少女の魔法③
エラフィールはロザンナと別れた後、旅に向けての準備を始めた。彼女は最初、雑貨屋に赴いた。彼女が、この街に着いたときから行きたいと思っていた場所。
その雑貨屋は主に魔道具や、ポーションを取り扱っており、どれも高品質で使い心地が良い物ばかりだ。店内は落ち着いた間接照明に照らされ、内装の木材は温かみのある色合いで、店全体はゆったりとしたリラックスできる雰囲気。
旅人に人気で、王都を訪れた人なら必ず行くべき、と言われるくらい有名だ。特に女性に人気で、ここの香水は即日完売するほど入手が困難な商品だ。
そっと店の扉を開き、店内の静かな雰囲気を味わいながらゆっくりと入店していった。
店の棚から、赤い瓶と青い瓶の香水を手に取り、二つをよく見比べ、熟考していた。
選び始めてから、数十分が経とうとしてる。
「赤い方も、青い方も良い匂いがするのよねぇ。強いて言うと、赤は甘い感じがして、青は香水って感じの匂い。いっその事、両方とも買ってしまおうかな? でも、さっきロザンナに奢ってお金無くなっちゃったし、どうしましょう……」
一人の女性店員がエラフィールに近づく。横を向くと店員と目があう。その店員は赤い香水に手を向けた。爽やかな笑顔と、丁寧な口調で、赤い香水の説明を始めた。
「こちらの商品は、イリスから出来た香水に様々な果実や、花を混ぜ込んで作っています。ですので従来の香水よりも、甘く濃厚で、とても上品な香りが持続するようになってます」
エラフィールは納得した表情で相槌を打ち、店員と顔を合わせた。
「そうだったのね。じゃあこっちの青い方はどんな物で作られてるの?」
店員は同じような、爽やかな笑顔と丁寧な口調で、今度は青い方の香水の説明を始めた。
「こちらはですね、従来の香水と使ってる原材料は変わらないのですが、特殊な魔術を施しています。ですので、より香水らしいとても品質の高い香りがします」
「なるほどねぇ……二つとも値段は同じ」
悩みに悩んだ末、エラフィールは青い方の香水を棚に戻した。
「こっちの赤い方にするよ」
「かしこまりました。では、梱包致しますので少々お待ちください」
店員はエラフィールから香水を受け取ると、店のバックヤードに戻って行った。
エラフィールが財布を出し、会計の用意をしているとき、あることに気が付く。
「うげっ、この香水買ったらお金無くなるじゃない!! まぁいっか、別に大丈夫でしょ」
バックヤードから戻ってきた店員がエラフィールに綺麗に梱包された香水を渡した。木箱の中が緩衝材で敷き詰められ、その中に香水が入っている。
「お買い上げ、ありがとうございます」
エラフィールは財布からなけなしの銀河四枚を指先で器用に取り出す。
「銀貨四枚、ちょうどお預かりしますね」
エラフィールが財布の中をじっくりと見る。中には銅貨が二枚あるだけだ。
銅、銀、金の順番で硬貨の価値が高くなり、銅貨十枚で銀貨一枚分、銀貨五枚で金貨一枚分となっている。そして、この国の物価は少し高く、銀貨二枚でようやく一食分となる。
つまり、今のエラフィールは無一文と言っても過言じゃない。
買った香水をカバンに仕舞い、しょぼくれながら、雑貨屋のお洒落な扉を開けて店を出た。
「完全に間違えたわ。もっと他に買うべき物があったのに……まぁいっか、少し早いけど、ロザンナの様子でも見に行きましょう」
◇◆◇◆
エラフィールが草原に着いたとき、ロザンナは望縁魔法を発動しようとするタイミングだった。ロザンナの前から、彼女じゃ太刀打ちできない数のアトロキラプトルが攻めてきてる。
窮地に立たされたロザンナが最後の力を振り絞って戦おうとしている。まだ彼女の戦いに手を出すわけにはいかない。
凍りつくような空気が漂う。
「望縁魔法発動できるんだ。一体どんなものかしら?」
静かな空気の中、ロザンナが望縁魔法を発動した。
ロザンナを襲おうとしていたアトロキラプトルの群れが凍りつき、草の草原が氷の草原へと早変わりした。
遠くから見ていたエラフィールもロザンナの望縁魔法に巻き込まれた。
「ここが、ロザンナの望縁魔法の中か、望縁魔法を扱えるのは大したものね。でも、中途半端な結界かな」
その瞬間、ロザンナの望縁魔法がバラバラに砕け散った。氷も全て砕け、元々の世界に戻された。
アトロキラプトルがロザンナに襲いかかる。望縁魔法を使用した直後のロザンナは体力がそこを尽き、動けていない。エラフィールはすかさず腰の剣を鞘から抜いた。そして、ロザンナの傍まで駆け出すと同時、アトロキラプトルの首を刎ねた。
「はい、おしまい。初めてにしては頑張ったんじゃない?」
ロザンナがエラフィールの方を振り返る。その表情は今にも泣いてしまいそうなほど崩れてた。
エラフィールはアトロキラプトルの群れを端から端まで観察した。
「とりあえず、残ってるアトロキラプトル全部片付けちゃいましょうか」
エラフィールが一瞬で、全てのアトロキラプトルを討伐した。後ろでロザンナが困惑しているのが分かる。
目を丸くしたロザンナが、エラフィールの裾を引っ張った。
「……今のは何!? あんなにいっぱい、あいつらを一瞬で、ズバッてやったヤツ!!」
ロザンナは目の前で起きた出来事に興奮が隠せなかった。
初めて魔法を見た子供のようなテンションの高まり方。
けれど、どこか悲しげにも見える。
「アトロキラプトルと戦って気がついた。私の魔法も剣術も中途半端で弱い。今の私じゃ、争奪戦に参加しても、あっという間に死んでしまう……」
気弱になったロザンナは下を向いて、服の裾をギュッと掴んでいた。
底知れない悔しさが彼女の胸にくる。
学院内の強さを自負していたロザンナは、絶対的ともいえる自信を持っていたが、それら全てがさっきの戦いで崩れ落ちた。今まで積み上げてきたものが全て崩されたような気分。
そのとき、エラフィールはロザンナの顎を指で軽く掴み、顎をヒョイっと持ち上げて顔と顔の距離を近づけ、視線を重ねた。
エラフィールの瞳に映る自分が見える。
「じゃあ誰よりも強くなりましょう。その為の手助けなら、いくらでもしてあげる」
エラフィールがロザンナの顎から手を引いた。
背景の太陽に照らされるエラフィールは神々しく、希望に満ち溢れているように見える。
自分に希望の道を切り拓いてくれる光のようだ。
エラフィールが言葉を続ける。
「それで強くなるために、先ずあなたに知っておいてもらいたいことがあるわ」
その場がさらに静まり返る。
微かな草のそよぐ音も、飛び立つ鳥が羽ばたく音も、聞こえないくらい静寂になった。
エラフィールの声が、よく透き通る。
「尊厳を捨てた戦いには、決して勝てない。誰よりも誇り高く戦いなさい」
その言葉の意味をロザンナは、理解出来なかった。
どうして尊厳を捨てた戦いには勝てないのか、気高く戦わないといけない理由も分からない。
ロザンナは聞き返した。
「それってどんな意味があるの?」
「今はまだ、意味を知らなくていい。そのうち知ることができる。だけど今言ったことだけは絶対に忘れてはならないわ」
「ええ、分かったわ」
エラフィールはバッグの中からナイフを二つ取り出し、片方をロザンナに渡した。
バッグの中には、ナイフと香水しか入っていなかった。
「それじゃあ、五体分の爪を持って帰りましょう。早くしないと日が暮れてしまうわ」
倒れたアトロキラプトルの爪を切り取り、ギルドの討伐依頼を終わらせた。