エピソードゼロ 鬼の仔と聖女の邂逅 それは師匠と弟子の出逢いでもあったのです
風がうずまく。灰色の空で遠雷が鳴る。
赤茶けたスラム街で対峙するは、野生児と修道女のふたり。
その野生児は、錆びた鎧をつみかさねた山の上に、どかっとあぐらをかいていた。折れた剣や槍が山のいたるところから突き出ている。彼は目をぎらつかせ、歯をむきだし、修道女を見おろし、ギシシときたなく嗤った。
「へっ、このオレに悔い改めろって? やめときな、鬼の仔とおそれられるオレだぜ。神の教えなんてお呼びじゃねぇよ」
その少年が座る武具の山は、彼を討伐しにきた者達が身につけていたものだ。
どれも歪み、ひしゃげ、原型を留めているものはひとつとしてない。
誰が信じられようか。それが、この小柄な少年の素手の圧倒的な暴力によるものだとは。
「……オレがこの世で信じるものは、ただひとつ。オレ自身の強さだけよ。とっとと失せやがれ。オレは女に手は出さねえ。有名な占い師に、女難の相があるって警告されてるからな。だが、このスラムはろくでなしの吹き溜まりよ。修道女だろうが関係ねえ。あんたみたいな美人を、普通にやるよりもぶっ壊すほうが興奮するって変態どもが、涎をまき散らしてわんさか寄ってくるぜ……」
その野生児は、暴風に蓬髪を振り乱し、凶悪に嘲笑する。
人でなく、殺気にみちた獣そのものだ。
顔はあかまみれで、衣類もぼろぼろだ。
身だしなみにまったく無頓着だとわかる。
しかもぼろ布のマントは、返り血で赤黒く染まっている。
きっちりした漆黒の修道服とは対照的だった。
ここは暴徒どもの住処とおそれられる貧民街だ。
食い詰めものや野盗が跳梁跋扈する無法地帯だ。
そこにいつからかこの少年は棲みつき、あっという間にこの地域の王になった。
無法者たちのが束になってもかなわないその暴れっぷりは、近隣に鳴り響き、少年はいつしか鬼の仔とおそれられるようになった。
そして、無数の腕自慢たちが、鬼を屠って名を挙げようと、ひっきりなしに訪れるようになった。だが、誰ひとり少年に傷ひとつさえ負わせらず、ぶざまに叩きのめされた。騎士達も同様だった。
そして、ついに、面子を潰されたこの国の騎士団が治安維持の名目で出動し、この鬼の仔に返り討ちにされた。途方に暮れた国は聖教会に泣きつき、この修道女が派遣されてきたのだった。
少年は話に飽き、ぷいっと修道女から目をそらした。
彼は基本的に他人に興味がない。自分が強くなることに比べればどうでもいい。
忠告はした。あとはどうしようが修道女の勝手だと思っているのだ。
彼の閉じかけた瞼をふたたび開いたのは、修道女のとんでもない答えだった。
「……たしかにここに来る道中、数えきれないぐらいの不届き者たちが私を襲ってきました。でも、みなさま、すぐに改心し、心よく有り金すべてを教会に寄付してくださいました……」
ようやく口を開いた修道女の静かな言葉に、少年はギシシシッと失笑した。
「……あのロクデナシどもがありえねぇよ。お説教なんぞ十秒も聞いてられないド低能どもだぜ?」
「一秒もたたず、みな泣き叫び、心を入れ替えましたよ。口でなく、こちらで説教しましたから」
修道女は自らの拳を握り、ゆっくり目の前にかざした。
「おかげでだいぶ懐が潤いました。いっそあと千人ぐらい襲ってきてくれたら、小さな教会ぐらい建つのですが。私もストレス解消になり、教会のためにもなり、悪党どもも前非を悔いる。まさに神のお導きです」
風がヴェールを巻きあげる。はっきり見えた修道女の貌は、美しい鬼の笑みを浮かべていた。
「どうやら目的の小鬼も釣り針にかかったようですし。……はたして、この私がわざわざ出向いたほど価値ある大魚か、それとも口先だけの雑魚か。さあ、試される勇気はありますか……?」
「……なぁんだ……あんた、やっぱり、やる側の人間だったのかよ……。そうじゃないかと思ってたぜ」
少年は同じ笑みを刻み、舌なめずりをした。
修道女がとてつもない強者だと理解したのだ。
感じたことのない高揚が彼を包んだ。
「……じゃあよ、期待を裏切らないよう、オレの全力をプレゼントしてやらァ……。うれしションベンをまき散らすなよ」
恋人にするように熱くささやく。
修道女は呆れ顔をした。
「下品で喧嘩っ早い仔鬼だこと。私からしかけてなんですが、まずは試される理由を聞いてみようとは思わないのですか」
「必要ねェよ。オレは最強になりたい。そしてオレより強いかもしれないヤツが目の前にいる。やりあわない理由がねエ。どういったわけがあるかなんてどうでもいい。拳は口と違って、嘘がつけねぇしな。あんたが勝ったら好きにしな」
「聞く耳もたずですね。けれど拳で語るのは嫌いじゃありません。いいですよ、やりあいましょう」
「そうこなくっちゃな。その余裕の笑み、すぐに打ち消してやる……ぜっ!!」
少年は胡坐から片膝立ちになり、真下の武具の山を思いっきり殴りつけた。
山は大きくたわむと、一斉にはじけとんだ。少年の姿が消える。まるで至近距離で火山が爆発したように、周囲の空間一帯は、ばらばらになった鎧や剣の金属片が飛び交う刃物地獄と化した。巻き込まれたら巨象でさえ、数秒で血まみれのなますと化す。普通に殴っても絶対にこんなふうにはならない。鬼と呼ばれるのに納得の強さに、修道女は嬉しそうに笑う。
「……まずは及第点……。けれど、かくれんぼにつき合うほど、私は暇ではないのです。いつまでものかげに隠れて震えているのかしら。こんなガラクタをいくら飛ばしても、私は傷ひとつ負いませんよ」
修道女の周囲に、火花が絶え間なく咲き乱れる。
乱れ飛び、意志をもったように襲いくる破片を、目にもとまらぬ速さで撃ち落としているのだ。
寸鉄帯びぬ徒手空拳をもって。
まるで刃の旋風だ。
飛んできた巨大なフルプレートの胴体も、バターのようにまっぷたつにする。
この修道女の手刀はまるで名刀の切れ味だった。
轟音とともに乱雑な積み木のように建て増しされた家が崩れ落ちてくる。
少年は武具の山をめくらましにし、修道女を圧し潰すため、周囲の家の支柱を破壊したのだ。
自爆に近い奥の手だ。だから彼が根城にするこの一帯には住人がいなかったのかと修道女は納得した。
狭い路地で逃げ場はない。だが、みるみるうちに大きく迫ってくる建物の影にも、修道女はまったく動じなかった。
「甘く見ないでほしいものです。この私を建物で潰したいのなら、お城ぐらいもってきなさい」
修道女が嘆息する。見えない高速回転する超巨大なドリルに巻き込まれたかのように、倒壊した建物は修道女に届く前に木端微塵になった。
「ふふ、身を隠すものがなくなったから、かくれんぼはおしまいです。これからは鬼ごっこの時間ですよ。追うのは私。追われるのはあなた。駆け出しの坊や鬼に、ほんものの鬼に追いまわされる恐怖を教えてあげます」
「……ギシシッ、御免こうむるぜ。鬼はオレひとりでじゅうぶんだ……!!」
もうもうたる砂埃と破片の向こうから、少年が飛び出した。
小柄な体を生かし、次々と障害物にたくみに身をひそめながら、修道女に接近していたのだ。
コマ落としのように、桁外れの神速で、修道女の懐に入りこむ。
ふううっと大きく息を吸い込み、だんっと地面を踏みこむ。
「この距離なら絶対かわせねえ。微塵に飛び散りやがれッ!!」
おそろしい速さで、少年の拳の連撃がとぶ。
まるで弾幕だ。すさまじい手数で、雪崩のように相手を圧し潰してしまう。
技術でさばくことも許さぬ圧倒的な物量攻撃だ。
この少年の得意技であり、今までこのラッシュに耐えられた人間はいない。だが、
「……なッ!?」
勝ち誇った少年の貌が歪む。
絶対の自信をもつ必殺の拳は、修道女の、黒い修道服を散り散りにした。
だが、それだけだった。
その下から無傷の純白の法衣があらわれた。それは聖教会最高位の聖女のあかしだった。
「……よくも目立たないよう修道院で貸していただいた服をぼろぼろに……。おかげで私は院長に謝らなければいけなくなりました。私、この世でいちばん他人に頭をさげることが嫌いなのです……。少しむかついちゃいました……」
少年の連撃を修道女はすべて受けきったのだ。
呆然としている少年の髪を、修道女はがっと摑んだ。
少年はぼうっとしていたわけではない。危険を察知し、その手をかわそうと、スウェーバックした。そこによけきったはずの修道女の手が待ちかまえていた。少年の動きを読み切り、とっくにまわりこんでいたのだ。
「……つぅーかまえた……」
「!?」
背後から、後頭部を髪ごと引き寄せられ、からかう声に戦慄したときには遅かった。
「鬱憤晴らしとお仕置きです。頭を下げなさい。まずは一回……」
「……!!」
そのまま修道女は少年の頭を、地面に叩きつけた。
「二回……三回……四回……そろそろ血の小便が出るかしら」
何度も何度も。少年は気が狂ったように暴れ回り、拘束をふりほどこうとしたが無駄だった。
修道女は万力のような握力の持ち主だった。
「……二十八回、二十九回・……あきれた頑丈さですね。普通ならとっくに死んでる頃です。あなた、本当に人間ですか? 三十回、三十一回……とりあえず百回まではいっときましょうか」
地面が地震のように跳ねあがるたび、少年の抵抗が削がれていく。
「……二百六十回。やっとあきらめたようですね。鬼の仔の名にふさわしいしつこさでした」
修道女が手をぽいっと離す。
少年はぼろクズのようになって転がった。
息も絶え絶えの瀕死だ。
「……御感想は?」
対して修道女は息ひとつ乱れていない。
「……殺せ。オレは井の中のカワズだった。通りすがりの尼さんにボコボコにされちまう強さしかなかったのによ。いい気になってた自分がかっこ悪くて恥ずかしい……。なにが最強だ……もう……生きちゃいられねェ……」
悔しさに号泣する少年に修道女は見下ろし、にやあっと凄みのある笑みを浮かべた。
そっと撫でた彼女の頬に擦過傷がある。少年の拳威はわずかにだが、彼女のガードを突き破っていたのだ。
「……そう卑下することはありません。この私に一撃入れるとは、なかなかたいしたものですよ。私は16代目聖女ホワイトと呼ばれています。たぶん、世界で一番最強に近い存在です。もっともこっちの貌は限られた者しか知りませんが……」
「なんだと?」
打ちひしがれ、うつろな少年な瞳が、再び焦点を結ぶ。
聖女ホワイトは、聖女ヴァイオレット、聖女ブルーとならぶ聖教会のトップだ。聖教会でもっともすぐれた者が代々その名を受け継いできた。だが、そんなことは少年にはどうでもよかった。最強という言葉が、萎えかけた彼の心を再びよみがえらせた。
「私はずっと自分のすべての技を伝える弟子をさがしていました。あなたにはその資格があります。修行はとても厳しいですが。どうします。そのままここで泣いて朽ちますか? それとも涙のかわりに、汗……いえ、血反吐をはいて、千尋の谷を這い上がりますか?」
聖女の苛烈な本性を見せられたいま、それは怖気をふるう誘いだった。
だが、この少年に限っては、断わる理由などあろうはずがない。強さを求め続けることがすべての彼にとり、それは神の福音に等しい申し出だった。少年は腕でごしごしと涙をぬぐった。垢がぽろぽろ落ち、驚くほどきれいな肌がのぞく。聖女ホワイトの目が光った。少年は身をはねおこし、両膝をついて懇願した。
「なりてェ。あんたみたいに強く……弟子にしてくれ……!! どんな修行にも耐えてみせる……」
もし、この時点で少年が聖女ホワイトの腹黒さに気づいていたら、口が裂けてもそんなことは口にしなかったろう。もう少し時間がたち、彼女のとんでもないたくらみに気づいたときには、すでに足抜けができない状態になっていた。
聖女ホワイトは少年の言葉に内心ほくそ笑んだが、おくびにも出さず、神妙な顔でうなずいた。
「いい覚悟です。ならば、あなたは今日から私の弟子です。あなたの名前は?」
「……ねェよ。そんなもん。物心ついたときには天涯孤独だったし……」
顔から険が取れ、困ったようにあどけなく小首をかしげる少年の言葉に、聖女ホワイトはうなずいた。
じつにいい物件が手に入ったと。
「ならば、弟子入りの祝いとして、あなたに名前をおくりましょう。これからはアンジェラと名乗りなさい」
アンジェラ?
なんだか女みたいな名前だな、と思いながら、少年はありがたく頂戴した。
強さのみを求める彼にとって、べつに名前などどうでもいいことだったからだ。
あとにものすごーく後悔して、枕を涙で濡らすことになるとも気付かずに……。
もっともそのときのアンジェラは、聖女ホワイトにされた提案に、すっかり夢中になり、それどころではなくなっていた。彼女はアンジェラに言い渡した。
「……私の武術をあなたが修めれば、歴史上の超絶の拳豪たちとも渡り合えるようになるでしょう。……大魔女が地獄からよみがえらせた彼ら……悪鬼十三羅漢を、あなたが討つのです。それが弟子入りの条件です。どうします? 敵はそれぞれの時代を代表するほどの強者たち。これより先は地獄道。退くなら今ですよ」
「退く!? そんな燃える条件でか!? そいつを聞いて奮い立たねェようなら、最強めざす資格はねェ。地獄じゃなくてオレにゃ極楽浄土だ。まさに願ったり叶ったりってやつだぜ」
そのあと聖女ホワイトは、きっちりやばいことを口にしたのだが、浮かれた武道バカのあほの仔は、肝心なことを聞き逃したのだった。
「……非業の死をむかえ、恨みの鬼となってよみがえった拳鬼十三羅漢の魂には、もうどんな説得も慰めの言葉も届かない。けれど、彼らと同じ鬼から這い上がり「聖女」になった者の拳なら、あるいは……」
こうして、アンジェラとなった鬼の仔の、長い「女難」……いや受難の日々は幕をあけたのだった。
はじめて自分がなろう様に投稿した作品の焼き直しだったりします。
(2017年11月~)
なので稚拙な描写も多いとは思いますが、なにとぞご勘弁を。