十六話 暗躍④
「あっアラ……セ、セクスティリア様ぁ⁉︎」
「声デカい! 奥借りるぞ」
「わっ、分かった。あの……だ、大丈夫なの?」
「ちょっと疲れてるだけ」
「そっ、そっか。分かった、ごゆっくりね!」
聞き覚えのある声だったけれど、意識を回してる余裕はなかった。
私はアラタに抱えられたまま、裏路地のとある高層住宅街の一角を訪れていた。
一階は商店。二階からは住居という典型的な造りなのでしょう。けれどアラタが私を促したのは、店の奥の小さな部屋。簡素な休憩所のような所だった。
散らかってはいないけれど、綺麗とは言い難い場所。私は敷布の敷かれた部屋の隅に有無を言わさず座らされて、アラタは再度部屋の入り口に向かい――。
「なぁ、なんかある?」
「今持ってく!」
やっぱり聞き覚えのある声だわ。それに……。
「店主は、どうして私を知っているのかしら……」
何気なしにそう呟いたら、振り返ったアラタは瞠目して……ブハッと吹き出した。
「いやお前も知ってるやつだぞ?」
「幼き折、隣席にいらっしゃったご学友でございますわね」
ゾフィにも分かっていたみたい。そう言われて、私は学友の声すら分からなかったのかと、恥ずかしくなってしまった。けれど、素焼きの器を手に部屋へやってきた店主……そばかす顔の女性は。
「もー、セクスティリア様に平民の私らが覚えられてるはずないじゃん」
なんの遠慮もなく部屋に踏み込んできたものだから、私は慌てて顔を伏せて目元を隠した。泣いた跡を見られたくなかったの。それを察したゾフィが、さっと手拭きを渡してくれたから、擦らずに済んだわ。
女性店主はこちらのやり取りには気づいていないよう。アラタと会話を続けていた。
「二年? 会ってないんだし、在学中も全然お話しできなかったしさー」
「そうか?」
「あたしはアラタみたいにズカズカ踏み込んでいけないから!」
そう言いつつ私に歩み寄ると、御前を失礼しますと膝を折って挨拶して。
「お口に合うか分かりませんが、どうぞゆっくりなさってくださいね」
パパッと手で払った小さな机に、素焼きの器を置くと、そこには数粒の干し葡萄や胡桃。切ったばかりの水々しい果物が添えてあった。
「申し訳ございませんわ、お仕事中にお邪魔してしまって……」
「なんの! あたしは何度も学び舎でセクスティリア様に助けていただきました。その御恩には到底およびませんよ!」
「……?」
「……覚えてらっしゃいません? 計算が分からなくて鞭で打たれそうになるのをね、何度も救っていただいたんですよ」
うっすらと記憶にあったわ。アラタと二度目に言葉を交わしたあの時のこと……!
「まぁ!」
「お陰様でね、もう計算はバッチリです! 暗算だって誰にも負けませんよ!」
力こぶを作って、ニカッと笑った彼女には、確かに懐かしい面影があった。
「そんなたいそうなことはしてないわ」
「たいそうなことですよ。何年もあの学び舎にいましたけど、あたしを助けてくれた貴族の方は、セクスティリア様だけです」
そう言った店主は、少しモジモジとしながら、それでも意を決したように。
「本当はずっとね、お話ししてみたかったんですけど……ほら、あたしらがしゃしゃり出ると、お立場がね……」
「そうか?」
「アラタは、頓着しなさすぎなんだって!」
うんうんと頷くゾフィ。
この子ったら自分もアラタに助けられた身であるはずなのに、なぜか彼を目の敵みたいにするのよね……。
つい苦笑してしまったのだけど。
「でも、サクラは今だって、お前と言葉を交わすのを嫌がってねぇじゃん」
そう指摘されて、店主はまんまるに見開いた瞳をパチクリさせたわ。
アラタは我が意を得たりと、口角を持ち上げ。
「こいつはそういうやつだよ。身分とか、そういうのよりはお前自身を見た。話しかけてりゃ、普通に言葉を返してくれたと思うぜ? ……場所は選らンだろうけどな」
その言葉はなぜか、私の胸を僅かだけれど、温かくしてくれた。でも――。
「セクスティリア様をこいつとか言うなバカ!」
バシッ! とアラタの肩を叩く店主。うんうんと頷くゾフィ。その様子がおかしくって、私はつい吹き出してしまったわ。
「略称とかも不敬だから! あんたずっとあたしが注意してたのに未だにそれやってんの⁉︎」
注意されてたのね……。
「だってこいつ、別になンも言わねぇ……イテッ」
「こいつって言うな!」
待って、もう待って。腹筋が痛い。
やりとりが妙におかしくて、涙が滲むほどに笑ってしまったわ。
アラタたちは私のその様子に、どこか安堵を滲ませた表情をして――。
「夕刻になったら仕入れの馬車が来るからさ、表の通りまで乗せてもらいなよ」
「だな、悪目立ちさせたくねぇし……」
「それまでここ使って。いるものあったら声かけてね」
「わり。助かる」
短いやりとりをして、店主は店先に戻っていったわ。
多分気を遣ってくれたのね。私たちの話を、耳に入れないように……。
店の前で道行く人たちと言葉を交わし出したのを微かに耳にして、アラタは素焼きの器に手を伸ばした。
「ほら、食え」
自分も果物を一切れ摘んで口に放り込む。
「アラトゥス様!」
ゾフィの叱責にもどこ吹く風。
「毒味だ毒味」
ンまいぞと悪びれもせずに言うから、また笑ってしまったわ。
「……」
干し葡萄と胡桃……どちらも高価な品だって、以前アラタは言っていた。
おそらくお店の商品であるはず。私のためにわざわざ、用意してくれたのね……。
「ありがたく、いただくわ」
そう言って指を伸ばし摘んだ干し葡萄は、しっとり甘く、身に染みるようだった。
いつもご覧いただきありがとうございます。
明日で最後の更新になるみたいです。
最後までお付き合いいただければ幸いです。




