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八話 逢引き②

 アラタのお父様は興行師(ラニスタ)

 興行師は剣闘士(グラディアトル)を育て、こういった闘技場で試合に出場させて賞金を得る仕事。

 元々はお爺様の剣闘士団で、婿養子に入ったお父様が引き継いだのですって。

 将来的にはアラタが継ぐことになるのでしょうけれど……その剣闘士団の成績は、現在最低(ランク)

 お爺様の頃は、凄く強くて有名な剣闘士団だったそうよ。

 お爺様自身も元剣闘士で、花形として活躍した方だったのですって。

「サクラ」

「お待たせクルト」

 待ち合わせの場所に行くと、クルトは必ず来ていたわ。

 本当は私が先に来なければならないのに、女性を一人で待たせるのは無用心だからって、気を利かせてくれる。この城塞都市(ムルス)でセクスティリウスを敵に回す覚悟のある者なんてまずいないでしょうし、奴隷だって一緒にいるのだから、気にしなくて良いのに……。

 今日のクルトは、少し伸びてきた前髪を油で撫でつけていて、なんだかいつもより大人っぽい感じだった。

 ここ最近さらに背が伸び体格もしっかりしたから、周りの女性の視線が凄いことになっているわ……。

 そんな人が、笑顔で私の手を取って甲に口づけするのは、演技だと分かっていてもドキドキしてしまう。

 彼の首元にあるのは、セクスティリウス家が贈った婚約の証(くびかざり)……。私と違って彼は、何を身につけても様になってしまうわね。

「今日の貴女は一段と美しいな。とてもよく似合っているよ」

「そ、そうかしら……」

 決まり文句みたいなものだけど、居心地悪いわ……。

「クルトも、なんだか大人っぽくて……素敵よ?」

「本当?」

 やめて。その笑顔で見ないで。胸がドキドキして痛い……。

 とりあえずそんなふうに、周りには逢瀬を楽しんでいる様子を装ってみせてから、奴隷たちとはここでお別れ。

 立ち去っていく奴隷たちを見送ってからクルトは、急に身に纏っていた外套を外しだしたものだから、どうしたのかしらと首を傾げた。

 まだ闘技場まで結構歩くのに……と思っていたら、それが私の肩に掛けられて……。

「ずっと見ていたいのだけど……僕以外の男の目には晒したくないから、纏っていてくれる?」

 なんてことを、甘い顔で囁かれてしまった。

 そこまで演技する必要ないわよ⁉︎

「悪ふざけがすぎるわ!」

「ははっ。いいじゃない。実際ちょっと肌寒い。少し風が強いからね」

 だから使ってとクルトは言って、胸の前の飾り(フィビュラ)をさっととめてしまう。

 まぁ確かに恥ずかしかったし……有難いのだけど。

「それじゃそろそろ行こうか」

「そうね。あっ、後で姿絵を買わなきゃいけなくて……」

「分かった。帰りに寄ろう」

 面倒臭そうな顔ひとつしない。

 クルトは本当、私にはもったいない婚約者だわ……。

 そう、だから……お姉様が言うように、このまま順調にいくのだとしたら、彼は一年後、私の夫になるのでしょう……。

 

 ――でもきっと、そうはならない。

 

 先日、私たちの婚姻条件は、私が十六歳を迎え、クルトが首席百人隊長(プリムス・ピルス)を襲名して、見事責任を果たした時と告げられた。

 それを聞いた時、私にはお父様の考えが少し、透けて見えた気がしたの。

 お父様はおそらく……私とクルトを結婚させるつもりはないのだと思う。

 十六歳での婚姻は、貴族の女としては遅いくらいだし、お父様のことだもの、その気があったなら昨年、クルトが騎士の称号を得た段階で話を進めていたはずよ。

 騎士階級(エクイテス)は、馬術を身につけた者にしか与えられない元老院議員に次いで特別な社会身分。政治家を目指すなら得るべき地位であり、重要な過程と言えたわ。

 まず、騎士になること自体がとても難しいの。

 馬は金食い虫と言われるほどお金のかかる生き物だし、そもそも適性がなければ、どれだけ訓練しても乗れないものなのですって。

 そんな難関であるのに、彼はたった十四歳で騎士の称号を得た。財力のある家とはいえ、私との婚約が決まって半年という頃……政治家を目指しはじめてまだ間もない時期にも関わらず。

 上位平民(ノビレス)のクルトは常に古参貴族から目の敵にされる立場だし、後ろ指を刺されないためには一つでも多く、功績と名誉を得なければならないから、騎士になったこと自体をとやかく言うつもりはない。

 けれどアウレンティウスほどの実績と財力がある家ならば、騎士の次は主席百人隊長ではなく|大隊長(幕僚)《トリブヌス・ミリトゥム》を目指せばよかったし、その方が安全で近道だった。

 だからこそお父様は、主席百人隊長を得ればなんて条件を出したのでしょう。主席百人隊長に挑戦できるのは十六歳の一度きりで、選ばれるのも一人だけ。無理と分かって難題をふっかけたんだわ。

 けれど――。

 城塞都市(ムルス)の十六歳騎士からたった一人しか選ばれない特別な名誉を得ろと言われても、クルトは文句ひとつ、口にしなかった。

 拝命しましたと告げたきり、本気で主席百人隊長を得ようとしているかのように、行動し始めたの。

 彼は本当に努力していたわ。

 政治家は自ら望んだ道ですらないのに、とても熱心に。

 公共奉仕にも積極的に参加するようになって、成人前だというのに支持者を増やしているほどよ。

 傍目に見れば、クルトの進む政治家への道は、もう揺るぎないほど盤石に見えた。

 主席百人隊長になれなくても、成人したら直ぐ二十人官(ウィギンティウィリ)に抜擢されそうなくらいに。

 でもクルトは、肩書き(そんなもの)にこだわらなくとも元老院議員になれると思うし、私と結婚せずに済むなら、政治家なんて目指さなくて良いはずなのよ。

 本当の願い――学者の道に進めばいいはずだわ。

 私のせいで選んだ望まぬ道なのに……クルトはどうしてそんなに、ひたむきになれるのかしら。

 私の夫になることを、本心ではどう思っているの?

「サクラ、手を」

「えぇ……」

 彼なら絶対、私を大切にしてくれる。

 なのにどうして私、こんなにモヤモヤしているのかしら……。


 春祭の雰囲気に浮ついた街を、クルトに伴われてしばらく歩く。

 給水場に続く列柱廊下(アーケード)に並ぶ、奴隷や市民たち。

 通り沿いの店々から聞こえる呼び込みの声。

 神殿に続く通りには、飾りつけに精を出す少女たちがいたわ。

 そこには供物を捧げるための祭壇を準備する神官らの姿もあったのだけど、そのうちのひとりがぺこりとクルトに会釈したものだから、今年の供物もアウレンティウス家の寄進なのだと理解した。

 クルトはそれに、軽く手を振って応え……言葉なく、私との逢瀬を配慮してくれと神官に要求したわ。

 それを受け入れられる発言力が、彼にはもうあるのね。クルトの願いはあっさり承諾され、私たちは立ち止まることなく足を進めることができた。

 広場では、組紐舞踏の準備が進められていたけれど、婚約者を得た私はもうあの踊りには参加していない……この祭りを迎えるたび、それをほんの少し寂しいと感じる。

 大勢で、高い棒に括られた飾り紐(リボン)を編み込むように、飛んだり跳ねたりするあの踊り、実は結構好きだったの。だって誰かと何かをするような機会、貴族の私には殆どなかったから。

 闘技場が近づくにつれ屋台が増えてきて、クルトは私の肩を抱き寄せた。

 お酒を飲んで騒いでいる人も増えてきたから、きっと私の安全を気遣ってくれたのね。

 闘技場に入ると使用人が寄ってきて、クルトの差し出した切符(テッセラ)を確認し、席まで案内してくれた。

 元老院議員の身内である私たちは、一階席。

「お飲み物は?」

「果実酒を」

 私の好みを全て把握しているクルトは、先回りして全部を用意してくれる……。

「外套、ありがとう……」

「ううん。僕の心の安寧のためでもあったから」

「もうっ! まだ続けるの⁉︎」

 恋人ごっこはもう良いじゃないのと頬を膨らませる私に、笑うクルト。

 お酒とつまみが届き、しばらく雑談を楽しんだわ。

 私はあまり、試合には興味が持てなかったし……正直に言うと、極力見たくなかった……。

 クルトもそれを分かってくれていて、私の話につき合ってくれる。

 そうして……。

「次だね」

 ドキリと心臓が跳ねたわ。

「大丈夫かしら……」

 魔獣相手に戦うって、聞いたわ……。

「魔牛なら、アラタの敵じゃない。大丈夫」

 クルトは、不安のあまり震えてしまう私の肩を抱き寄せて、手を握ってくれた……。

 えぇ。アラタは優れた剣士でもあるって知ってるわ。

 だけど私は、もうひとつのことも知ってる……。


 アラタの身体が、長時間の運動に耐えられないことも……。

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