名代と来賓
「……まだ詳細はわかりません。この件は他言無用でお願いします」
僕が頭を振ると、母さんは深呼吸をしていつもの様子に戻った。
「わかっています。それから医者の見立てでは、極度の疲労に加えて体も衰弱しているそうです。熱が下がって目を覚ますのに、数日はかかるかもということでした。念のため、最悪の場合も考えておく必要もあるそうです」
「彼女、そんなに状態が悪いんですか」
具合が悪いとは思っていたけど、まさかそこまでとは思わなかった。
母さんは心配そうにこくりと頷いた。
「しばらくは私が責任を持って傍にいるようにします。医者とメイド達には口外しないよう伝えましたし、できるかぎり彼女のことは秘密にしておきます」
「うん、助かるよ。母さん」
「これでも、ディルハルト侯爵家の正妻ですからね。エルとユミル、アイシスの考えることは大体わかりますよ」
母さんは目を細めた。
なお、アイシスとは『アイシス・ディルハルト』のことで、ディルハルト侯爵家の現当主にして、王都の別邸にいる僕の父親である。
この世界では、人族の一般的な茶髪。
いつも笑みを崩さず、糸のように細い目の奥に底知れない青い瞳を浮かべている人だ。
ちなみに、父さんの身長は190cm弱もある。
小柄の妖精族である母さんの血が色濃く出た僕からすれば、父さんの身長は羨ましい限りだ。
ディルハルト侯爵家は、一二年前までは一介の男爵家に過ぎなかった。
でも、僕が六歳で前世の記憶を取り戻して新商品を次々と父さんに提案、ディルハルト家は巨大な外貨を得たのだ。
結果、商会の献金とエレジアへの多大な貢献度が認められ、歴史上類い希な勢いで侯爵家となっている。
短期間でここまでディルハルト家が大きくなれたのは、僕が得た前世の知識も大きいけど、それ以上に影響したのが父さんの商才と頭の切れだ。
ディルハルトは歴史こそあれど田舎の商会に過ぎず、エレジアの表舞台に出てくるような働きはなかった。
でも、商会の血筋に受け継がれてきた商才と頭の切れに加え、長年に亘って蓄積された商売における管理方法や運営の知恵は素晴らしいものだったのだ。
ディルハルトは貴族ではなかったからこそ、血筋以上に実力のある者が商会の代表に選ばれる。
直系の血筋に商才がない場合、優秀な妻を商会の代表とすることもよくあったという。
そうして脈々と受け継がれてきた血筋は、決して高位貴族に負けるものではなかった。
僕が情報についての重要性を語ってDIA設立を提案したときも、父さんは『わかった。すぐに原案をまとめよう』と二つ返事で頷いている。
父さんは、いつも細い目でにこにこと微笑み、飄々としてつかみ所のない人だ。
でも、いざという時の頭の切れや決断力には、いつも驚かされる。
そして、ユミルこと『ユミル・ディルハルト』は僕の三歳下の弟で、現在は王都にある国立エレジア学園に通っている。
ユミルは父さんの血が色濃く出たらしく茶髪で190cmを超える高身長。
少し気だるそうな目に青い瞳を浮かべ、ぱっと見はぼーっとしているような印象を受ける。
でも、父さん譲りの頭の切れに加え、物事の本質を理解するのが速い。
弟は幼い頃から僕が勉強や武術に励む様子を間近で見ていたせいか、『……俺も兄さんと同じ光景が見てみたい』と言って、一緒に勉学に励んでいた。
結果、ユミルも十三歳でエレジア学園に飛び級入学を果たし、十六歳となった今年に卒業予定である。
母さんからユミルと父さんを聞いていたその時、ふっと脳裏にアリシアと『彼女』の名前が浮かんできた。
「……そうか。ユミルに『あいつら』と『彼女達』がどう学園で過ごしているのか聞いてみるか」
「……? エル、どうかした?」
「あ、いえ。アリシアのことをユミルにも聞いてみようと思いまして。エレジア学園の『同級生』ですから、何か知っているかもしれません」
そう、ユミルは偶然にも僕が入学するはずだった時期に学園へと入学し、乙女ゲームのヒロインや関係者達と出会っている。
また、ユミルは僕や父さんと一緒に『DIA』を設立したメンバーの一人だ。
だからこそ、アリシアの件が不可解でもあるんだけどね。
「まぁ、それは良い案ね。ユミルはお兄ちゃん子だから、頼りにされたらきっと喜ぶわよ。ここを離れるときも、『……兄さんと離れたくない』って、呆然と立ち尽くしていたぐらいだもの」
「あぁ、そんなこともありましたね。懐かしいです。でも、田舎領地に籠もる兄が普通と思ってほしくありませんから。ユミルにとって、王都は良い刺激になっているでしょう」
ユミルがここにいた頃、彼は余程の用事がないかぎり、無表情で僕の後ろをずっと付いてきていた。
頭が切れる故に何でもすぐに理解できてしまうユミルにとって、同年代との会話はつまらなかったらしく、僕と一緒にいたほうが楽しかったそうだ。
兄として慕ってくれるのは嬉しい反面、ユミルの将来に不安を覚えた僕は『同じ光景が見てみたい』という彼の言葉を逆手に取ってエレジア学園への入学を諭した。
『一度、僕や領地を離れて外の世界を見てごらん。色んな人と出会い、もし話が通じなくても理解する努力は今後も必要になるからね』
『……その方が、兄さんの役に立てるの?』
『僕に役立つかどうかは重要じゃないよ。でも、今後も僕を手伝ってくれるなら、この経験は必須だね』
『……わかった。なら入学する』
当初のユミルは懐疑的だったが、僕との会話を経て入学を決意して王都にある別邸で父さんと過ごす日々を送ることになったのだ。
ユミルの将来を考えてというのも本当だが、一応は乙女ゲームの『クラウン・エレジア』の動きを警戒して弟には入学してもらった部分もある。
DIAから数名、学園に送り込んでいるが『ディルハルト家』として送り込めるのは、ユミルしかいなかったからだ。
乙女ゲームのことは説明していないが、別の言い方で『彼等』を警戒するよう釘を刺している。
『ユミルが入学する同時期には、連合王国の君主国である人族が治めるアルセリア王国の王族や高位貴族。エルフとダークエルフが治める南北フィルヴィア自治領。獣人族が治めるヴァルクラント公国。ドワーフと妖精族が治めるノルディア山国。それぞれの国から今後の国家運営に関わる重要人物達が集まる。彼等の人となりを、ユミルの目で見て判断するんだ。これは、DIAからの依頼と考えてくれてもいい』
『……⁉ 兄さんが局長を務めるDIAからの依頼、か。わかった。必ずやり遂げる』
僕の話を聞いたユミルは鼻を『ふんす』と鳴らして頷き、王都での学園生活における『重要人物達』の監視を承諾してくれたというわけだ。
母さんは僕の言葉を聞くと、「ふふ」と笑みを噴き出した。
「そうだと、いいんだけどねぇ。あ、それよりも……」
その時、執務室の扉が丁寧だが強めに叩かれた。
「エルミア様。至急、お伝えしたいことがございます。よろしいでしょうか」
聞こえてきたのは、レインズの声だ。
しかし、普段の軽い声ではなく、何やら緊迫した様子である。
母さんもすぐに察したらしく、こくりと頷いた。
「母さん、申し訳ありません」
「いえ、いいのです。それから、アリシア様がうなされながらもずっとエルの名前を呼んでいるの。落ち着いたらでいいから、後で部屋を訪ねてあげて」
「わかりました。必ず、お伺いいたします」
「約束、しましたよ」
母さんは目を細めると踵を返して部屋の扉を開け、レインズに会釈して入れ替わるように退室した。
レインズは入室すると、軽く頭を下げる。
「お取込み中、申し訳ありませんでした」
「いや、気にするな。それよりも至急の件とはなんだ」
顔を上げさせると、彼は真顔のまま答えた。
「はい、実は屋敷を警備している『0009(スリー・オー・ナイン)』から怪しい者達が周辺をうろついているという報告がありました。王都からの観光客を装っているようですが、小型の双眼鏡で屋敷を覗っているようです」
「へぇ、もう来賓が来たというわけだ」
このタイミングでディルハルト侯爵家の屋敷周辺をうろつくなんて、十中八九アリシアを追ってきた連中だろう。
なお、『0009(スリー・オー・ナイン)』とは、DIA諜報員の中でも特別優秀な上位九名に与えられる暗号名だ。
000諜報員と評され、忠誠心・潜入力・戦闘力・護衛力など複合的な力量で精鋭が集められたDIAの中でも、選りすぐりの面々。
精鋭中の精鋭というやつだ。
暗号名というよりも、人並み外れた才能を持ち、かつ並々ならぬ努力者だけに与えられる称号と言った方がいいかもしれない。
これらのコードネームが与えられた人員は、ディルハルト侯爵家の中では母さん、父さん、僕、ユミルに次ぐ発言権を持ち、ある程度の裁量権も与えている。
そして、レインズの報告にあった0009は、ディルハルト侯爵家の警備を一任している人物だ。
0009という暗号名から000諜報員の中で一番下に見られがちだが、決してそんなことはない。
通常のDIA諜報員時代の0009は、暗殺による陰謀阻止率100%の人物だ。
0009に任せれば、対象人物は今日明日にでも人知れず世を去っている。
それも0009の姿を見ることもなく、だ。
故にDIA内では『無気配』という異名を持つ。
それだけの暗殺術を持つ0009が、どうして屋敷警護をしているのか? それは、一般諜報員が0009になると同時に発した言葉が始まりだった。
『この屋敷の警護は甘すぎると言わざるを得ません。私であれば、いくらでも侵入してエルミア様とフィリア様を暗殺できてしまいます』
当然、当時の警護関係者は怒ったが、0009は明日の朝までに『実力行使で証明する』と頑なだった。
僕は、皆がそれで収まるならと、警護関係者と0009の対決を容認。
そして、翌日の朝、僕と母さんの部屋は真っ赤な薔薇がばら撒かれているという珍事が発生。
0009は厳重な警備を掻い潜り、有言実行を果たしたのである。
以降、ディルハルト侯爵家の警備は0009に一任されたというわけだ。
「0009曰く、遠目で把握できた装備だけでも、短剣や魔拳銃を確認。魔法使いのほか、魔小銃も用意しているかもしれないとのことです」
魔拳銃や魔小銃とは、前世の知識とこの世界に存在する魔石や魔法を用いて作った銃火器のことである。
国や貴族が運営する騎士団や軍属にしか僕は販売を認めておらず、一般流通はさせていない。
まぁ、それでも、悪い奴等は抜け道を考えようとするからDIAが片っ端から潰している。
ディルハルト侯爵家が銃を開発後、欲に目が眩んだ貴族や悪人達による銃の密売や銃を使った陰謀は後を絶たない。
DIAがそれらの計画を事前に察知して潰した結果、ディルハルト侯爵家の国からの信頼が高まるというのは、何とも皮肉な話だ。
「なるほど、とんでもない来賓だ。ディルハルト侯爵領の『鉄砲刀剣類所持等取締法』をご存じでないらしい」
国が決めた法律とは別に、領内では独自の法律を制定することができる。
『鉄砲刀剣類所持等取締法』は正当な理由なく、武具を携帯することを禁じた法律だ。
刀剣類であれば冒険者、観光客、護衛などが護身用などで持つ分にはある程度融通を利かせている。
しかし、銃は一般流通させていないので許可状無しに持っていたら一発検挙だ。
「ちょっと話を聞きたいことがあるから、生け捕りするよう伝えて。僕も現地に行くよ」
「畏まりました。すぐに申し伝えて参ります」
レインズは会釈すると、踵を返して退室した。
僕は壁に掛けてあった腰に巻くホルスターを手に取って装着し、執務机の引き出しから銀色の光を放つ回転式魔拳銃を取り出した。
横に振って振出式のシリンダーを出し、弾を入れてシリンダーを元に戻す。
無機質な鉄の音が響くと、僕は腰のホルスターに拳銃を入れて扉へと歩き出した。
「さて、折角の来賓だ。ディルハルト侯爵家の名代が丁重に出迎えてあげないとね」
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