よみがえった剣
「 聖女ホワイト様門下の、聖女候補生、アンジェラ・ホワイトと申します。以後お見知りおきを 」
「 アンジェラ・ホワイト!? ホワイトって、あんた、聖女様のファミリーの候補生か 」
アンジェラの名乗りに、警備隊長は驚きの声をあげた。
隊長の驚きように、ふたりを引き合わせたおかみはきょとんとした。聖女候補生が聖教会の幹部候補なのは知っているが、どうもアンジェラはさらに特別な存在と理解し、すぐにそわそわしだす。彼女の恩人であり、お気に入りの少女が、想像以上に破格の存在であるということに、子供のようにわくわくしていた。
「 隊長さん、ファミリーってなんだい 」
目を輝かせるおかみの疑問に、隊長はふうっ落ち着くために長めの息を吐いた。
「 聖教会のトップの聖女に才能を認められた候補生だ。聖女の名を名乗りにいれられる、特別生だよ。いわば聖教会のエリート中のエリートだ。…まあ言ってみりゃあ天才の選りすぐり、遠くない将来に聖教会を動かしていく化け物の集まりだ…。俺程度じゃ足元にも及ばんよ。失礼 」
ファミリー候補生は、次期聖女にもっとも近い存在だ。その高みを知っている隊長は、つい化物という本音を漏らしてしまった。うっかり失言してしまった隊長が謝ると、アンジェラは澄んだ目で隊長を見ながら
「 今の言葉、許はことはできません 」
「「 え? 」」
隊長とおかみの言葉がかぶった。
まさかこの程度のことで、アンジェラの機嫌をそこねるとは思わなかったのだ。
アンジェラは静かに続けた。
「 …隊長さんは身体を張ってこの街を守ってきたのでしょう。弱きもののため、身を呈す。それは(武の)神の指し示す正しき道です。その勇気ある行いの前には多少の才能の差など微々たるもの。足元にも及ばないなどというのは、その道を冒涜することです。だから許せないと申しました 」
ようやくアンジェラの不機嫌の理由がのみこめた隊長の目が驚きに見開かれる。
(武の)部分はアンジェラは師匠との約束で口に出せないので、なんだかとてもいいことを言っているようにしか聞こえない。聞こえれば、ただの脳筋発言だと理解されるのだが。
「 あなたのこれまでの尊い行いは、才能に勝ります。強くなろうと努力したのでしょう。いえ今も努力しているのでしょう。手をみればわかります 」
たゆまぬ鍛錬でグローブのようになった隊長の利き手の左を、アンジェラは優しく両手で包み込んだ。芸術品のようにアンジェラは手の造りまで美しかった。本人の望むものとは真逆に……。なめらかな絹の肌触りに隊長は狼狽し、アンジェラに動揺を悟られまいと、懸命に平静を装った。異性へのときめきをこの気高い少女に抱くのは冒涜のような気がした。ほんとは少女どころか♂なのに……。知らないというのはおそろしいことなのだった。
「 才能に溺れるものより、努力を怠らないもののほうがより(武の)神に近づくことが出来る。私はそう信じています 」
アンジェラの掌から光があふれ出す。
「 …回復法術… 」
隊長が呆然とする。光に包まれる己の手を息をのんで見つめていた。回復法術はむろん知っている。だが、呪文も魔法陣もなしにいきなり法術を発動させる人間など、今までみたことがなかった。それも、まばゆいくらいの癒しの光。こんな高出力のものは、聖教会の中心、聖都での重要祭典でもないとお目にかかれない。
……勘違いである。
アンジェラは、身体にぱんぱんに詰まった生命エネルギーを放出しているだけだ。
呪文も魔法陣もいるわけがない、お手軽治療法である。
もっともこんなバカげたことができるのは、希少な回復術士よりさらに稀だ。
隊長が見抜けないのも無理からぬことなのだった。
「 これから先もより一層の奮起を、そして、二度と不当な卑下をしないと誓ってくださいますか 」
アンジェラはほほえんだ。手が触れ合う至近距離だ。とびぬけた美少女であると改めて認識する。普通近くになればなるほど欠点がわかるのに、近づくほど美しさに穴がないのがわかるのだ。
おそろしく長い睫に見とれてしまう。
「 は…はい 」
少年時代の懊悩が蘇ったようで隊長は気恥ずかしくなり視線を落とした。天使のような美少女に両手で手を握りしめられ、見つめられているのだ。そして自分の生き方を褒めてくれ、それを否定するなと怒ってくれたのだ。胸の高鳴りが抑えられない。見習いの、隊長アンジェラ様に会いたくて探しに行くんでしょ、という的外れの言葉を笑い飛ばしたが、これでは示しがつかない。気を取り直さねばなるまい。
アンジェラは「これからももっと鍛えよう」とマッソーな発言をしているだけなのだが、その真意は、なかなか他人には伝わらず、だいたい500%ほど美化されて曲解されるのだった。
「 ならば許します。そして失礼な態度をお詫びします。これは私よりのささやかな謝罪の贈り物です。さあ、立ち上がり剣を振ってみてください 」
アンジェラの言葉には力があった。逆らいがたい「格」を持った人間には何度もあった。気を張らなければ呑まれてしまう人格的迫力の人間はたしかに存在する。だが、猜疑心を抱くことさえ罪悪感をおぼえる相手ははじめてだった。気圧されるように唯々諾々と隊長は言葉に従っていた。
その心地よさに、洗脳ではないかと、背筋に寒いものを覚えるが、アンジェラの目は静謐でおだやかだった。すぐに隊長の不安はぬぐい去られた。
抜刀する。驚きがじわじわと胸にひろがる。
「……右手の自由がきく…」
夢ではないかと思った。
長い間馴染みだった引き攣るような感覚がない。戦場で負った自分の一部になっていた古傷の突っ張りだ。危うく剣が握れなくなるほどの大怪我より再起したあと、隊長は以前の剣の冴えを失った。傷は腱にまで及んでいた。傭兵稼業から身をひく決意をした一因だ。
唾をのみこむ。期待に胸がどっどっと鳴る。手が汗でびっしょりなるほど緊張する。
アンジェラの笑顔に、覚悟を決め剣を振った。
何万回も繰り返してきた動作。体に染みついたいつもの動き。なのに、鋭い風きり音がした。こんな音は久しく聞いたことがない。興味深く見守っていたおかみが、剣音に威圧されて尻もちをついた。あの暴漢の斧など切り飛ばしてしまうような一撃だった。
奮えが止まらない。二度と手に入らないと諦めた、失った宝物が、再び自分のもとに戻ってきた。
泣きそうな気持ちで隊長はアンジェラを見た。母犬を求める子犬にでもなった気がした。アンジェラは満足そうに頷いた。この瞬間、隊長の心の中で、アンジェラは特別な存在になった。
「 北家一刀流、上段うちおろしですね。お見事です。隊長さんは利き腕の筋を痛められていたようです。それがあなたの今の本来の剣筋です 」
「 なんともまあ……あたしはてっきり自分が斬られたかと思ったよ 」
のろのろと立ちあがり、おかみも驚きに目をぱちくりさせている。
「 いや、これは…なんと礼を言ったらいいか… 」
月並みの陳腐な言葉しか吐けない自分にいらだち、隊長は膝をつき、敬意を示そうとした。貴人への礼を示さずにはいられなかった。かつて騎士だったこともある彼は、妻以外ではじめて己の剣を捧げたい女性に出会ったのだ。それをアンジェラは腕をとって引きとめた。
「 礼など不要です。これは、あなたのたゆまぬ鍛錬と勇気に対する、いわば(武の)神よりの正統な報酬です。これより先も正しき(武の)道を歩まれんことを… 」
そして、きらめく目で隊長を見た。
「 ……やるのでしょう。(武の)道を同じくするものとして私にはよくわかります。お立ちなさい 」
この武道バカは、万全の隊長とやりあいたいがために、古傷を治療したのだった。
「 やはり、すべてお見通しでしたか。さすがですな 」
そのことを知らず隊長は唸った。これはいよいよたいした玉だ。自分の手に負えず、心を病んでいる問題さえも、語る前から見抜いているとは。おかみが心服するのも納得だ。
……アンジェラのような人間が、騎士時代の自分の主だったら、自分は騎士の職務に疑問を抱かず、今も毎日を歓びをもって迎えていたかもしれない。そして傭兵に身を落すこともなかったろう。失った過去を想い、少年のように胸が痛くなる。いつかアンジェラが聖女になったとき、側仕えできる聖教会所属の騎士達はなんて幸せな奴らなのかと、嫉妬めいた羨望を抱く自分に気づき、苦笑する。
今の自分の生きざまを誇れ、そうアンジェラが教えてくれたばかりではないか。ならば、彼女の期待を裏切らぬよう、職務をまっとうすることこそ、おのれに残された騎士道であろう。
「 あなたには感謝してもしきれない。これで、なんとか霧の戦士とやり合えるかも知れん… 」
「 では、私と正々堂々立会いを…い、いえ、なんでも……え ? 霧の戦士? その話、くわしく聞かせてください 」
アンジェラの不穏な望みは、誰の耳にも入ることなく立ち消えた。隊長がどうやら立ち合いを望んでいるわけではないと察し、おすまし顔でごまかそうとする。相手から望まれたならともかく、自分から乗り気でない相手に喧嘩など売ったら、師匠からの厳罰は免れないからだ。そしてこの脳筋バカは、戦士というワードに激しく反応し、身をのり出したのだった。
「 …ここ二月ほど、霧の濃い深夜に、南門に現れる全身鎧の戦士です。もう何人も腕自慢たちが大怪我をさせられています。奴の得体の知れない武術の前に、俺も手も足も出なかった。だが、剣速がよみがえった今なら……奴の正体の一端ぐらいは暴けるかもしれん 」
「 お、おお…!! 」
戸惑っていたアンジェラだったが、次第に興奮し、拳を握り締めた。
この隊長は相当できる。それが手も足も出ないほどの相手。さらに得体の知れない武術!! 武道バカのアンジェラが昂らないわけがない。アンジェラは両手を組み合わせ、武者震いに耐えた。
……はためには、隊長を心配し、身を震わせて神に祈りを捧げるようにしか見えなかったが。
隊長は感激し、決意をあらたにした。
「 いや、一端ぐらい暴けるかも程度では、アンジェラ殿のご好意に失礼! うち倒すつもりの心意気で戦うと誓おう。では、準備があるのでこれで。この御礼はいつか必ず 」
「 お、お待ちなさい 」
礼をして立ち去ろうとする隊長にアンジェラは慌てた。
自分もその霧の戦士の武術を是非見てみたい。いや、立ち会いたい。だが、勝手なことをしては、鬼より怖い師匠の鉄拳制裁を受けることになる。全身荒縄でぐるぐる巻きにされ、飛竜の巣に蹴り落されるなどまだ序の口の地獄が待つ。あれだけはなんとしても避けねば……。
苦し紛れに頭を振り絞って考えた介入の口実が、
「 …霧の戦士によって大怪我をしたというのは、もしや警備隊の方たちなのでは? ならば、私が治してさしあげましょう。もちろんお布施などはけっこうです 」
息をのむ隊長の顔に、アンジェラはさぐりがビンゴだと内心ほくそ笑んだ。
「 じつはそうなのです…しかし、そこまで見ず知らずのアンジェラ殿に甘えるわけには 」
苦悶の表情に隊長を、アンジェラは神妙な顔で諭した。
「 その方たちは、隊長さんと(武の)道を同じくするもの。ならば、私とともに歩む求道者。旅の道連れの方に手を貸すことになんの不都合がありましょうか。だから、みなさまが後顧の憂いなく戦えるよう、私も霧の戦士との戦いにおもむきます 」
…なんかいいこと言ってるっぽいが、力技の理論もいいところだ。いきなり霧の戦士との戦いまで話を飛躍させた。勢いでむりやり押し切る気満々だ。そして本音でもある。脳筋アンジェラにとって、戦うものは皆、職業男女を問わず、すべからく武術仲間扱いなのだった。
「 いかん。仲間を治してくださるお申し出は、涙が出るほど嬉しい。ぜひにお願いしたい。だが、霧の戦士との戦いは別だ。あれはたぶんこの世の者ではない。危険すぎる 」
隊長は難色を示した。
合理主義の彼がそう判断せざるをえないほどの異常な存在だった。
続く言葉でおかみが蒼白になった。
「 奴は海の上を歩いてやって来るんだ。霧を引きつれてな 」
この町の街壁のうち南門の扉は開け放しだ。壊れたまま修理さえされていない。
なぜなら南門の向こうは海に直接繋がっているから、訪問者などあろうはずがないからだ。
五十年ほど前の地震で街の南区画は地盤沈下を起こした。そこに海水がなだれ込んだため、門を含む旧南区画は半ば海中に没している。
霧の戦士は、その壊れた南門をくぐってやってくる。平然と海上を歩いてくるものが、まともな人間であるわけがない。聖女候補生にあわよくば助力をとの隊長の最初の願いは、アンジェラの人柄にほれ込んだ今、絶対に彼女だけは危険な目に会わせたくないとの思いにかわっていた。
だが、隊長の言葉に、かえってアンジェラの顔色は変わった。
……もしかして、〈拳鬼十三羅漢〉!?
霧の戦士が彼らの一人なら、アンジェラが聖教会より受けた討伐対象だ。
なにより街の警備隊の手に負える相手ではない。
いつ全滅してもおかしくない。
「 (武の)道を貫くためならば、危険など恐れません。それに、もし見過ごせばきっと一生後悔します。お願いです、どうか私も 」
アンジェラの懸命の訴え。
それは隊長とおかみには、隊員達の危機を見過ごせないと聞こえた。
感動する二人。
それも本心だ。
だが、アンジェラとしては、霧の戦士の武技を見たくて仕方ないことと、もし〈拳鬼十三羅漢〉を目前にしながらおめおめ犠牲者など出そうものなら、鬼の師匠に鉄拳制裁される恐怖が、動機の大部分だったりした。
〝だいたい拳鬼十三羅漢の名前も居場所もわからないなんて無茶ぶりすぎなんだよなァ〟
アンジェラは嘆息する。
そのぶん拳鬼十三羅漢討伐に関しては、絶大な権力を聖教会から与えられてはいるのだが。
アンジェラの嘆きは、はためには哀しみのため息に見えた。
胸が詰まってしばらく口も聞けない隊長とおかみ。
ややあって、
「 …どうだい 隊長さん、あたしの褒め言葉は正しかったろう 」
おかみがそれは嬉しそうに語りかけた。
隊長は無言で頷いた。言葉などではなく、この恩は働きで返してみせると心が滾っていた。そして、危険からアンジェラを遠ざけたい気持ちは変わらないが、それ以上に、隊員達の危機を見過ごせないというアンジェラの気持ちに涙が出るほど感激していた。
そして一命を賭してでも、そんな気高いアンジェラを守り抜くという、少年じみた夢想は、騎士に無邪気に憧れていた遠い記憶をよみがえらせ、彼をおそろしく昂揚させた。
……実際は、ただの脳筋武道バカが、きわめて利己的な願いを強引に割り込ませただけとも気づかずに……。知らないということはつくづく幸せなことなのだった。
お読みいただきありがとうございます!!