エルミアの過去と現在
執務室に入って扉の鍵を閉めると、僕は執務机の椅子に腰掛けて引き出しからペーパーナイフを取り出した。
封筒を丁寧に開けると、中の手紙に目を通していく。
『拝啓、エルミア様。緊急事態につき、誠に勝手ながら私の独断にて動きました。このような形での事後報告になりましたこと、深くお詫びいたします』
相変わらず、ダリアの字は読みやすくて達筆だ。
彼女がここにいた頃、レインズと張り合っていた様子を思い出してつい笑みがこぼれる。
だが、文面を追っていくと眉間に力が入った。
『此度の件を単刀直入に申し上げますと、アリシア・ヴァレンティア様は王子アルガス・ジオ・グロリオサとその配下によって数年以上は監禁状態にあったと思われます。
体力、精神ともに著しく衰弱。
自己肯定感は極度に低下し、自虐的な破滅思考に陥っています。
洗脳状態と評しても過言ではありません。
表向きでアリシア様とアルガス殿下は良好な関係を築いているとされていますが、表舞台に立つアリシア様はアルガス殿下が用意した替え玉でございました。
特殊な魔道具を用いて巧妙に隠されており、私も事実を知れたのは偶然です。
しかし、偶然とはいえ、アリシア様を救える好機でもあったため、独断にてお救いいたしました。
ヴァレンティア公爵家においては敵味方の判断が難しく、また中央権力に近いため再びアリシア様が拉致・監禁される可能性を考慮し、ディルハルト侯爵領に向かうよう手配した次第です。
またその際、アリシア様の支えになるようエルミア様が出した求人を渡しました。
諜報活動を任されておきながら、情報収集が足りずに申し訳ありません。
私はいま暫く王都に潜伏し、アリシア様が逃げる時間を稼ぎます。
もし、生きて戻れれば、どのような罰でもお与えください。
どうか、アリシア様をよろしくお願いします。
敬具
ダリア・マルセット』
読み終えると、僕は手紙を机の上に置いて深呼吸をした。
そうしないと、怒りの感情で爆発しそうだったからだ。
「……第一王子アルガス・ジオ・グロリオサ、か。攻略対象でもあるお前が、裏でこんなことをしでかすとはね。考えもしなかったよ」
エルジア連合王国王位継承権第一位アルガス・ジオ・グロリオサは、乙女ゲーム『クラウン・エレジア』に登場する主役級攻略対象で『紳士ぶった俺様系』というやつである。
ゲーム内において表向きは紳士的に対応するが、実際のところは自身の気に入らない相手には陰謀を張り巡らして表と裏から容赦なく叩き潰すという性格の持ち主だ。
『お前は……俺の言うことを聞くだけの女であってくれればいいんだ!』
紳士的な面の皮を破って、主人公のヒロインに熱い告白をする場面は『クラウン・エレジア』では必見と言われていたらしいが、正直、前世の記憶を思い返すかぎりでは、僕にはあんまり響かなかったようだ。
『表向きは紳士を気取っておきながら、裏では俺様で気に入らない奴等を権力で踏み潰すなんて……ちっさい男だなぁ』ぐらいな印象しか抱けなかったらしい。
しかし、こうしたゲームの攻略対象にありがちというべきか。
ゲーム本編では詰めの甘い部分があって、こんな大それたことができる男ではなかったはずだ。
現状で考えられることは、僕が本来起こるはずだったであろう問題を『密かに潰した』ことで、ゲームで起こりえなかった『新たな問題』が生まれた可能性だろう。
とはいえ、恐れることはない。
この可能性があり得ることは、想定内だからだ。
6歳で記憶を取り戻してからの12年。僕は勉学に励んで飛び級して学園に入ったり、父上の手伝いをしていただけじゃない。
前世の知識を使って『化粧品関係』『食文化』『魔科学製品の開発』『インフラ整備』など、様々な研究開発をこの田舎と呼ばれるディルハルトで行い、世にこっそりと送り出してきた。
王都には表向きはディルハルトと無関係を装いつつ、当家の息が掛かったダミー商会がいくつも存在している。
それらの商会を合わせれば、資本合計はおそらくエレジア連合王国と同等以上になっているはずだ。
そして、その莫大な資本を使ってディルハルト侯爵家が密かに生み出した組織がある。
『探知【Detection】』
『完全性【Integrity】』
『情報制御性【Access control】』
これら三つの要素を中心に『情報収集、精査、先制防衛』を果たす存在こと『ディルハルト特務情報局』……通称『DIA』だ。
情報を操り、国家間における事象すらも裏で糸を引き、意図を操るための組織。
情報戦を制する者は、世界すらその手に支配できる……そのことを、僕は前世の記憶にある数々の歴史と近代史で知っていた。
本来、こんな組織を一侯爵家が持つことは国家反逆罪になりかねない。
しかし、ディルハルト侯爵家は『ダイア』を用いて、事件や陰謀を数多く解決し、未然に防いだ件数は数知れず。
大きな例で言えば、すでに七回もの国難を事前に察知して解決を果たしている。
その七回とは『クラウン・エレジア』の物語上で起きる国家間の争い、内乱、陰謀の類いだ。
いくら前世の記憶があろうとも、何の証拠もなく犯人達を断罪に追い込むことはできない。
そのため、僕はDIAを設立。
優秀な人材を集め、教育を施し、諜報員として社会のありとあらゆる隙間に忍び込ませている。
僕が十八歳になるまでに『クラウン・エレジア』で起こりうるすべての問題を密かに潰し、人知れず国家の危機を未然に防いできた。
その働きがあったからこそ、ダイアは現王とごく一部のみが存在を知る秘密組織として黙認されている。
「……重要なのはダリアや他の諜報員達が、アリシアの替え玉に数年以上も気付いていないという事実だろうな」
DIA諜報員はディルハルト侯爵家への絶対的な忠誠だけでなく、優れた素質、才能、潜入に適した容姿、知能、器量に加え、徹底的な厳しい訓練が施される。
その訓練にふるいを掛けられて残った者だけが、死ぬまで生涯の生活を約束された『DIA諜報員』となれるのだ。
なお、生涯の生活というのは配偶者と子供まで『ディルハルト侯爵家』が金銭面を含み、すべての責任を負うというものである。
それだけ精鋭が多数入り込んでいる王都で、果たしてDIAの情報網から数年単位で逃れることができるだろうか……?
不可能だ。
前世の世界にある大国並みの国力を持ち、かつ情報の重要性を認知している国はこの世界には今のところ存在しないからである。
とはいえ、どれほど優秀な人材を集めても、完璧な網というものはない。
相手が『情報の重要性』を知っていれば、こういうことも起こりうるということだ。
まぁ、その事実も『重要な情報』になる。
手紙にあった『魔道具』や『巧妙』というくだりから察するに、確実にアルガスには協力者がいるはずだ。
最低でも高位貴族、もしくは高名な魔法使いが絡んでいる可能性もあるだろう。
ちなみに現在のエレジアには王子が二人いるけど、彼らにはDIAの存在は知らされていない。
絶対に教えないでくださいと、僕が国王に釘を深く刺したからだ。
「……見えてきたな。つまり、王子に入れ知恵をしたのは数年前から『DIA』の存在を知り得て、情報を徹底的に管理できた人物ということになる。となれば、候補はかなり限られる、か」
公爵以上かつ宰相などの政権運営幹部関係者。
現王もしくは王妃、はたまた王弟か。
あるいは、国立エレジア学園の学園長。
他には……。
心当たりが数人浮かんできたところで、扉が丁寧に叩かれた。
「エル、私よ。入っていいかしら」
「その声は母さんだね。もちろんだよ」
返事をしながら、僕は手紙を封筒に入れて机の引き出しにしまいこんだ。
「じゃあ、入るわね」
扉が開かれると、僕と同じ髪色と瞳を持つ母さんこと『フィリア・ディルハルト』が入室する。
いつもは笑顔が絶えないのに、何やら顔色が険しい。それに他のメイド達の姿も見えない。
「どうしたの、母さん。そんな怖い顔をしてさ」
「エル、アリシア様の洋服をメイド達と一緒に着替えさせたんだけどね。その……だらけだったのよ」
「え、なんだって?」
母さんが急に小声になって上手く聞き取れない。
僕が身を乗り出して聞き返すと、母さんは顔を真っ赤にし、目には涙を浮かべた。
「体中、痣だらけだったのよ。それも昨日、今日に付けられたものじゃないわ」
「……⁉」
公女が体中に痣を作っていた。
その事実だけでも呆気に取られるが、いつも穏やかな母さんが怒りの感情をここまで表に出した姿を見たのは初めてだ。
母さんは憤りを抑えられないらしく、そのまま怒号を続けた。
「体も痩せているし、何をどうしたらあの年齢の娘がああなるというの。エル、あの娘に……一体、アリシア様に何があったというんですか⁉」
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