2話 初めてのダンジョン飯
「えっと、じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
俺は早速、リュックから携帯用の簡易コンロと小さなフライパン、調味料を取り出した。
さすがにダンジョン内で本格的な料理はできない。しかし簡単な炒め物くらいならできる。
今日のメニューは「ゴブリンミートのスタミナ炒め」に決定だ。
まずは先ほど彼女が倒したゴブリン……いや、今はもうただの素材となったそれから、使えそうな部位を切り出す。ゴブリンミートは筋が多いものの、モモ肉あたりは比較的柔らかい。
ダンジョンで手に入れたモンスター素材は、倒してから時間が経つと劣化して不味くなる。最悪食べられなくなるので、手早く処理するのが鉄則だ。
ナイフで慎重に赤身の部分をスライスしていく。緑がかった皮や妙に硬い筋は取り除く。
見た目は正直、あまりよくない。普通の人が見たら、まず食欲は湧かないだろう。
「……ふぅ」
切り出した肉を持参した水で軽く洗い、キッチンペーパーで水気を拭き取った。
そして、次は臭み消しのための下処理だ。
安い赤ワインを少々振りかけ、軽く揉み込む。これでゴブリン特有の泥臭さが軽減されるはずだ。
仕上げに塩コショウを振って下味をつける。
その間、彼女は少し離れた場所で体育座りをして俺の作業をじっと見つめている。
キャップを深くかぶっているので表情までは見えないが、期待に満ちたオーラがひしひしと伝わってくる。時折、ぐぅ、と可愛らしい音が聞こえてくるのが、なんとも言えない。
(しかし、本当に不思議な子だな……)
さっきの戦闘能力は明らかに素人じゃない。
それなのに、こんな低級ダンジョンで空腹で倒れているなんて。しかも俺がゴブリン肉を調理し始めたというのに嫌な顔一つしない。
むしろ興味津々といった様子だ。
高ランクの探索者ってお嬢様育ちが多いって聞くけど、この子は違うタイプなのかな?
「あの、ゴブリン肉とか……抵抗ないですか? 見た目、ちょっとアレですけど……」
一応、確認してみる。
いくら空腹でも、ゲテモノは無理という人もいるからな。
すると彼女は、ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「全然ないです! むしろ、ダンジョン飯って、ちょっと憧れてました! テレビとかで特集されてるの見て、一度食べてみたかったんです!」
「へえ、そうなんですか?」
意外な答えに少し驚いた。
ダンジョン飯に憧れるなんて、物好きな子もいるもんだ。まあ、最近はグルメ番組でもたまに取り上げられたりするし、そういうのに影響されたのかもしれない。
フライパンをコンロで熱し、持参した少量のサラダ油をひく。そこに持参したニンニクチューブを投入。スタミナ料理なら必須品だ。
じゅわっと小さな音を立て、すぐに香ばしい香りが立ち上る。
「わぁ……! いい匂い……!」
彼女から小さな歓声が上がった。さっきからお腹の音が定期的に鳴っている。よほどお腹が空いているのだろう。早く作ってあげないと。
ニンニクの香りが立ってきたら、下味をつけたゴブリンミートを一気に投入する。
ジュワァァァッ!
ダンジョンの静かな空間に、焼ける良い音が響き渡る。肉が焼ける香ばしい匂いとニンニクの香りが混ざり合い、食欲を強烈に刺激する。
「うわぁ……!」
今度は、さっきよりも大きな感嘆の声。彼女はもう、完全にフライパンに釘付けだった。
肉の色が変わってきたら、火力を少し弱め、中までじっくり火を通す。ゴブリンミートは火を通しすぎると硬くなるので、タイミングが重要なのだ。
いい感じに火が通ったら、仕上げに醤油ベースの特製焼肉ダレ――もちろん市販品である。
それをフライパンに回しかければ、ジュッ!と音を立ててタレが煮詰まる。さらに濃厚な香りが立ち込めるとニンニクと醤油の焼ける匂い、そして肉の旨味が凝縮された香り。
これはもう、反則だろう。
俺自身も、思わずゴクリと喉が鳴る。
「よし、できた! 簡単なものですけど、どうぞ」
火から下ろし、まだ熱々のフライパンごと差し出す。さすがに皿に移す余裕はない。
ここはワイルドにいこう。
彼女は「ありがとうございます!」と元気よく言い、どこからともなく取り出したマイ箸で、湯気の立つゴブリン肉を一切れつまんだ。
ふーふー、と息を吹きかけ、少しだけ戸惑いながらも、おそるおそる口に運んだ。
そして、次の瞬間。
「んん〜〜〜〜っ!!!」
彼女の目が、きらーん!と効果音がつきそうなほど大きく見開かれた。
まるで宝石みたいにキラキラしているではないか。
「お、おいひいぃぃぃ〜〜〜〜っ!!!」
「え、あ、ありがとうございます……」
予想以上のリアクションに、俺は若干ひるむ。そんなに美味かったか?
俺が作ったのは、スーパーで一番安いタレを使った、ただのゴブリン肉炒めだぞ?
「このお肉、ゴブリンなのに全然臭みがなくて、柔らかくて、タレとニンニクが絶妙に絡んでて……! 噛むほどに旨味がじゅわ〜って! 最高ですっ!」
彼女は、それはもう幸せそうな顔で、次々と肉を口に運んでいく。その食べっぷりは見ていて気持ちがいいほどだ。
小さな口で、もぐもぐと一生懸命噛み締めている。時折、熱いのか「ふひ、ふひ」と息を漏らしているのも、なんだか可愛い。
あっという間に、フライパンは綺麗に空になった。タレの一滴すら残っていない。
「はぁ〜……生き返りました……。本当に、ありがとうございました!」
満面の笑みで、彼女はぺこりと頭を下げた。
キャップが少しずれて、綺麗な額とサラサラの黒髪が見えた。
「いえいえ、お粗末様でした。口に合ったならよかったです」
正直、ここまで喜んでもらえると、作った甲斐があったというものだ。
料理人冥利に尽きる、とはこのことか。
「めちゃくちゃ合いました! こんな美味しいもの、初めて食べたかもしれません!」
(いや、それは絶対ないだろ……)
心の中でツッコミつつも、悪い気はしない。
むしろ、もっと美味しいものを作ってあげたい、という気持ちがむくむくと湧き上がる。
「あの、お名前、聞いてもいいですか?」
彼女は少し照れたように真っ直ぐな瞳で俺を見つめてきた。