エバーラストブロッサム ~受付嬢のエテルナさん~
「お、おはようございます!! リネットと申します。きょ、今日からお世話になりましゅ!!」
あれほど練習して来たのに……めちゃめちゃ噛んでしまった。
でも落ち込んでいる暇なんて無い。せっかく憧れの受付嬢になれたんだから頑張らないと!!
ここ王都の冒険者ギルドは王国内はもちろん大陸一の規模と歴史を誇っている。そして――――花形である受付嬢は女性であれば誰もが一度は憧れる人気の職業、過去には王家へ嫁いだ例もある。そのため貴族ですら箔を付けるために娘を受付嬢にさせようと必死になるほどで、読み書きや計算はもちろんコミュニケーション能力の高さや好感の持てる容姿など高い素養が要求されるのだ。
「あはは、そんな緊張しないの。今日から一緒に働けるなんて嬉しいわリネット」
「セリーヌ姉さん!!」
ガチガチに緊張している私の肩をポンと叩いてくれたのは、母の妹で叔母のセリーヌだ。叔母さんというと殴られるので、セリーヌ姉さんと呼んでいる。出産を機に受付嬢を引退した母とは元同僚であり、私にとっては大先輩にあたる。
現在は受付嬢のまとめ役として後進の育成が主な業務だが、いまだ現役として窓口に立つこともある。ギルド内での発言力は、ギルドマスターですら無視できないらしい。ようするに結構偉い人なのだ。
というわけで貴族でも何でもない私が王都の受付嬢になれたのは、母や叔母そして祖母がこのギルドで受付嬢をしていたという実績が大きい。小さい頃からしょっちゅう遊びに来ていたので、他の職員さんたちもたいてい顔見知りだったりする。
はっきり言えば身内枠のようなものだが、使えるものならコネだろうが何でも使わせてもらう。もちろん実力も容姿も負けない自信はあるけれど、それだけで成れるほど受付嬢は甘くは無いのだから。
「リネット、大きくなったわね」
「エテルナさん!! お久しぶりです!!」
そして――――私が受付嬢に憧れるきっかけとなったのがこの人、エテルナさん。
王都冒険者ギルド不動の人気ナンバーワン受付嬢。
サラサラと輝くプラチナブロンドの髪、深く澄んだエメラルドグリーンの瞳、白磁のような白い肌、美女揃いの受付嬢の中でもその美しさは際立っていて、人智を超えた神々しさすら感じさせる。
「エルザとエステルは元気にしているかしら?」
「はい、近々ここへ遊びに来るって言ってました」
「あら、それは楽しみだわ」
エルザというのは、私の祖母でエステルは母だ。ちなみに祖母が新人受付嬢としてギルドへ入った時、エテルナさんは今と変わらず人気ナンバーワン受付嬢だったそうだ。つまり祖母、母、そして私の三代に渡ってエテルナさんの後輩になるのだ。
そんなことあり得ないって? それがありえるんだなあ。
実はエテルナさんは人族ではない。美術品のような整った容姿、少し尖った耳が特徴の森の民エルフなのだ。
エルフの見た目は人族とほとんど変わらないが、一番の違いは寿命だ。
かつて神々がまだ地上におられた神話の時代、精霊と人の間に生まれたのがエルフだと言われている。
そのため純血のエルフには人族でいうところの寿命という概念が無く、中には千年以上生きる者もいるとか。
でも――――エルフと人族が共に暮らすようになってから数百年、もともと数が少なかったこともあり、人と交わることによって純血のエルフはもはや絶滅危惧種というほど少ないらしい。
エテルナさんは、王都でも珍しい純血のエルフなのだ。
「見てよリネット……あの凄まじい行列……」
「うん……いつ見ても凄いよね……アレ」
同じ新人受付嬢のマリアと二人、思わず感嘆の吐息が零れる。
ギルドでお気に入りの受付嬢を指名することは出来ないが、その受付嬢が担当する窓口に並ぶことは出来る。つまりはそういうことだ。他の窓口を担当する受付嬢も王国最高峰の美女なのだが、エテルナさんと並ぶと平凡に見えてしまう。
時間の切り売りをしている冒険者たちにとって待ち時間は無駄になるのではないかと思うかもしれないがそうではない。
エテルナさんは仕事がめちゃめちゃ速い。他の窓口の三倍並んでいても三倍のスピードで処理してしまうので待ち時間は変わらないのだ。私とマリア新人コンビが二人がかりで一組こなす間にエテルナさんは五組は終わらせている。もっとも対面出来る時間もその分短いので、エテルナさんと少しでも話をしたい冒険者にとっては良し悪しであるが。
「リネット……気付いた?」
「もちろん。エテルナさんが対応した人たち、全員満足げだよね」
処理が速いベテラン受付嬢は他にもいる。でも――――エテルナさんはそれだけじゃない。それだけじゃないのはわかるんだけど……?
「あの、まだですか?」
「「も、申し訳ございません!!」」
いけないいけない、ただでさえ時間がかかるんだから仕事に集中しないと……。
「はあああ……疲れたあ……」
ようやく休憩時間、一見華やかに見える受付嬢の業務がこんなにハードだなんて思わなかった。
それに――――間違いやミスも多かった。セリーヌ姉さんや他の先輩方がフォローしてくれたから何とかなったけど、正直もっと出来ると思っていた。自信やプライドが粉々に打ち砕かれた気分だ。
「お疲れさまリネット」
「エテルナさん!!」
そっと差し出された果実水を慌てて受け取る。
「わっ!! 冷たい!?」
「ふふ、魔法で冷やしたの。リラックス効果と疲労回復効果があるのよ」
その優しい気遣いと女神のような微笑み、冷えた果実水が心と身体に染み渡る。
「その様子だと……たくさんミスをして落ち込んでいるのかしら?」
「うっ……そうなんです」
使えない新人だとガッカリされてしまっただろうか? 恐ろしくてエテルナさんの顔が見れない。
「あら、やっぱり血は争えないのね、新人の頃のセリーヌにそっくり。あのねリネット、セリーヌったら――――」
「うわあああ!!!! エテルナさんストップ!!! あれは私の黒歴史で――――」
セリーヌ姉さんが大慌てですっ飛んできた。よほど聞かれたくないことなのだろう。
「セリーヌだけじゃないわ。エルザだってエステルだって新人の頃は皆同じだったのよ」
「母さまやおばあさまもですか?」
セリーヌ姉さんはまだなんとなくわかる。ちょっとおっちょこちょいなところがあるから。でも――――おばあさまや母さまもそうだったなんて想像も出来ない。
「ええ、それに比べればリネットは優秀よ。自信を持って続けなさい、きっとすぐに一人前の受付嬢になれると思うわ」
「エテルナさんみたいになれますか?」
「もちろん、私なんて新人の頃は本当に酷かったのよ? 人族の文化に慣れていなかったこともあって毎日落ち込んでいたわ」
エテルナさんでもそんな時代があったなんて……言われてみれば当然だけど、誰でも最初から上手くゆくわけないってことか。
「ありがとうございます! なんだか元気が出ました!」
「頑張り過ぎないように頑張ってね」
やっぱりエテルナさんはすごい。あんなに落ち込んでいたのに、今はやる気があふれ出しそうになっている。まるで魔法みたいに。
「ちょっと、見てたわよ」
「マリア!」
「エテルナさまの果実水、私にも一口!!」
「うえっ!? 駄目だよ、これは私が貰ったんだから」
これだけは譲れないの、ごめんねマリア。
「マリア、あなたもどうぞ」
「エテルナさま!!!」
やはりエテルナさんは女神だった。そして――――自分自身の小ささを痛感させられた。反省。
「えええっ!!! マリアってエルフの血が流れているの?」
「おばあさまがエルフだから四分の一だけどね」
どうりで美人だと思ったんだよね。どことなくエテルナさんに似ているような――――いや、全然似てないな。
「……リネット、あなた今失礼なこと考えてなかった?」
「え? ぜ、全然そんなことないよ? 羨ましいなあって思っただけ」
「もしかして寿命のこと言ってるの? それね、よく言われるんだけど実際はちょっと違うんだよ」
「え? そうなの?」
少しでもエルフの血が混ざっていると長寿になるのはよく知られている。何が違うのだろうか。
「エルフはね、番となる相手と結ばれた時、寿命が決まるのよ」
「えっと……それってどういう意味?」
「相手が死ぬまでが寿命。言葉だけではなく、文字通り一生を添い遂げるのがエルフなの。だから――――おばあさまは純血のエルフだけれど、おじいさまが亡くなれば――――」
少しだけ寂しそうに、でもどこか誇らしそうにマリアは笑った。
「でも……なんだか悲しいお話ね」
「そうかしら? 愛する人と共に生き、共に死ぬ。私は素敵だと思うわ。だって――――おばあさまはとっても幸せそうなんですもの。まあ……私よりも若くて美人に見えるのは複雑だけどね」
「あはは……それじゃあ、おじいさまには長生きしてもらわないと」
「それなら大丈夫、おばあさまってばエルフの秘術やら秘薬やら使って最低あと百年は生きてもらうって張り切ってるから……おかげでおじいさまもお父さまの兄弟に間違われるくらい若々しいのよ?」
なんとなく想像出来て笑ってしまう。でも――――そうか……それじゃあエテルナさんも番となる相手と結ばれたら――――
「ねえマリア、そういえばエテルナさんって恋人とかそういう噂全然聞かないよね?」
「うーん、俗に言う仕事が恋人ってやつじゃないかしら?」
「たしかに! 都市伝説だと思ってたけど、本当にエテルナさん一日も仕事休まないものね」
王都でまことしかやに囁かれている都市伝説――――エテルナさんはいつ行っても受付に座っている説、検証しようと実際に365日通い続けた強者がいたらしいが、その間一日も欠かすことなく働いていたらしい。
そう聞くとまるで冒険者ギルドが休みももらえない過酷な職場のように思われるかもしれないが、私たち新人ですら週に二日休みはある。理由はわからないが、本人の強い希望で休みをとらないのだとか。先輩職員に聞いた話だが、滅多に自宅へは帰らず、基本毎日ギルドに寝泊まりしているのだとか。
もちろん本人がその気になれば相手候補はいくらでもいるだろう。なにせ王太子殿下からの求婚を断ったくらいなのだ、この国に男として生まれれば、一度は夢をみるに違いない。
「気になるけど本人に聞くわけにもいかないし」
「未婚のエルフに恋愛と年齢の話はマナー違反だからね」
マリアによるとマナー違反というよりもタブーに近いらしい。本人が自分から話す分には問題ないらしいけど。
「リネット、マリア、もうずいぶん慣れたみたいね」
「セリーヌ姉さん」
「セリーヌさん」
「……休憩時間終わってるのにのんきにお喋りとかずいぶんと余裕ね?」
「……あ」
「……あはは」
「「ごめんなさーい」」
「はあ……気分が乗らないわ」
「どうしたのよリネット、暗い顔して?」
「聞いてよマリア、昨日お財布落としちゃって……おまけに馬車に泥かけられてお気に入りの服が汚れちゃったの!!」
「うわあ……それは災難だったわね」
本当についてない……仕事休めば良かった。
「リネット、ちょっと良いかしら?」
「あ、はい、何でしょうかエテルナさん」
休憩時間でもないのに仕事中エテルナさんが話しかけてくるのは珍しい。
「リネット、私たち受付嬢は何のためにここにいるのかわかるかしら?」
「えっと……冒険者の皆さまに依頼を紹介したり様々な手続きをするためです」
「そうね……それも受付嬢の仕事だわ。でもね、これだけは覚えていて欲しいの――――私たち受付嬢はね、冒険者が命がけで依頼を終えて街へ戻って来たとき、お帰りなさいと笑顔で迎えてあげるためにここにいるのですよ。そして――――疲れと傷が癒え、再び出発してゆく彼らを行ってらっしゃいと笑顔で見送るためにここにいるのです」
そういえば研修のときに言われたっけ。現役冒険者のほとんどは独り身で、帰る家も家族もいないのが普通なんだって。だから常に命の危険がある冒険者なんていう稼業に身を投じるしかないんだって……。
「だからね――――笑顔でいなさい。たとえどんなに辛いことや悲しいことがあっても、笑顔で迎えてあげなさい。それが――――私たち受付嬢に出来るただ一つのことなのですよ」
そうか……やっとわかった、エテルナさんが対応した冒険者の人たちがなんであんなに満足げに見えたのか。
私は――――私は冒険者のことなど考えていなかった。
可愛い制服を着て憧れの受付嬢になることしか考えていなかったんだ。
「リネット、エテルナさんにアドバイスもらったんだってね?」
「セリーヌ姉さん……私、全然わかってなかった……」
「良いのよ、皆そうやって一人前の受付嬢になるんだから」
「私、なれるかな……エテルナさんみたいな受付嬢に」
「無理ね、だってあの人、このギルドに登録している冒険者全員の顔と名前、受けている依頼はもちろん過去の実績、家族構成まで完璧に把握しているからね?」
うん、無理。でもさ、そこはきっとなれるよって言って欲しかったな……嘘でも良いから。
「ねえマリア、本当に遊びに行って良いの?」
「ええ、おばあさまに話したらぜひ連れて来なさいって」
今日はマリアの実家に招待されている。エテルナさん以外の純血エルフに会う機会なんて滅多にないので今から楽しみ。
「いらっしゃい、私がローザ、マリアがいつもお世話になってます」
「り、リネットです、こちらこそマリアにはお世話になってます」
覚悟はしていたが、想像以上に若い! たしかにマリアよりも年下に見える。しかもエテルナさんとは違った意味で異次元の美しさ、やはり純血のエルフは半端ではないのだとあらためて思い知らされた。
そして――――幸せオーラが凄い! エテルナさんが月なら、ローザさんはまるで太陽みたい。こうしてみるとマリアはローザさんに良く似ている。その容姿も、その明るい性格も。
「同じエルフでも全然違うんですね!!」
ローザさんは瞳の色が綺麗なローズレッドなのだ。マリアの瞳が紅いのはローザさん譲りだったのかと納得する。
「あはは、人族と同じよ。まあ……髪色は人族みたいにバリエーションはないけど、瞳の色は全員違うのよ」
全然知らなかった。でも――――近くに居るだけで花のような香りがするのはエテルナさんと同じだなってなぜか少し嬉しくなってしまった。
「えええっ!!! ローザさんも受付嬢だったんですか!?」
「そうよ、と言ってもずいぶん昔のことだけどね」
エルフの言うずいぶん昔ってどれくらい前なんだろうかと少し怖くなる。でも――――ローザさんの美しさを考えてみれば当然か。それにこの国で異種族の女性が安全に働ける職場はそう多くはないわけだし。
「おばあさまはエテルナさまの友人なのですよ!!」
マリアがめちゃくちゃ自慢げだ。うん、それはたしかに自慢したくなるね。というか、王都に住んでいる数少ないエルフ同士、関係ない方が不自然だとは思うけれど。
「たまに夕食を一緒に食べたり、昔話をするくらいだけどね」
エテルナさんとお食事!! 羨ましすぎる……!!
「ローザさん、エテルナさんって昔からあんな感じだったんですか?」
「あんな感じとは?」
「仕事一筋っていうか……休みも取らずに毎日働いているじゃないですか」
「それ、私も気になる!」
ローザさんは少し考えた後、私たちを見て悲しそうに微笑んだ。
「そういえばもう知っている人も居なくなっているのね」
「私たちがギルドで働き始めて三年目くらいだったかしら……その新人冒険者がやってきたのは」
ローザさんは遠い昔を懐かしむように話し出した。
「当時は上京して冒険者になる新人なんて掃いて捨てるほどいたのよ。まあ……それだけ酷い時代だったってことなんだけどね。その中でも彼は悪い意味で目立ってた。なんというか放っておけない危うさがあったのね。毎日ギルドへやってきて受付するのは決まってエテルナだった。当時もあの子を狙っている男はたくさんいたけど、彼はそうじゃなくて登録してくれたのがエテルナだったからって理由で。なんで知ってるかって? 彼女が休みの日は私が代わりをやってたからね、色々話をしたのよ」
私の知らないエテルナさんの過去、なんだかドキドキしてきた。
「いつの頃からね、エテルナも彼が帰ってくるのを楽しみに待つようになっていたの。いつも出先で見つけた花を持って帰ってくる優しい彼のことをね」
「そ、それでどうなったんですか?」
「どうなったの?」
私とマリアは興味津々で先を促す。
「彼はとても才能にあふれていてね、最初は薬草集めから、毎日休まず依頼をこなして――――たった五年でS級冒険者となった」
「え、S級ですか!? あれって事実上名誉称号ですよね? まさか実在したとは知りませんでした」
少なくとも私は知らない。だって――――あれは後にも先にもかの『勇者』ただ一人に与えられた――――
え……? ま、まさか……?
「そうよリネット、彼の名はアルス・レオンハート、かの魔王を倒して勇者となった人」
「そんな馬鹿な、だって勇者アルスが生きていたのって今から五百年近く前――――ああ……そうでしたね」
相手がエルフだということをすっかり忘れてしまっていた。それにしても、伝説の中にしか存在しない人物と同じ時代を生きていたなんて――――
「当時はね、魔物を率いる魔王軍が大陸を支配する勢いで――――魔王を討伐するために各国が力を合わせて討伐隊を結成したの。アルスも当然選ばれたわ」
さっきまでのドキドキは跡形も無くなっていた――――だって――――その戦いで勇者アルスは――――
『エテルナさん、俺、絶対帰ってきますから。今までと同じように』
『はい、お帰りお待ちしてますね』
『それで――――その……帰ってきたら……その……』
『はい、なんでしょう?』
『俺と結婚してください!!!』
『はい、喜んで』
『はあ……やっぱり駄目ですよね……ってえええっ!? 良いんですか?』
『ふふ、だから――――待ってます。ここで――――いつものように――――アルス、貴方の帰りを』
「それが――――二人が交わした最後の言葉、だったわ。私もその場にいたからね……。その先は言わなくとも知っているわよね?」
勇者アルスは――――最後、魔王と相討ちとなって――――戻ってくることはついになかった。
「そんな……それじゃあ……エテルナさんは……ずっと……」
「そうね……エルフにとって約束は契約、それも番となる相手との約束は彼女にとって何よりも大切なものだったから……」
「ちょっと待っておばあさま、それじゃあエテルナさまは……」
「……そうだね……ある意味死ぬことも出来ない永遠の呪いなのかもしれない。せめて死体があれば後を追うことも出来たのかもしれないけどね……アルスを責めることは出来ないけれど、残酷なことをしてくれたと思う」
魔王と勇者は最後、互いの力によって跡形もなく対消滅したと伝えられている。彼の犠牲があったからこそ、この国の平和が――――いや大陸すべての今がある。
だけど――――エテルナさんは――――あの人の時間は止まってしまっている。そんな残酷なことってないよ……。
私もマリアも泣いた。私たちが泣いたからって何が変わるわけでもない。でも――――それでも泣かずにはいられなかった。
今ならわかる。
なぜエテルナさんが休まず受付にいるのか。
なぜギルドの扉が開くたびに期待と不安が入り混じったような表情を浮かべるのか。
待っているんだ、勇者アルスを。
信じているんだ、彼が帰ってくることを。
知らなかったんだ、そんな想いを抱えて――――五百年経った今も変わらず笑顔でいる覚悟を。
「私に何か出来ることってないかな……」
あの日以来ずっと考えている。エテルナさんのために何か出来ないのかって。
「……よし、せめて美味しいお菓子を差し入れしてあげよう!!」
今日はお休み、マリアと一緒に美味しいお店を開拓する予定だ。
「マリア遅いな……」
「あの、ちょっとお尋ねしても?」
げっ、ナンパかしら? まあ……こんな可愛い子が一人で立ってたら声かけられるのも当然――――って、何この人めっちゃカッコいいわ。
見た感じ高位の冒険者かしら? ちょっとデザインはアレだけど相当良さそうな装備に見えるし……。
「はい、何でしょう?」
「王都の冒険者ギルドを探しているんだけど……」
ああ、やっぱり。あえて私に聞いたということは、受付嬢オーラが出てきたのかしら? ふふふ。
マリアは……来る気配無いし、どうせ行くお店決まってるから後で合流すれば良いか。
というか、この人なんか放っておけないのよね。
「ギルドまでご案内します」
「それは助かります!!」
ここからなら歩いてもそれほどかからないしね。
「王都は初めてですか?」
「いや、久しぶりに来たらすっかり変わってしまっていて……」
「ああ、わかります。住んでいる私たちですら日々変わっているなって思うくらいですから。ずっと変わらない建物なんて王城と冒険者ギルドくらいじゃないですかね」
「ああ、本当にそうですね、ここは変わっていないみたいだ」
「来たことはあるんですね。ところで――――そのお花とっても綺麗……あ、もしかして受付嬢にプレゼントですか? 私実はここで受付嬢しているんですよね」
大陸中から物が集まるここ王都でも見たことのない花だ。白銀色の茎と葉に花は宝石みたいに輝くエメラルドグリーン。こんなの貰ったらデートくらいしてあげたくなる。
「そっか、でも渡す相手は決まっているんだ。ずいぶん待たせてしまったと思うから……受け取ってくれるかわからないけど」
ふーん……ということは新人と若手受付嬢は除外か。まさか……セリーヌ姉さん? そんな……いや、あり得なくはないけど……。
「約束、したんですよね?」
「ああ」
「だったらきっと待ってるはずです」
だって――――私は知っている。誰よりも待ち焦がれる人がいることを。
「ありがとう、実は不安だったんだ。何もかも変わってしまって、知っている人も店もない。あれからどれくらい経ったのかわからないけど、普通に考えたら待ってくれているはずがないってね。でも――――俺は約束したんだ、そして――――彼女は待っているって言ってくれた。だから――――たとえどんな結果が待っていたとしても行かなくちゃならない」
そうだよね……受付嬢は入れ替わりが早い。多くは結婚や出産によるものだ。その彼女がまだ在籍している可能性は高くはない。ましてや独り身でいる可能性はさらに低いだろう。まさか……セリーヌ姉さんがいまだ独り身なのはこの人がいたから!?
ギルドへ入ってゆく彼に続く。
ここまで来たら最後まで見届けないわけにはいかない。
傷心の彼を慰めてワンチャンとか少ししか思ってない。
しっかり身なりを整える。彼がいつ帰って来てもいいように最高の私でいなければならない。受付は一番中央、入り口が一番よく見える席だ。彼が帰って来た時、誰よりも早く気付いてあげたいから。
空の花瓶にはいつも新鮮な水が入っている。彼が持ってくる花が枯れてしまわないように。
ギルドに人が一番少ない朝一番のこの時間、彼は決まってこの時間にやってくるのだ。一瞬たりとも気を抜くわけにはいかない。
さあ――――今日も頑張ろう!
「次の方どうぞ」
「はい」
「お名前は?」
「アルス・レオンハートです」
「偶然ですね、私が待っている人と同じ名前です」
「私が待たせている人はエテルナというのですが」
「あら偶然ですね……私、エテルナって言うんですのよ」
「あの……」
「はい」
「今日ここに来たのは依頼でもなく、達成報告でもないんですが」
「どういうご用件でしょう?」
「お嫁さんを迎えに」
「ここは冒険者ギルドですわよ」
「約束したんです。無事に帰ってくると。そして――――帰ってきたら結婚しようって」
「……そうだったかしら? 五百年近く昔のことだから記憶がはっきりしなくて……」
「五百年……そうか……そんなに……俺は……なんて残酷なことを……」
「私は……一度だってそんな風に思ったことはないです。それで――――ご用件は?」
「エテルナさん、俺と結婚してください!!!」
「はい、喜んで。お戻りお待ちしておりました、アルス」
というわけで、エテルナさんはめでたく寿退職することに。いやあ、本当に良かった。
「良かったじゃないですよ……」
「……だね」
世間は時を超えた奇跡の再会にお祭り騒ぎ。
そして――――冒険者ギルドは、エテルナさんという絶対エースが抜けた穴が大きすぎて大騒ぎ。
「はあ……今日も残業だよ」
「私も誰か迎えに来てくれないかなあ……」
マリアがそうぼやくが、そう簡単に抜けられたら困るのだよ、私が!!
「まあ……来るとしたら次は私の番ね。ほら、二人とも口だけじゃなく手も動かす!!」
セリーヌ姉さんは忙しい言いながらも笑顔だ。エテルナさんのことが何よりも嬉しいって。
私も心から思う。どうか誰よりも幸せになってくださいね……エテルナさん!