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五話 下賤の者①

 セクスティリア・シラナより、セクスティリア・カエソニアへ文をしたためます

 

 空気が冷たくなってきました。

 お姉様は体調など崩されていないかしら。

 学び舎も庭での講義は切り上げられ、大広間(エクセドラ)に場所が移されたのよ。

 外よりは暖かいけれど、狭くなるから考えものね。

 殿方は直ぐに喧嘩になってしまうようです。

 あと、室内での鞠遊びは危険ね。顔に当たって怪我をした子が出てしまったわ。

 だけど何だか楽しくもあります。

 肩が触れるほど近くに誰かがいるって、こんなにも暖かいのだと知りました。

 お姉様とカエソニウス様も寒くないよう、どうか仲睦まじくなさって。くれぐれも、体調を崩されませんように。

 

 偉大な姉であり優しい母であったセクスティリア・カエソニアへ、貴女の妹であり娘のセクスティリアより

 

 

 内緒の時間を共に過ごすようになってから、ひとつ季節が巡って。


「今日もアラトゥスくん、来なかったわね……」

 そう呟いた声は、すぐに白く染まって散った。

 ここ何日か学び舎に来ていないアラタは、結局今日も一日姿を現さなくて、私はつい、そうこぼしてしまっていたわ。

 数日雪が散らついたし、風邪でも引いてしまったのかしら? それとも、とうとう不眠がたたって体調を崩しているの?

 本当はすぐにでもクルトに確認したかったのだけど、お互い元老院議員(セナート)の子である私たちは、取り巻きのいる場では接触を控えた方が良いと話し合って決めていたから、迂闊(うかつ)に声をかけるわけにもいかなかった。

 だけどやはり気になるものだから、うっかりそう口にしてしまったのだけど、耳敏(みみさど)く聞きつけたひとりが、私を玄関間(アトリウム)へと促しながら言った言葉で、失敗だったと理解した。

「あのような下賤(げせん)の者、気にかける必要などございませんよ」

「下賤?」

 アラタを蔑むような言葉に、反発を覚えた。

 子を学び舎に通わせるのは、基本的に裕福な家。そうでなくても、学ぶことにお金をかける意味を知っている家よ。

 ただ平民(プレブス)であることを下賤と言うなら、そんな意識を持っていることの方が恥ずかしいことだわ。

 アラタは身分で人の価値を測らないし、口調こそ少々粗暴だけれど、優しいし、親切よ。

 あの日だって……っ。

 

    ◆

 

「サクラ、前!」

 アラタにサクラと呼ばれ始めた頃、私はまだその呼び名に馴染んでいなかった。

 だから呼ばれたことに気づかずいたのだけど――。

「前っつってんだ……ろっ!」

「え……キャア⁉︎」

 目の前を、なぜか足先がすごい勢いで掠めていって、巻き起こった風が私の髪をかき乱した。

 びっくりして身を縮こまらせて、しばらく固まっていたのだけど……。

「おい、どっかぶつけた?」

 そう言われて、ハッと顔を上げたら、アラタが私を覗き込んでいたわ。

「あ、アラトゥス、くん?」

「アラタだっつったろ」

「……でも、貴方のお名前はアラトゥスでしょう?」

 苦笑しつつそう伝えたら、不服そうに表情を歪めるものだから、困ってしまった。

 だけど私を困らせても仕方がないと思ったのでしょう、そこで呼び方の言及はやめて、視線を庭に向けたの。

 口調のわりにアラタの表情は穏やかで、目下のクマが相変わらず凄くて。でも間近でよく見てみたら、案外整った顔立ちをしていたのねって、初めて気がついた。

 確かに造作は、凹凸が少なくて薄いのだけれど、その分女性みたいに柔らかくて、髪が長かったら勘違いしていたかもしれないわって、そう……。

 ただ、クマが酷すぎて、あまりにもあまりな感じ。

「……アラトゥスくんは、もう少しきちんと睡眠を取らなければそのうち倒れてしまうわよ?」

 ついそう口が動いてしまってから、ハッとしたの。

 いけない。お父様にまた叱られてしまう。私の傍にいつもいる、取り巻きや奴隷から耳にして、またかって私を睨み据えて、お説教の雨を降らせてくるっ。

 お父様の声は怖い。私の全てを否定してくるあの重い声。想像するだけで竦み上がってしまう!

「ご、ごめんなさい。出過ぎたことを……」

 女の私にそんなふうに言われたら、この人の面子だって潰してしまうのに私ったら!

 ――出しゃばるなって、怒鳴られる……っ。

 なのに。

「いやべつに? クマが酷すぎるってのは自覚してるし、クルトにも毎回言われてら」

 アラトゥスは怒らなかった。気分を害した様子もなく。

「あいつ、俺のカーチャンかってくらいしつこいンだぜ」

 と、クァルトゥス様を引き合いに出して笑うのよ。

 周りの視線だけでなく、身分差すら眼中にない様子で呆気にとられてしまった。

 いつも礼儀作法にうるさく目を光らせている私の奴隷すら、唖然としていたくらいよ。

 だって下手をしたら鞭打ちじゃすまないことなのよ? アウレンティウス家の関係者に聞かれでもしたら!

 だけどそこで、また「あーっ!」「やばっ、アラターっ!」という声がして、そっちに視線をやってみたら、凄い勢いで鞠がこちらに飛んで――っ⁉︎

「ザケンナ、何度目だ!」

 そう言ったアラタがなぜか脚を振り上げて、飛んでくる鞠をするりと掬い取ってしまった。

「何回も言ったろうがっ! くるぶしの下! そこで蹴る!」

「蹴ってる!」

「だけどそこで蹴ったらそっちにいくんだよ!」

「足首固まってんのか! もっと(かかと)を前に出せ!」

 そう言ったアラタは、たった今掬い取った鞠を、足の甲でポンと蹴り上げて……。

 空中にあるそれを、自身の言った通り足首のくるぶし下で、蹴り返したの!

 綺麗に、ふんわりと弧を描いて飛んだ鞠は、声の主の手中にすぽりと収まった。

「もう一個いくぞー」

 そうして、腰に抱えてた鞠を今度は、もう一人の腕の中へ⁉︎

「すっげ」

「お前足首の関節おかしいんじゃねぇ?」

「毎日足首回せって言ったろうが。やってりゃこうなる」

「嘘だ」

「やってもやってもならない」

「バカ、年単位でやってから言え」

「嘘だろー⁉︎」

 粗野な言葉の応酬に、奴隷は顔を(しか)めたけれど、私はアラタの美しい身の捌き方に、目を奪われてしまっていたわ……。

 たった一歩。そして脚のひと振りで、鞠を正確に蹴り返した。しかも足の内側を使って。

 鞠は硬いのに、それを全く苦にもせず、弾まないのに綺麗に押し出して、距離も勢いも計算通りに。

 不思議な動きだったけれど、洗練された淀みない動作だったわ。何度も何度も繰り返し身につけた、正しい身体の使い方。

 ひねられた細い腰……舞の時、あんなふうにしなやかに身体を扱うことができたら、きっととても美しい腰捌きができるはず……。

「じゃあなサクラ、気をつけて帰れよ」

 そう言われてハッと我に返った時には、アラタは走り去ったあとだった。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日最後の投稿です。

ていうか、年末なのでご挨拶など。

今年一年はHS書架の活動が中心で、こちらに新作を出すことはできずでしたが、改稿版でも剣闘士令嬢の連載を再開できてよかったなと思っています。

来年頭は、文学フリマ京都に出展なのでバタバタしますが、その後は新作等作っていけたらいいなと。

もちろん続きや作りかけのものも進めていこうと思っています。

というわけで、今年一年ありがとうございました。来年も皆様に幸多からんことを。

また明日更新致します。

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