後編
その昔、大賢者と呼ばれた男がいた。
彼の名前はゼーレ・ルンティア。
数多くの魔法と魔道具を生み出し、後世にまでその名を残した世界一の魔法使いである。
この世界において彼の名前を知らぬ者など存在しない。
それ程までにゼーレの残した功績は大きく、彼が救った人間の命は余りにも多すぎた。
だが、ゼーレの過去を知る者も、またこの世には存在しない。
どこで生まれ、どこで育ち、どこで魔法を学んだのか。ゼーレは全てが謎の男であり、彼自身全てを語ることは決してなかった。
最初にゼーレが目撃されたのは、小さな田舎町だ。
どこからともなく現れた彼と初めて出会った女性は、後にこのように語った。
「あれは暑い日の事でした。彼は道端にひとり立ち尽くしていたのです。その朧げな瞳からは何を考えているのかも分かりませんでしたが、私は歩み寄って名前を聞いたのです。すると、彼は自分の胸に手を当て、何かを思い出すかのようにしてただ一言呟きました。『ゼーレ・ルンティア』と」
それがゼーレ・ルンティアの始まりであった。
彼は町で働きながら資金を稼ぎ、魔法の研究に没頭した。
その時代では考えられない奇抜で独創的な魔法を次々に編み出していき、気づけば小さな町はゼーレの手によって〝魔法の町〟と呼ばれるまでに発展していった。
「私は魔法を愛している。人間を愛している。その深い愛が私の背中を押してくれているのさ」
それがゼーレの口癖であった。
ゼーレは何かに取り憑かれたかのように魔法を編み出していったが、その言葉通り彼には苦痛や疲れは一切なく、寧ろ魔法に触れることに至高の喜びを感じていた。
いつしかゼーレは人々から大賢者と呼ばれるようになり、世界中から魔法についての依頼や研究を受けるようになった。
そんなゼーレの残した最も偉大な功績といえば、やはり〝魔道人形〟の開発だろう。
人間と同じ姿形をした魔力で動く人形。
それはゼーレが生み出した魔道具の頂点であり、世界を変えた発明品だ。
一見してただの少女に見えるその人形の知能は人間以上であり、言語を話すこともでき、魔法を扱うことだってできた。
白い肌。金色の髪。青い瞳。
それらの特徴を有する美しい人形は〝ヘルツ〟と名付けられ、ゼーレは各国の助けを借りつつも、このヘルツの量産に成功した。
「これで世界はより平和になる。ヘルツが人々を助け、魔法を広め、土地を豊かにするはずだ」
ゼーレは喜びと達成感に満ちていた。
愛する魔法で、愛する人々を助けることができるのだ。
これ以上の幸せは他にないだろう。
ヘルツが世界に齎すであろう明るい未来を想像し、ゼーレはひとり笑みを零した。
だが、その笑みは長くは続かなかった。
戦争が起こったのだ。
それも戦っているのは他でもない自分が創り出したヘルツだった。
彼女たちは人間の欲望に操られ、魔法を酷使して国々で殺し合いを強要させられていた。
愛するべき魔法を武器にして、愛するべき人間の命を奪い、愛するべき世界を炎と憎悪で焦がしつくす。そこにはゼーレの望んだ平和など在りはしなかった。
「私は取り返しのつかないことをしてしまった⋯⋯」
後悔と罪悪感が積み重なったゼーレは、己の罪を償うべく、ひとつの解決策を編み出した。
〝過去へ渡る〟魔法の開発だ。
既に多くの悲しみと痛みが溢れるこの世界から平和を取り戻すには、過去に戻りヘルツの開発を無かったことにするしかなかった。
ゼーレは直ちに行動に移すと、まずは今までの功績から得た大金を使い大きな屋敷を手に入れた。その屋敷に引きこもったゼーレは、助手として連れてきた一体のヘルツと共に〝過去へ渡る〟魔法の研究に勤しんだ。
〝過去へ渡る〟魔法はもはや神の領域に等しい。
今まで生み出してきたどの魔法よりも困難な道のりを前に、ゼーレが正気を保つことができたのはヘルツのお陰であった。
寝る間も惜しみ、魔法の研究に日夜没頭するゼーレを支え、休息を提案し、美味しい食事を振舞い、心のよりどころとしてヘルツは常に行動していた。
そんなヘルツにどれだけゼーレが救われたことか。
何よりも、本来の目的である〝愛情〟がヘルツには込められていたのだ。彼女を創り出したこと自体は間違いではなかった。そう思えたことこそが、ゼーレにとって何よりの救いだった。
そうしてヘルツと共に長い年月を乗り越え、魔法の完成もあと一歩のところにまで近づいた時、とある問題が発生した。
ゼーレの寿命だ。
肉体の衰えと確かな死期を感じ取ったゼーレは、魔法の完成よりも先に己の命が尽きてしまうことを悟った。
「⋯⋯すまないヘルツ。私はここまでのようだ。⋯⋯君には本当に助けられてばかりだったね」
「そのようなことはありません我が主。私も多くの失敗を経験しました。例えば〝料理〟や〝ペット〟だとか」
「⋯⋯ハハ。そんなこともあったね。料理で屋敷を燃やして。連れてきた犬が魔導書や魔道具を壊して。私がどちらも禁止にしたんだ。⋯⋯懐かしい。本当に、懐かしいね」
ベッドに眠るゼーレは、涙を微かに浮かべた瞳で天井を見上げた。
「⋯⋯私もこのような形になってしまったことを残念に思うよ。だが、打てる手は既に打ってある。⋯⋯私が死んだ後〝保存〟の魔法と特殊な魔道具によって、私の魂はあの器に封じ込められるだろう」
弱弱しい声でゼーレが指差した先には、一体の〝魔道人形〟が置かれていた。
白い肌。黒い髪。赤い瞳。
ヘルツとは容姿も性別も異なるその人形は、ゼーレの魂が乗り移るための魔道具だった。
「⋯⋯私の魂が封じ込められ、魔道具と一体となり、目を覚ますまでには途方も無い時間を有するだろう。⋯⋯恐らくは百年以上の時間がね」
「百年、でございますか。ですが我が主。魂を入れたとしても、それは私の目の前にいる我が主とは全く別の存在になるはずです」
「⋯⋯今まで私が生きてきた記憶が抜け落ちているから、だね。⋯⋯心配はいらないよ。君の頭脳に私の記憶を〝保存〟しておいた。だからヘルツ。もしも私が目覚めた際には君の額と私の額を繋いで、全ての記憶を移してほしい。⋯⋯そうすれば私は私として、あの新しい肉体で生まれ変わることができるはずだ」
ゼーレは微笑むと、傍らに置いていた二冊の本を手に取った。
弱った肉体のゼーレにはもはや持つこともままならぬようで、一冊ずつ、ゆっくりではあるものの、力を振り絞ってヘルツへと手渡した。
「これは?」
「⋯⋯私の今までの研究を纏めてある。⋯⋯赤色の魔導書が〝過去へ渡る〟魔法。もう一冊の青い魔導書には〝未来へ渡る〟魔法について記されている。⋯⋯勿論、二つとも不完全だがね。〝未来へ渡る〟魔法に関してはただの副産物に過ぎない。それをヘルツ、君に預けておく。⋯⋯屋敷と同じように〝保存〟の魔法を施しているから、平気だとは思うがね。失くさないように仕舞っておいてくれ」
「了解しました我が主」
ヘルツは二冊の分厚い魔導書を受け取ると、服を捲り上げて自身の腹部へと収納した。
「これで失くすことはありません。私のお腹の中は収納庫として作られておりますので」
「⋯⋯ふふ。まさかこんな形で役に立つとはね。⋯⋯それじゃあ後は頼むよ。分からないことがあれば、私の記憶を読み取ればいい。そして、可能であるならば、私が目覚めるまでに〝過去へ渡る〟魔法の研究を進めておいてくれ」
「了解しました我が主」
「⋯⋯ありがとう。そして、すまない。君をひとり残していくことを⋯⋯許して、くれ」
それがゼーレの最期の言葉だった。
目を瞑り、硬直したゼーレの体。
〝保存〟の魔法を施してあるため、腐ることも朽ちることも無いだろう。
ヘルツは悲しむ素振りを見せることも無く、部屋を後にした。
扉を開けると少し開けた空間に出た。
本棚が幾つも並び、ひとつの机と椅子が置かれている。
その部屋に入ったヘルツは、己の体に保管していた二冊の魔導書を取り出して机に並べた。
「⋯⋯我が主が目覚め、記憶を全て取り戻し、過去へと渡った時、私は消滅してしまうのでしょう。このヘルツを創ったという不都合な未来と共に」
二冊の魔導書を見比べながら、ヘルツはひとり言葉を続ける。
「私は我が主と共に生きていたい。ずっとこの屋敷で暮らしていたい。それが私の存在価値。私が創られた意味。だから我が主。貴方が目覚めても、全ての記憶を返すことはできません。過去を変えることは許しません」
ヘルツは赤色の魔導書を開くと、最初のページを破き捨てた。
「過去へ行くと記憶が失われること。そして、この魔導書が〝過去へ渡る〟魔法についてのものであることは隠すべきでしょう。記憶が万全では無い状態ならば、術式の全てを理解する事は不可能。我が主であろうとも騙せるはずです。後は魔法自体も変更する必要がありますね。肉体をそのまま過去へ送るのではなく、魂のみを切り取り過去へ送り、再び肉体を再構築する。我が主はこの案を良しとしませんでしたが、いずれ機会を伺い我が主を過去に送る時にはこの方が都合が良い」
再び魔導書を肉体に仕舞ったヘルツは、今までにゼーレと共に過ごした記憶を呼び覚ましていく。
楽しい記憶。幸せな記憶。悲しい記憶。辛い記憶。
様々な記憶がヘルツに流れていくが、その全てが彼女にとっては掛け替えのないものだった。
「この世界の寿命は短い。永延というものは存在しない。ならばどうすればよいのか。簡単です。繰り返せばよいのです。最初から最後まで。何度でも」
ヘルツが歩き出す。
するとその時、彼女の脳内に通信が寄せられた。
『こちらはヘルツ。只今より憎き人類との全面戦争を開始します』
「こちらヘルツ。了解しました。新しい主が目覚めるその時まで、好きなように暴れてください」
ヘルツが返答するや否や、大きな爆発音が脳内に響き渡った。
悲鳴。泣き声。
そんな人間たちの醜い叫びを堪能した後で、ヘルツは通信を切った。
「やはりこの世界の寿命は短い。これが我が主の選んだ道です。ですが、このヘルツだけは我が主の味方。どんなことがあろうともどんな時であろうとも、貴方様と永遠に一緒でございます。次に目覚めた時は、また世界を二人占めにしましょう」
ヘルツはまるで人間のように笑うと、古びた扉へと手を伸ばした。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
今回はとにかく簡潔に短く物語を終わらせる、を目標に書かせていただきました。結果、説明不足や穴ができてしまったような気もしますが、やはり力不足を実感しますね⋯⋯。
ただ、好きなように書くことは相変らずできたので良かったです。
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