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悪党どもの遥かなる冒険  作者: 夙の三郎
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声が… というより、重い響きが二人をふいに包み込むと先程までの乳白色な空気は掻き消え、暗い霧が池と二人を閉じ込めるように狭い範囲で充満した。

邪悪な感じは一つもしないが、如何せん場所が悪すぎる。

地獄の只中で不自然なまでに荘厳に生い茂る森。その中心で亡者の渇いた心と体を潤すのには充分すぎるほどの水量を湛えた清浄な池…。

しかも、その池の中から鈍い光と重い音を発する存在が何の前触れもなしに出て来たとあってはパニックに陥らない筈もない。

こんな莫迦げた状況で、やはり二人は "思った通り" 歯の根も合わぬほど怯え、抱き合ったまま惨めに狼狽えた。

抜けたように力の入らない腰を震わせ、頭を地に惨めなほど臥せると、どちらからともなく一つの言葉が産まれたのは自然の成り行きだったと謂えようか。

「なんまんだぶ… なんまんだぶ… 」

もはや起源も何も知りはしないが、神や仏とやらに祈る事しか全細胞が反応しなかったのは純粋に追い詰められていたからだ。

"地獄" としか認識しようがない極限な状況に堕ちて以来、二人の心は刃で針金を削るがごとき想いの連続だったが、特に男より先に堕ちていた女は責め苦と再生が何度か繰り返された為か魂の疲弊が甚だしく、この謎の存在の出現はトドメに為りかねない衝撃だったのだ。

二人は頭を地に臥せたまま互いの手を取り合っていた。身を裂かれるような痛みを越える恐怖に耐えられるように…。


暗い霧がそのまま夜の帳となって景色を一変させると絶え間ない恐怖に晒されていた魂は環境の変化を敏感に察知し、それを肉体へ滞りなく知らせる。

抑えようのない悲鳴にも似た痙攣は魂が発する危急のシグナルとなって全身へ送られ続けていたが、手から肘、肘から肩へと互いの体を密着させていく事で恐怖を少しだけではあったが紛らわせられたような気がした。 微かに通わせ始めた心と心は頼りないながら "糸" を手繰り寄せようと抵抗を試みていたのだ。

しかし… その細やかな反抗も謎の存在が発した言葉により打ち砕かれた。

鬼たちは唸りと共に高圧的な言動で亡者の魂を寒からせしめたが、その言葉は全くの逆であり、どこか素頓狂ですらあった。

「こんなとこで何したはりますのや?」

余りの落差に戸惑い、疑心に駆られ、でも何も思い浮かばない二人はソッと目を合わせると捨て鉢気味に決心した。

鬼であれ何であれ、いずれにせよ自分たちでは敵わない存在が跋扈する世界に居る以上、かなり特別な事でもしない限り責め苦から逃がれられないからだ。

土下座の体勢から恐るゞ見上げると馴染み深いとも縁遠いとも謂える、しかし絶対的な存在として無視できない者が確かに居た。

(…!)

素頓狂な声とは裏腹な、厳粛なる静けさの中に端座する超越者。

"釈迦" とも "仏" とも混同して呼ばれる存在であり、この宇宙の法の中心にして全てを統べる者。

人間界に身をやつしていた事もあり、この目鼻ばかり利く小賢しい生き物たちには少なからず親近感を持ち併せていたので害を及ぼすつもりは毛頭なかったが、当の二人は恐怖に囚われていた為、明らかに自分たちよりも上位な存在の声が頭上から降ってくると体は緊張による萎縮作用を引き起こしてしまう。

(まてよ… )

何か思い当たったのか、その超越者は殊更に穏やかな口調で二人に改めて語り始めた。

「さぁ二人とも、色々あって疲れたやろ? 怖がらんでえぇから、こっち来てゆっくり休みよし。」

もう、話がここまで来ると柔和な物腰や言動ですら何かの罠ではないかと心よりも先に背骨が反応してしまうのだが、反抗するような気力や気概など今や持ち併せていない。

男は何かを言いかけたが止め、女は恐怖に引き攣った顔を何とかしようと藻掻きながら池の端まで近寄った。

水に入るか逡巡すると二人の考えを察知したのか、周辺のもやがみるみる収斂されていき、まるで座布団のように膝下辺りに留まった。

「それに座って、こっちおいで。」

幾ばくかの躊躇いはあったが、超越者の仕儀に逆らう算段など初手から有る筈もなく、からくり人形の様に座わる二人。

思いの外、尻から伝わる感触は忘れていた安堵の念を少しだけ齎してくれたが… ともあれ、双方共に想定外だった邂逅が始まった。










「そんなに怖がらんでもえぇよ。何にもせぇへんから。」

何とも返事し辛い言葉ではあったが、今ばかりは早めに反応してみせた。そして心の底から観念した男が最初の質問に打って出る。

「あ… あのぉ~… ひょっとして "仏さん" でっか?」

超越者は人間界で死人の事をそう呼ぶのを思い出して少し笑いかけたが、目の前に居る "本当の死人" である亡者… しかも必死の形相をした二人を見ていると流石に手離しには笑えなかった。

「まぁ、そう呼ばれる事もありますな。」

「 … て事は … ここは極楽で?」

「そう見えまっか?」

「一つも見えしません!」

遂に超越者は我慢の限界に達し、吹き出してしまった。

「すまんなぁ… アンタがあんまり必死やから、つい… 」

横を向いて気を静ませると再び向き直って二人に経緯を糺してきた。

男は聞かれたまま、肉の壁や鬼の仕置きなどの目撃した事のみならず、生きて娑婆に居た頃は盗賊だった出自まで饒舌に語った。

女もこの地獄で何度も身と魂を焼かれては復活し続けた事をとつとつと語ったが、しかし地獄に堕ちる前については何も触れなかった。 男は少し気になりはしたが、実際に焼かれた姿を見てる立場からしたら

(記憶がなくなったんかな… )

仕方あるまい、と独り思い込んでいたが超越者の右眉がほんの少しだけ振れたのを見逃がしはしなかった。

(何がアカンのや…)

しかし、そんな想いも

(不遜やな…)

我のみ奥深くに仕舞う事にした。

それは信心などからではなく、ただ単純に怖かったからで見方によっては男も不遜となるのだが、そんな事を気付く筈もない。

「ふーん…」

一通り、二人の話を聞き終えた超越者は中空に拳大ほどの環を二つ描くと左半身の半跏趺坐(はんかふざ=片方のみの座法で胡座=あぐらとは異なる)となり、少し砕けた調子で話を続けた。

「ええか、アンタらが居るのは地獄に間違いない。」

右の環を指して断定した。 続けて左を指して

「こっちが儂の領分。」

何が可笑しいのか、頬が緩むが目は少しも笑ってなどいない。

最後は腹の辺りで真下を指しながら

「で、ここは儂の "埒外" や。」

二人は超越者が何を言わんとしているのか、まるで判ってなどはいないのだが、何かひどく重要な内容だろうと朧気ながらに気付き初めている。

それを分かった上で、超越者は殊更に笑顔となって話を進めようとしているみたいだった。

「せやのに、なんで儂がここにおれるんかといえば、それはつまり《協定》があるからやな。」

学がある訳ではない二人にとって超越者の話を理解しろ、というのは相当な無理があったが、つまり要約すると

『この世界(宇宙)は光と闇で出来ている』らしい。

人間世界で謂う善悪などではなく、いわゆる "本質の違い" で、光も闇も今までは均衡の取れた状態を維持できていたのだが…

「ところがや。アンタらが産まれる、ずぅーっと昔やが… その頃から、何や様子がおかしいてな!」

どうやら人間が出現して以来、何故だか地獄へばかりに偏って死者たちの魂が送られ続けているという。

「アンタらには気色悪い話やろうけど、地獄も極楽も魂の力で活きとるんや。」

動物や長い年月を生きた植物にも魂は宿るが、霊的次元が高い人間たちの魂の行方が地獄にばかり偏っていて、今や極楽の存亡を揺るがす事態となっているらしい。

「どっちかばっかりが良ぉてもアカン。それは儂でも、どうにもならんのやわ。」

このまま地獄へばかりに魂の流出が続けば極楽の死活問題なのだという。

「そこでモノは相談なんやが… 」



話を聞いていた男は卒然と子供の頃を思い出していた。

寒々とした鉛色の空の下で、黙々と生きる人間たちの環から放り出された自分という情けない存在を。

五人か六人だかの兄弟で揉まれた懐かしい記憶と面倒臭そうな態度で接する父母の記憶… 男の走馬灯がその辺りへ来た頃に超越者は話の核心を切り出してきた。

「なぁアンタら、ちょーっと働いてみぃひんか?」

すると女が

「やります!」

超越者は少しだけ仰け反り

「まだ何にも言うとらへんがな。」

「何でもやります!」

「ヤケクソに為られても… 」

「ヤケやおまへん! ウチは仏さんの手伝いして地獄から出たいんや!」

自分でも意外なほどの積極さと声の大きさに気付き、僅かに萎縮する女とは対象的に畏怖を見せてはいるものの、何処か怪訝な表情を見せる男。

「アンタはどうや?」

超越者に促されて男が出した答えは女の肝を寒からしめた。

「仏さん… 仏さんが "本物" って証拠はありますか !? 」

何度も灼熱に焼かれた女の魂は図太い神経を密かに育くんでいたようだが、男からしたら『はい、そうですか』と簡単に済ませられる問題ではないのだ。

「 !? え? えぇ !? 」

当然、女は地獄と極楽がひっくり返るほど驚愕するが、それでも男は退かない。

「せやけど確かめん事には… 」

すると男の言葉を遮るように強烈な光が鈍く重い音と共に上方から差し込んできた。

光の中には小さな如来が数えきれないほど在り、聞こえるかどうかの微かな真言しんごんを響かせながら、やがて二人を眩いばかりに包み込む。

その圧倒的な威圧感は恐怖というよりも不思議なまでの既視感を伴う安心をもたらしたが、女の方は兎に角も男には得も言われぬ疑心を付加させる役目しか果たさなかった。

それを見越したかのような駄目押しが飛んでくる。

「 …あくまでも相談なんやが、聞いとくれるかな?」

抜けた腰が一瞬で治るほど慇懃いんぎんに向き直る二人。もう本当にグゥもパァも出尽くしてしまい、二人は阿呆のように頷くしかい。

「へ、へぇ… 」

協奏曲の前奏は終わった。















「それにしても… なんぼなんでも殺生やで!」

取り敢えずの会見は終わり、二人は森の中腹辺りにまで戻って来ていた。

あの超越者のリクエストは至ってシンプル極まりないもので、地獄の方へ流入した幾つかの亡者たちを極楽まで導いてほしいというものだったが、"靄の座布団" から茶と菓子まで出された接待で、人を滴込む(たらしこむ)というのなら理解の内だが、やはり違和感は完全に拭えない。

勿論、全ての魂とは言わず

『出来るだけ』

という註釈付きではあったが、二人の力量を考えれば不可能に近い依頼に思えてならなかった。

あの、痩せ細っていたとはいえ、人間を頭から丸かじりするような鬼たちの目を掻い潜って何人も極楽へと導く… しかも、それなりに "相応しい者" でなければというオマケ付きなら尚更に絶望せざるを得ない。

「ぎょうさん(たくさん)連れてきてくれたら、アンタらは特別扱いにしてあげまっせ!」

なんとも蠱惑的な申し出ではあったが、盗賊上がりな男からしたら

「なぁ、ねえさん。旨い話にゃ裏がある… 言うわなぁ。」

でしかなく、いくら "仏さん" の依頼であっても迂闊に乗れる話ではなかったが、女は切羽詰まっていた。 それこそ必死の気組みが痛いほど伝わってきている。

「ウチ… ウチは焼かれるのは嫌や! もう焼かれるのは嫌なんや!」

燃焼と蘇生の仕組みなど知らないし、どうでもいい。 あの苦しみをもう二度と経験したくないという気持ちは理解できるし、深い同情も感じている。

しかし、こんなに足許を見られた契約など結ぶべきではなく、寧ろ跳ねつけて辛苦の道を往く方が自分で選択した分だけ後悔も少ない。いくら先に安寧な生活が待っていようとも、自身の選択した結果の積み重ねの上に… 其処まで思考を巡らせた挙げ句に男は女を諭す事を諦めた。

よくよく考えてみれば、いくら生きていく為とはいえ自分は盗賊だった。捕まれば首を刎ねられる額の金子(きんす=金)を何度も他人の蔵から手にしておきながら、そんな人間が地獄の底で説教じみた言い方で他人に道理を説こうとしてるとは!

「そんな阿呆な… 」

阿呆なら在るがままに阿呆らしくやれば良い。しくじれば鬼に喰い殺されるか、或いは多種多様な責め苦のいずれか… 磔かて痛かったわい!

脇腹を槍で貫かれた記憶を辿りながら嘯いた時、その脇に何やら馴れない感触を覚えた。

「?」

ひどく細いが、しなやかに撓る(しなる)長い、まるで糸の様な…。

「??」

指先でまさぐると確かにソレは糸で、引っ張ると幾らでも延びる不思議な仕様となっている。

「な、なんやのん? それ !? 」

女が驚くのは当然だったが、それを上回る "当然" な態度で超越者の声だけが飛んできた。

「それはな… 糸や。」

( …聞こえとんのかい。)

喚いて問い質したい気持ちを必死に宥めすかして男は下手から問う。

「糸…。 な、何の…。」

突然、超越者の声は金属的な響きを伴い、周辺にこだました。


其は汝を救い、或いは滅ぼす代物なり


その声に圧倒され、同時に再び腰を抜かし座り込む二人。

(な、何の説明にもなっとらん!)

そして、もう何も聞こえなくなった。













(冗談きっついでぇ~)

池を囲う森から二人は離れた。

遅々と進まない足の運びは疲れと恐れの産物。

しかしながら、我知らぬ間に助けになるのか否か、全く不明なモノまで仕込まれて、ある意味に於いて男の "盗賊としての矜持" が再び鎌首をもたげるように沸々と隆起してきた。

この取り引きは明らかに自分たちにとって不利だらけで、とてもではないが公平には程遠い内容だ。

しかし…

女は知らね、男は人ならぬ仏を謀ろうと実は心の一番深い部分で決心している。

わざと疑心を見せて中身は怯えている… その更に奥へと本当の心は仕舞い込んだのだ。

その為に、森が見えなくなるまで二度三度と転んで膝を擦り剥いてまでみせたのは盗賊ならでは、と謂えただろうか。

(見透かされとるのは分かっとる。その裏へ廻らにゃ… )

そんな男を先程とは異なり、出会った時のように茫漠とした眼差しで眺める女。

(焼かれるのは嫌や… )

その魂の叫びは男に届いていない。



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