煙は語る
その場の誰もが、何も言わなかったが静かに驚愕していただろう。
聞こえた話の中に、恐ろしい事実がさらりと入っていたことに、誰もが気づいたはずだ。
私は驚きのあまり煙の周皇太后から目が離せなかった。
――ああでも姉さま、あなたは特にだめ。今の主上は姉さましか見ないのだもの。あんなに移り気で、いろんな男に色目を使うような女なのに、主上までもが姉さまの虜になってしまうなんて……。だから、そう、しょうがなかったの。姉さまがいなくならないと、私の番がいつまでも回ってこないのだもの……ねえ高麗、次こそは私の番よね……?
……そんな理由で。
そんな理由で母さまは嵌められたのか。
周皇太后の足下で、先ほど髙麗と呼ばれていた女官がひれ伏したまま泣いていた。
だけれど煙で出来た周皇太后は、その全てを意に介することなく語り続ける。
いつの間にか、少し年齢が上がったようだ。
――次の皇帝があんな傍流の男だなんて、絶対に許せない。なぜ私の桜花じゃないの。なぜ主上の意志は変わらないのか……。ならば仕方がない。せめて桜花を皇后にしてあげなければ。ああ私のかわいい桜花、母さまがあなたを皇后、そして国母にしてあげますからね……。
煙で出来た周皇太后は、目の前の何かにうっとりと語りかけていた。
――しかし側近を買収してもこんな情報しか手に入らないとは……。好みの女性は『ぱそこん』を持っていて『とらっく』が嫌い……? よくわからないわね。でも、それなら桜花。あなたはあの男に『ぱそこん』ってなんだったかしら、思い出せないわ、って言いなさい。『とらっく』ってなあに、なんだか嫌な気分になるの、とかね……。まあ、意味なんてわからなくてもいいのよ。そう、いい子……あなたは母さまの言うとおりにすればいいの。そうしたら母さまが全て上手にやってあげますからね……。
煙の周皇太后は目の前には、おそらく娘の周貴妃がいるのだろう。目線が低いから、座っているか幼いのか。
「ちっ、それで最初の時にはまんまと騙されたってわけか。我ながら情けないな」
白龍が近くで苦々しく呟いた。
白龍は、きっとどこかで心を許した側近にポロッと私のことを語ったことがあるのだろう。そしてその側近は、それを覚えていてその情報を金で売ったのだ。
なるほど、白龍が、前の人生では周貴妃のことを私だと思ったから結婚したと言っていたのは、そういうからくりだったのか。
――白龍はなぜ桜花を娶らない? 他に皇后に相応しい者などいないのに。いつまでやきもきさせるつもりか。……ねえ主上、そう思いませんこと? もうそろそろ……え? 取引? あの白龍と? 桜花を娶らなければ御璽は……まあ素晴らしい、なんて完璧な。なるほど、それでは白龍は桜花がいなければ皇帝にもなれませんわね。ほほほ、いいですわ。桜花が白龍の即位と同時に立后されるというのなら、それまでは婚約という形でも、ええよろしくてよ……。
そして煙は、周皇太后が何かを混ぜている仕草に変わった。
――しかし桜花がまだ若くて美しいうちに世継ぎの皇子を産まなければならないというのに、そうそうのんびり待っているわけにもいかぬ。あの男の様子では、本当に即位までは桜花を娶りそうにない。この薬の知識で主上にはこの先も長生きしてもらおうと思っていたのに、なんと残念なことよのう。しかし桜花が最初に白龍の子を産まなければ、どのみちいつか私の立場は衰える……。
そうして煙の周皇太后は何かを混ぜながら、さらに何かを選ぼうとしているようだ。
――白龍の即位を早めねばならぬ。それには……ああ、あの第一皇子に使ったものがいい。これなら遺伝性の病気に見えるだろう。時間はかかるがこれが一番安全で確実だ……。
ぞわり、と背筋に嫌な感じがした。
あの人は、何を言っているの……まさか……。
しかし煙で出来た周皇太后は、次には晴れやかな笑顔に変わって。
――主上、桜花のために勅命までありがとう存じます。御璽がこちらにあれば、きっと白龍は桜花の価値に気がつくはずですわ。……まあ主上、そんな気弱なことをおっしゃらないで。まだまだお元気でいてくださらなければ。私、薬師でもある実家から特別に貴重な漢方を取り寄せましたのよ。私が主上のために心を込めて煎じました。きっとこれでお元気になられます。さあどうぞ……。
「……醜悪な」
李夏さまが、心から忌々しそうに呟いた。
その声を聞いて、ずっと唖然と煙の自分を見上げていた周皇太后が、はっと意識を戻したようだった。
次の瞬間、とっさに何かを口に入れる。
そして。
「皇太后さま!!」
高麗という女官が悲鳴を上げた時には、もう周皇太后は床に倒れて事切れていたのだった。