ナイトビジョン
曾山司令と伊吹が計画を練り始めたその日の夜だった。なぜかひょっこりとシュミット中佐が伊吹のいる寮の一航戦所属艦の部屋に入って来たのだ。
「突然ごめんなさいね、一航戦所属艦は全員いますかね?」
「すまん、今は全員いないんだよな。いるのは俺と赤城と加賀で、他の浦風たちはちょいと間宮と剣埼のとこに飯食いに行ってるんだよ」
「そうでしたか…。すみませんなぁ、私が急に押し掛けたから…。皆んな集まるまで待つとするよ」
「気になっちゃって待ってられないよー!」
風貌がケモ耳娘な赤城が尻尾を振ってシュミット中佐に近づく。それにすかさず加賀が「やめなさい」と言って頭を軽くチョップする。
「いやいいんだ、待たせちまうのも何だし、要件聞いておくよ」
最初は伊吹の言葉に戸惑っていたシュミット中佐も数秒後には目つきを変え、優しい目は一瞬で消え去った。分かったと言う風に頷いたシュミット中佐は静かに口を開いた。
「近いうちに私は殺されるだろうからこれだけはどうしても伝えたい…。鳳凰って言う巡戦の話だ」
「えっ!鳳凰の事知ってるの!?」
赤城の声が加賀と伊吹の耳にギンギン響く。それに嫌気が刺したのか、加賀は赤城の頬をつねって
「いい加減にしないと口縫い付けるぞ」
と、威圧的に脅しにかかっていた。その光景にシュミット中佐の顔は青くなったが直ぐに話を再開した。シュミット中佐は写真や身振り手振りをつけながらゆっくり話す。
伊吹たち対馬鎮守府にも、鳳凰の事はよく知られてはいたものの異様過ぎる変わり者で、所属部隊をコロコロと変える艦艇であった。
彼自身にどんな過去があってその様な行動になったのかは分からない。些細なことで傷ついてしまったのかもしれないし、壮大な物語の果てに辿り着いた決断なのかすら伊吹たちには知る由もなかった。
「鳳凰がつい最近まで氷雪艦隊に所属していたのは知っていますね?」
その場にいた3人が寸分違わず頷く。
カーテンの隙間から僅かに銀色の月光が部屋に差し込み、カエルの鳴き声が部屋中に響いた。しばらくの間続いた沈黙を破ったのは他でもないシュミット中佐だった。
彼は鳳凰とその仲間の艦艇の名前から主砲の口径数まで事細かく伝える。どうやら彼の艦隊には日本武尊や素戔嗚尊、天照大神を始めとした強力な鑑定が揃っているらしい。航空機も7割以上が聞いたことのない機名だった。
最近では氷雪艦隊に所属していたが、奄美大島沖海戦を期に除籍、現在は中国でひっそりと暮らしているらしい。
「そんな訳で、鳳凰を仲間にして欲しいんです、私が行こうものなら向こうもそれを待ち伏せて私を殺す。だから私にはどうしようもできないんです…」
氷雪艦隊の工作員が対馬鎮守府内にいる以上、シュミット中佐は下手に動く事はできない。動きがその工作員にバレれば何をされるか分からない。災厄暗殺に乗り出すかもしれない。そうなってしまってはシュミット中佐が日本に逃れてきた意味がなくなる。
対馬鎮守府側としても、第四帝国や氷雪艦隊の内政や部隊情報をしる数少ない貴重な情報源。彼ら失うのは国の未来を左右する一大事に成りかねない。
(何か有力な情報が欲しい。そこからこの不条理な侵略戦争を終わらせる手がかりが得られるかもしれない…)
加賀の頭の中に思い描いた理想とはかけ離れた現実。
朱に染まる海。国際紛争、2度の世界大戦を経験した艦艇たちには、それぞれの撃沈の記憶が頭をよぎる。
人型艦艇の過去とピッタリと重なっていき、空に舞う血の飛沫。現実という、不可逆的なモノにあたかも、いきなり放り出されたかのように人型艦艇が現れてから早10年。戦争の記憶とは変わってしまった世界を見ることになった彼らが目の当たりにした奇妙かつ不自然な『「そうや」沈没事件』。そしてそれを期にウジのように南極から湧いて出てきた氷雪艦隊(または暗黒艦隊)。
情報網も、輸送路もいきなり遮断された国家日本。
全ての国民が平和に暮らせるために戦ったのにも関わらず、また振り出しに戻ってしまった。
カエルがどこかで泣いていた。カーテンが風に揺られている中、伊吹が口を開いた。
「分かった、シュミットさん。交渉は俺が隠密でやる」
「本当か!?感謝する!本当にありがとう!」
シュミット中佐はその言葉を聞いた瞬間伊吹の手を握り、思いっきり上下に振った。なぜか少しばかり冷たいように感じる彼の手には、言葉に表せない温かみがあった。
「それでは私は夜の巡回がありますのでこれで…」
「そう言や、シュミットさん憲兵隊だっけな?すっかり忘れてた」
シュミット中佐は鎮守府に投降後にその統率力と洞察力を買われ、憲兵隊に入隊していた。シュミット中佐は他の憲兵たちと鎮守府内外の巡回警備に今から向かうのだ。
シュミット中佐が一礼して部屋を後にするのを見送った伊吹、赤城、加賀は就寝の支度を始めた。
「ねえ加賀、私たち黙っていていいの?罰せられたりしない?」
不安そうに耳を垂らす赤城に加賀は「心配ない」とだけ冷淡に応える。赤城たちは就寝準備ができたや否や、布団の中でスヤスヤと深い眠りについた。
月明かりが窓から注ぐ幻想的な夜。鎮守府周辺の巡回を終え、先に同僚を帰らせたシュミット中佐は、森林を1人で歩いていた。暫くすると、目の前に怪しげな人影がこちらに向かってきたのが見えた。しかもその人影は、前にレーダー施設の監視カメラの映像で確認した襲撃犯に似ていた。しかも暗示装置を装備している。
思わず息を呑んだ。
まずは、相手とコンタクトを取る。もしかしたらばったり会っただけかも知れない。そう考えたシュミット中佐は、その人物に声を掛けようとした。しかし、話しかけたのは向こうからだった。
「Matthaus・Schmidtは、お前の事か?」
明らかに男性の声だった。しかも第一声からなぜか自分の名前を知っている。シュミット中佐の警戒心が一気に高まる。取り敢えずで「Yes」とだけ返しておく。男はそうかとだけ言うと腰に下げていたホルスターに手をかけ、ワルサーP38の銃口を向けた。シュミット中佐も自分の携帯していたM1911を手に取る。が、シュミット中佐の銃が火を吹く前に、男のワルサーの銃口から弾丸が飛び出した。火の粉を散らしながら飛んでいくその銃弾は、迷わずシュミット中佐の元へと向かう。シュミット中佐自身、火花が散ったことで発砲を確認はしたが、音速で飛来する弾丸を避けられず、太ももに命中した。爪を抉り取られる以上の激痛が走る。激痛に耐えながら体を動かして木の影に身を隠しながら負けじとばかりM1911の引き金を引いて応戦する。しかし、相手はかすり傷を負う程度。足を負傷した上で戦うのは不利である。しかも人である以上、例えかすり傷であっても銃弾を喰らうと痛いはず…。しかし、彼はあたかもかすり傷を受けていないかの様な動きをしている。察するに人ではないことは確かだ。
(となると最新の暗殺兵器か…?それとも人型艦艇か…?)
動かない右ももを無理に動かしてひたすら対馬鎮守府を目指す。向こうは構わず追っては撃ち続けている。
タイミングを見計らい、傷口を服をちぎり取って塞ぐ。
男はどうしたと笑いながらワルサーP38を盾にしている木に撃ち続ける。シュミット中佐は銃声だけを頼りに銃撃戦をせざるを得ない。
ひたすら引き金をひいては弾倉を再装填するのを繰り返すうちに足の感覚がジリジリと無くなっていった。茂みを掻き分けて逃れていた時だった。襲撃者の放った銃弾がシュミット中佐の腹を貫き、その場にうつ伏せになる様に倒れ込んだ。足音が近づき、確認にしに来たのだろう襲撃者は、シュミット中佐を見下ろして呟く。
「暗黒艦隊の情報をよくもまぁペラペラと喋れるもんだ…」
死亡と判断した彼の声は、どこかで聞いたことがあるトーンであった。ムクリと起き上がった彼は、必死に腹部を押さえて鎮守府へと向かった。
「ちょっと!?貴方!しっかりしなさいよ!」
フレッチャーとメルヴィンが鎮守府正門近くの道路脇に倒れている青年男性を見つけ、声をかけるが呻き声をあげるだけで返事はないに等しい。
「姉さん…鎮守府に連絡するから運ぼうよ」
「そうよね…しかもよく見たらマテウスじゃないの!?」
「本当だ、何でシュミットさんがこんな所で…?」
フレッチャー級駆逐艦2隻が1人の青年男性を運び、鎮守府正門に向かった。門にいた陸軍と憲兵は無惨にも腹と足の両方を銃弾を撃ち込まれたシュミット中佐を見て、急いでゲートを開ける。
「シュミット殿の容体は!?」
救護兵を連れてきた太刀風はシュミット中佐の容体を聞く。すると、診察を終えた救護兵はゆっくりと顔を上げる。
「まだ意識はあるようだが、そう長くは持たないだろう…」
全身の力が抜けるのを感じた。メルヴィンはシュミット中佐のピクリと指が動くのを見た。そして、細々と伊吹を呼ぶように言った。
「総旗艦殿ですな?分かった…」
5分後、まだ覚めぬ目をこすりながら伊吹が太刀風と共にやってきたのだが、すぐにその目は覚め、赤い瞳がはっきりと見えた。
「シュミットさん!?これは一体…?」
「レーダー施設に侵入した奴に襲撃されました…。足と腹部に撃たれましたよ…、お蔭でもう長くありませんのでね…」
そう言ってシュミット中佐は伊吹の耳に口を近づけて囁く。
「声的に…確信はないが…襲撃者は多分白龍だ…」
次の瞬間、頭に電流が走る様な感覚に襲われる。
白龍が襲撃者…?そんなはずはない、白龍は既に六航戦所属であるしわざわざ自分の同型艦を敵に回す様な事をする理由も全く分からない。
「この事を…アドミラル・ソヤマに…知らせてください…私からの最後の頼みです…」
伊吹がシュミット中佐の腕を掴むと、スッとシュミット中佐の顔から血の気が引いて行く。つい1分前まで生きた人が、目の前で命という炎を消して行く。伊吹は握手した時の感触が今だに残っていた。さっきと同じ、冷たいがどこか温かみがある手だった。
まだ温かい手を握ったまま夜空を見上げると、1つ、また1つと流星が流れていった。