三話 秘密基地①
セクスティリア・シラナよりセクスティリア・カエソニアへ文をしたためます
お元気ですか?
私は学び舎にも慣れ、つつがなく過ごしています。
お姉様のお手紙嬉しかったわ。なのに返事が遅くなってごめんなさい。
季節が巡ったくらいにと思っていたのに、半年も経ってしまいました。
それで今日は、遅くなってしまった学び舎のお話をしようと思います。
私の通う学び舎は、水道橋を越えた屋台通りの先にあるの。
ここは上位平民の商家が提供する屋敷を利用していて、医師も在中している整った場所よ。
貴族から平民までが通っていて、教師も教科ごとに専門の人がいるたいへん恵まれた環境なの。
平民は十二歳までに初等教育を終えて辞める人が多いから、それ以上を学ぶのはやはり、貴族や上位平民が中心ね。
でもここは、ほかの学び舎にくらべたら、まだ多い方なのですって。
陽が昇ってから昼までしかないから、学ぶ時間は少ないはずなのに、家で家庭教師と勉強するよりも学べることが多い気がするのは、色んな子たちがいて、沢山お話を聞けるからかしら。
庭に椅子を並べ皆で勉強するのも、初めは戸惑ったけれど、今はたいへん気に入っているのよ。
だから私のことは心配しないで。
それよりも、お姉様にいただいた猫ちゃんに元気がありません。
お姉様がいなくて寂しいのかもしれないわ。あまりご飯を食べてくれないの。
この子の好きなものを教えてくださる? 今度それを与えてみます。
淑女の鏡たるセクスティリア・カエソニアへ、貴女を敬愛するセクスティリアより
家でどんなに苦しいことがあったって、それを顔に出してはいけない。
それが貴族というもので、淑女というもの。
学び舎では特にそう。
貴族や上位平民の子に知られた弱味が、どう転がってお父様の足を引っ張るか、分からないから。
季節は巡り、秋も間近となった頃。
私も学び舎に慣れ、派閥争いもひと段落したものだから、少しゆとりが出てきていたわ。
いつものザンバラな黒髪が目についたものだから。
「ごきげんよう、アラトゥスくん」
笑顔でそう声を掛けると。
「アラタ」
真顔でそう返事が返った。
いつでも彼はそう。律儀に呼び方を訂正してくるの。
「お隣いいかしら? アラトゥスくん」
「アラタ」
「ありがとう、アラトゥスくん」
「アラタ」
「アラトゥスく……」
「アラタ」
絶対に譲らないのよね……。
でも、きちんとした発音で名を呼ばないのは、殿方に対してあまりにも無作法。
だからそう呼ばないわけにはいかなかったのだけど……。
「お前、要領悪すぎな」
その日、とうとう言われてしまった。
そうして、珍しく取り巻きや奴隷までもが場を外していた隙に、手を引かれたの。
そのままシーって動作で指示されて、されるがままついていった先で言われた、次の言葉は。
「二人の時ならいいだろ?」
「え……?」
「俺は無作法とか思ってねぇし。むしろアラタで呼んで欲しいんだっつの。つーか、俺にとってはアラトゥス呼びの方が無作法」
アラタと呼べと言っているのに、それをしないのか、女のくせにって、そう、言われた気がした……。
それで慌てて「アラタくんっ」て、言ったのに。
「アラタ」
……言ったわよね?
「くんとかいらねぇ。アラタでいい。ダチなんだから、それくらい普通のことだろ」
「だち?」
「そ。友達だろ、俺たち」
その時の気持ちを、どう表現すれば伝わるかしら……。
心臓を、アラタの両手でギュッと掴まれたように感じたと言えば、分かってもらえる?
友達だろって言って、にっこりと笑ってくれたそのお顔が、とても魅力に溢れていて、発光しているのかって思うくらいに、輝いていたわ。
頬が熱くなって、呼吸が乱れて、全身をゾクゾクと悪寒に近いものが走り抜けて!
「お友達……」
「そ。サクラはダチなんだから、俺のことはアラタって呼びすてりゃいンだよ」
友達だから、サクラって、呼んでくれていたの⁉︎
それが、人生で初めて友達を持ったと自覚した瞬間だった。
取り巻きや奴隷はいつだって私の側にいたわ。だけど、あのこたちは私を煽てる役目で、私を監視する役目……。
なんでもない会話なんてしてくれない。呼び捨てなんてしちゃいけない。名前の省略なんてもってのほかだった!
「周りの目があるから、そう自由にゃなんねぇよな、お前も。大変だよなぁ、議員の子供ってだけで。クルトも大概だけど、お前はもっとだよな」
羨ましいって言われたことは多々あったの。
だけど大変だって言われたのも、初めてだった……。
そしてクァルトゥス様の名前が出たことで、彼とアラタがどうしてあんなふうに仲良く見えたのかを、理解したわ。
クァルトゥス様もきっと、同じように惹かれたんだわ。
身分差を分かっていて、あえて踏み込んでくる彼の気概に。そして……。
大変だって、分かってくれたことに。
そうしてる間にも足を進め、連れてこられたのは学び舎裏手の、林の中だった。
少しだけ開けている場所で、大きな木のウロから敷物を引っ張り出して広げたアラタは、その上にゴロンと寝転んでしまった。
「ここ、穴場なんだ。
窮屈になったら好きに来ていい。見つかるようなヘマだけしないよう気をつけろよ。俺やクルトもたまにいるけど……まぁ、そこは気にすんな」
「……ここ、アラタの秘密なのね?」
「そ。秘密基地」
「ひみつきち……」
初めて聞く言葉だったけれど、本来なら教えない場所へ、私を特別に招いてくれたことはちゃんと分かった。
「……ここは、人の目なんて気にしなくていいぞ」
続けてそう言われて――。
きっとアラタは、私が今苦しいの、分かっていたんだわって、やっと気がついたの。