目覚め
「……以上が彼等の吐露した鉄線花【クレマチス】の全てです、ご主人様」
「報告ご苦労様。ただ、ご主人様と呼ぶのはやめてくれって言っただろう、0006」
ディルハルト侯爵家の執務室。
執務机の椅子に腰掛ける僕こと『エルミア・ディルハルト』の前には、妖艶な笑みを浮かべて小柄な少女が机を挟んで立っていた。
妖精族の彼女は薄い金色をボブヘアに揃えていて、横髪からは少し尖った耳が出ている。
目尻の下がった大きな目の中には、黄色い瞳が浮かんでいた。
小顔かつスレンダーな体つきに加え、身長は150cmを切っていることから、ぱっと見は幼い少女のようだが侮ってはいけない。
彼女こそDIA000諜報員【スリーオーメンバー】の一人にして生地獄【ライフオブヘル】の異名を持ち、拷問と尋問を最も得意とする諜報員0006【スリーオーシックス】。
本名は『ネラ・ドールヘルツ』といって、僕が幼い頃にディルハルト家が拾った子供の一人だ。
「残念ですがご主人様はご主人様でございます故、ご了承くださいませ。もしお気に召さないと仰るのなら、どうかこの喉を切り裂いてください」
ネラは目を細めると、自らの喉に両手を当てて差し出すような仕草をみせた。
見ている分には可愛らしい少女で言葉も丁寧なんだけど、何回注意しても僕のことを『ご主人様』と呼び続けるという頑固な一面も持っている。
何がどうして、000諜報員は誰も彼もが一癖も二癖もある人物に育ってしまったのか。
「……はぁ、わかった。好きに呼んでくれて構わないよ」
「ありがとうございます」
ネラが嬉しそうに目を細める姿を前に、僕はやれやれと頭を振った。
そして、彼女が提出してくれた報告書に再び目を落とす。
「それにしても、鉄線花【クレマチス】がここまでDIAにばれないよう組織を拡大していたとはね。やっぱり、なかなかのやり手がいるらしい」
「そのようですね。捕らえた者達は全員、玉を一つ潰しただけで口を割る『玉無し』。彼等は捨て駒に過ぎないでしょう。組織の全貌はほとんど知りませんでした。情報精査のため、二つ目の玉砕をちらつかせて裏も取りましたのでご安心ください」
彼女は尋問の当時のことでも思い出しているのか、頬を少し赤らめながら身をよじらせて恍惚な表情を浮かべている。
「はは、頼もしいよ」
僕は苦笑しながら彼女がまとめた報告書に目を落とした。
捕らえた兵隊達の話から察するに、鉄線花はエレジア中枢にかなり蔓を伸ばし、深い根も張っているようだ。
兵隊達がディルハルトに派遣される前の足取りを全て遡ってみたが、手掛かりは何一つ残されていなかった。
だが、これだけ用意周到な動きができ、兵隊達から足が付かないよう完璧な後始末まで行える……となれば組織力は推して知るべしと言ったところだろう。
気になることはまだある。
アリシアの危機を偶然知り、彼女をディルハルトへ逃がしたというDIA諜報員ダリア・マルセットのことだ。
ディルハルトの息がかかっている商会、隠れ宿にもダリアの身柄を保護するように通達はしている。
しかし、彼女の行方は未だ掴めていない。
兵隊達はダリアのことは聞かされておらず、とある少女の奪還もしくは暗殺を命じられていたようだ。
ちなみに、彼等はその少女が『アリシア・ヴァレンティア』とは知らなかったらしく、対象が公爵令嬢であることを告げたところ驚愕していたらしい。
まぁ、『知らなかった』と言ったところで、彼等の罪が軽くなることはないけどね。
アリシア・ヴァレンティアがディルハルト領に逃げ込んできて三日を過ぎている。
でも、彼女は未だベッドで寝込んだままだ。
医者曰く、アリシアは体中にある痣や傷に加え、栄養失調による衰弱が酷いらしい。
風邪でも命取りになりかねない状況下、王都からディルハルトまでの長旅、逃亡生活は極度の緊張を生み、彼女の体は限界を超えてしまったようだ。
当然、アリシアを救うべくディルハルトが誇る最先端の医療技術、人材は総動員している。
母上とメイド達が交代制で夜通し付き添ってくれているし、DIA諜報員達による厳重な警戒態勢も敷いた。
情報が漏れることも、外部者が潜り込める隙間もない。
しかし、アリシアが回復するかどうかは、彼女の生命力に懸けるしかない状況だ。
歯がゆいが、こればかりはどうしようもない。
『エル。仕事が落ち着いたらでいいから、アリシア様の手を毎日握ってあげて。きっとその温もりが生きる力になるはずだから』
母上にそう言われた僕は、仕事が終わってから毎日彼女の部屋を訪ねている。
ただし、寝ているとはいえ公爵家の令嬢だ。
二人きりになるようなことはせず、必ずメイドや母上にも立ち会うようにお願いしてる。
「ところで、ご主人様。彼等の後処理は『いつもどおり』でよろしいでしょうか?」
「あぁ、0006に任せるよ。最初に口を割った男だけは収容所で監視しておいてね。いま外に出すと、鉄線花に『処理』されちゃうだろうから」
「承知しました。ご主人様の寛大なお心に彼もきっと喜ぶことでしょう」
ネラがにこりと微笑んで頭を下げたその時、執務室の扉が丁寧だが強く叩かれた。
「エルミア様、レインズでございます。入ってよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ」
僕が返事をすると、レインズが入室して一礼した。
「アリシア様が目を覚まされました」
「……⁉ 本当か⁉」
思わずその場に立ち上がると、レインズはこくりと頷いた。
「はい。現在、フィリア様が寄り添っておりますが、領主代行であるエルミア様にすぐ来てほしいと仰せでございます」
「わかった、すぐに行こう。0006、君も来てくれ」
「私もですか?」
目配せすると、彼女は小首を傾げた。
「異性である僕には話しづらいこともあると思うんだ。その際、君に母上とアリシアの話を聞いてもらう必要も出てくるかもしれない」
「承知しました」
アリシアの話を聞く際、母上だけでは重要な部分を聞き忘れてしまう可能性がある。
その点、尋問を専門とする0006がいれば聞き漏れることはないだろう。
尋問というと仰々しく聞こえるけど、要は質問で相手から情報を引き出すという『会話』だからね。
僕はレインズと0006を引き連れ、執務室を後にするとアリシアが休んでいる部屋に急ぎ足で向かった。
◇
「アリシア様、母上。エルミア・ディルハルトです。入ってもよろしいでしょうか」
部屋の前で待機していたDIA警備員の身体検査が終わると、僕は咳払いをして丁寧に扉を叩いた。
「だ……⁉ エ……?」
「……ぶ……わ……」
「……か?」
部屋の中で小さな話し声が聞こえてくるが、返事は聞こえてこない。
扉の前で静かに待っていると、ややあってから「……どうぞ」というか弱い消えそうな声が聞こえてきた。
「……本当に大丈夫ですか。もし、私が怖いというのであれば、また後日でも構いませんよ」
「あ、い、いえ。だ、大丈夫……です」
できるかぎり優しい声で呼びかけると、再びか弱くて聞こえそうな声が返ってきた。
でも、さっきよりは大きい。
本当に入っても大丈夫だろうか。
びっくりさせて、アリシアに嫌われたらどうしよう。
こういうのって、第一印象が大事っていうもんな。
「エル、入ってきて大丈夫よ」
僕がどぎまぎして戸惑っていると、部屋の中から母上の何やら察した様子の声が聞こえてきた。
どうやら、本当に入って平気のようだ。
「……それでは失礼いたします」
深呼吸すると、僕は扉の取っ手をゆっくりと回した。
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