裏切り裁判
この地獄を地獄と呼ぶには、まだ浅いだろう。本当の地獄は想像もし難いような酷い状況のことだろう。それでも、今法廷に立たされている彼女にとっては地獄そのものだ。
彼女の名前は「エミ・ローレン」王国でも有力な貴族の筆頭ローレン家のご令嬢。しかし、今の彼女の姿は貴族と言うにはほど遠い。
踵の擦り切れた靴を履き、旅人が何年も着続けたような囚人服を着せられ、貴族どころか、まるで人として扱われていないようだった。
群衆が見守る中、これから彼女に対する裁判が行われる。
彼女は一体何の罪を犯したのか、否、何も犯していない。
裁判所に来てからというもの彼女は、この状況にずっと戸惑っていた。
裁判所内の玉座に座る男が足を組み替える。偉そうな態度は依然として変わらない。
「その女は魔女だ。あらゆる不幸をもたらすに違いない」
ドリーヴァ王国の王位継承権第一位、王太子、ベルベッド・ラルド・ヴァン・ドリーヴァ。
この裁判が始まる前、ベルベッドが強引に別れを切り出す前までは、少女と彼は恋人関係にあった。
エミが通ってる国立の貴族学院で新入生歓迎パーティーがあったときに彼からエミに声をかけたのがきっかけだった。そこから徐々に親密になって彼と付き合い始めた。もう、これも過去の話となった。
裁判官がガベルを打ち鳴らす。
「これより、魔力災害発生事件について審理する」
王国最大規模の裁判所。誰も覆すことが認められない判決を下せる場所。裁判長の後ろからは、この世の物とは思えない気配を感じた。一見すると壁に同化してるように見える「審判の目」この王国の名物だ。あの目に睨まれた者は嘘をつかない、と言われている。
手首に手錠をかけられ、足には枷を繋げられた。逃げようとする意志すら、虚しくなるほどに。
群衆はエミを怒りや憎しみといった悪感情を送りつけながら睨む。
針のように突き刺さる声。
聞いてるだけでも耳をふさぎたくなるような罵詈雑言。その全てがエミを非難する言葉だ。
「ベルベッド様、なぜ私を被告人にしたのですか?」
決して言葉が震えぬよう、自分の気持ちを押し留めてエミが問いを投げかける。
彼女はこのとき、何度も足踏みをしてしまうほど怒っていたが、それと同じように哀しくも思っていた。
今日、本当はベルベッドとお出掛けの予定だった。 そのはずなのに、こんなことになっている。
彼に連れられて入った喫茶店で、エミはうっかり眠らされてしまった。その後に何があったのか知らない、気がついたら牢屋に投獄され、鉄の檻越しに彼から「別れよう」と言われた。
何度も何度も、エミが必死に問いかけようと、彼は黙り続けた。
ベルベッドの兵士が起訴状を読み上げる。
「先日発生した町全体を覆う魔力災害、死者620人、負傷者2,260人、住宅全壊748棟、住家半壊1,504棟、住家一部破損13,479棟。なお、行方不明者も多数出ています。これらの被害があった地域全てに、被告人エミ・ローレンの魔術残子と一致する魔子が残されていました。つまり、今回の魔力災害は自然に発生したものではありません。人為的に発生されたものです。それも、エミ・ローレンの手によって引き起こされたものです」
傍聴席で見学している人たちがざわつき始めた。
なんで? どうして私が疑われているの? そんなことした覚えがない。そもそも私の魔法では、魔力災害を起こすことさえできないの……
「違う、私じゃない。私はそんなことしてない、だって私はあの日……」
必死に訴えるしかなかった。自分の無実を証明するにはこれしか方法がなかったから。けれど、それは意味をなさなかった。誰もエミの話なんか聞いちゃいない。
ゴンッと、鈍く重たい音が頭の中で鳴り響く。
「ウッ……痛ッ」
エミは頭を抱えながら、その場でうずくまった。
頭からは真っ赤な血が流れ出ている。
彼女の足元に空いた酒瓶が転がってきた。
上を見上げると石や本なんかが裁判所内を飛び交っている。
立ち上がろうにも、立ち上がれない。
「どうして? こんな酷いこと……」
後ろを振り返った。傍聴席から怒号やらが飛び交い始めた。非難する声も先ほどよりも口汚く、酷いものになっていた。
「ふざけんな!! あの災害で何人死んだと思っているんだ」
「魔女め!! とっとと死にやがれ!!」
「私の息子を返してよ!! この悪魔!!」
(どうして? どうして誰も私を信じようとしてくれないの? この中に私のことを知ってる人もいるはず、その人たちも私を非難するのはなんで? おかしい、この裁判が行われていることもおかしい、でも、それよりもここにいる人たち皆おかしい)
裁判官がガベルを強く打ち鳴らす。
「静粛に! 静粛に! 今は公正な裁判の途……」
誰も静まろうとしない、裁判官もだんだんイラつき始める。
その瞬間、裁判所の空気をぶち壊すようにエミが悲鳴のような、雄叫びのような絶叫をする。
「ァァァァアアアアアアッッッ!!!!!!」
その時、裁判所内は静まり返った。
彼女は、ガベルの音をかき消すくらい力一杯叫んだ。お腹に思いっきり力を入れて、肺の空気を全て吐き出した。
全員が目を疑いながら彼女を見る。
「違う!! こんなの何も公正じゃない!! 何も正しくなんかない!! 全部全部おかしい!!」
「……言ってみろ、何がおかしい?」
ベルベッドはエミを馬鹿にするように嘲笑する。
底冷えするような冷たい視線、エミを陥れようとしか考えていない目つき。エミはこのとき、自分はこんなクソ野郎と付き合っていたのか、と後悔した。
ベルベッドは椅子から立ち上がった。
そして、弱った獲物を殺しに行くかのように、エミの前まで近く。
「お前も分かるだろう。何もおかしくない。お前は、自分の犯した罪から逃げたいだけなんだ。今までの行いを悔い、全ての罪を償え!!」
ベルベッドに強く怒鳴られたエミの頭は、思考の嵐に包まれ、まるで迷路のような迷い込んだ感覚に襲われた。
(私が本当にやったの? でも、そんなこと本当に覚えてすらいない。それに、頭が混乱してまともに考えられない)
「私は、私は……」
ーー異変に気づいたのはベルベッドからだった。
「ん? なんだこの音は?」
全員も異変に気がついた。耳を澄ませ、音の発生源である「審判の眼」へと視線を向けた。
衝撃波というか、爆発音のような音とそれに伴って、金属同士がぶつかり合うような激しい音が聞こえる。
「なんだこれは!? 何が起きている!?」
王国名物「審判の目」に亀裂が入った。あり得ない。500年以上色褪せることなく、大切に守られてきた遺産が壊れた。その場にいた誰もが焦り、困惑した。
亀裂は徐々に広がり、やがてそれは勢いよく粉砕した。
「エミ様!! 助けに参りました!!」
目を粉砕したと思われる人物は勢いのまま、エミ・ローレンの元に駆け寄っていく。誰もが呆気に取られ目を粉砕した人物に視線を奪われた。
なぜなら、人々はそれが、メイド服を着た炎がダガーを握っているように見えたからだ。
「フランカ!? どうしてあなたがここに?」
フランカはエミに近づくと比例して、身体の炎を鎮めた。
壁の砂埃を払ってエミの元に駆け寄る女性は威圧的だった。血で汚れた顔は人の恐怖を唆るのに十分。ここに来る途中も何人か殺したのだろうと思わせる。
「フランカ……」
「私はただ、お嬢様を救いに来ただけです。さぁ行きましょう」
そのメイドは、エミに繋がれていた手錠を持っていたダガーで素早く切り離し、エミに手を差し伸べた。
「フランカ、その右足はどうしたの? 怪我をしてしまっている」
フランカの右足のタイツはビリビリに引き裂かれ、ところどころから血が流れ出ている。壁を破壊したときの怪我にしては、随分と切傷のようなものが多い。
「ご安心ください、エミ様。この程度の怪我、気にすることありません。来る途中に、少し厄介な敵と遭遇してしまいました」
「フランカ、でも……」
「エミ様、早く逃げないと奴等が追ってきます」
「奴等って?」
「説明は後でします。だから今は……」
フランカは咄嗟にエミの頭を抱えた。瞬時に右手のダガーを巧みに使い、投げ飛ばされた槍を切り裂いた。バンッと金属同士がぶつかる激しい音が鳴り響く。
槍が投げられた方向にはベルベッドが立っていた。
「貴様、目を破壊した瞬間、俺に拘束魔法を掛けるとは……相当なやり手だな」
エミを抱えていたフランカの腕が緩む。
「一瞬で拘束魔法を解除したあなたに言われてもって感じですね」
「貴様ら決して逃がさない。特にそこのエミ・ローレンはな……」
「ええ、だから私たちも必死に逃げますよ。捕まらないように」
フランカが掲げたダガーは淡い光を放ち、彼女はその形状を意のままに変形させた。丸い球体に変形したダガーをフランカは地面に勢いよく叩きつけた。
「エミ様!! 私に捕まって!! 絶対に離れないでください!!」
エミはフランカの腰に手を回して、しがみついた。フランカはしがみついたエミを覆うようにして、抱え込んだ。
フランカが叩きつけたそれは、激しい閃光を撒き散らしながら爆発した。爆発の威力自体は強くないが、撒き散らされた閃光は人間の目をくらますのに十分な威力だ。
閃光を全身に浴びたベルベッドはもがきながら自分の目を両手で覆い叫び続けた。
「小癪なクソアマ!!」
時間と共に閃光は止み、視界が晴れてきた。
既にエミ・ローレンたちは逃げており、裁判所内は悲惨なことになっていた。崩れた壁から外の光が差し込んでいる。
「奴等逃げたな。まぁいい、どうせナイトメアが始末する……」




