自立した一人の個なのですから、他人にしりぬぐいをさせることは恥ずべき行為、更に言うと助ける行為を強要することなど許されない」


 言えなかった考えは、話し出すとすらすらと出てきた。


「私の物を食いつぶし、家のお金も食いつぶし、自分ではなにもしないのに何とかなると繰り返し、お金を借りて、犯罪にまで手を染めて、それでもまだ私を犠牲に何とかなると言おうとする」

「…………」


 ペトーラへと視線を向ける。どこまでいっても自分のことばかりで搾取するばかりのどうしようもない人だ。


「あなたの行為のせいで被害にあった人はどこまでもあなたを恨み続けるでしょうね、私もその一人です。だからあなたを逃がすなんてもってのほか。こうなる前に何度も止めたのに止まらなかったのはあなたの責任です」

「わた、わたくしは……」

「嘆いていれば誰かが何とかしてくれる次期は終わりましたよ。後は悲しんでもつらくても、奪った物を取り立てられるだけの人生です」


 言いながらオティーリエは杖を構えたまま、ゆっくりとペトーラの元へと向かった。


 彼女は後ずさって、オティーリエのことを縋るように見つめていた。


 今更そんな顔をしても遅すぎる。


 もっと早くに、このままではどうしようもなくなると気が付いていれば違ったかもしれないが今はただ、なにも思わないだけだった。


 ひゅっと杖を振ると、キラキラとした魔法の粒が飛び散ってパンとはじけたような音がする。


 途端にペトーラの顔がそれて、まるで真横から矢で撃たれたみたいに力なくその場に崩れ落ちた。

 

 そばに控えていた侍女が支えて、危ない場所を打つことはないが、しばらくは目を覚まさないだろう。


 それからオティーリエは静かにディートハルトの方へと視線を向けた。


 彼は母が気を失ったのを見て、手をあげて、ゆっくりと膝をついた。


「…………なぁ、なぁ! オティーリエ、オティーリエ! ……っ許してくれ、俺だけは! 俺はただ、母さんの心の安定を考えていただけなんだ!」

「……」

「もちろん母親のことを優先したことは謝る! でも本当に、落ち着くまでは二人で支えていこうと思っていただけなんだ! なにも! こんなことになるなんて! 母さんの失態で俺の人生までダメになるなんて! 思ってなかったんだ!」

「……」

「頼む! 君のこと愛していた! まだ一緒にいたいんだ!」


 ディートハルトが言った切り札のような言葉に、オティーリエはつい「ふっ」と噴き出して「アハハ」と口を開けて笑った。


「アハハ、ハハハッ、アーハハハ」

「っ」

「アハハ……はーぁ……あなたが大事にしていたのは自分だけでしょう」


 とても冷たい声が響く。


「逃げて、押し付けて、思いやってるふりをして、騙せると思ったの」


 ゆっくりと黒い影がディートハルトへと近づく。


「人を見くびらないことね。誰にだって、自分の人生を自分で決める権利があるのだから」


 言うだけ言ってオティーリエは杖をふるった。


 ないがしろにされた忌々しい日々は、それを最後に終わりを告げたのだった。





 ペトーラが加担していた商会は違法魔法具を取り扱い、認可されていないそれらは国に大きな損害をだしていた。

 

 王族がその大元を絶ちたいと思っているのは考えるまでもないことで、散財を繰り返していたペトーラが楽して稼げる話に食いついたのもまた必然だった。


 しかし、だとしても今回のことがうまくいった要因は、運だと言っていいと思う。


 ペトーラがほかの手段を使っていれば、オティーリエはペトーラが借金をしている親族たちを取りまとめて王族への訴えを起こさせる。


 それから、ディートハルトがよそで友人と女性を買って遊んでいたことを引き合いに出して離婚を申し立てるという手法を取るほかなかった。


 しかしペトーラは意図せず、捕らえたら褒賞に値するような犯罪に加担してくれたのでそれよりもずっといい結末を迎えられた。

 

 オティーリエは新しくハーゼンバイン伯爵という王族から与えられた称号を手にし、取り潰されたヘルゲン伯爵家の土地をそのまま受け継ぐ形となった。


 すべてをはじめから予見していたわけではないが、やはり部署を移動して、魔法具商人たちとつながりを持ったことが功を奏し、ペトーラの動向をいち早く察知できたことも評価するべき点だろう。


 ディートハルトとペトーラはきっちりと牢獄に収監されて、散財や余暇とは無縁の生活を送っている。


 もう二度と目にする機会もないことにオティーリエは寂しさの一つもなかった。


「…………」


 なんせ、オティーリエの配偶者にはギルベルトを指名し、今もそばにいるからだ。


 ギルベルトは侯爵家の出身なのでそれなりに教養も学もある。女伯爵の配偶者には丁度いい。


 しかしなれない仕事も多い。勉強は必要だし時間がかかる。


 そんなギルベルトの机の前に座って、オティーリエはほお杖を突いて、彼を見つめていた。


「…………ねぇ」

「ちょ、っと、待って」

「……」

「今、頭がこんがらがりそうなんだ。待って」

「……その文言はこちらの条項を見ればいいのよ。言い回しは難しいけれど確認するべきことは簡単で――」


 元々、勉強をしている彼に教えるためにそばにいるので、適当に指で指し示して説明する。


 ギルベルトは、怪訝そうな顔をしていたけれども、何度か言葉を変えて説明すると理解して、なるほどなるほどと契約書を書いていく。


 本来こう言った書類の作成は事務官の仕事で、領主の仕事は確認をすることだが、判断するためには知ることが必要だ。


 自分で作って考えて、形式的に問題がないように整えつつも、隙がないようにするにはどうしたらいいのか自分で知っていなければならない。


 しばらくそうしてギルベルトの勉強に付き合って、オティーリエはまったりとした時間を過ごした。



「君は相変わらず本当に、器用で優秀だよな」


 勉強終わりに、机で向き合ってそのままお茶会をしているとギルベルトはくたびれた様子で言った。


 そんな彼にオティーリエはあまり考えずに返す。


「あなたは変わらず不器用ね」

「……自覚はある」

「嫌いじゃないわ」

「……」


 言ってからなんとなくフォローするために嫌いじゃないと適当に付け加えただけだったが、ギルベルトは眉間にしわを寄せて視線を逸らして恥じらう様子を見せた。


 ギルベルトは昔からそうだった。気のいい友人だったけれども、不器用で、努力すればできるができるまでに時間がかかる。


 卒業するころにはとても評価されていたけれど、入学したころはあれていて、退学ぎりぎりだった。


 だから手を引くと、ギルベルトは喜んでついてきてくれた。


 不器用だからこそ好意の伝え方も下手だけれど、それでも頑張ろうとしてくれる彼をオティーリエはとても好ましく思っている。


「…………あ、ありがとう」

「いいえ」

「っ、た、ただだからこそ思うが、君の技量ならもっと……王族からも派閥の高位の貴族との再婚を打診されたんじゃないか。もっとオティーリエの行動力とか戦闘力とかそういうものを国のために使える機会があったんじゃないか」


 問いかけられて、それは鋭い考察だと思った。


 たしかにその通りで、そういうふうにも言われた。


 けれどもオティーリエは丁重にお断りをして今の地位に座っている。


「……その機会はあった。でも……わかっていると思うけれど、私はのんびり過ごすのが好きなのよ。貴族って野心たっぷりでせかせかしている方が評価されるし私の実家もそうだった」


 ギルベルトは一つ頷いて返す。


「でものんびり過ごして、適当なことを話してお茶をする余暇があった方がいいじゃない……もちろん、限度はあるけれど」


 オティーリエは学生時代にそれを知った。家の中の社会という小さな檻から出て、ギルベルトと出会って何気ない日々を過ごした。それが居心地よかったのだ。


 だから、お見合いした中でもゆったりしていそうな人たちを選んで、あまり忙しくない職場についた。


 しかし、ディートハルトは行き過ぎていて、人をないがしろにしても自分たちの欲望をかなえることしか考えていない人たちだった。


 そういうことではなく、尊重し合ったうえで、なんでもない日々を積み重ねられる人とそばにいたかっただけだった。


 そしてそれは今叶っている。


「現状を維持できるぐらい頑張ってあとは、休んでいる人生でもいいじゃない。私はそれが好きよ」


 望んだとおりのゆったり加減が手に入っているし、きっと今思えば、学生時代を居心地よく感じたのはギルベルトが隣にいたからだ。


 彼のような人と一緒になりたいと思っていたのだと思う。


 それは最近自覚した。だからギルベルト自体が傍にいるのが一番いいに決まっている。


「一緒にそうしてくれるあなたのことも、好きだったのよ」

「……過去形なのか?」


 何気なく言ってみるとギルベルトはそっと手を伸ばして、オティーリエの頬に触れた。


 大きな掌で男性らしく少し硬くて、心地よくて目を閉じた。


「今だって好きよ」


 短く言って、少し笑ったのだった。






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