四話 もう一人の淑女③
「ようこそサクラ。ここに招くのは、本当にごく一部の近しい者たちだけなんだ」
輿が下ろされ、クルトが帳を開いて、先に外に出たわ。
そうしてもう一度、私に手を差し伸べてくれた。
「とはいえ、その……女性の君には興味の無いものばかりだと思うから、中のものはあまり気にしないで」
またもや視線を逸らしつつそう言うクルト。
趣味の研究って言ってたわよね……。何を研究しているのかしら?
そう思いながら、クルトの後に続いて屋敷の中に足を踏み入れた。
前庭の無い、一般的な大きさの屋敷。でも子供の持つものではないのは確かよね。これひとつが全部クルトの部屋として与えられただなんて、アウレンティウスの財力は本当に凄いのだわ。
そう思いつつ玄関広間に視線をやると、貯水鉢の奥に座していた石像に目が釘づけになった。
水辺に膝をつき、両手で抱えた甕に水を汲もうとしているような女性像。
いえ、甕から水を注いでいるのね。
まるで人が石になったみたい。あまりに艶やかで肉感的だったけれど、作りものだと分かったのは、成人した大人よりもひと回りくらい、その石像が大きかったから。
硬い大理石を緻密に掘った、衣服のひだまでが見事すぎる、繊細な拵え。
「水霊ニュンペー像。八百年くらい前に彫られたものだよ」
「ニュンペー?」
「グライキュアールという国の神話に出てくるんだ」
そう言いながらクルトは奥に足を進めたわ。
グライキュアールというのは確か……四百年ほど前に滅んだ国よね?
その国があったとされるのは……この、ムルス近辺。だけど、ここにも他から移ってきたと聞いた気がする。
けれどそれ以上思考は続かなかった。連れて行かれた部屋の光景に、また意識を取られてしまったから。
足を踏み入れた部屋は、大量の薄い木箱が壁に立てかけられていたの。その箱は全てに硝子の蓋があり、中にはずらりと、貨幣が貼りつけられていた。さながら貨幣の標本のように。
そしてそこには一人の先客が。
「やーっと来たか」
そう言ったのは、言わずと知れたアラタ。部屋の長椅子に、我が物顔で寝転びくつろいでいたのだけど、私たちが来てむくりと身を起こしたわ。
「にしても着飾ってきたなー。まぁそうなるか。でもそれ目立つから、こっちに着替えろ」
アラタはいつも以上にぶっきらぼうな態度でそう言い、布袋に入れられた女物の衣服を差し出してきたわ。
「?」
「あんま時間取れねぇから、急げ」
布袋を私に押しつけたアラタは、クルトを引っ張って部屋を出てしまった。代わりにひとりの年配女奴隷が入ってきて、私の着替えを手伝ってくれた。
髪型はいつも通りに結え直され、化粧はそのまま、衣服は袋に入っていた、普段よりも若干質素なものを纏った。とても手際良く準備されたわ。
支度が終わると、それを知らせに行った奴隷と入れ替わるようにして、また二人が入ってきたのだけど……。
「いくぞ」
と、何の説明もなくアラタは、私の腕を引いて、歩き出してしまった。
「ね、ねぇ! どこにいくの⁉︎」
奴隷も連れずに外に出るの⁉︎
「言ったろ。お前の姉貴のとこだよ。お前はクルトと逢瀬中のふりして、俺はお前らの奴隷のふりをすンだ」
どういうこと⁉︎
屋敷を出る直前に、慌てて駆けてきた年配奴隷が、私に毛織物の外套を被せてくれた。
頭からを覆い、肩周りを隠すそれのおかげで顔も半分隠れて見えなくなったわ。
狼狽える私に、クルトがやっと、事情を説明してくれた。
「こっそりいくから、君が君と分からない方が良いと思うんだ。ほら、立場的なことも、相手方の家のこともあるだろう?」
そう言って誤魔化したけれど、きっと私がお父様の叱責を受けないか、配慮してくれたのだと思う。
「カエソニウス夫人は、夕刻に庭園の散策を日課にしているそうだ。だからそこですれ違いざまに話しかける形にする。もう時間が近いから、急ごう」
外に出ると、また例の使者が待っていたわ。
輿に乗せられて運ばれた。風景はまたもや帳で隠されてしまい、どこに向かっているのかは分からなかったけれど。
使者は道中でクルトと謎なやりとりをしていたわ。
「帰りはどうなさいます?」
「お前たちは時間的に無理だよね。そのまま歩いて帰るよ」
「あまり遅くならないでくださいよ。門も閉まってしまいますし」
「分かってる」
少し揺れが酷かったのは、きっと急いで歩いてくれたのね。
そうして到着した庭園は、私の来たことのない場所だったわ。
もともとあまり外は出歩かないけれど、それでも庭園なら、行事等で出向いたことがあるはずなのに。
「それはそうさ。だってここは外だから」
そう言ったクルトが指し示した方向を見て、唖然としてしまった。
高い街壁と、そこに突き刺さるようにある水道橋。それでようやっと、自分のいる場所を理解したの。
「ここ……下層民地区なのね?」
私、上層民地区どころか、貴族街の外にだって、ほとんど出たことがなかったのに。
「うん。でもこの辺はまだ上層民地区に近いから、治安も悪くないよ。この庭園は一般公開されているけれど、カエソニウス家の管理下にあるから、ちゃんと手入れも行き届いているしね」
そんなふうに話していた私たちの肩をポンとアラタが叩いたわ。
「ほら、喋ってるうちに時間過ぎちまうぞ。逢瀬らしく歩きながら話せっつの」
そう言われて、慌てて足を進めたわ。
逢瀬だなんて……お父様に知られたら、確かに怒られたかもしれない。
「歩きながら設定話すぞー。お前らはお忍び逢瀬中。親に内緒だからこの下層民地区に来てんの。だからあんま堂々と歩くなよ。サクラは顔晒すとバレるかもだし、姉貴以外のやつには近づくな。姉貴は列柱廊下をぐるっと歩くらしいから、お前らもその近辺歩き回れ」
小声で囁かれたアラタの指示に頷き、私たちは立ち並ぶ石柱の方に足を向けたわ。
石造りの廊下には屋根があり、雨が降っても濡れずに庭を散策できるよう造られているみたい。その風景を、何となしに見ていたのだけど……。
「……この列柱廊下はね、元々グライキュアールのポルチコを真似て作られたんだ」
そう話し出したクルトに視線を向けたわ。
「神殿の入り口を飾る装飾的なものだったのが、参拝者用の長い廊下になったらしい。グライキュアールは元々石の文化で栄えた国でね」
「あの石像も見事だったものね。まるで石ではないみたいな、衣服のひだの柔らかな表現は素晴らしかったわ」
そう相槌を入れると、パッとクルトがこちらを見た。
「そうだろう⁉︎」
今までの落ち着いた笑顔じゃなく、見たことのない、光り輝くような笑顔だった。
「グライキュアールの石彫技術は素晴らしいんだ! この庭園には、その職人技が惜しげもなく使われていてね、至る所にそれが見られる。実は闘技場にもその技術が使われている痕跡があるんだよ。パッと見は分からないのだけど、それを見分けるには、石柱の上部を見ればよくて……」
急に饒舌になったクルトに、一瞬びっくりしたのだけど、遠慮なく語られる早口な言葉と、動き回る手と、なにより熱のこもった視線に圧倒されたわ。
そうして、彼の好きで研究しているものが、何かを理解できたと思ったの。
「彼らは見えない場所にこっそり落書きをしているんだよ。解体作業をしていると、それが出てきたりしてね、前に見つけたのには恋人への……っ⁉︎」
でも熱心に語っていたクルトは、私の視線に気づいた途端、言葉を止めてしまった。
「どうしたの?」
「……いや、ごめん…………」
視線を俯け、掠れ声でなぜか謝罪までされてしまったの。
どうしたのか分からなくてアラタを見たけれど、彼は自分で確認しろとばかりに、口を閉ざしてニヤつくばかり……。
「……何が書いてあったの?」
だから、クルトの話の先を促してみたの。
するとクルトは「いや、いいよ……」と、力無い返事。
「こんな話、面白くないよね。ごめん……つい熱中してしまったんだ」
「面白かったわ。私、歴史的なものは自国のことばかりで、異国の話は全然知らないの。そうよね。色んな国があって、色んな文化がある、当然だわ。そしてこのムルスがそのグライキュアールの栄えた地にあるなら、その技術が取り込まれることも必然よね」
我が国だって歴史は長いけれど、元々はもっと東の小さな国で、色んな国を取り込んで広がってきたと習ったわ。きっとそれは土地だけの話ではなく、技術だってそうだったのね。
「凄いと思うわ。何百年も前から引き継がれてきた技術が、こうしてまだここにあることが」
伝えなければ伝わらなかったものが、ちゃんとここにあることが。
だけどそう言った私に、今度はクルトがポカンと口を開き、見入っていたわ。
それでまた私、出しゃばってしまったのだって、気がついた。
「ご、ごめんなさいっ」
結局淑女らしくなんてできない自分に嫌気がさすわ……。
でもそこで、クイと背中側の衣服を引っ張られた。
慌てて顔を向けると、真剣な表情のアラタがしゃがんで私を見上げていて、目が合うと視線が鋭く左を見た。
私に、見ろって、こと……?
指示のままそちらに視線をやり……。
「あっ……!」
そこには、ほぼ一年ぶりに見るお姉様が!
いつもご覧いただきありがとうございます。
本日最後の投稿です。
今回は長い話なので二日に分けていますが、それ以外は大体一日一話になるよう投稿していく予定です。
では、楽しんでいただければ幸いです。




