誰かのために
〈王都・隣町の教会〉
レミンは一枚の紙を握りしめ、教会まで走った。ツムギが目を覚ますまで保護してくれている教会。災害によって家が潰れたレミンも、一時的ではあるが、そこに泊めさせてもらっている。
走りながら、バンッという音を立て、勢いよくドアを開けた。今、彼の口角は上がっていて、嬉しさを隠せずにいた。
「聞いてくれアルシア!! 見つけたんだ!! 島に行ける方法を!!」
教会の奥からタタタと、誰かが急いで走る音が近づいてくる。一人の女性がレミンに駆け寄った。
「ほ、本当ですかレミン!? やっとですね!!」
満開の笑顔でレミンを出迎えたのは、この教会の聖女、アルシア。
彼女のその表情、他人事ではなく自分事のようにレミンと喜びを噛みしめる。言葉は軽やかに、まるで布団の上で朝日が染み渡るように温かい。
レミンがツムギを教会に連れて以降、事情を知ったアルシアはレミンに協力していた。彼女なりに島の情報を集め、ひたむきにツムギの看病もしてくれていた。
「これで、ツムギちゃんを救うことができるのですね」
「ああ、だけど、まだ完全に救える訳じゃない。これを見てくれ」
レミンは握り締めてクシャクシャになった紙を広げ、アルシアに渡した。アルシアは目を輝かせながら紙を読み上げだ。
「ラバル島で開催する……争奪戦!?」
記事を読んだアルシアの表情は、誰が見てもわかるくらい顕著に移り変わった。
怒りを露わにして彼に詰め寄った。アルシアは自分の感情をレミンにぶつける。
「争奪戦なんて絶対にダメです!! しかもあんな何があるのか分からない島で!! これじゃあツムギちゃんを助けるどころか、あなたが死んでしまう!!」
睨んでいる。という訳ではないが、それ程にアルシアの目には力が込められていた。
「もっと他の方法を……」
「それでも」
レミンは視線をアルシアに合わせた。その目は訴えかけるように、彼の切迫している現状を表していた。そして彼は声を上げて、虚勢を張った。
「ツムギを救うには、これしか手段がない!! 俺はどんな目に遭ってもいい!! でも、ツムギだけは必ず助ける!!」
「…………」
アルシアはレミンから視線を外し、下を向いた。
「ツムギの両親に拾われたから、今まで死なずにいられた。今は俺がツムギを助ける番だ。誰かに守ってもらった命、誰かを守るために使わないと意味がない」
この時のレミンは、眉間の皺が深くなり、髪が逆立つような覇気を感じた。彼の意を決する熱い思い全てが、伝わってきた。
けれど声は、胸の底に不安を抱えているような声だった。隠しきれない恐怖が漏れ出ているように聞こえる。
「……レミン」
レミンは心の奥底で「未知」に対する恐怖が捨てきれずにいた。島のことなんて微塵も知らなくて、どんな人たちが参加するのかも分からなくて、争奪戦中に起きた出来事に主催者側が一切の責任を負わないときたら、誰だって不安に思う。
アルシアはレミンの両手を包み込むように握った。
「ツムギちゃんの為でも、本当は怖いのですね」
レミンは動揺し、さっきよりも早口かつ、しどろもどろに返答した。
「べ、別に、怖いとか、そんなこと……思ってすらいない!!」
頬が薄い赤色に染まる。目線も若干アルシアから逸らし、下を向く。
アルシアはもう一度レミンと目線を合わせるために、首を横に傾げた。
「いいのですよ。あなたの心は隠さなくても、私には分かりますから」
ゆっくりと両手をレミンの手から離した。
次第に彼の手ら力無く垂れ下がる。
「怖いんだ。ツムギのために行かないといけないことは分かってる。でも、行った先で俺が死ぬかもしれないって考えたら、足が動かなくなる……それでも俺は戦う! ツムギのために、俺自身の弱さに打ち勝つために、戦う!!」
涙目になりながら自分の心境を打ち明けた。手の皮膚に爪がめり込むくらい、強く拳を握っていた。レミンは底知れない恐怖を乗り越え、ツムギを助けるために立ち向かおうとしている。
その覚悟は「未知」故の無謀なのか、計り知れない勇気が彼の中で湧き上がっているのか、どちらにしろ、決意を固めた彼の選択を変えることはできない。
そんなレミンを見てアルシアは安心したかのような笑みを浮かべると、自分の思いついたことを歌うような調子で話し始めた。
「じゃあ、こうしましょう。この争奪戦、参加するなら二人以上ですよね? ですから、私があなたと一緒に参加します」
「……え?」
レミンは唖然とし、言葉にならない声を発した。
確かに、争奪戦の参加規定には二人以上と書かれている。だけど、一緒に行くのはアルシアじゃなくてもいい。アルシアを危険に晒す訳にはいかないとレミンは考えた。
「それだとアルシアにも危険が及ぶかもしれない……」
アルシアは両手をパンッと合わせて、強引にレミンの話を遮った。
「恐怖で足が動かないのなら、私があなたの肩を担いで一緒に歩きます。あなたが道に迷わないように、私が道導となります。……それに、一人くらい知ってる人がいないと心細いですよね」
アルシアはレミンに手を差し伸べた。一緒に戦おうという意思表示の手。
その手は光に包まれ、優しい温もりがこもっていた。
「ツムギちゃんを、助けましょう」
レミンは一呼吸の間を置いた後に返事をした。
「ああ、一緒に戦おう、アルシア」
「では、争奪戦の準備に行きましょ。先ずは、ギルドに行って、受付を済ませなくてはいけませんからね」
アルシアはそう言うと、教会の窓を拭いているもう一人のシスターを呼んだ。
「エマ、ちょっとこちらに来て」
呼ばれて返事をしたそのシスターは、どこか眠たそうな顔をしていた。茶髪で少し大きめの丸メガネ、まだ見習いだからか、修道服が少しはだけている。
「はぁい」
気の抜けたシャボン玉のような返事をし、小走りにアルシアの元に行った。返事というより、ほとんど欠伸のような声だった。
「あなたには明日から、この教会の聖女代理として務めてもらいます」
「了解しました。私、誠心誠意、頑張ります」
眠そうに目を擦りながら、聖女代理としての役割を引き受けた。なんだか、頼りない感じがするが、彼女で本当に大丈夫なのだろうか、とレミンは心底疑問に思った。
「本当に大丈夫なのか?」
アルシアはエマの肩を組んで、誇らしげに彼女の素晴らしさを語る。
「エマは凄いのですよ! こう見えて、とっても優秀なのです!」
エマがそれに同調する。
「そうですよ。人を見た目と態度で決めつけないで下さい。あと、ツムギちゃんは毎日ちゃんとお世話しますから、安心して行ってきて下さい。それと……」
エマがアルシアに何か伝えようと耳打ちした。レミンにはエマが何を話したのか、一切分からなかった。けれど、アルシアの顔がまるで茹でられたように赤く染まり始めた。
レミンは何となく、二人が恥ずかしいことを話してることを察した。
「も、もう! エマのバカァ!!」
アルシアは頬を膨らませて、精一杯怒った。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい」
そんなアルシアをエマが半笑いしながら宥める。
アルシアは呆れ顔で、深いため息を吐いた。
「エマはいっつもそんなことばかり言うのですから……あ、レミン、そろそろギルドに行かないと日が暮れてしまいます」
二人は教会の扉を開けて、この町のギルドに向かった。
エマが大きく手を振って二人を見送った。
「いってらっしゃい」




