25話 幻覚の後遺症
幻惑の森から脱出した俺たち三人は、ダンジョンの入り口ゲート前で、しばし呆然としていた。幻覚作用のあるキノコを食べた後遺症は、幸いにもダンジョンを出るとすぐに消えたが、問題は幻覚中の記憶が鮮明に残っていることだ。
「…………」
「………………」
レイナさんと一条シェフは、互いに目を合わせようとせず非常に気まずい空気が流れている。
レイナさんは、お花畑で妖精と踊っていた記憶が、一条シェフは、森羅万象への愛を叫んでいた記憶が、それぞれ脳裏に焼き付いているのだろう。
俺も、自分の料理があんな奇妙な効果を引き起こしたことに、若干の罪悪感を感じていた。
「……あ、あの、お疲れ様でした……」
俺が、なんとか沈黙を破ると、レイナさんが「あ、はい……お疲れ様でした……」と力なく返してくれた。
一条シェフは「……ふん」とそっぽを向く。
(うわぁ……気まずい……)
このまま解散か? と思ったその時、一条シェフが、ぼそりと言った。
「……料理人S」
「は、はい?」
「君の……あのバター醤油炒め。幻覚作用はともかく……味自体は、悪くなかった」
「え?」
予想外の言葉に、俺は目を丸くした。
あのプライドの高そうな一条シェフが、俺の料理を少しだけ認めた?
「素材の組み合わせ、火加減、味付けのバランス……。フレンチの技法とは全く違うが、妙に食欲をそそる、不思議な魅力があった。……まあ、私のポワレの方が、料理としての完成度は遥かに上だったがな」
(ツンデレだ! この人、ツンデレだ!)
最後の一言は余計だが、それでも彼が俺の料理を評価してくれたのは、素直に嬉しかった。
「あ、ありがとうございます……。一条シェフのポワレも、すごく美味しかったです。あの、幻覚はすごかったですけど……」
「ふん。あの程度の幻覚作用、計算のうちだ。素材のポテンシャルを最大限に引き出した結果にすぎん」
(いや、絶対計算外だったでしょ……)
心の中でツッコミを入れる。しかし、彼の料理の技術が確かなものであることは、俺も認めざるを得ない。あのキノコを、あれだけ洗練された一皿に仕上げる腕前は、さすが三ツ星シェフだ。
「ねえ、Sさん、一条シェフ」
気まずさから少し回復したのか、レイナさんが口を開いた。
「お二人とも、すっごく面白くて美味しい料理でしたよ! どっちも最高でした!」
彼女の屈託のない笑顔に、張り詰めていた空気が少し和らぐ。
「……まあ、今日のところは引き分け、ということにしておいてやろう」
一条シェフが、少しだけ口元を緩めて言った。
俺もそれに頷く。
ライバル意識が消えたわけではないが、奇妙な料理対決を経て、お互いの実力とヤバさを認め合ったような、不思議な連帯感が生まれた。
帰り道、一条シェフが、意外な提案をしてきた。
「料理人S。もし興味があるなら、一度、私の店に来ないか?」
「え? シェフのお店に、ですか?」
「ああ。君のその型破りな発想と、私の技術を組み合わせれば、あるいは、まだ誰も見たことのない料理が生まれるかもしれん。……もちろん、君が私の指導についてこられれば、の話だがな」
またしても、上から目線である。
しかし、その誘いは、俺にとって非常に魅力的だ。三ツ星レストランの厨房。そこで、天才シェフと一緒に料理をする……? 料理好きとして、これほど心躍る経験はないだろう。
「……! ぜひ、お願いします!」
俺が即答すると、一条シェフは満足げに頷き、レイナさんは「わー! 私も行きたいです!」と目を輝かせた。
こうして、俺は図らずも、超高級フレンチレストランの厨房に足を踏み入れることになったのだ。




