悪役令嬢と初対面
「……では、失礼いたします」
返事から察するに緊張しているみたいだし、怖がらせてはいけないな。
男二人では怖がらせてしまうかもしれないと考え、僕はレインズに扉前で待つよう指示した。
そして、深呼吸をしてゆっくり扉を開けていく。
部屋の中には備え付けられた下座のソファー……ではなく、わざわざ部屋の隅に置いてあった木の椅子に腰掛け、赤紫【ワインレッド】の波打った髪をした少女が肩を縮こませていた。
これは、本当に只事じゃないぞ。
予想だにしない光景に、僕は喉を鳴らして息をごくりと呑んだ。
本来、アリシアは公爵令嬢であって、僕よりも位は上だ。
ここまで畏まる必要はないのに。
わざわざ下座に位置取って、壁際に置いてある木の椅子に座って待っているなんて、通常ならあり得ない。
第一王子を支える存在として王女教育も受けていたはずの彼女が、何をどうしたら、こんなへりくだった対応をするんだ。
そして、驚くべきはレインズが言っていたように、その服装である。
公爵家の令嬢が着るような煌びやかなドレスとはほど遠い平民の、それも、使い古されて一部には穴すら空いていた。
いや、平民ですらこんな服は着ていないだろう。
強いて挙げるなら、王都の外れにあって問題視されている貧困町の人達が着ているような服装だ。
おまけに部屋に入ったであろうことはわかっているだろうに、こちらに振り向こうとしない。
まるで、顔を合わせることを怖がっているような。
もしくは、使用人のように声を掛けられるのを待っているようにも見える。
このままじゃ話が進まない。
僕は咳払いをして、できるかぎり優しくゆっくりと切り出した。
「あの、アリシア様。どうされたのでしょう、そのようなところに座って」
「あ……⁉ た、大変申し訳ありませんでした。わ、わわ、私のような些末な者が椅子に座るなんて、どうか、どうかご容赦ください。で、ですが、どうか、どうか見捨てないでください」
「え、えぇ……⁉」
彼女は椅子から立ち上がったかと思うと、僕の前に跪いて床に頭を付けようとする。
「だ、駄目です。貴女のような方が……⁉」
頭を下げないよう真正面から押さえたその時、アリシアと目が合った。
赤紫の波打った前髪の奥に隠れていた、吸い込まれそうなアメジストの深い色に僕の胸が『どきり』と強い鼓動を打ち、その衝撃が波打った波紋のように胸から全身へと走っていく。
まるで、全身の血が沸騰でもしそうな熱さに襲われた。
『エル、妖精族の血を引く者はね。運命の候補者に出会ったら、ものすごく胸がときめくの。もし、そんな相手を見つけたら逃がしちゃだめよ。相手に立場があるときは、諦めないといけないけどね』
僕が16歳になった時、母さんの言っていた言葉が脳裏をよぎる。
あの時は半信半疑だったけど、こういうことだったのか。
「あ、あの、あのあの、ど、どど、どうかされましたか」
「そ、その、アリシア様が可愛すぎて、見ていられないと申しますか」
「え……えぇ⁉ わ、わわ、私が、かか、可愛いですか。あり得ません、あり得ません。だって、だって、み、みんな、みみんな、私の髪は気持ち悪いって。それに目、目も人を惑わすって……悪女って言って、言ってました」
これだけ綺麗で可愛い女の子が悪女、だって。
誰だ、そんなことを言った奴は。
「アリシア様、そんなことありません。貴女の持つ赤紫の髪は高貴で力強く、誰もが羨むでしょう。そして、その深いアメジストの瞳は神秘的な魅力に溢れております。この世の誰が非難しようとも、私は貴女のことを見目麗しい絶世の美女だと胸を張ってお伝えしましょう」
「……ほ、本当に。本当に私を見目麗しい絶世の美女と仰ってくださるんですか」
「えぇ、もちろんです」
ちょっと落ち着いたかな? 僕が微笑み掛けると、彼女は床に座ったまま威儀を正した。
「で、では、こちらで、エルミア・ディルハルト様の下でどうか働かせてください」
「い、いや、だから頭は下げないで……って、あれ?」
また床に頭を付けるのかと思って慌てて止めると、さっきまでと違って彼女は力が抜けたようにだらんとしてしまう。
「な……⁉ アリシア様、アリシア様……⁉」
「お願い、もうここしかないんです。お願いします、働かせて、くだ……さい」
彼女を抱きしめたことで僕はハッとする。息づかいがおかしいし、体が熱い。
「失礼します」
慌てて彼女の額に手で触れると、異常な熱が掌を伝わってきた。
おかしい言動の原因はこれか。
「レインズ、レインズ!」
「はい、何でしょうか」
大声を発すると、扉が開かれてレインズが顔を覗かせる。
しかし、彼は驚愕した様子で目を見開いた。
「そ、そんな……⁉ エルミア様が訪ねてきた令嬢に手籠めにするような真似をするなんて。いくら縁談失敗、彼女いない歴18年の強者だからって、それはいくら何でもあんま……うがぁ⁉」
「黙れ、その口に水を突っ込むぞ」
母譲りの水魔法を使い、レインズの口に水鉄砲をお見舞いしてやった。
僕の母は魔法を得意とする妖精族で、水魔法の力はその血筋によるものだ。
彼は咳き込みながら、怨めしそうにこちらを見つめてくる。
「……突っ込んでから言わないでくださいよ」
「お前が馬鹿なことを言うからだ。それよりも、アリシア様が体調不良で気を失った。僕は彼女を客室に運ぶ。お前は母さんとメイド達をすぐ呼ぶんだ。それから、医者を手配してくれ」
レインズはアリシアの真っ赤になった顔、只事ではない息づかいを見て血相を変えた。
「か、畏まりました。直ちにフィリア様とメイド達を呼んで参ります」
彼が部屋を出て行くと、僕は荒い息づかいの彼女を両腕に抱きかかえて部屋を飛び出した。
一体全体、彼女に何があったというんだ。
そして、エレジア連合王国の王都では何が起きている。
ふと見やれば、彼女は僕が先週発行した『求人のチラシ』を掴んで離さない。
熱にうなされているというのに……。
ここまで、彼女を追い詰めたのは何なんだ。
僕は生まれて初めて言いようのない怒りに震え、全身の毛が逆立ちそうになっていた。
でも、これが俗に言う『一目惚れ』というやつなのかもしれない。
「お願い、もう、行くところがないの。ここで、ここで、働かせてください、エル……様」
「……⁉」
一瞬、愛称で呼ばれたかと思ってびっくりしたが、腕の中にいる彼女が目を覚ました様子はない。
どうやら、うなされていたようだ。
「大丈夫、君の居場所はここにあるよ。だから、今はゆっくり休んで」
微笑み掛けて優しく声を掛けると、アリシアは「……ありがとうございます」と目尻から涙を流していた。
とはいえ、その涙とありがとうの意味は、きちんと後で説明してもらうことが条件だからね。
もう、一目惚れとか関係ない、本気でこの子を助けて、守ってあげたい。
僕は心からそう思い、改めて覚悟を決めると客室に急いだ。
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