十七話 視察隊①
セクスティリア・カエソニアより、セクスティリア・シラナへ文をしたためます
クァルトゥス様が無事十六歳を迎え、視察隊に選ばれたそうですね。
おめでとうございます。我がことのように嬉しいわ。
あとは主席百人隊長に選ばれるかどうか。貴女たちのもとに幸運の女神が巡ってくることを祈っています。
それと、私からもひとつ報告できることがあります。
また、カエソニウス様のお子を授かることができました。
前の時より悪阻が酷くて、あまり動けないのが辛いわね。
でも、お腹の子が元気に育っている証拠だもの、頑張るわ。
セクスティリア・シラナへ、セクスティリアより
城塞都市から東に馬車で半日ほどいくと、半島からつながる広大な森の端に到達する。その森を私たちは樹海と呼んでいたわ。
闘技場でアラタが戦っている魔獣たちはこの森を棲家にしていて、基本的には森から出てくることはないのだけど、魔獣が畑を荒らしたり、人を襲ったりという事件は必ず年に数回は耳にした。
かつて樹海から魔獣が大量に溢れてきたことがあり、人が沢山餌食になったという伝承も残っているの。
とはいえ、それはずっと昔のこと……本当かどうかも定かではないし、細やかな話が大きく誇張されただけなのかもしれないと思えるほど、今の森は穏やかよ。
それでも魔獣は人にとって災害に等しい脅威。人の血肉を口にした魔獣は、暴れ狂う怪物と化すから決して侮ってはいけない。
魔獣の恐ろしさを忘れないため……そして危機を早期発見できるようにと毎年秋に視察隊が派遣され、森の魔獣が溢れてくるような異変が起こっていないかを確認する慣わしができあがり、のちに若手騎士の誉となった。
この偵察隊が騎士階級の十六歳のみで構成されているのは、機動力と何かあった場合全滅しても支障のない新人から、勇気ある者らが名乗りを上げて始まったためなのですって。
馬車で行くと半日かかる樹海だけれど、馬を飛ばせば数時間で到着できる。
森の中には古ぼけた石碑があり、古語で何かが刻まれているといわれているわ。
偵察はそこまで進み、戻ってくるという単純な任務。
その日は都市も活気づき、視察隊派遣は、もうほとんどお祭りみたいに扱われていた。
「クァルトゥス様、おめでとうございます」
大勢が見守る中、私は婚約の証である髪飾りを身につけ、クルトに寿ぎの言葉を伝えた。
「ありがとうごさいます」
同じく婚約の証の首飾りを身につけたクルトがニコリと笑う。
他人行儀なやりとりだけれど、立場のある身では仕方がない。今はそうすべき時間。クルトが無事視察隊に選ばれた祝いの席だった。
アウレンティウスは土地持ちだから荘園も沢山経営していて、今宴を開いているここは城塞都市の外壁の外。樹海へ向かう道すがらにある荘園のお庭だった。
葡萄棚が連なる光景が見渡せる、少し小高い丘に建つ豪邸は、葡萄畑との境を立派な外堀と石垣で囲われている。とても広かったけれど、招待した人たちでごった返していたわ。
ここが会場として選ばれたのは、地平線の端にうっすらと樹海が見えるからね。
「アウレンティウス様、おめでとうございます」
「クァルトゥス、おめでとう!」
「お前やったな!」
学び舎の友人たちも招かれ、ご馳走を前にはしゃいでいた。貴族と上位平民が入り混じっていることが、セクスティリウスとアウレンティウスの立場を表しているわね。
クルトの優しいところは、ここに顔を出すわけにはいかない平民の友人宅全てにも、アウレンティウスからという祝いの品を贈っていること。
きっと今頃はアラタの家にも届いているわね……彼や剣闘士たちが口にできるよう、日持ちしないけれど豪華なご馳走にしたって言っていたから。それも、お父様一人では到底食べきれないほどの量のね!
招かれたお客様たちの中には、不満げな表情をしている方もちらほらいたわ。
貴族と上位平民の婚約をよく思っていない方や、古参貴族の子息たち……視察隊に選ばれなかった騎士階級者。いつぞやアラタたちを罵倒した古参貴族子息も招かれていたけれど……彼も確か、騎士階級のはず。この宴にいるということは、彼自身は視察隊に選ばれなかったということね。
クルトと共に、私にまで祝いの言葉を述べてくる方が沢山いたわ。
私たちの結婚の条件については知らないから、きっと婚姻も近いわねとはしゃいで言われ、笑ってごまかすのには少し骨を折った。
一通りの挨拶を済ませ、宴が終盤に差し掛かろうという頃、私は適当な理由をつくって庭を離れることに成功した。
ゾフィがついてきてくれたけれど、少し一人になりたいからと、席を外してもらったわ。まあ、近くにはいるのでしょうけど。
「……はぁ」
夜も深まって、星が綺麗に瞬いていた。
庭からの笑い声が風に乗って流れてきたわ。
中庭の一角に座れそうな場所を見つけて、私はそこに足を向けた。真っ暗で誰もいないみたいだったから都合が良かったの。もう表情を取り繕うのに限界を感じていたから。
「……何も、めでたくなんかないわ……」
今日一日笑って過ごした。だけど内心はずっと、苦しかった。
クルトを縛りつける元老院議員への道が続くことなんて、全然めでたくないのだもの。
私は……クルトは主席百人隊長になんて選ばれなくていいと思っていた。
そうすれば彼に夢を返せるかもしれない。
クルトの仕事風景を何度も見ているうち、私にはその気持ちが強まっていたわ。
彼はやっぱり、学者を目指すべきよ。
元老院議員への道なんて必要ない。
今年か来年で、私たちは学び舎からも去ることになるから、あそこの派閥争いとだって無縁になる。
だからもう、クルトが私の婚約者じゃなくてもいい。
お父様がどのように考えているかは分からなかったけれど、どうせ結婚させる気がないのなら、早く彼を解放してほしかった。
でも私には、それを進言する権利もない……。
「……駄目、違うことを考えましょう」
気持ちが塞いできたから、学び舎を去った後のことを考えようとしたわ。
そうね、クルトとの婚約が解消されたら、私は家に篭もる生活に逆戻りかしら。初めはあれほど不安だった学び舎なのに、今となってはなくなることの方が残念でならないわ。
そうしたら私は、連日お稽古ごとに精を出して、お父様の接待に駆り出され、舞を舞って、お酒を注いで回って、歓談に混じって、賭け事に参加して……。アラタの剣闘士団買取資金も、来年の末くらいにはそれなりの金額になるはずよ。
でも学び舎が終わるということは、私がアラタと会うこともなくなるということ……。
「…………」
お金は、ゾフィにお願いして届けてもらえばいいわ。
アラタはそのお金で豺狼剣闘士団を買って、数年後くらいに、彼の育てた剣闘士が試合に出て、私がそれを観戦するようになるの。
豺狼剣闘士団が強くなったら、私の夫となった人に、あの剣闘士団へ投資しましょうって提案するのはどうかしら。それくらいの進言は許してくれる夫だといいわ……。そうしたら、アラタに会える機会だってあるかもしれない。
その頃にはきっと、彼も結婚していて、温かい家庭を築いているかも。それを見て私は――。
私、何ひとつ、楽しい未来が、思い描けないのね……。




